横須賀の海軍が押し寄せた「皆ヶ作銘酒屋街」の背景に迫る~皆ヶ作Vol.1

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)

スポンサーリンク

現在の皆ヶ作周辺を訪問!

超ざっくりな船越周辺の地図

ではでは、ここからは皆ヶ作周辺を訪問した様子を書いていこうと思います。ここで、皆ヶ作周辺のざっくりした地図をみてみましょう。

まずは京急田浦駅まで電車を乗り継ぎ、そこから皆ヶ作へと向かっていきます。とはいっても、皆ヶ作という地名はもう無くて、この周辺は船越という地名になっています。

国道16号線から北上していくと、料亭・検番のエリア、カフェーエリア、そして一番奥に銘酒屋街があったって感じです。ただ、料亭の部分はそんなに何軒もあったわけではなかったようです。でも、古い地図を見ると検番があったようなので、多少なりとも芸者さんはいたんじゃないですかね。。

では、まずは国道16号線からすぐの場所にある船越仲通り商店街から散策してみますか!

スポンサーリンク

シャッターだらけの船越商店街

船越仲通り商店街

田浦駅から5分ほど歩いて、商店街に到着。なかなか年季を感じますね。人通りもほとんどないし、お店もほとんどシャッターが閉まっているため、大型スーパーなどに需要を奪われた地方の商店街って感じですかね。。

郵便局があったりはするものの、営業しているお店としては京急ストアと個人商店一店ほど。

京急ストアがかろうじて営業・・
商店街を照らす照明が切ない・・

昔は日用品や食料品を買うにはみんなこの辺に買い物に来たんでしょうね。そして、夕方以降の仕事終わりにもなるとこの辺で飲み食いする自衛隊や東芝の方で賑やかだったんだろうな。。

なんだか商店街を照らす明かりがものすごく寂しさというか切なさを演じているように見えますわ。。所々はお店が取り壊されて駐車場や住宅が建てられていますが、ここはそのうち商店街だったことすらわからないように住宅地へと変貌していくんだろうな~と思ってしまいます。。

スポンサーリンク

料亭だった「割烹 飯田屋」

そんな商店街のすぐそばには、「割烹 飯田屋」という元料亭の建物が残っています。なかなか風情ある建物で、よく今まで残っていたと思うほど。中がどうなっているか気になりますが、今は空き家になっているんでしょうか??

この飯田屋は築何年の建物かは不明ですが、結構外観は綺麗でそんなに古そうには見えませんけども。。

かろうじて遺構が残るカフェー跡

船越商店街を抜けてさらに奥に進んでいきます。先ほどの地図にも書いたように、商店街と銘酒屋街の間にはカフェーが建ち並んでいたということでそこをほっつき歩くことに。

まず最初に現れたのはこちら。いろんなブログでも多分取り上げられているとは思いますが、これは銘酒屋ではなくカフェーの遺構ですね。最近までは『バー 城』というお店でしたが、オーナーが亡くなってずっと空き家のままなんだとか。

奥の部分はもう崩壊間近という感じですわ。

入り口にはバーの鑑札が!

入り口のドアには”バー”の鑑札も残っていますな。神奈川県だと横浜や川崎にまだこの鑑札が残っていることは確認していましたが、横須賀にもまだ残っていたんですね~!

外観がかなり特徴的なので、今や住宅地となっているこの辺にしては凄まじく異彩な雰囲気を放っているこの建物。

その近くにはこんな建物もありますが、ここもかつては料亭だった建物。なすの様な形をした窓が何とも言えない。。

さらに細い住宅街を奥へと進んでいくと、こちらもなかなか異才な風貌である建物が姿を現します。

今も営業を続ける「バー 一二三」

この飲み屋は、以降の記事(第三段)で訪問記を書く予定なので詳細はそちらの方で紹介はしますが、(あくまで2019年8月現在ですが)今でも営業しているお店っす。看板に書かれたハートの文字、そして色あせたピンク色がなんとも言えないレトロ感を放っておりますな~!

一二三の隣にあるこの建物は、海軍の方が下宿をしていただけでなく連れ込み旅館としても利用されていたなんてことも聞きました。

スポンサーリンク

皆ヶ作は銘酒屋街から住宅地に!

1960年頃の皆ヶ作

この『バー 一二三(ひふみ)』から先にあったのが銘酒屋ですね。参考に、1960年の住宅地図を基に作成したのが上の地図。

銘酒屋の屋号は、「春の家」「月見家」「池田家」「三州家」「東家」「千恵の家」「欣把(きんぱ)」という感じで家系ラーメンみたいに「××家」という名称が多かったようです(笑)

地図を見比べてみると、「月見家→月見家旅館」「池田家→池田家旅館」「千恵の家→千恵の家旅館」「欣把→欣把食堂」というように、銘酒屋の屋号は1960年の時も旅館や食堂などに引き継がれているようでした。

住宅地の変貌した皆ヶ作

かつては45軒の銘酒屋が建ち並び、その後は食堂や飲み屋、さらには転業旅館などが建ち並んだ皆ヶ作ですが、今では上の写真のように一戸建てが建ち並ぶ住宅地になっていました。

もう「バー 一二三(ひふみ)」から先は営業しているお店と言えばコインランドリーとピザーラくらいでしたわ。。

電柱に残る「皆ヶ作」の名称

ただ、電柱にはしっかりと「皆ヶ作」という地名は残っていますね!

周囲の塀はなかなか時代を感じる

銘酒屋の建物は周辺が塀で囲まれていたそうです。まだ当時の建物が残っていた時にその転業旅館に宿泊した方から話を聞くと(後の記事で詳しく書きます)、丸窓があったりと、やはりいかにもな建物だったそうです。

上の写真に写っている塀なんかはなかなか時代を感じるものですが、これが本当に銘酒屋だった建物の塀なのかはわかりませんけどね。。

ただし「郵便新聞受」の文字が右から書かれているので戦前に作られた塀なんじゃないかな。

こちらも時代を感じる塀があるが・・

神奈川県でいうと横浜や川崎、さらには平塚などは大きな空襲の被害を受けましたが、実は横須賀もそこまで大きな被害がなかっとはいえ、1942年4月18日にドーリットル空襲を受けており、1945年7月18日には横須賀軍港が空襲にあっています。

ただし、恐らくですが皆ヶ作は空襲の被害は受けてないと記憶しているので、古い建物は結構長く残っていたんじゃないですかね。。でも、今では銘酒屋だとわかる建物はおそらく一軒も残っていないです。。

この辺までは銘酒屋街だった

細い住宅街を抜けてさらにここから上り坂になっていきますが、だいたいこの辺まではが銘酒屋街だったって感じですね。この右側には、かつて先ほどの地図にも描かれていた「千恵の家旅館」や「欣把食堂」があったようです。

一通り銘酒屋があった場所は見回りましたが、こんな感じですかね。皆ヶ作の第一弾記事として大まかに今の様子を書いてきましたが今回は以上となります!

おわりに

次回はこちらの訪問記を!

皆ヶ作の歴史や現在の街の雰囲気は以上っすかね。横須賀製鉄所が誕生してから海軍がやってきて一気に人口が増えて賑やかになった横須賀の街。田浦にある皆ヶ作もかつては大変賑やかだったそうですが、今では全くと言っていいほどそんな雰囲気は残さずに住宅街としてひっそりとした街になっているようです。

で、私の本領発揮はここからです。現地調査の際には長く続く老舗を訪問して、地元の方から様々な貴重な情報をたっくさん取材させて位だたいました(*’▽’)

ということで、次は船越で65年近く営業を続けている”おかね”というお店の訪問記を書いてきます!知られざる船越・皆ヶ作の歴史は次の記事にて!!

↓皆ヶ作の続編はこちらですm(_ _)m

参考文献

↓よければクリックをお願いします

詳細・地図

住所 神奈川県横須賀市船越町6丁目
アクセス 京急田浦駅から徒歩10分ほど

知の冒険TOPへ

↓↓twitterもよろしくです
※ほぼ毎日つぶやき中
こちらの記事もどうぞ!
この記事も読まれてます!
関連コンテンツ
関連コンテンツ



  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です