開港した横浜への主要道路であった「横浜道」を走破して調査した!

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今回は、道路に関するお話です。今まで知の冒険ではそんなに道路ネタに関しては多く出せていないのですが、今回は道路ネタを放出します。記事に出来ていないものの、道路に関しては色々調査をしているんですよ!でもね、道路ネタは調べるのにも結構記事を書くのにも結構時間がかかってしまうんです。。。
でも、今回は道路ネタを行きますよ!その道路とは横浜道という道です。聞いたことありますかね?横浜の歴史を知る上ではこの道を学ばずにはいられないほど重要な役割をしていた道であるので、そんな横浜道の歴史について以下で紹介していきますよ~~!
本記事のポイント

・横浜道は開港にあわせて東海道と横濱村を結んだ
・開港に間にあわせるために、ずかわ3ヶ月の間に完成させた
・今現在も、横浜道にはプレートが埋め込まれるなどの名残がある

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横濱の始まり

今では関内やみなとみらいの辺りは人も多く栄えていますが、横浜が発展したのは開港した1859年頃からの事。それ以前は、上の写真の様に田んぼなどがあるだけの簡素な街でした。上の写真はその頃の写真なのですが、これが今のどこをさしているかわかりますかね??
写真の下部に横に伸びた島みたいなやつがありますが、これは砂州であり、この横に伸びた砂州から横浜という地名が来ています。その砂州の左側にある横濱新田と書かれた部分は、今の横浜中華街ですね。
※「今昔マップ on the web」を元に作成
その後、横浜は1859年に開港したわけですが、こんな簡素な横浜の街をなぜ開港の港に選んだのか?上の地図は開港後の1900年頃の横浜の地図になります。この頃はまだ江戸時代に作られた東海道沿いが通行量も多く栄えていたわけです。横浜周辺には、今でいう京浜急行の神奈川駅がある辺りの神奈川宿や、JR保土ヶ谷駅周辺にあった保土ヶ谷宿がありました。
東海道は栄えているものの、この街道は日本の中心部である江戸にもつながっているため、外国人たちにこの主要な街道部分に来てもらうのはちょっとセキュリティ面でも不安が残るわけです。そこから、じゃあ開港するならここがいいんじゃない?ってなり、横浜が選ばれました。横浜も神奈川の一部ですと言い張ったわけです。

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横浜道はなぜ誕生したのか??

※「今昔マップ on the web」を元に作成
日米修好通商条約以後、神戸・長崎などの港が開港するなか、横浜は1859年に開港することになります。しかしそこで問題が発生するわけです。主要な東海道から横濱村へのアクセスが大変悪く、そこを通す主要な道路を作る必要が出てきたのです。
※「今昔マップ on the web」を元に作成
ということで、栄えていた東海道から横濱村へのアクセスとして上の地図で示すような横浜道と言われる道を作ることになったのです。開港は1859年6月になったのですが、この横浜の街づくりの工事は、そのわずか3ヶ月前の3月から始まったのです。
ということで、芝生村(今の浅間町交差点付近)から横浜(関内駅の近くにある吉田橋)までの道を超突貫工事でわずか3ヶ月の期間で作ったのでした!

いざ、横浜道を歩いてみることに!

ということで、早速横浜道を歩くことに!
今回私は、横浜道を調査すべく浅間町交差点付近から吉田橋の方向に向かって半日かけて歩きましたよと!
ではでは、以下で写真だけでなく地図も交えながら事細かく紹介していきたいと思います(*’▽’)

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浅間町交差点付近~岡野交差点

横浜駅から数分歩いて、横浜道の起点となる浅間町交差点付近に到着です!今では、浅間町交差点は大きな交差点となっていますが、起点となるのはその交差点ではなく、そこから少しずれた地点からなのです!ここがミソ!
▲横浜道の起点付近の浅間町交差点
ここが浅間町交差点になります。この先にはランドマークタワーが写っているように、この道の先が横浜道となるのです。しかし、上の地図でも説明した通り横浜道の起点となるのはこの交差点からではなく、ここから少し西(写真の左)にずれた場所なのです!
その起点となるのがココ!ここを右に曲がると、横浜道がスタートするのです!
▲横浜道の起点に建つ説明板
スタート地点には、このような説明板が立っております!
と言っても、あんまり目立たない場所にあるし、一体横浜道ってどの程度認知度があるんでしょうかね?長く横浜に暮らしているお年寄りが知っているくらい??
少し進むと、先ほどの浅間町交差点から伸びた大通りへとぶつかります!
横浜道にはこのようなプレートが埋め込まれています。
少し進むと、橋が現れます。このような歴史多き道を歩くと何でもかんでも何かの痕跡じゃないかと思ってしまうのですよね!まぁそんなことをしていて新しい発見をすることもあるのでいいんですけどね。。
この橋は新田間橋(あらたまばし)という若干変わった読み方をする橋。下を通る川が新田間川でその川にかかる橋なわけですが、横浜が開港した当初は大変多くの方がここを渡ったそうです。しかし、1923年に発生した関東大震災によって落橋してしまったとのこと。その後、1927年に無事竣工したようです。
橋の脇には、横浜道のプレート付きの説明板が立っていました!
そんなこんなで新田間橋から少し歩くと、岡野交差点という大き目の交差点にぶつかります。この交差点を左に進むと横浜駅方面になり、右を進むと保土ヶ谷駅の方に行くわけです。そして、正面に行くと平沼という場所に向かうわけですが、横浜道はその平沼方面へと道が続いているのです!
次ページでも、まだまだ横浜道を歩いていきます!
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