東洋最大級の硫黄鉱山であった松尾鉱山、その歴史に迫る!

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かつて、「雲上の楽園」と言われた標高1,000mの場所があった。
そこには、東洋最大級の硫黄鉱山があり、学校も建てられ繁栄を極めていたのでした。
その鉱山の名は、「松尾鉱山」。
今回の記事では、この松尾鉱山の歴史に迫ります!

こちらが、その松尾鉱山。
現在では写真で写っているような「緑ヶ丘アパート」と言われた廃アパート群が残っているのみとなっています。
それにしてもこの廃アパート群、本当に異様というか、この世のものとは思えないような衝撃を受けます。
写真では、なかなかその不気味さが伝わらないと思うのが残念ですが・・・
廃アパートなので、廃墟マニアが良く訪れるそうです。
もちろん、何十年も前の建物なので、崩壊の危険もあり立ち入り禁止なのですが、よく廃墟マニアが勝手に入ってしまうんだそうです・・・
私が訪れた日にも、廃墟マニアがマンションの屋上にいるのを見ました!

このアパート群には、いったいどんな歴史が隠されているのか?
その歴史を紹介していきましょう!!

引用元:http://blogs.yahoo.co.jp/ko_tengu22/12765503.html
まず、ここは先ほども申し上げた通り、かつて東洋最大級と言われた硫黄鉱山でした。
始まりは、明治15年に松尾村の「佐々木和七氏」によって、自然硫黄の大露頭が発見されました。
その後、紆余曲折があって大正3年に中村房次郎氏によって、松尾鉱山㈱を資本金30万円で設立しました。
その後、昭和に入り1945年に終結する太平洋戦争まで、松尾鉱山の成長期となり、終戦直後では松尾鉱山は最盛期を迎えます。

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引用元:http://www.bunka.pref.iwate.jp/rekishi/kouzan/kouzan03_01.html
その最盛期には、従業員約4,000人、家族を合わせると約15,000人がこの雲上の楽園で暮らしていたそうです。
そしてこの時期に、先程の廃アパートでもある緑ヶ丘アパート11棟が建てられました。
このアパートは県庁所在地の盛岡にも無かった、鉄筋コンクリートのアパートであり、最先端の水洗トイレも取り入れられました。
しかも、光熱費や水道代は何とタダだったそうです。
また、多くの家族が暮らしていたこともあり、従業員子女の高等学校教育のための松尾鉱山学園高等学部が設立されました。

引用元:http://blogs.yahoo.co.jp/ko_tengu22/12800054.html
その他には、娯楽施設である「老松会館」が完成した他、有名な出演者が訪れて公演したり、映画も2日に1回の割合で上映されていたそうです!
さらにさらに、病院や図書館もあったそうです。
しかし、そんな松尾鉱山にも閉山の時期が訪れました。
1969年11月、テレビで「従業員を全員解雇へ」というニュースが流れたそうです。
世の中が、石油をエネルギー源にし始めたとき、石油からとれる安価な硫黄に需要が奪われ、その影響を受け、1969年に会社が解散、そして、現在の様に廃アパートだけが残る形になりました。

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この建物は、世界遺産に登録された長崎県の軍艦島の様に、今後どのような資源にするかを模索しているという。
資料館の方に聞いたところ、今の所今後の方針は決まっていないんだそうです。
資料館の記事を見るには、ここの鉱山で働いていた方には「人々の記憶に雲上の楽園を残したい」と思っている人もいるんだとか。。。
 閉山までに採掘された鉱量は、埋蔵量に比べるとごくわずかなんだそうです。
今でも、多くの鉱石が地下深くに眠ってるんですね。。。。

 アパートの正面は、何もない野原が広がっています。
しかし、ここは閉山後に消防の訓練によって建物が消えてしまっただけで、元々はここにもぎっしり建物が建っていました。
 以上、松尾鉱山の跡地でした!!
しかし、記事はまだ続きます。
実は、ここの鉱山に来る前に、松尾鉱山に関する資料館があるという情報を仕入れていたため、先に資料館に寄っていたのです。
その資料館で、いくらか仕入れた情報もここで公開したいと思います。

それがここ、「八幡平市松尾鉱山資料館」。
ここでは、資料館の方に鉱山のことについて少しヒアリングが出来ました。
まあ、たいていは事前調査をしていたので大体の知識はあったものの、やはりここでしか聞けない情報もちらほらありました!!

資料館の中は撮影禁止でした。
しかし、正面ならいいとのことで、ここだけ撮らさせて頂きました。
ここが撮影禁止なのには訳があるのです。
今、インターネットで「松尾鉱山」を検索すると、多くの写真が出てきます。
その中でも、あの廃アパートの内部の写真も多く、中に侵入して勝手にネット上に載せる人がたくさん出る状態になってしまっているそうです。
そのようなホームページに、一緒にここの資料館の写真が載っていて、役所から「勝手に廃アパートの侵入を許可したのか」と苦情が来ることがあったようで、そういうことがないように撮影禁止にしているそうです。
かつて、テレビの取材で廃アパートの内部が放映されたことがあった時にも、「一体誰が許可をしたのか」という問題になり、なんか結構シビアになっているそうです。
資料館の中には、かつて鉱山で使われていた代物が多く展示されているものの、写真でお伝えすることが出来ないのでこの辺で。。。

また、資料館の正面にもかつて鉱山で使われたであろう代物が展示してありました。
こちらは、採掘した硫黄を運ぶ列車とかでしょうか!

郵便ポストも置いてありました!!

また、いくつかの碑も建っていました。

今では、人の気配もなく、荒涼とした景色が見えるこの場所。
しかし、ここの硫黄鉱山は戦後の復興にも携わり、石油エネルギーに変わるまでの間、日本を支えてくれたとも言えると思います。
時代はどんどん進み、どんどん変わっていきます。
しかし、少し過去に振り返り、今の日本は色々な先人たちの努力と、色々な場所で起こった物語によって今があると思うことも大事なのではないか!!
そんなことを、この廃アパート群は語っているような感じがしました。。
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詳細・地図

住所 岩手県八幡平市
訪問可能時間 いつでも訪問可能
アクセス 松尾八幡平ICから車で25分くらい
リンク https://ja.wikipedia.org/wiki/松尾鉱山
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