日本最大の遊廓街であった「吉原遊廓」の歴史を掘り下げたVol.2~風俗の移り変わり

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吉原遊廓は、遊郭時代から赤線→トルコ風呂→ソープ街という歴史を経て今の街になっています。そんな風俗店の推移に関する歴史をこの章では紹介していきたいと思います!!

公娼制度廃止、赤線地帯へ

1945年に日本は敗戦して、連合国最高司令官のマッカーサーがやってきました。敗戦後の日本では、公娼制度が廃止されるものの。政府が容認した売春地帯である赤線地帯というエリアが日本の数か所に誕生しました。この時は、容認されていた合法的な赤線と容認されていない非合法売春地帯であった青線地帯の2種類が存在しました。首都圏でいうと、青線は横浜の黄金町や、川崎の堀之内などがそうです。
赤線となった吉原は、特殊飲食店街となったもののパンパンという私娼(たちんぼ)も出現するようになったそうです。この赤線地帯の頃の吉原に関してはあまり情報がなく、詳しいことはあまりわかっていませんが、売春防止法が施行されるまではカフェー街として街は存続していたようです。

1958年に売春防止法が施行

吉原が赤線地帯として街が存続している中、赤線地帯も終わりを告げようとしていました。1947年に赤線として売春が容認されていた地帯となった11年後の事です。
売春防止法は1957年に可決・成立し、施行されたのは1958年の事でしたが、それには婦人解放運動の活動家であった市川房江が中心となって成立した法律です。全国にあった赤線街は姿を消し、多くの店舗は転業をせざるを得なくなりました。
その後、赤線地帯だった場所はトルコ風呂 → ソープランドの街となって風俗街として存続している街も多くありますが、住宅地としてかつての面影は消えてしまった街もあります。

トルコ風呂からソープランドへ

トルコ風呂という名称はそもそもどこから生まれたのか?その起源は、銀座6丁目にあった東京温泉という入浴施設が発端と言われています。日本初のサウナ施設として、1951年から営業していました。場所は銀座6-13-16の場所にありましたが、今では上の写真のように当時の面影はなく別のビルが建っています。
東京温泉に関しては、調べてもあまり多くの情報が出てきてこなかったので詳しい詳細はあまりわかりませんが、ここの施設がトルコ風呂の発端のようです。
トルコからの留学生であるヌスレット・サンジャクリという方が、厚生大臣を訪れ抗議した事が発端となっています。その後トルコ大使館からも名称を改変するよう通達が来るということで、この問題をほったらかすと国際問題になりかねないということで、改名することとなったようです。

そもそも、トルコ人は非常に親日国として有名なのです。時は1890年まで遡りますが、この年の9月16日に日本から帰国しようとした船が和歌山県串本沖の岩礁に乗り上げてしまい木造の船が大破したのです。その状況を発見した現地住民らが力を合わせて、海に投げ出された船員たちを助け出し、毛布をかけ温かいものを提供するなどの介抱をしたわけです。

この出来事は「エルトゥールル号の奇跡」として語り継がれており、そんなことで和歌山県串本町にはトルコ記念館という記念館があるように、日本とトルコの友好の象徴都市となるなどの背景があり、トルコの方は日本に好意を抱いているわけです。

しかし、日本とトルコの関係はそれだけではありません。今度は1985年に発生したイラン・イラク戦争が舞台となります。この戦争では、今は亡き当時のフセイン大統領が「今から48時間後に自国内の領域を飛んでいる航空機を無差別で撃墜する」ということで、イラク国内の日本人が帰国できない状態になってしまいました。この時、日本は救援機を送らなく日本人の脱出が危ぶまれた中、「今度は我々が日本人に恩返しをする番だ!」ということで、当時の首相であったオザール首相の協力で、48時間後の1時間前ギリギリにトルコ航空の方が2機の航空機を出してくれて、他国である日本人を救出してくれたという話まであるのです。
イラク戦争の話は、トルコ風呂改名問題が1984年におこっていたのでその後の出来事ではあるものの、それだけの友好国に対しての通達は無視するわけにはいかなかったのか、詳しい背景は不明ですが厚生省だけでなく外務省まで動き出すようになり、とうとう「トルコ風呂」を解明するような通達が出され、街からトルコ風呂が消えて行ったのです。
ちなみにですが、トルコ風呂が消えゆく中、店舗は店名に「トルコ」とついている店もあるため改名をする必要があったわけですが、北海道にはそんなことを並び替えで解決させるという店がありました。その名も「帯広コルト」(笑)
面倒くさかったのか予算的に厳しかったのかは不明ですが、そうきたかって感じっすわ!旭川にも旭川コルトというお店があったそうですが、今現在は共に閉店しているようです。。ただ、場所が北海道ということで行く機会がなかったわけですが、その辺りを取材してみたかったな〜。このお店に関しては、お笑い芸人のコラーゲンはいごうまんが潜入取材をしていますので、詳しくはこの方を検索してみてくださいな(^ ^)

トルコ風呂からソープランドへ

トルコ風呂が消滅する中、「トルコ風呂」と言われていたお店はいったいどうなるのか?
その後は今現在もあるソープランドへと改名されました。しかも、この「ソープランド」という名称は一般公募によって名付けられたそうです。
ソープランドについて少し説明します。ソープランドはお風呂屋さんになります。お風呂屋さんでたまたま女性と風呂に入りに来た男性が恋愛関係に陥って行為に及んだということを建前としています。そのため、お店は女性を雇っているわけではなく女性は個人事業主となります。

そんなお風呂屋さんであるソープランドは、社会貢献もしていたのです。時は1995年の阪神淡路大震災。この時、多くの建物が倒壊し関西中が混乱する中、西日本屈指のソープ街である兵庫県の福原では、一般市民に対し浴場を解放したという美談も残っているのです。しかし、社会の陰に追いやられる存在の風俗業界ということもあってか、この事実を取り上げるマスコミは皆無だったのです。。

その他には、滋賀県の雄琴温泉にあるとあるソープ店では、「30歳未満の方の入店お断り」「ジャケットと革靴の着用が必須」など、格式高いお店も存在しているのです。吉原でいうと、昔は「」というお店が江戸町一丁目の通りにあり、全員が坊主頭の嬢がおり、お坊さんなどに人気があったそうですよ!ソープランドも本当に様々なお店があるようですな!

おわりに

現在は140店舗程度と、全盛期に比べると100店舗近くが減少している吉原のソープ店。今後は東京オリンピックもあるわけですが、この街にメスが入ってくることはあるのでしょうかね??
1617年に今の人形町のあたりに元吉原が出来てから実に400年。この街は今後も紅灯の海となりつつあるのでしょうか。それとも。。。
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参考文献

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詳細・地図

住所 東京都台東区千束4丁目
アクセス 入谷駅、三ノ輪駅から徒歩10分、浅草駅から徒歩25分
リンク https://ja.wikipedia.org/wiki/吉原遊廓

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