先人達が作り上げた横浜の近代水道を「横浜水道記念館」で学ぶ!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)
知の冒険を始めて色々なことに興味を持つようになり、日本は本当に色々な歴史や先人たちの努力と知恵で便利な世の中になっていると実感しています。。その中でも特にそう思うのが今回のテーマである水です!そして、どこの水かというと横浜の水道に関するお話です。
横浜は日本初の近代水道が整備された場所でもあり、当時の横浜村から拡大に拡大を続け今では人口370万人の超マンモス都市に発展!しかし、現状はその370万人の人口の水を横浜市水道局わずか1000人近くで管理している状態!先人がいかにして横浜の大都市の水道網を作り上げたのか以下で学んだ内容を放出していきます!
本記事のポイント

・近代水道は横浜が発祥で、イギリス人技師によって築けられた
・横浜市の水は相模川や酒匂川から供給され、様々な仕組みで通されている
・横浜水道記念館では無料で観覧できる他、予約すれば説明も受けられる

スポンサーリンク

横浜の高台に建つ横浜水道記念館

▲西洋チックな建物の「横浜水道記念館」
相鉄線の上星川駅を降りて10分くらい坂を登り続けると、横浜の水道の歴史を学ぶことができる横浜水道記念館があります。高台にあるだけあって、みなとみらいの町も綺麗に見える場所!見た感じ結構豪華な建物っす!
でもね、これは昔の西谷浄水場の管理棟だった建物を使っているんです。。戦後に作られた建物であるため、壁が結構分厚く作られているのです。
▲今回長い間横浜の水道について教えてくれたスタッフ
ここ横浜水道記念館は普通に観覧することも可能ですが、スタッフの方から解説を受けることも無料で可能なんですね!しかし、1週間前から予約する必要がありますけどね。そのスタッフさんから横浜の近代水道についてみっちり教えていただきました。本当、1人のために2時間半もの間ひたすら解説していただき、ただただ感謝です。。。

スポンサーリンク

浄水場の中をちょいと解説!

▲西谷浄水場の全体図模型
模型を使って説明すると、西谷浄水場は上の写真のようになっている。配水池、沈殿池、塩素室など浄水場にありそうなものがありますね!ちなみに、1号配水池は大正時代からあるもので現在は使用されていないようだ!
ちなみに、3号配水池の隅に5つほどコートのようなものがあるがこれは横浜マリノスに練習用のサッカーグラウンドを貸し出しているんですって(笑)
浄水場の水の流れはこんな感じだ!着水井→沈殿池→急速ろ過池→塩素室→配水池の順に通り、最終的に家庭などに運ばれていく。
水道記念館の一番上から見ると実際の光景を見ることができます。手前にある横長い水槽が急速ろ過池(写真下)と塩素消毒をする水槽(写真左)で、その向こうに見える水槽が沈殿池となります。沈殿池の脇には赤いレンガ造りの建物が5つほどあると思いますが、これらは大正時代に作られたためもので重要文化財か何かに指定されているんですって!
本日の天気は少し曇っていました。この記念館からは富士山を見ることもでき、神奈川の水の根源は富士山でもあったりするわけですが、「正面の白い建物のせいで富士山が見えねぇんだよな〜」と言っていました(笑)

スポンサーリンク

現在の横浜の水道網

今の横浜の保有水源は「道志川系統」「相模湖系統」「馬入川系統」「企業団酒匂川系統」「企業団相模川系統」の5系統で、合わせて1,955,700m3/日です!っていっても量が多すぎて全然イメージできないですな。。。基本的には丹沢湖から流れ出る酒匂川から3割、相模川から6割が神奈川県の水源となっています。
 まぁ主には酒匂川と相模川が神奈川県の命の水源となっているわけです。それらの川の水を取水して各家庭に配っているわけですが、その網の目構造は簡単に示すとこんな感じだ!こりゃすげぇわ・・。
そして、神奈川県の場合はそのまま高い所から低い所へ流すだけでなく、低いところから高いところへ流している場所もあり、その場合は電気を使ってポンプで運んでいるという。ここでいうと、「寒川取水堰→小雀浄水場」「飯泉取水堰→伊勢原浄水場」などです。
私は川崎市民なわけですが、川崎市の水はどこからきているかというと、相模湖の辺りから沼本ダム、城山ダムを経て西長沢浄水場へと運ばれている他、なんと丹沢湖から流れる酒匂川からも飯泉取水堰を経て神奈川県を横断する形で川崎まで運ばれているんですね・・これは知らなかった・・。
また、これらの水は神奈川県だけでは消費されず実は川崎市の水道は東京の世田谷区にも水を供給しているのです。川崎からしたらこれがいい収入源にもなるし、何といっても平時の状態であれば現在神奈川県の水は県内であれば十分足りている状態だからなのです。
ちなみに水道はその他のことにも影響を与えます。例えば鶴見区。鶴見区はすぐ隣が川崎市ですが、なぜ鶴見区が横浜市に所属しているのかというと当時横浜市に属していた方が水道の供給がよかったからなんですって!

近代水道を築いたH・S・パーマー

▲日本の近代水道の立役者「H・S・パーマー」
近代水道の歴史においてはこの男抜きでは語れないのである。その方の名はヘンリー・スペンサー・パーマーというイギリス人技工師の方。この方は何がきっかけでは不明であるが勤勉な人種である日本が好きで、香港で水道設計を行っていた際などよく日本に寄っていた経緯がありました。
そこで神奈川県はこの方だったら日本の近代水道をなんとかしてくれるだろうということで、パーマー氏に横浜の水道建設の調査を依頼。
そして明治16年に多摩川水源案と相模川水原案をまとめ工事を行い日本の近代水道を築いたのである。その後、日本の地で病に倒れ今も東京にある青山墓地で眠っているのです。パーマーの銅像は、水道みちの終着点でもある野毛山公園にも建っています。
上の写真は実際のもの。写真の中央で横を向いている方がパーマー氏である。
近代水道の功労者としてはパーマー以外にも多くの方がいます。今現在、生活をする上で我々が水に困っていないのは、このような方たちの知恵や努力があったからなのです。そんなことを、多くの方に知ってもらえたら嬉しいです。。
下の三田善太郎は東京大学1期生を卒業した後に神奈川県技師となります。そしてパーマーの下で横浜水道創設の技術部門に携わることになったのです。
左上の沖守固は、水道創設当時の神奈川県知事だった方。岩倉使節団とともに欧米に行くものの、その後彼だけ欧米に残り向こうの文化を学んでいたという。横浜の近代水道を作る際には国から工事費として107万円を借入れするがこの額は当時の価値では莫大なもの。
そのため当時の首相である伊藤博文からは、こんだけ借入れしたのだから必ず成功させるようにという通達までいただいたという。

スポンサーリンク

野毛山まで続く水道みち

地図で大まかにではありますが水道みちを書きました。ただパーマーらが築いた近代水道は黒字の三井用水取入所~野毛山浄水場までの道。こちらが明治に出来たものですが、その後神奈川県にはもう一つの横須賀水道みちも作られることになるのです。これは、横須賀の水道が足りなくなったことから53kmに及ぶ道を大正時代に完成させた道なのです。
横須賀水道みちは、私の実家付近も通る道で小さい時によくとおっていた道もこのみちに含まれていたんですな~。今度時間があるときに踏破してみたいものだ。53kmもあるけど。。。
水道管は1つ4mのもの重さにするとそうとうな重量なはずです。水道を引く際は、こんな重いものを運ぶのはめちゃくちゃしんどいためトロッコで運ぶためにレールを敷き、それを使ってひたすら鉄管を運んでいたのです。
これを相模原の津久井から横浜の野毛山までつないだのですね。本当に果てしない作業である。
▲重い水道管をひたすら運び続ける
このような工程を経ることによって、横浜市民に水が賄われているのです。。。
で、数えきれないくらいあるこれらの水道管である訳ですが、どのようにして管と管をつないでいるのか。管と管の間にはまず麻縄つまり大麻で作られた縄を入れ、その後に熱で溶かした液状の鉛を入れて固めていくのです。非常に危険な作業ではありますが、そんなことをひたすら行っていたのです。
▲水道みちに建てられている看板
今でもかつてトロッコが敷かれていた水道みちには、このような案内板が立っております。三井用水取入所から野毛山浄水場までの44km。現在もその道というか痕跡をたどっている方もいるようです。
実際に私も水道みちを一部歩いたことがあるのですが、時間があるときに端から端まで歩いてみたいな~!実際に水道記念館に訪れる方で水道みちを歩いてみたいということで、事前知識を得るため訪れる方がいるという。ちなみに、この水道みちは横須賀水道みちの方に立っている標識です。

水道みちでは逆サイフォンの原理も用いた!

当たり前ではありますが、水は高い所から低い所に流れます。そのため、単純に内陸から海岸に向かって徐々に低くなっている土地であればそのまま水を流せば水は供給できるわけですが、横浜の地形はそうなってはいないのです。
横浜を車で走るとよくわかるのですが、横浜市は内陸から海岸に向かう際に丘などが所々にあるデコボコした地形となっているわけです。
そのため、単純に高低差を使って水を流すだけでは丘の住民たちに水を供給することができない。そこで出てくるのが逆サイフォンの原理なのですね!こちらは逆サイフォンの原理でU字型を通していますが、サイフォンの原理は下ではなく上を通す(灯油ポンプのような感じ)形になります。
逆サイフォンの原理とは水の入口の方が出口よりも高い位置にあれば、その途中に起伏があったとしても大気圧の力で乗り越えられるというもの。
水道みちは44km近くぶっ通しで水道管をつないでいるため、三井用水取入所から野毛山浄水場までいくつもの起伏があってもそれを乗り越えて来るのです。近代水道はその逆サイフォンの原理によってこの横浜の地形を克服したのですよ!

明治時代の横浜の水事情

 開港前、人々が飲料水を手に入れることは容易ではなかったのです。写真の人は水売りといって水が入った木桶を担いで売っていた様子。飲料水用の井戸も数が少なく行列ができるような状態だったのです。
▲近代水道ができるまでは木製の管で水を通した
パーマーによる近代水道ができる前には実は水道工事は行われていたのです。開港以降に、沼や海を埋め立てて町造りが行われていたため、飲み水の確保に苦しんでいたためです。そこで横浜商人の有志が私費を投じて木樋水道を建設したわけです。
2年ほどで完成したこの水道は今のように相模川から引いていたわけではなく、多摩川から引いていた川崎の農業用水であった二ヶ領用水の鹿島田口から分水して水を供給したのです。
しかし、完成後は経営難のため元々は民間の水道会社だったのだが神奈川県に引き継がれただけでなく、木製ということもあり破損がひどくこの状態では続けられないことになったのです。そんなことから、近代水道の実現を早めることになり、パーマーによって近代水道が築かれていったのです。
近代水道が出来た後、今のみなとみらいの辺りに水が供給されたわけですが、まだ当時は全家庭に蛇口が設けられたわけではなく、自分の家に蛇口があったのはお金持ちだけだったのです。
その他には共用栓というものが町中にあり、お金を払っている人は差込口の鍵を持っていて水を得ることができました。つまり貧乏人は川などから水を得るしかなかったのです。近代水道ができる前も、そのためコレラなどの病気が流行っていたという。

関東大震災後の横浜市民を救った命の水

1923年に関東一帯を襲った関東大震災。多くの死者を出したこの地震だったのですが、多くの人を困らせたのが水でした。水不足に陥ったのです。しかし、その時に横浜市民を救ってくれたのが古くから自然湧水している湧き水でした。
▲打越橋の下で湧水する「打越の霊泉」
その一つが打越の霊泉。JR石川町駅を降りて打越橋という心霊スポットとしてちょいと有名な橋に向かって坂を登る途中にあるこの霊泉。
先人が整備した近代水道とは異なり、この霊泉は地形的に古くから自然に湧出している水なのです。下に紹介するワシン坂の湧水もそうですが、この水ははるか富士山に降った雨水が地下に浸透して長い道のりを経てここに湧出していると思われているようだ。
浄水場を通っているわけではないため水質が安定しておらず、飲用水としては適してないためまぁ飲んで死ぬことはないが飲むのであれば自己責任!!
続いてはワシン坂の湧水。ワシン坂はジブリの作品であるコクリコ坂の舞台とも言われている坂です!その麓にヒッソリと湧いているのがワシン坂の湧水。この湧水は今では生活用水にも使われているようでバケツで汲みに来ている方を見かけることもありました。
また、この少し離れた場所には麦酒発祥の地である碑があり、いわゆるキリンビールのキリンがこのワシン坂の湧水を使ってビールを作ったとも言われています。震災後の命の水としてだけでなく、そんな色々な物語がある湧水なのである。

災害時の水対策

通常時は問題なく水が供給されていますが、問題は災害時!地震や土砂崩れなど災害が多い日本であるためインフラの災害時対策は必須なわけです!そこで、神奈川県では配水池23箇所と災害用地下給水タンク134基を整備して、もしもの時のために備えているんですね。
東日本大震災から数年が経ち、災害に関する意識は薄れつつあるかもしれないですが、水は飲まなかったら死んでしまいます。頭の片隅にでも気に留めておくくらいは必要ですかね。水の備蓄に関しては、目安として最低3日分は飲料水を備蓄しておくといいそうです。大体1日に3Lを使うと考えると、1人あたり9L分は家に置いておくといいっすね。

おわりに

最後に解説をしてくれた記念館の方と建物の前で色々話しました。現在この記念館に訪れるのは小学生などの社会化学習が多いという。この記念館も横浜市民の水道料金で賄っており、入館料や今回の解説も無料なのだ。
話していくうちに、東日本大震災では原発事故が起こり電力ということに多くの国民が関心を寄せたと思います。しかし、水に関しての意識はまだまだ低いのではないか。今は便利になりすぎて、平時では水に困ることもないから意識しなくていいのですけどね。でも、何かの災害で水不足になった時、その時に水に対しての意識が芽生えるのでしょうか?と、記念館の人と話したりもしました。
現在横浜市水道局は厳しい状態にあるという。水道料金は減っていることもあり水道局の人間も2,000人近くいたのが今では1,000人近くにまでなっているという。この記念館も無料でありますが、きっとそれは水というのは収益を考えるための道具ではなく人々の公共的なものという意識があるからだと。
このままいくと、もしかしたら蛇口をひねって当たり前のように水が出る時代が続くとは限らないかもしれないですね。。

参考文献

↓よければクリックをお願いします

詳細・地図

住所 神奈川県横浜市保土ケ谷区川島町522
開館時間 9:00〜17:00(最終入館時間は16:30)
休館日 ・4月から8月まで
第1月曜日(祝日にあたる日はその翌日)
・9月から3月まで
毎週月曜日(祝日にあたる日はその翌日)
祝日の翌日(土・日にあたる日を除く)
年末年始(12月28日から1月4日まで)
入館料 無料
駐車場 なし
電話番号 045-371-1621
アクセス 相鉄線上星川駅下車徒歩約15分、相鉄線和田町駅下車で相鉄バス約5分「浄水場前」下車正面
リンク http://www.city.yokohama.lg.jp/suidou/kyoku/torikumi/suidou-pr/kinenkan/
↓↓twitterもよろしくです
※ほぼ毎日つぶやき中
こちらの記事もどうぞ!
この記事も読まれてます!
関連コンテンツ
関連コンテンツ



  • このエントリーをはてなブックマークに追加