こんにちわ!
今回は、神奈川県にある超ウルトラマニアックな場所を紹介します。それは、横浜市の上大岡にある喫茶店なんですけど、ここはギャラリーが併設されていて、そこには大量の美空ひばりコレクションが展示されてるんですね!
もはや、美空ひばり資料館といっても遜色ないコレクション。しかし、ここは月に一回しか公開しないし、そもそもその存在自体がほとんど知られていないということもあり、今回はこの謎多きスポットを以下で紹介したいと思います( ・∇・)
見出し
カフェ、ギャラリー、シアターが合体!
その『カフェ ギャラリー 十三番地』があるのは、京浜急行線の上大岡駅から歩いて数分の場所。駅前とはいえ、周囲は住宅や駐車場が見られる閑静な雰囲気ですが、ここにひばりさんの膨大なコレクションが展示してる場所があるとは、なかなか想像できない。。
『十三番地』という屋号は、ひばりさんの名曲『港町十三番地』からきているだけでなく、ここの住所も13番地(住所は「神奈川県横浜市港南区大久保1丁目13−19」)という熱の入りっぷり!
この喫茶店は、月、火、水が定休日で、営業日であっても営業時間は11:30〜14:30というなかなかに限定的な営業スタイルとなっています。
そして、写真にも「映画会」と書かれているのがわかるかと思いますが、毎月第四日曜日のみ、3階で美空ひばりがかつて主演を務めていた映画の上映会を行なっており、その時に2階にある美空ひばりコレクションを公開しているという感じ。
なので、この喫茶店は1階が喫茶室、2階が美空ひばりコレクションのギャラリー、3階が上映会を行うミニシアターになっているという、かなり珍しいスタイルの建物となってるんですね!
中に入ると、たくさんの新聞の紙面や雑誌などが並び、そのどれもがひばりさんにまつわるもの。
この時点で、ただのカフェではない感じを醸し出してますね(*´▽`*)
美空ひばりコレクションは2階なんですけどね、、、1階からすでにひばり色全開ww
入り口が狭く、もう営業は終了している様にも見えましたが、無事営業してました(*’▽’)
中に入ると、ここのオーナーである中島玲子さんが出迎えてくれましたー。
ここはチェーン店でもなく、中島さんが個人で運営する喫茶店。入店するや否や、すごくフレンドリーに対応してくれました( ´ ▽ ` )
席についてちょっと店内を見渡したんですが、なんか天井や柱が独特な形をしてますね。窓も色ガラスになっていて、見応えがあります。
入店した時はちょうど先客の方とすれ違いになり、席についた時はお客さんはいなく、この空間を独占させていただきました。上大岡は駅前となると結構人通りは多いものの、ここは閑静な住宅地ということもあり、コーヒーを飲んでゆっくりしたい方にはウルトラおすすめな場所っすわ!!
コーヒーを持ってきてくれた後は、コーヒーを飲みながら中島さんと色々なお話を。
この喫茶店を23年前に開いたことや、中島さんもひばりさんと同じ横浜生まれ横浜育ちであること、あと若いときはとにかく仕事人間でひたすら働き詰めの日々を送り、その仕事がひと段落した後にカフェ&ギャラリーを開いたなどの話もしてくれました。
仕事もひと段落し、金銭的な面まではわかりませんがカフェは儲けとかそういうのは度外視し、自分の好きなこととしてお店をやっている感じでした!!
あまりネットに情報が無いのでどんな方がやってる店かと思ったもの、中島さん凄くおしゃべりでフレンドリーなので、初めてでも、はたまた一人でも訪問しやすいお店だと思います!!
ただ、営業時間が短いのは要注意ですが・・( ;∀;)
カウンター席もあるっちゃあるんですが、ひばりさんのコレクションが占領してました(笑)
ポスターにうちわ、かつての写真などなど。二階がギャラリーとなってはいますが、最初に紹介した入り口にしろこのカウンターにしろ、一階ももはやギャラリー的な感じになってる気がします(*’▽’)
こちらのシルクハットを被り、ステッキをもった姿は、初の主演映画『悲しき口笛』のワンシーンをモチーフにしています。まだひばりさんが12歳の姿っすね。
今も、野毛の松葉寿しのお店の前にこの姿の銅像が立っているということもあり、ひばりさんを象徴する姿ではないでしょうか!
ちなみに、中島さんはひばりさんだけでなく大谷翔平のファンでもあるようです。ひばりさんのコレクションのなかには、大谷さんの姿も垣間見えまして、こんな感じでひばりさんと大谷選手のツーショットも垣間見ることが出来るんですわ!
昭和と令和のスター夢の競演♪♬
大谷さん関連でいうと、喫茶室の入り口にWBCで日本が劇的勝利を収めた準決勝・メキシコ戦の新聞もそのままセロテープで張り付けられています(*’▽’)
この試合興奮しましたよね!!
あと、中島さんの娘さんがこうしたステンドグラスを用いた作品を作ることが趣味ということで、純喫茶などで見られる電気スタンドも見られました!
いや~美しいですね~~
という感じで、一階もひばりさん色に溢れているわけですが、ひばりさんについて中島さんと色々話していると、一枚の紙を渡してくれました。
紙には最近の出来事、たぶん中島さんが気になったニュースが書かれていると思いますが、それに加え当月の上映会の情報も書かれてます。
「今はね、毎月第四日曜日にひばりさんが出てた映画の上映会をやってるのね。それで、2階のギャラリーも普段は公開してないけどその日だけ公開してるのね!」
あっ、そうなんや。
というのも、訪問前に結構ググっても美空ひばりギャラリーが空いてるのかどうかを調べても全然情報は出てこず。。コロナ以降は公開してない的な口コミを見たりしたので、今も公開してないのか、コロナが過ぎてもう公開再開したのかなど全く情報が分かんなかった状態での訪問でして。
あと、毎月第四日曜日に公開しているという情報は全く出てこなかったんですよね。
お店に来た方に、こうしてペーパーを配る感じということもあり、ここのギャラリーが知る人ぞ知る存在になっているというのも納得!!
ということで、コーヒーを飲みに行った月の第四日曜日に、再びこのお店を訪問したのでした。
念願の美空ひばりギャラリーへ!
再びお店を訪問し、さっそく2階のギャラリーへと向かう私!!
うわ、すげぇ!!!
同じ建物にあるのに、1階のカフェからは想像もできない光景が広がってましたよ(*´▽`*)
中島さんは今まで1万点近い美空ひばり関連の資料を収集してるそうですが、これらのコレクションは自分で集めたり、知り合いのツテからいただいたり、カフェに来たお客さんが寄贈してくれたりしてこれだけ集まったそうです。
横浜生まれの中島さんは、中学生の頃からひばりさんが好きで、雑誌の付録を集める所からコレクション活動が始まったとのこと。社会人になると、某上場企業(多くの方が知ってる企業ですが、一応企業名は伏せます)の創業時から業務に携わっていたことで、とにかく仕事に追われる日々を過ごしていたそうです。
そうした休む間もなかった日々を送っていたものの、ひばりさんの歌に生きる希望や元気をもらっていたんですって。それだけ、中島さんにとってひばりさんの存在は大きく、「ひばりさんと共に人生を歩ませてもらった」という話もしておられました。
「会社の創業時から関わってたから本当に忙しくて、コンサートは一度も行くことが出来なかったの。仲間三人と会社を創業してね、夜も寝るヒマが無かったくらい働いてたの。」
色がしく働いていたとき、中島さんは仕事が落ち着いたらひばりさんの追っかけをして残りの人生を楽しもうとしていたそうです。
しかし、ひばりさんは1989年6月26日、52歳の若さで亡くなってしまいます。
そのため、これだけのファンだったものの、中島さんはひばりさんのコンサートは一度も足を運ぶことができず、ひばりさんを見たことも一度もなかったそうです。
でも、ひばりさんは中島さんの心の中に今も生き続けてるんですって!
そのため、館内にはひばりさんの公演のチケットも展示されてはいるものの、これらは全てはお客さんなどから寄贈していただいたもの。
その他にも、コレクションは雑誌の切り抜きから始まって、雑誌の付録、明治座の古いポスター、表紙を飾った雑誌、舞台の台本など、激動の昭和を駆け抜けたひばりさんに関する資料がこれでもかというくらいに展示されています。
これだけのコレクションだけに、中島さんの同年代の方は来るととても喜んでくれるそうです。
なので、カフェにギャラリーが併設しているというよりかは、こうしたギャラリーをやりたくて、そしてひばりさんのファンが語り合える場所も一緒に欲しいということでカフェも開いたんですって!
こちらにあるのは、ひばりさんが表紙となっている雑誌『平凡』。
「私たちの世代は、この『平凡』って雑誌を見て育ったの。それでね、10年間も表紙を飾り続けたのはひばりさんだけ。」
私は世代じゃないのでこういうの見て「懐かしい〜〜」とはなりはしませんが、昔のデザインは本当に琴線に触れます。ちょっと雑誌の中は見てみたいところではありますが、このギャラリーは手に取らずに眺めて楽しむのがお作法です。
この白黒写真の中央で唄ってるのはひばりさんなんですが、この時の年齢は何と9歳。この年からひばりさんはデビューをして歌手の道を歩むわけですが、小学校三年くらいの年齢からデビューしていたとは・・。
この中村幸一さんって方は、どんな方だったか。説明していただいた気はするんですが、忘れてしもうた。。
実はお寿司屋さんを出していたひばりさん
まだまだひばりさんのコレクションはたくさんあります。
ひばりさん世代ではないものの、中島さんからコレクションを通してひばりさんの歴史や中島さんのひばりさん愛を聞くのはとにかく楽しい。これぞ、個人博物館の魅力ですな(*’▽’)
真ん中に写ってる、歌ってる様子を移ったひばりさんの写真がありますが、この姿はテレビやらで目にした方は多いんじゃないでしょうか。
この棚には、こんな湯呑みも置いてるんですが、これはちょっと面白い背景がありましてね。ひばりさんは、横浜の若葉町に”美之寿し(みゆきずし)”というお寿司やさんを出店していた時期がありまして。
こちらはそのお店で使われてた湯呑みなんだそうです。んで、右隣は灰皿っすね。
隣にも湯飲みがあって、ここには”おしどり”と書かれていますが、これは美空ひばりの弟さんが美之寿しの店舗を引き継いだクラブ的なお店で使われたもの。
ステージ上だけでなく、こうしたプライベートな写真も見られました。こちらは加藤家の写真。ひばりさんの右隣に写っているのは、父の増吉さん。
ひばりさんには、二人の弟と、一人の妹がおられますが、両側にいるのはその弟たちでしょうね。
んで、妹さんはである加藤勢津子さんは、館内にも写真がありまして、それが上の写真の右下に写ってる方です。佐藤軍治という方と結婚してるから佐藤姓となってますね。
中島さんは勢津子さんと交流があるようで、以前はここの三階で勢津子を招いて歌ってもらったりしたこともあったそうです。勢津子さんもお姉さん同様歌い手なんですね〜。
ちなみに、美空ひばりさんの本名は加藤和枝(かとう・かずえ)。
これも貴重なコレクションではありますが、針は動いてませんでした。
ひとつの時代が終わったと感じた
『川の流れのように』『愛燦燦』などひばりさんの歌はテレビやYouTubeなどで聴いたことはあるものの、女優としてのひばりさんの姿はあまり馴染みがないんですよね。。館内には結構たくさんの映画ポスターがありますが、映画にもかなり出演していたんですね。
ひばりさんドストライクの世代の方であれば、こうしたポスターなどを見て昔の想い出に浸ったりできるんでしょうね(*´▽`*)
懐かしいって、何でこんなに心揺さぶられるんでしょうね。
とにかくコレクションの全てが綺麗に並べられており、中島さんのコレクション一つ一つを大切に扱おうとする想いが伝わってきます。
こちらは、ひばりプロダクションとファッションブランドで有名なHANAE MORIによって制作された傘とのこと。HMのイニシャルは、「HIBARI MISORA」と「HANAE MORI」がかかってるんですって!
これは、ひばりファンのお母さま方は欲しくなるでしょうね~~!
私は1987年生まれということもあり、J-popでミリオンヒットが出まくる時代の曲を聞いて育った感じっす。ミスチル、B’z、安室奈美恵、浜崎あゆみなどなど、90年代はミリオンだけでなく、ダブルミリオンもたくさん出ましたもんね。
令和の現代となっては、ネットでいくらでも発信できる時代ということもあり、歌手も無限にいるでしょうし、現代はYOASOBI、あいみょんみたいなスターはいるものの、昭和のひばりさんのように皆が憧れる大スターの存在も出にくい時代。
「ひばりさんは昭和天皇と同じ歳に亡くなったでしょ。昭和天皇だけじゃなくて、ひばりさんが亡くなったことで、昭和が終わったんだなって改めて思ったの。」
この言葉が凄く印象だったんですが、一つの時代が終わったと思うくらい、ひばりさんの存在は大きかったんですね。
梅田コマ劇場の支配人の方が持ってらしたもので、私の友達が大学時代にその人と知り合いだったってことからトントンと話が進み、手に入ったもの。舞台での台本ですかね。
私は歌手としてはもちろん知ってはいますが、ひばりさんは演者としても活躍していたとは恥ずかしながら全く知りませんでした。
原因不明の腰痛に悩まされ、体調が悪化する中でもコンサートを行い続けたとのことですが、歌手だけでなく映画・舞台俳優として働き詰めだったひばりさん。多くの人に勇気と感動を与えながらも、休みなくかなり無理をして仕事してたんですかね。。
この辺は、子供用の冊子にピンバッジ。
今のようなインターネットなど情報も少ない時代だったこともあり、有名な歌を子供たちはこうした冊子で覚えたとおっしゃってました。
さらには、湯飲み、ライター、マッチなどなど、ひばりさんが描かれたグッズなら何でも展示しております。
昭和の大スターですからね、日用品のあらゆるものがグッズになってますね♪♬
写真の真ん中に写ってるのは、ひばりさんの出身校である滝頭小学校の冊子。学校の先生が持ってきてくれたそうです。
中島さんと色々お話させていただき、その後は一人じっくりコレクションを鑑賞させてもらい1時間30分くらい滞在させていただきました。
お客さんは他に誰も来なかったためこの空間をずっと独占させていただきました。見てる間は、ずっとひばりさんの曲も流れておりましたが、こうした空間で一人コレクションをじっくり鑑賞できる時間が本当に至福のときでした。
これだけのコレクションを展示してあるものの、公開日が月一回ということとほとんど宣伝もされていないので、もしかしたら近所の方ですらこのギャラリーの存在に気付いてないんじゃないかと思ってしまいます。
以前は11:00~17:00まで、月火休みで常時公開していたそうですが、今は年齢もあって公開日は絞ってるそうです。
でも、多くの方が訪れるというよりも、関心を持った方がふらっと訪れる。
そんなひっそりとした存在であり続けるのも、いいのかもしれないとも思ったり。
幻の美空ひばり記念館計画
コレクションの解説をしていただいてるなか、中島さんがあることをおっしゃいました。
「そういえばね、以前横浜では記念館建設の話があったのよ。でも、最終的に計画はなくなっちゃったの。」
確かに、美空ひばりは横浜生まれですし、これだけの大スターなので記念館があってもおかしくないというか、なぜ無いのかと思ってもおかしくないかもしれません。
ギャラリーにはそんな幻の記念館計画に関する資料もちらほら見られ、上の写真に写ってるように『サンケイスポーツ』の記事にも記念館のことが書かれてますね。
ひばり記念館を設立するための準備委員会があり、委員会は『10万人署名運動』を実施し20万人を超える署名が集まるなどの関心の高さがあったものの、最終的に計画は無くなってしまったみたいです。。
でも、上の写真の様に完成予定図まで描かれていて、うまくいけば1995(平成7)年に開館していたんですね。。
そして、建設予定地が「横浜市中区山下町15番地」ということで、なんと横浜マリンタワーの麓に建設する予定だったんですか!!
開館してたらどんな記念館になってたんでしょうね~と思ったりはしますが、もう計画無くなってしまったから考えてもしょうがないか( ;∀;)
横浜に記念館を作る計画がなくなってしまったことで、ひばりプロダクションは京都の「京都嵐山 美空ひばり座」という記念館を作ります。ただ、そのひばり座は2013年5月31日に閉館し、今度は東映京都太秦映画村内に移築され「京都太秦 美空ひばり座」がオープン。
ここは私も2017年、ブログを始めた初期のころに訪問したことがあります。7年近くも前のことなのであまり記憶にはないんですけどね。。
しかし、この「京都太秦 美空ひばり座」は2024年4月7日をもって閉館。現在は、目黒にあるひばりさんの自宅の一部を公開した美空ひばり記念館がある感じですね。
中島さんは、ひばりさんの故郷である横浜に記念館が無いのが悔しくてならないとのことで、自身でギャラリーを開いたそうです。
ということで、美空ひばりに関する博物館的な施設は目黒にある美空ひばり記念館、あとはこのカフェギャラリー十三番地。この二ヶ所だけかと思ったんですが、館内の資料にもあるように長野県の伊那にもひばりさんに関する資料館『美空ひばり歌の里』があるんすね!
何で伊那にあるのかは不明ですが、ここもキニナルから行ってみたい。伊那はちょっと距離ありますが。。
おわりに
以上になります!
ここはネットにもそんなに多くの情報がないというか、ココにこれだけの資料があるという情報にたどりつくのも難しい場所ではありました。しかも、月に一回の公開というレアな場所ではありますが、昭和の大スターの数々の展示をみることができ、本当に感動の空間でした(*’▽’)
私は1987(昭和62)年生まれで、生まれて間もなくひばりさんが亡くなってしまったこともあり世代の人間ではないものの、昭和の歴史、あとは私の故郷である横浜の歴史を語る上では欠かすことが出来ない存在です。
まだ目黒にある美空ひばり記念館への訪問も出来てないですし、ひばりさんが世に与えた功績など色々知りたいことも多いので、今後もひばりさんのことはいろいろ興味持っていこうと思います!
ではでは、また次の記事でお会いしましょ~(*’▽’)
参考文献
詳細・地図
住所 | 神奈川県横浜市港南区大久保1丁目13−19 |
---|---|
営業時間 | 11:00~15:00 |
定休日 | 月曜日、火曜日、水曜日 |
駐車場 | 無料 |
電話番号 | 045-845-9913 |
アクセス | 上大岡駅から歩いて10分ほど |