満洲、朝鮮、南洋諸島時代の教科書も!千葉県御宿町の『五倫文庫』は隠れた超穴場図書館だった!

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珍しい教科書を一挙に紹介!

ではでは、五倫文庫に関して一通り紹介したところで、文庫に所蔵されている中で特に珍しい教科書を紹介してみたいと思います!

満州国で使われた教科書

▲満州国で実際に使われていた教科書
まずはこちら!まさか満州国で使われた教科書まで展示されているとか( ゚Д゚)
この辺の教科書は五倫文庫の中でも特に珍しい教科書であり、創設者の伊藤さんが軍関係のつながりがあったとかで収集できたとのこと。
まぁ満州国っていっても、国際的に国とは認められず国際連盟を脱退してしまうとか当時の日本はちょっと世界から変な目で見られていた国でしたから。。まっ、政治的な内容はちょっと置いておいて教科書の中身を見てみますか(*’▽’)
すげぇわ。満洲って書かれている。このあまり私は詳しくないですが、満州国は正式には満洲国と書くようです。さんずいが付く”洲”は”州”の旧漢字に当たり、日本の教育用図書では一般的にさんずいが付かない満州国を記述しているようです。
んで、今の教科書では「小学校一年用」という感じで対象の学年が必ず明記されていますが、「第五冊」とはどういう意味なんですかね?一冊単位がどのような区切りを意味するのだろうか。。
目次はこんな感じです。
中には軍用的動物という章も!なんか気のせいなのか知りませんが、この辺の教科書を見てみると妙に軍隊関係の記述が多いように感じます。
続いては、地理の教科書を見てみましょう!
満州国は、1932~1945年に存在していた政権?。一応、世界から正式に国とは認められていなかった国です。今とは世界情勢はことなり、世界地図もことなるため、当時がどのような地図になっていたのかをこの教科書ではリアルに知ることができます。
▲満洲国時代の日本
例えばコレ!日本が朝鮮を統治していたのは1910~1945年の間。さらに、日本が台湾を統治していたのは1895~1945年の間。ということで、満州国の教科書には日本地図がこんな感じで載っていました。
本州・四国・九州が中部日本に含まれており、朝鮮半島は西部日本、さらに台湾が南部日本に分類されていますね。いや~これが太平洋戦争前の日本の姿だったんですね。情報としては頭に入って入るものの、実際の教科書に書かれているとよりリアルに感じましたわ!!
▲生糸の輸出大国だった日本
あとはこんなグラフも!これは、満州国当時の日本の中で多くを占める輸入品と輸出品のグラフ。輸出の一番右には「生糸」と書かれていますが、開港以降は日本の主要輸出品目は生糸でしたからね。
開国して以降、日本は日清戦争や日露戦争などを行い富国強兵・殖産興業の道を歩んでいきますが、その時に生糸というのは日本で爆発的に生産され、それは「生糸が軍艦を造った」とまで言われるほどだったようですよ!
続いては算数の教科書。算術書と書かれていますが、算術という単語は明治時代から使われていたようで、1941(昭和16)年から算数という言葉に変わったそうです。
その中身はこんな感じ。足し算の問題なんですかね・左のページになんかいろいろ書かれていますが、意味が全然分かりません。「元旦」と書かれていますが、これはいったい何をしている絵なんだ??
こちらは分数に関する説明ですかね。ここに使われているのは、今の中国語そのままなんでしょうか?「黒色的」とか「三分之二」とか所々わかる場所もあるのですが、やっぱりむずいわ。。
しかし、さっきの地理の教科書はひらがなも含まれていたのに、こっちでは日本語が使われていないんですね。同じ満州国の教科書なはずなんですが、何で使われている言葉が違うんでしょう??

日本が朝鮮統治下で使っていた教科書

その他には、朝鮮半島を日本が統治していた時代に使われていた教科書もありますぜ!
こちらは、朝鮮半島で使われていた修身書の教科書。修身書とは、太陽戦争以前日本国で使われていた今でいう道徳の教科書。戦前の道徳の教科書ということで、軍国主義的な内容が書かれているのかとちょっと中を見てみることに。
今だったら確実にSNSで炎上するかのような内容がたくさん書かれています。良き夫婦の例として、「夫は武器をもって戦場に出ていき、妻は家を守って家事を行う」みたいなことが書かれています。共働きが当たり前となった今とは社会情勢が全く違いますからね。
この他にも、天皇に関してや日本国家について、ちょっと今の時代では押しつけがましく書かれているように感じるんじゃないですかね。。ただ、当時の国家がどのように国民の思想統一を行いたかったかをこれらの教科書から見て取れるわけです!!
しかし、この五倫文庫には普通に展示されていますが、これマジで貴重な本じゃないですかね。国立国会図書館ですら朝鮮総督府発行の教科書に関しては実物は置いてなく復刻版が置かれているという状態ですし。そのまま手に取っておける状態だと、誰かに盗まれるんじゃないかとちょっと不安になりますわ( ;∀;)
中を見てみると、早速明治神宮の参拝に関して書かれていました(笑)
戦前の時代の教科書ということで、ただ読むだけでも当時の考えや風潮など色々な事が読み取れるんじゃないですかね。今回の訪問では、もっとじっくり色々な教科書を読んでみたかったのですが他の場所の取材もありあんまりゆっくりはできなかったんですよね。。ここでゆっくりできる時間を作って色々読み漁ってみたいですわ!!
ちなみに、私は色々な神社仏閣に訪れているもののまだ明治神宮を参拝したことがありません。近いうちに行ってみようかな( ;∀;)
こちらは国語讀本(こくごとくほん)。讀本とは、明治期から太平洋戦争の終戦まで、小学校の国語の教科書で使われていた名称です。”讀”は”読”の旧漢字に当たりますな!!
第一巻ということで、小学校一年生のための教科書なのでしょうか??
カタカナで文章が書かれていますな。
ヘイタイが載っているのが、ちょっと軍国主義的要素を醸しているように感じるのは気のせいでしょうか??
センタクを見てみると、今では洗濯機なのに当時は人力でゴシゴシ洗い落としていたんですもんね。クワだって、今の時代に浸かっている人はほぼいないでしょうし、コマだって今の時代に遊びで使っている子は極めて少ないでしょう。こういうのを見るだけでも時代の違いを感じ取ることができてとっても面白い(*’▽’)

南沙諸島での教科書まであるぞ!

さらには、南洋諸島を統治していた時代の教科書まで置いてあるのです。1922年からヴェルサイユ条約によって赤道以北の旧ドイツ領ニューギニアの地域の委任統治をすることになったのです。その後、島には軍人が移住してくるようになり、軍人相手の商売を行い日本人も名用初頭に移住するようになり、次第に学校も作られていったとのこと。
▲日本統治下の南洋諸島で使われていた教科書
そんな南洋諸島で使われていた教科書がこの場所にあるとは。日本が南洋諸島を統治していたことに関しては私はほとんど詳しくはないですが、その時代の実物を手に取っているということがなんだかすごく感慨深い。。
国語の教科書を見てみると、文字としては漢字とカタカナが使われていました。感じにはちゃんとフリガナまで。日本から遠く離れた南洋諸島でも、東京、大阪などの文字が書かれた教科書が使われていたとは。。

外国の教科書も多数ある!

とうことで、日本の教科書をたくさん紹介しましたが、一応外国の教科書も紹介してみることにしますか!といっても、言葉が分からないと内容が理解出来ないっすからね~・・。とりあえずエクアドルの教科書でも覗いてみることに。
これはエクアドルなのでスペイン語でかかれています。いや~マジで何だか全然わからんわ。。私は一応大学でフランス語の授業も受けたりしていましたが、それすらもはや何も覚えていないし。。そもそも、ヨーロッパの言葉って女性名詞とか男性名詞とかあって本当に難しい( ;∀;)
といっても、「世界で一番難しい言語は日本語だ!」なんてことをよく聞くものですが。。あと、子供たちが食事しているらしき絵が載っていますが、こういうのいかにも外国の絵って感じがしませんか?

おわりに

いかがでしたかね。私は満州時代や朝鮮統治下時代の教科書があるのは本当に興奮しました(^O^)
他の取材もありそんなに長居は出来ませんでしたが、時間があればいくらでもいれる博物館でした。いや~こんな凄い博物館が千葉県御宿町にあったとは!そして、ほとんど知られていないというのも凄くもったいないな~と思う今日この頃です。
千葉県御宿町ってなかなか行きづらい場所にありますが、近くを訪れた際に寄ってみてはいかがでしょうか!

参考文献

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詳細・地図

住所 千葉県夷隅郡御宿町久保2200
営業時間 09:00~17:00
休館日 月曜日・国民の祝日・年末年始
(国民の祝日が月曜日にあたるときは、その翌日が休み)
電話番号 0470-68-4311
駐車場 付近になし
アクセス 安房小湊駅駅から歩いて15分ほど
リンク http://www.town.onjuku.chiba.jp/sub6/7/minzoku_shiryoukan_01/
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