全日空機雫石衝突事故現場、慰霊の森

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今回の記事は、日本の歴史でも大きな飛行機事故の記事です。
岩手県の雫石町ではかつて、全日本空輸の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が飛行中に接触し、両方とも墜落するという事故が起きました。
日本では、群馬県で1985年8月12日におきた、日本航空123便墜落事故がありましたが、ここ岩手県でも1971年7月30日に航空機事故がおこったのです。
その事件が風化されないよう、記事を書いて紹介したいと思います。

慰霊の森へ行くには、大通りから山道へ入っていかなくてはいけません。
山道の入り口には「慰霊の森入口」の案内がこっそりと建っておりました。

車で、グングンと山道を進んでいきます、
道は、多少細いものの1台分は余裕で通れる広さ!

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登山口に着きました。
登山口にはこのように碑が建っていました。
事件は、1971年7月30日の午後2時5分頃。
この雫石の街の上空で、突如轟音が鳴り響き、全日空輸機58便と航空自衛隊第一航空団松島派遣隊所属F86Fジェット戦闘機が、空中衝突したのです。
この事故で、全日空輸機58便に乗っていた乗客162名の命が一瞬にして亡くなってしまいました。
事件の後、遺族の方々が肉親を求めてこの森に来た際には、遺族の叫びがこだまして地獄と化したそうです。
自分はこの事件のことを知ったのは、本当に最近のこと。
学校でも教わることはなかったし、友人との会話で「岩手県に慰霊の森っていう心霊スポットがあるらしいよ!」という会話で聞いた程度でした。
ネットでも検索すると「最強の心霊スポット」みたいな感じの記事が目立ちますが、事件として学んでほしいと個人的には思っています。

では早速登っていきます!!
ちなみに、犠牲者162名のうち122名は、団体旅行客であり、静岡県富士市の吉原遺族会の北海道旅行団一行だったそうです。
一方、航空自衛隊のF-86F戦闘機に乗っていたパイロットは、緊急脱出に成功して、命は無事だったようです。

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登山者のために、このように杖が用意してありました。
 ありがたい配慮です!

階段には、段数が書いてありました。

階段がひたすら続きます。
しかし、それほど急というか体力がないと登れないかというとそうでもありませんでした!!
登り続けること約15分くらい!
ようやく上が見えてきました!!

登って15分くらい。
よくネットでも見る慰霊の森の看板が姿を現しました。

ようやく現場に到着。
全体像はこんな感じです。
2015年9月現在、全日空機による死亡事故はこの事故以降発生していないようです。
そもそも事故原因は何だったのか?
wikipediaによると、以下のようなことが書かれていました。
1.1の原因は、教官が訓練空域を逸脱してジェットルートJ11Lの中に入ったことに気づかず訓練飛行を続行したこと。
2.全日空操縦者にあっては、訓練機を少なくとも接触約7秒前から視認していたと推定されるが、接触直前まで回避操作が行われなかったこと。
3.教官にあっては、訓練生が全日空機を視認する直前に訓練生に対し行った接触回避の指示が遅く、訓練生の回避に間に合わなかったこと。
4.訓練生にあっては、接触約2秒前に、事故機の右側やや下方に全日空機を視認し、直ちに回避操作を行ったが接触の回避に間に合わなかったこと。
引用元:https://latte.la/column/23827313/page/2

 こちらが慰霊碑です。
正面右側の黒い碑には、亡くなった方の名前が刻まれていました。
この事件は、1971年に起こりました。
私は1987年生まれなので、私が生まれる16年も前の出来事なんですね・・・・
過去の出来事とはいえ、こんな大惨事が起こったとは・・・・・・・

こちらは、納骨堂。

納骨堂の奥にも、何か建物がありました。

こちらの碑には、「航空安全祈念の塔」と書いてありました。
そして、「内閣総理大臣 三木武夫書」とも書いてありました。
この事故が起こった時、内閣総理大臣は三木さんでしたね!

ちなみにですが、飛行機事故ってどのくらいの確率で起こるかって御存じでしょうか??
確率論でいうと、めっっっっっっっちゃ低いんだそうですよ!
アメリカの国家輸送安全委員会によると、飛行機で死亡事故に遭遇する確率は、0.0009%くらいなんだそうです。
アメリカ国内では0.000034%。
これは、なんと8200年間毎日飛行機に乗って、ようやく事故に遭遇するかしないかくらいの確立だそうです。
車やバイクとかに比べたら、はるかに安全ですね!!

私が訪問した時には、誰も人がいませんでした。
風が吹く音と、セミの鳴き声だけが聞こえるだけでした。
こんな静かな、森で航空機が衝突するという事件が起こったなんて想像が出来ません。
事件から約45年が経ちます。
日本航空123便の事故の日でもある、8月12日は、毎年~周期とニュースになり、遺族の方たちが慰霊登山を行っています。
日本航空の社長も確か毎年登っているはず!!
この慰霊の森でも、慰霊登山などは行われているのでしょうか??
調べてみたところ、慰霊祭は2003年まで33回行われていたそうです。
最後の慰霊祭である、33回忌には、遺族の会長や市民125名が犠牲になった静岡県富士市の鈴木尚市長、防衛庁関係者ら600人が参列したそうです。
慰霊祭が終わった今後は、遺族らでつくる財団法人「慰霊の森」が慰霊碑の管理を行っているんだそうです。
以上、慰霊の森でした。
亡くなった方のご冥福をお祈りいたします。
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詳細・地図

住所 岩手県岩手郡雫石町西安庭第47地割
訪問可能時間 いつでも訪問可
駐車場 無料
リンク https://ja.wikipedia.org/wiki/全日空機雫石衝突事故
備考 麓から碑までは約15分登ります
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