弁護士に騙された!?舟運で栄えた千葉県松戸市にあった「平潟遊郭」が迎えた結末とは!

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唯一の名残りである巨大柳

名店「兎に角」の油そば

ふふふ、まずは腹ごしらえだ!

松戸駅東口はとみ田の店が密集している、超ラーメン激戦区であり、その中でも油そばの名店として鎮座している『兎に角』で腹ごしらえ!!

すみません、これ、遊郭となんも関係ないんですが、油そばが大変おいしかったので思わず載せてしまいました(笑)

と、余談はさておいて早速遊郭があった場所へと訪問。この通学路を進んだ先が平潟遊郭跡地になります。

その跡地はこんな感じです。この一本道の両側に遊郭がありました。ただ、遊郭以外にも食堂やら診療所やら堅気の店もそれなりにあったそうです。ん~だいぶ町は遊郭だったころから変わっているようだ。。

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電柱に残る「平潟」の文字

電柱には「平潟」という文字が残っていますね。しかし、ここの住所は「千葉県松戸市2200-1(あくまで例)」のように、松戸市の後は番地しかないので既に平潟という地名は存在しておりません。

古そうなアパートにも残ってた
唯一の名残といえる柳の木

そして、平潟遊郭唯一の名残と言えるのがこちらの柳の木。かなり太っとい木ではあるものの、葉がスッカスカなのでなんかもう死にぞこないみたいな状態になっとりますわ・・( ;∀;)

ただ、唯一の名残ではあるものの資料などを見てもこの巨木に関しては何も記載がないので詳細は分からず。。この場所は三井家の庭か鈴華楼があった場所。その辺の楼主が植えたとかですかね??

何か不気味な廃幼稚園バス

そんな柳の木の下には、なぜかわからんがボッロボロの幼稚園バス?が停まっておりました。。何でこんな住宅街に廃車が置かれたまんまなのよ。。

しかも、ここが遊郭跡ということもあり、何だかなおさら不気味っすわ( ;∀;)

ただの住宅街になっている・・

まぁ見所としてはそんぐらいっすかね(笑)

建物は新しく建て替わっていますし、道に関しても平潟遊郭は一本道だったこともあり細い路地だったり未舗装の道なんてものはないし、この通りだって横須賀の柏木田遊郭や八王子の田町遊郭みたいに幅広い通りというわけでもないし。。

ということで、平潟遊郭跡だったこの道の散策はこのくらいっすかね。。( ;∀;)

ただ、まだ行きたい場所が残っているのでそこへと歩みを進めることに!それは遊郭跡の近くにある来迎寺と水神宮。

お寺の方に何か平潟遊郭に関する話を聞ければと思い、一応向かってみることにしやした・・。

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来迎寺は「投げ込み寺」ではない!

平潟遊郭跡から徒歩数秒でたどり着くこちらが來迎寺というお寺。最近新しく建物を立て直したのか、とてもきれいなたたずまいであるこのお寺。

周囲に人気はないものの、恐らく中に人はいるだろうと思いインターホンを鳴らしてみることに!!

ピンポ~~~~ン

寺の方「はい!」

私「すみません、私はちょっと松戸の歴史を調べているものでして。この近くに平潟遊郭という遊郭があったということで、そのあたりの情報が何か聞ければと思いまして。」

寺の方「わかりました。ちょっと待ってくださいね!」

といって、平潟遊郭に関して知っている話を私に話してくださいました。

寺の方「うちのお寺には、遊郭で働いていた女性のお墓が一つ残っています。ただ、今そのお墓を手入れしている方はいらっしゃいませんが。。あと、そうですね~資料とかもあるわけではないですし」

お寺の前には六地蔵が建っていた

ということのようです。今では、一つだけ平潟遊郭で働いていた女郎さんのお墓が残っているとのこと。しかし、この時に住職さんはいないとのことで、実際にその墓への案内までとはいきませんでした。

ただ、その他にはこんな事もおっしゃっていました。

寺の方「私もインターネットで平潟遊郭について検索しているんですが、いくつかうちのお寺のことに関して、ありもしない良くないことが書かれているのを目にしているんですよね・・」

とのこと。私はあまり先人の方のサイトは確認しないのですが、いくつか見ていると、確かに来迎寺に関する記述はいくつか見受けられますね。ただ、投げ込み寺だったとか女郎たちの怨念がどうのこうのみたいな書かれ方をしていますが、投げ込み寺だったという背景はお寺の方からは聞きませんでしたし、そういった事実はないとのこと。

来迎寺の隣にある水神宮

その来迎寺のすぐ目の前には「水神宮」という神社がありました。こちらも結構閑散としている雰囲気。ただ、昔の地図を見ると「平潟神社」という名前になっていますが、「平潟神社」という名前は見つからず。。

神社の水桶には九十九楼と刻まれている

このお寺には「九十九樓」という文字が刻まれた天水桶が二つ残っています。この桶の裏側には「大正十四年一月」と刻まれています。大正14年は関東大震災の後。

この桶以外にも大正14年と刻まれた修繕記念碑が見られたため、関東大震災か何かのためにこの時期に神社が修繕され、その機会にこの天水桶が奉納されたってことですかね??

続きはこちら!93歳の老婆から聞いた、遊郭街が弁護士に騙された話とは!
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コメント

  1. 石上瑠美子 より:

    この年配の女性と同じように仰る方は、昔の松戸には大勢居ました。
    その弁護士の家もいままだ松戸に変わらずにあるのが不思議です。
    私は昭和39年~41年まで遊郭の建物(元宝家)に住んでおりました。
    幽霊が出るなど諸々いわくつきの家でしたが、懐かしく拝見いたしました。
    有難うございました。

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