ちょんの間街からアートの街へ!平和をとり戻した黄金町物語Vol.5〜巨大ちょんの間街に発展

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薬物や拳銃が持ち込まれ、売春が行われたという最悪の治安の街となった黄金町。薬物や拳銃は警察の目も厳しくなり取り締まられるようになるが、売春は一向に続いていた。このエリアでは2つの暴力団が仕切るようになり、地元住民からは恐怖の街となっていたのである。
この記事では、黄金町で特殊飲食店がはびこった時代の背景を探っていきたいと思います。

 特殊飲食店が80軒近くも佇む町に!

提供:認定NPO法人黄金町エリアマネジメントセンター
黄金町の周辺には上の写真のように飲み屋風の看板が立ち並ぶ光景が広がることに。元々はここで相手をする女性は日本人女性だったのですが、1980年ごろからは海外の女性が日本にやってくるようになってきたこともあり、ここの娼婦も外国人女性が増えるようになったのです。結果的には、1990年代にはほとんどが外国人女性がはびこるようになったそうです。
1980年代ごろにあった特殊飲食店は約80軒。1軒は約12平米のスペースに建っており、基本は2階建て。1階にはカウンターがあり2階には布団が敷けるくらいの超狭い部屋が2つとシャワールームがある形。ちなみに、洗濯機などはおいていなかったようです。布団などは、どこで洗濯していたのか・・。

提供:認定NPO法人黄金町エリアマネジメントセンター
※2005年当時の特殊飲食店内の写真です。今は現存はしません。
建物の中はこのようになっていた。1階は写真左の様にカウンターがあるのみのスペースに。ここに居座って娼婦が街行く男性を勧誘していた。そして2階はとなると写真右側に様に超狭い空間に。2Fは設計図の段階だと1部屋となっているのですが、実際は間に板で区切られ超狭い部屋が二つ出来ているのです。
もう布団を敷いたらスペースが無くなってしまうほどの部屋。これじゃあ本当に寝ることしかできないのですわ。

 阪神淡路大震災が大きな転機に

大きな転機となったのは1995年1月17日に起こった阪神淡路大震災。この時に、高架化された高速道路が横倒しになった映像や写真を見た方は多いと思いますが、そのようなこともあり当時の建設省は事業者の方に耐震補強を命ずることになったのです。

それは、黄金町と日ノ出町の間にある京浜急行の高架も該当したのです。耐震工事を行うため、当時高架下にあった特殊飲食店は立ち退きを命じられることになります。その際には京浜急行から立ち退き料が支払われ、そしてそれだけでなく京浜急行がこの周辺に持っていた土地を代替地として用意までしたのです。
そして、その代替地を用意したことが、、、さらなる拡大を促してしまうことに。。

提供:認定NPO法人黄金町エリアマネジメントセンター
元々はパフィー通りと言われる通りに特殊飲食店はあったのですが、その後に代替地に特殊飲食店ができまくったことで大岡川に面した場所など、より広域に特殊飲食店が進出することになってしまったのです。パフィー通りとは、上の写真の一番右にある店舗名のPUFFYが由来となっています。
大岡川沿いなどにも特殊飲食店が進出し、もともと80軒だったのが結局は250軒近くまで増殖。1軒には2部屋あることから、少なくとも500人近い娼婦がこの街にいた計算になるのです。

学校の通学路でもあり保護者の頭を悩ます!

特殊飲食店が広がることによって周辺住民は色々な苦労を背負うことになります。その一つが子供たちに対する対応。この初黄・日ノ出町地区の近くには東小学校という小学校があるのです。

ここで問題なのが近くに小学校があるだけではなく、その小学校の通学路が特殊飲食店街の中を突っ切っているということだ!学校から大岡川の向こうに自宅がある小学生は、残念ながらパフィー通りを突っ切らなくてはいけないわけです。そんなことから、通学時には保護者も同伴していたという。
黄金町の特殊飲食店は、そもそも営業していたのが夜だけではなく朝から営業していたのです。そのため、子供たちが通学・下校する時間帯であっても、ネグリジェ姿の女性が街にいて男性を手招きする様子を見ているわけです!これは確かに保護者にとってはたまったもんじゃない。子供たちは、この街の光景をどのように見ていたのだろうか。。。

1日にとてつもない金額が動く街だった!

続いてはお金の話。。
黄金町の特殊飲食街は20~30分で10,000円が相場だったとのこと。そんな短期間で1万円札が使われるこの街では、250軒もの特殊飲食店、そして各々のお店に2部屋あったため1部屋全部屋に1人はいるだけで1,000万円が動く。しかし、ここは朝から夜までで普通に夜通しの24時間営業をしているお店もあったということなのです。いったい一日でいくらのお金が動いていたのだろうか。。。

お金によって住民が移住してしまうことに

つまりは、ここでお店を出すと非常に儲かるわけです。しかも敷地面積が狭い場所に建てられますし。そのため、ここに土地を買ってお店を出す人が増えていくことになるわけです。それによって発生するのが土地の地上げ。どんどんここの土地の値段が上がるのですが、それによって起こった問題が、こに住んでいる住民の方たちの問題。
昔からここに住んでいる人たちが突然家を売って街を去るという光景が出てくるわけです。不動産業者などがここぞとばかりに高額なお金を住民に払い、住民はそのお金をいただいて別の場所に移住。皆が引っ越してしまい、周囲に特殊飲食店が出来ていくようになってくるため、かたくなにここを去りたくない人でももう街を手放さざるを得ないという状況にまで追い込まれたのです。
そんな状況に耐え兼ね、周辺住民は何とかしようということで2003年に初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会を立ち上げたのです。この協議会には、先ほど述べた学校のPTAの方も加わり皆でこの街をどうしていきたいかを考え運動を起こすことになったのです。そして、2005年1月11日に特殊飲食街を撲滅するバイバイ作戦が行われることになります。

2005年にバイバイ作戦が開始される!

2005年に行われたバイバイ作戦。それの作戦によって特殊飲食店が形を消していくわけですが、どうしてここでそのような作戦が行われるようになったのか?
その発端は内閣府の方で出された「繁華街・歓楽街を再生するための総合対策の推進」という計画が絡んでいるという。その中では全国の11箇所(すすきの、歌舞伎町、大阪、名古屋、京都など)の繁華街に本部が置かれたのです。しかし、違法風俗店の営業をしているという観点で行くと、どこも点々としていて摘発するのがなかなか難しい。。。しかし、今回紹介している黄金町の街では、一角全部の店が違法営業を行っているということで、この街から安全を取り戻そうという背景があったようです。

住民の要望で出来た黄金町交番

大岡川沿いには黄金町交番が今現在もあり、その上にはワシだかタカのキャラクターが見つめているのが特徴的だ。実はこの交番は元々あったわけではなく、地元住民の要望があって出来た交番なのだ。元々この交番は今の日ノ出町駅の近くにあった交番で、それがこちらに移転してきた形なのだという。
日ノ出町辺り、つまり野毛の飲み屋街がある場所ではJRAの場外馬券場がありそこも元々は治安がいいかというとそうは言えなかった場所。しかし、時代が進むとともに今では馬券場に来る客も落ち着いては来ていたということもあって、この場所に移ってきたという。
ちなみに、ここの交番が建っていた場所は元々ここを仕切っていた暴力団の方が使っていた駐車場だったという。オーナーだった方が毎回の使用料の支払いで色々あったようでここの土地を手放すことになったことから交番が建つ今の状態になったという。

おわりに

2005年1月11日にバイバイ作戦が行われて、同年4月には24時間体制で警察官が巡回を始めることに。そのような長い戦いを制して、ようやく長きにわたる地元住民の戦いが終わりを告げることになるのです。

参考文献

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詳細・地図

住所 神奈川県横浜市中区黄金町2丁目
駐車場 周辺にコインパーキングが多数あり
アクセス 黄金町駅から徒歩1分
リンク https://ja.wikipedia.org/wiki/黄金町

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