16年に及ぶ難工事!東海道を繋ぐ「丹那トンネル」に秘められた数々の物語

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今回は、”丹那トンネル”というトンネルに関するお話です。
みなさんは、東京から東海道線や東海道新幹線に乗って静岡や大阪方面に行ったことある人は多いと思います。
その時、静岡県の熱海と三島の間に長いトンネルがあると思いますが、そのトンネルが丹那トンネルなのです。そんな丹那トンネルには、本当に多くの物語が隠されているのです!
そんな丹那トンネルの現地に訪れて取材をして歴史などを調べまくったので、詳しく紹介していこうと思います!!

丹那トンネルについて

1933年に貫通した丹那トンネル。
全長7,804mもの距離があり、世紀の大工事の末に完成した熱海-三島間を結ぶトンネルであります。
丹那トンネルは、本来は「丹那山トンネル」という名前にする予定だったそうです。しかし、「トンネルは山を抜くんだから、名前からも山を取った方がいい」ということで丹那トンネルという名前になったんだとか。

丹那トンネルはどこにある?

丹那トンネルはこの辺りにあります。ここはどこかというと、神奈川県と静岡県の県境部分になります。
関東地方の人なら、どのへんかすぐにわかると思いまっせ!!

で、丹那トンネルは点線で表した個所に位置しています。
東海道線の駅でいうと、函南-来宮間にあります。
総延長は7,804mで、函南-来宮間はほぼトンネルの中という・・。

丹那トンネルはいつできた?

丹那トンネルは、1918年に工事が開始され、16年の難工事の末に1933年6月19日11時40分に無事貫通した。今から80年も前のことなのです。

丹那トンネルの今

そんな、丹那トンネルは現在も東海道線が函南-来宮間を行き来するルートを結んでいます。

こちらは熱海側の丹那トンネルの入り口。
入り口には、近くまで近寄ることはできず、ここで撮るのが限界でした。
現在東海道線に乗ると、全長7,804mのこのトンネルを約7分で通過します。

そして、この丹那断層をぶち抜いているトンネルはもう一つ存在します。
それが、こちらの「新丹那トンネル」。
丹那トンネルは東海道線を通しているが、こちらは東海道新幹線を通すトンネルとなっている。現在は東海道新幹線に乗っていると、全長7,959mのこのトンネルを2分で通過してしまいます。

丹那トンネルは超難工事に!

まさに世紀の大工事となった丹那トンネル。
それは、工期は9年も延び、67名もの死者を出した一大工事だったのです。
今から、80年以上も前にこの静岡の地でどれほどの難工事が行われたのか、以下で詳しく紹介します!!

工期は7年から16年に

明治43年に、熱海・三島間隧道建設計画が始まりました。当時の鉄道省はこの工事を鹿島組(現:鹿島建設)に発注しました。その時の計画では工期は7年。
その後、1918年に工事が開始されました!工事が始まったばかりの時は、なんとまさかの手掘り(笑)そして、掘削したズリを運び出すには馬が使われたが、暗闇を怖がり暴れることも。
この工事が長引いた原因は以下が挙げられます。
①そもそも時代が古く掘削技術が古かった
②超大量の出水があった
③ 丹那断層は非常に柔らかい地層で掘りづらかった
④工事中に伊豆大地震がおこった
①は、まあそうですよね。②に関しては後でも触れますがトンネル上部に位置する丹那盆地を渇水させるほど、このトンネル工事によって出水が発生しました!
③に関してですが、断層は本来硬い方が掘りやすいのですが、この断層は非常に柔らかい断層であったため、掘るのにかなりの時間がかかったという。なんと20m弱の断層突破に4年8ヶ月かかった箇所もあったという!!信じられん・・・。
④に関してはこの伊豆大地震によって、断層が2m40cmもずれたそうな。そしてこの地震の際には、5人がつぶされて亡くなったという。

67名もの殉職者が

丹那トンネルの上部には、「丹那トンネル殉職碑」があります。そう、このトンネル工事の際には、度重なる崩落事故により、67名の方が犠牲になっているのです。

こちらが、殉職者を祀ってある殉職碑。東京-大阪間は、このトンネルの開通で時間も短縮され大変移動が便利になりましたが、その背景にはこの様な方々の犠牲あったことを忘れてはいけないのです。

救命石

丹那トンネルの上部に位置する記念碑のそばには、「丹那神社」という神社があります。
その神社には、「救命石」という石が祀ってありました。

その石がこちら。
1921年4月1日、熱海口の抗口から300m入ったところで、ずり(残土)出しをしていた際に、トロッコに残土を入れる漏斗に石が引っ掛かってしまったそうです。
そんなわけで何とかしてこの石を取り出さなければいけないため、他のトロッコとともに坑外に出るはずの作業員も手伝うことに。
で、その直後の午後4時20分頃に大崩落がおこり、作業員たちは坑奥に閉じ込められてしまいました。もし、この石が漏斗に引っかかっていなければ、坑外に出るはずの作業員の方は崩落の個所を通っていたため、埋没することになったはずなのです。
この石のおかげで、作業員たちの命が助かったということで「救命石」という名前が付いたそうですよ!

新丹那トンネルは4年で完成!

一方、東海道線が通る丹那トンネルとは別で、東海道新幹線を通すための新丹那トンネルも、その後作られました。このトンネル工事は1959年9月に着工しました。しかし、丹那トンネルが16年かかったのに比べ、新丹那トンネルは4年で完成しました。
時代が進み、掘削技術が進んだことはもちろんですが、丹那トンネルの工事の際に丹那盆地の水が抜けていたことや、丹那断層の掘削に関しては教訓があったことも大きい。丹那トンネルの工事は、新丹那トンネル掘削に大きく貢献していたのです。

丹那トンネルで何が変わったか

これほどの大工事だった丹那トンネル。
ただ掘削しただけでなく、このトンネルの開通は周囲にもいくらかの影響を及ぼしています!

御殿場線が誕生

東海道線は、1934年以前は現在のルートとは違い、上記のルートを通っていました。
しかし、このルートは天候によって運行が厳しくなることと、勾配が厳しいため良いルートではなかったのです。

そこで、現在のように熱海を通るルートが考えられました。このルートを通るためには丹那断層をぶち抜く必要があるため、丹那トンネルの工事が始まったのです。

そして、1934年の丹那トンネル完成と共に、国府津−沼津間は東海道本線から支線となり、新たに御殿場線と命名されたんだそうですよ!

周囲が酪農地帯に変身

丹那トンネルを掘削していた際に悩まされたのが、出水事故。あまりにも大量の出水がおこったため、水抜きのための副トンネルも作られたほど。
という感じで、とんでもない量の水が出てしまったことにより、なんと丹那盆地の地下水が枯渇してしまい、丹那盆地は渇水となってしまったのです。

元々、丹那盆地では豊富な水を使ったワサビや稲作を行っていたものの、渇水によってこれらが栽培できなくなってしまい、鉄道省からの補償をもらって酪農地帯に変身したのです。

上図のように、丹那盆地には牧場等がいくつか存在します。

ここは丹那盆地にある中で一番大きい酪農スポットである「酪農王国オラッチェ」です!
「オラッチェ」って何だ?って感じですが、まあそれはいいとして(笑)
ここでは、乳しぼり体験が出来たり、ヤギにも触れあえたりできるスポットなのです。

また、ここではブランド牛乳でもある丹那牛乳もあります!
この丹那牛乳は明治14年創業で130年もの歴史があるんだそうです(#^.^#)
せっかく現地に行ったのだから、牛乳飲んでおけばよかった・・。

近くを通る丹那断層について

丹那断層は、上図のように東海道線や東海道新幹線を南北に垂直にぶった切っている断層です。1930年に丹那断層によっておきた北伊豆地震は、丹那盆地の地下160mで掘り進められた丹那トンネルの工事現場も直撃しました。
そんな丹那断層に関しても、学んでまいりましたので以下で詳しく解説しようと思います!!

丹那断層がおこした北伊豆地震

丹那断層は今から85年近く前に、伊豆で大きな地震を起こしています。それが、1930年11月26日4時2分に発生した「北伊豆地震」です。

この北伊豆地震では、断層に沿って場所には2mを超える横ずれが生じたようです。この地震の後、断層の発掘調査が行われ、過去8,000年間の間に9回の地震があったことが分かり、700~1,000年に1回程度の間隔で大地震を発生させてきたことが分かりました。

丹那盆地に位置する丹那断層公園

丹那盆地には、丹那断層のずれを確認することができる丹那断層公園があります。

丹那盆地を現した模型が野外にむき出しの状態で展示してあります(笑)

で、丹那断層はこの公園内を見事にぶった切っているわけであります。
その断層の線がこちらだ!公園内に点々と矢印が置かれているが、この線に沿って断層が通っているのです。

で、ずれが確認できるのがここ!
どのようにずれているかおわかりだろうか??

このようにずれているのである!!
おわかりいただけただろうか。石の位置が見事にずれていますな!

で、この写真でもずれが確認できるのだ!
どのようにずれているかおわかりだろうか??

このようにずれているのである!!
おわかりいただけただろうか。こちらも石の位置が見事にずれていますな!

また、この断層地下観察室では、むき出しの断層を確認することができるのだ!!

中央部分に溝があるが、これが丹那断層だ!
このように、この公園では西伊豆地震による多くの痕跡が確認できるのです!

火雷神社で見る断層のずれ跡

丹那盆地の北側に位置する田代盆地には、「火雷神社」という神社が建っています。
この神社でも、丹那断層公園と同様に断層のずれを確認することができるのです。

周囲が木々に囲まれたこの神社は、西伊豆地震の痕跡が見れる場所ではあるものの誰もいませんでした!ここに人が来るのか?と思ってしまうような場所にひっそりと建ってましたぜ!

で、問題のずれはこちらだ!階段の下部が不自然にずれていますが、これが地震によるずれなんだそうです!
とまあ、こんな感じで丹那トンネル上部に位置する丹那盆地には多くの地震の痕跡が確認できるのでした!

おわりに

丹那トンネルという1つのトンネルに焦点を当てましたが、その1つのトンネルにも多くの物語が隠されていました。
このトンネル工事によって多くの方が犠牲になっていますが、東海道線や東海道新幹線で容易に東西の移動ができるのも、彼らのおかげだということをこれから先の時代にも伝えていければと思います。
我々の日常にある様々なものは、よくよく掘り下げてみると多くの方の努力によって存在しているものは非常に多いです!
そこに気づけるか気づけないかで、普段の物の見方も変わってくると私は思っています。これからも、そんなことを思いつつ、まだまだ知の冒険は続いていきそうですぜ!!

参考文献

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詳細・地図

住所 静岡県田方郡函南町畑
リンク https://ja.wikipedia.org/wiki/丹那トンネル

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