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市ヶ谷記念館を解剖してみよう!!
そんな背景があった東京裁判。
ビデオを見た後は、玉座ステージなど陛下関連の説明や東京裁判に関する説明が終わり、その後は15分ほどの自由時間に。この時間でひたすら写真を撮りまくったり、展示資料を眺めたりスタッフさんに質問をふっかけてみたり!
ということで、東京裁判について学んだあとは、市ヶ谷記念館の内部に関しても触れてみることにしましょう!!
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陸軍士官学校だった高台の要所
市ヶ谷台は海抜31.4m江戸城周辺におけるもっとも高台の要所でした。1656(明暦2)年には尾張徳川家二代の光友公が上屋敷を設けて江戸城を守る役割を果たしてた歴史があるそうですよ!
その後、明治政府に献上され1874(明治7年に陸軍士官学校の兵舎が築かれます。しかし、1923(大正12)年の関東大震災によって市ヶ谷台のほとんどの建物は崩壊。その後、近代的な鉄筋コンクリートの再建が始まり、昭和9年に市ヶ谷記念館の大講堂が造られました。
日中戦争が始まった1937(昭和12)年には陸軍士官学校が現在の座間キャンプの場所に移転、1941(昭和16)年には予科士官学校も埼玉県の朝霞に移転、その後ここには大本営陸軍部、陸軍省参謀本部などが置かれます。
そして1941(昭和16)年12月8日には太平洋戦争が勃発し、1945(昭和20)年8月15日に終戦。この日を境に、市ヶ谷台は米軍に接収され、1946(昭和21)年5月から東京裁判の法廷となり、内部はドイツで行われたニュルンベルグ軍事裁判所をモデルに改造されることになります。
終戦後、1959(昭和34)年に日本に返還され、翌年に市ヶ谷駐屯地として機能しました。さらには防衛庁が2000(平成12)年5月に、六本木からここへと移転することになりました。
ただし、今の市ヶ谷記念館にある大講堂、便殿の間、玄関の車寄せ、陸軍大臣室は、もともとは旧一号館の庁舎A棟にありました。しかし、新しい庁舎になるときに、これらの部屋は保存すべきということになり1998(平成10)年9月に今の市ヶ谷記念館が作られて移築復元されたのです。
移転前後を比べると、方角で見たら大講堂は方向が180度逆になっており、移転前の大講堂は二階にあった(現在は一階)なんて発見もあったり!
市ヶ谷台の歴史をさささっと話すとそんな感じでしょうか!
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席の配置を見てみよう!
続いては、東京裁判が行われていたときの席はどのような配置だったのかに関して。
館内に東京裁判の写真があったので、こいつを使って席がどんな感じだったかを書き込んでみると、、
ざっとこんな感じでしょうか。上の写真を用いると、奥にある玉座があるステージを見て左側に11人の連合国の裁判官や法廷書記が座り、右側にはA級戦犯容疑で起訴された被告が座る席や弁護人が座っていたそうです。
上の写真には写っていませんが、もっと手前には右側に日本人報道者が座り左側に外国人報道者、そして二階席は一般傍聴席と家族席になっていました。
ただし、法廷内は裁判途中で特別傍聴席や報道関係者の席が改装されたこともあり、途中で席の配置は多少異なっております。
7,200枚の奈良細工が敷き詰められる床
床は上の写真のように木材で出来た正方形の板が敷き詰められていますね。実はこの板、7,200枚の奈良の寄せ木で作られているだけでなく、移設復元に当たって、一枚一枚にテープを貼って番号を書いて保存していたため、配列まで当時のまま。
熊本地震で崩壊した熊本城の石も、全て番号を振って全てが元の場所に戻るように復元工事をしているように、移築前に比べ完璧に再現されているんですね!
とはいっても、移築の際には399枚が割れたり破損してしまったため、その部分は新しい寄せ木が使われていますけども( ;∀;)
東京裁判では、多くの地図が法廷の壁に掛けられましたが、この地図もマッカーサー率いるGHQが日本地図株式会社(当時)に発注し、同社が1946(昭和21)年5月3日に納入した地図と同じものであるという。
この地図、スタッフの方に用途が何なのか質問したんですが、実際に裁判では使われなかったとのこと。裁判時に必要だと思われて掲げられただけ??
続いては天井を見てみることにしましょう。
天井には大きな五つの照明がついていますね。今の明るさが最大の明るさではあるものの、それでもちょっと暗め。。そして東京裁判が実施された際には、「どこに立っても影が出来ないように明るく」というGHQの命令により、五つの照明以外に複数の明かりを吊るして点灯したようです。
それがかなりの明るさだったようで、外国人記者はその様子を「照明地獄」「拷問電灯」などのように書いたとか。
皇族へのきめ細やかな配慮
この大講堂には、陸軍士官学校時代は開校式や閉校式の時に天皇陛下が訪れたということもあって、陛下に対する細かい配慮が見られたりします。上の写真に写っているのは大講堂の奥にあるステージ。
このステージの床は箱根の寄せ木細工で作られており、ステージ上には陛下が腰かける「玉座」といわれるイスがあります。んで、このステージから大講堂を見渡す際にまず一つ見られる仕掛けがあるんですね!
その仕掛けに関するポイントは二階席の観客の目線なんですね。いわゆる、この時代は陛下を見下すという状況はご法度。そのため、陛下がステージから大講堂を見渡す際には、陛下側から見た時に二階席の観客の目線が低く(錯覚として)見えるように、一階の入り口の扉を50cmほど高く上げているそうです。
扉を上にあげたことで床と扉には50cmほどの隙間が出来てしまったことから、この大講堂の入り口付近は坂になっています。これが、まず一つのポイント。
続いては先ほどのステージの脇にある階段。こちらは陛下専用階段であり、陛下が玉座があるステージへと上がるために利用されたました。
この階段には実際に階段を上がる際の一段一段に工夫があるんですね。
どういう工夫かというと、 一段目は段の奥から1/3が少し高くなっていてかまぼこ状のようになっており、上の段になると階段の中央部がへこむ。
これは、陛下が階段を上り下りする際に陛下の足の座りが良いように、簡単に言えばより上り下りしやすいように考えられた工夫なんですって。
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三島由紀夫が自決した三島事件現場
続いて、二階に上がって最初に入ったのがこちらのお部屋。
1941(昭和16)年の夏から旧陸軍大臣室、士官学校時代は学校の校長室として使用され、1960(昭和35)年からは陸上自衛隊東部方面総隊の執務室だった部屋です。
そしてこの部屋は、1970(昭和45)年11月25日に三島由紀夫が東部方面総隊を人質に取り立てこもったうえ自決をした三島事件が起こった場所でした。
三島事件とは、憲法改正のために自衛隊に決起を仕掛けたときに割腹自殺をした事件。その時の痕跡として、三島が総監を救助しようとした隊員らともみあいになって刀を振りかざした際の傷が、今も部屋の扉に三か所残っています。
陛下が休憩していた「便殿の間」
最後は「便殿の間」という部屋について。
この部屋は、陸軍士官学校時代の開校式や閉校式の時に陛下が休憩をしていた部屋。 陛下専用ということで、先ほどのように部屋の中に様々な工夫がみられるんですよ!
まず一つが扉(*’▽’)
旧一号館の庁舎A棟の扉は部屋の内側に開くように作られていましたが、この便殿の間に関しては外側に開いているんですね。これは「扉は人を招き入れるため」ということで内側に開くように作られているんですが、この部屋は陛下専用で人を招き入れることがないために、あえて外側開きにしているそうです。
あとは壁!
この部屋の窓や扉の壁は大変厚くなっていて、中は空洞になってます。これは、当時は十分な冷房施設がないために、空洞をダクト代わりにしているから。その空気は上のメッシュ状のところから出るようになっていたんですって。
以上、所々省いてはいますが市ヶ谷記念館の紹介でした!
最後にその他の建物もいくつか
今回の市ヶ谷台ツアーは、市ヶ谷記念館だけでなくその他にもいろいろな場所を案内していただきました。
上の写真に写っている庁舎A塔は、地上19階、地下4階で防衛省の中でも最も規模の覆いい建物の一つ。大臣、副大臣、政務官の執務室などがあり、内部部局統合幕僚監部、陸海空の各幕僚幹部等の防衛の中枢機関が使用しています。
屋上には東西二面、都内最大級のヘリポートがあり、災害派遣などに使用されているという。
あと、見学コースの途中で床屋を見かけました。基本的に自衛隊員は短髪に切るのでここでサクッとやってもらうとか。ただ、駐屯地内には床屋は二つあるとのこと。
その他には、セブンイレブンや自衛隊グッズがたくさん売ってた売店とかもあって結構見所はたくさんありましたよ!
そしてあっという間に見学は終了し、集合場所に戻って解散。とっても勉強になった見学ツアーとなりました( ´ ▽ ` )ノ
おわりに
以上です。
今回も結構長い記事になってしまいましたが、なんかそのスポットにかかわることは一緒に学んでいきたいと思う性格なのでどんどん話が拡大してしまうんですよね。。
ここは最初も書いた通りなかなか来るにはハードルが高い場所ではありますが、歴史を勉強するうえではとてもいいスポットだと思いますよ(*’▽’)
東京裁判は映像でも残ってますし、関連の本もとても多いので皆さんも何かの機会にこの辺の勉強でもしてみてはいかがでしょうか~~!
参考文献
詳細・地図
住所 | 東京都新宿区市谷本村町5−1 |
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見学時間 | ・09:30~11:45 ・13:30~15:40 ※予約必須です |
定休日 | 土日祝 |
入館料 | 無料 |
駐車場 | なし |
電話番号 | 03-3268-3111 |
アクセス | ・地下鉄曙橋駅から徒歩5分 ・市ヶ谷駅から徒歩10分 |
リンク | https://www.mod.go.jp/j/publication/tour/ichigaya/index.html |
その他 | 要予約なので、詳しくはHPをご参照ください。 |