かつてあった藤沢の色街「藤沢遊郭」の痕跡を訪ねた!

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神奈川県藤沢市。東海道五十三次の宿があった場所でもあるこの地には、かつては藤沢遊郭という色街が存在したんだそうな。藤沢は私の地元でもあり、高校生の頃は駅前にあった城南予備校に通っていたこともあり、もう1,000回以上は訪れている場所!!
しかし、そんな藤沢でも遊郭があったという事実を知りいても立ってもいられなくなった私は早速藤沢へと向かったのでした。。。

藤沢はどんな街か

藤沢の歴史を語る上で、遊行寺(ゆぎょうじ)というお寺の存在は不可欠のようだ!正式な寺名は清浄光寺(しょうじょうこうじ)という名前のようで、遊行上人のお寺ということで一般的には遊行寺と呼ばれているという。
藤沢宿で何かあった場合は、住民は遊行寺を頼るなど遊行寺は地元住民の支えとして機能していたお寺のようです。現在も多くの観光客が訪れるお寺である。
藤沢宿は1601年に東海道の宿場町となっている。大山道や江の島道が分かれる場所として賑わったことや周辺農村からの物資の集積地として繁盛したという。大山道は、丹沢山地にある標高1,252mの山である大山の大山阿夫利神社への参拝道として作られた道。大山は霊峰として信仰の対象とされる山だったのです。

かつてあった藤沢遊郭跡を巡る

藤沢には昔遊郭があったようだ。今ではその痕跡を見ることはできないようであるが、遊郭跡にはその名残がよく残っているものである。その名残を求め、小さい頃から何度も訪れていた地元の藤沢に改めて足を運んでみた。

藤沢朋友会のオンボロ飲み屋街

北口から少し進み、右折して細い通りに入る。多くのサイトではすでに先人たちが調査済みの場所ではあるが、この先にかつての飲食街の名残が見られるようだ。藤沢は小学生の頃から
知っている場所であったが、こんな場所が残っているとは知らなかった。。。

すっげ!こんな風景がまだ残っているんだな。色街によるあるようなアーチがお出迎えしてくれているがかなり年季を感じる建物群がお出迎えだ!もちろん、これらの店はすべてとっくに閉店している。

一体いつ頃までこれらの店は営業していたのだろう・・。

こんな場所には、「朋友組合会員之証」と書かれたプレートが。朋友組合とは一体なんなのか?

しかし、すごい建物だ。もちろん中には侵入はしていないが、この建物の中には何かしら貴重な歴史が残っている気がしてならない。。。

さきほどのオンボロ飲屋街跡はほんの数mしかないためすぐさま抜けてしまう。こんな細い路地を通って反対側に行けるのだ。

抜けると、一気に時代が進んだような感じで高層マンションが立ち並ぶ。私が訪れたのは2017年1月。先人たちのブログを見ていて、そろそろ取り壊されるだろう的な感じだったので、もしかしたら私が行った時にはもうなくなっているかもしれないと思っていたがまだかろうじて残っているようだ。
しかし、再開発の波はどんどん押し寄せもうあと数年、下手したら今年中にでもオンボロ飲屋街は姿を消してしまうかもしれない。。。

遊郭跡周辺をうろつく

先ほどのオンボロ飲屋街を抜け、遊郭跡周辺をウロウロして見ることに。あの場所以外にも年季を感じる建物は多少は残っていた。

先ほどのオンボロ飲屋街を抜け少し北に歩くとこんな建物も見受けられる。まだお昼過ぎだから誰もいないが、この辺りはまだ営業していそうな感じだ!!

出た。このお店にも先ほどの「朋友組合会員之証」があるではないか!

周囲では工事が進んでいる場所が多い。飲み屋もあるがこの辺りはほとんどが住宅街。色街だった街には、飲み屋や風俗店、またラブホテルなどが経ち何かしらその痕跡を残していることが多いが、ここはそんな痕跡は残すことなく残酷にも住宅開発が進んでいるようだ。
また、この辺りにはとある怖い方系の事務所もあるようで割と物騒とのこと。。
私がこの辺りで写真をとっているときも、怖いお兄さんみたいな方に「何してんの?」と声をかけられたのです。写真を撮っている旨を伝えると納得してくれたようですが、この辺りでは別件で警察の方もよく来るようで、警察官(私服警官?)の人だと思ったようなのです。

歩いていると、何か異様な建物が現れた。今は営業していないようだが、どうやらファッションヘルスのお店のようだがここだけポツンとお店があるのが何か不思議だ!!ここにあるのは、色街の歴史の名残なのだろうか。。。

北口のこの辺りには、飲み屋街といってもチェーン店的な居酒屋はなくスナックのような店がほとんど。若者ではなく、昔から通い詰めている中年の方々が多そうな雰囲気だ。

 北口にはこのようなマンションもある。こちらは耐震偽装問題でマンションが取り壊されたグランドステージ藤沢という建物の跡地に建つマンション。色街とは関係ないが、街には探すと色々な物語が出てくるものである。
先ほど紹介した飲食朋友会のオンボロ建物らは近いうちに取り壊されてしまうだろう。遊郭跡の建物自体は拝めなかったものの、これらの建物を見れて良かった。。しかし、多くの先人たちが描かれているように、この地にあった仙成旅館という連れ込み旅館は目にすることができなかった。
仙成旅館の場所に行ってみたもののそこには何の痕跡すら見当たらずすっかり時代の流れとともに消え去ってしまっていた。。残念。。

飯盛女の墓がある永勝寺

住宅街に囲まれた場所で、藤沢朋友会のある場所から少しだけ離れt場所に永勝寺というお寺がある。ここには、飯盛女(めしもりおんな)の墓があるお寺なのである。以前は吉原遊郭の遊女たちが投げ込まれたという浄閑寺というお寺を紹介したが、日本全国にはこのように飯盛女や遊女などのためのお墓を置いてあるお寺がいくつかあるようだ。

飯盛女とは、江戸時代に宿場の旅籠屋(はたごや)で給仕をする女性として公認はされていたものの遊女としての側面も持っていた。1861年には旅籠屋1箇所に2名の飯盛女を置く許可を役人から得ているのである。
この永勝寺に眠る飯盛女の墓は全部で39基あり、小松屋が抱えていた飯盛女の墓なのである。飯盛女は近くの農村や他国方両親の借金の代償として売られてやってきたようだ。

そんな飯盛女達にお墓を作っているというのは珍しいようで、小松屋の主のやさしさが垣間見えるという認識であっているんでしょうか??
お墓には施主としてお墓を建てた方だろうか、小松屋源蔵という文字が刻まれている。

藤沢の色街・飲み屋街の近代史

藤沢には色街と言えるほどの街はなく、飲み屋がありそこにピンサロが数店ある程度になっている。この辺りに関して、簡単であるが歴史を以下に書こうと思います。

地元の方の声を聞いた

色街巡りでは、地元の方からの声が貴重な情報源となる。以前に京都の猪崎遊郭を巡った際に地元のお婆さんから話を伺った際に本当にそう感じたからである。探索中は地元でこの辺りの事情を知っていそうな方に出会うことができなかったものの、どこかで声を聞きたいと思って行ったため、ここに訪れてみた!

この場所はふじさわ宿交流館というスポットで、東海道の歴史がある藤沢の交流感的存在となっているようだ。ここで何か情報を得られないかと試みた次第だ!!
中に入ると、2人の方が親切に対応してくれた。
おっちゃん:「ん?遊郭??」
私:「はい、藤沢駅の北口に藤沢に遊郭があったようなのですが、何かご存じのこととかございますでしょうか??」
おっちゃん:「あ〜そういえばあそこの方にあったっけな・・。」

そう言って、おもむろに地図を取り出して説明してくれた。
そして、やはり遊郭があった場所に関しては先ほどの地図の赤く塗った部分あたりであっているようだった。今では寂れた飲屋街となっているが、2,30年近く前までは遊郭の建物が残っていたと言っていた。
お二人の方は当時の遊郭時代の状態を目撃しているわけではないようだ。当時を知る方はいるんですかね?地元ということもあり、引き続き調査は続けたい。

南口での発展が大きなきっかけに

先ほどの交流館ではこんなことも教えてくれた。北口の遊郭跡地には多くの飲み屋が立ち並び、飲屋街となっていたという。今でもどこか懐かしさを感じられる飲み屋が多く営業を続けているが、今ではお客さんの数は少なくなっているという。

というのも、その要因は南口の飲屋街が発展したからだという。現在では上地図のように北口には赤く塗られた場所に飲み屋街があるが、青く塗られた部分である南口の飲や屋街は後発的に出てきた飲食街なんだとか。確かに、居酒屋チェーンの多くは南口にあるし、人の流れも南口がの方が多いように感じる。

南口の飲み屋街には路上で客引きをやっているお兄ちゃん達がいたりはするものの、他の街に比べるとやはり人も活気も少ない。。地方の駅前という感じである。。

さっきから飲み屋街と言っていますが、飲み屋街とは言えないような気もしてきた。。南口の東側はチェーン店の居酒屋も多く藤沢の中ではここは一番人が集まる場所ですかな。私は鎌倉市に母校の中学校があるんだが、その同窓会もこの辺でやったし!
最近ではこの近くにドンキホーテもできるなど、湘南のDQNがより集まりやすくはなっていますな!ちょっと雑談ですが、藤沢も色々と変わっているのです。私は高校生の時は線路沿いにあった城南予備校に通っていたのですがそこも無くなっているし、昔よく遊んだジョイパークやドラゴンロード、アドアーズというゲーセンももう無くなってしまっている。。

現在では南口に数店のみ

先ほども紹介したように北口でファッションヘルスが営業していたようだが、藤沢の風俗店の現状は、南口に残るピンサロ4店ほどのみとなっているようだ。

かろうじて風俗店は残っているものの、点々とあるためか初めてこの辺りに来てもピンサロがあるとはなかなか気づきにくい感じではあります。東海道線で3駅西へ行くと平塚駅もあるし、そっちへ行く人が多いんじゃないっすかね??

おわりに

藤沢遊郭に関しては当時の建物は残っていないし、当時の情報を得ることはできなかった。しかし、少しばかり藤沢の街の歴史に触れることはできたし、藤沢朋友会の建物も拝めたことは幸いだったと思う。
しかし、当時を知る方の声はやはり聞きたい。まぁ1時間以内に行ける場所でもあるので、まだまだ調査は続けていきたいと思う。
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詳細・地図

住所 神奈川県藤沢市藤沢541
アクセス 藤沢駅北口から徒歩5分程度。

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