【続編】軍港の街である横須賀の裏歴史が眠る「柏木田遊郭」の歴史を掘り起こしてみた!

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山口瞳の小説『血族』の舞台だった!

▲柏木田遊郭のことが書かれた小説『血族』
山口瞳は小説家なのですが、彼の作品である『血族』の舞台は柏木田遊郭でした。この小説は彼の親や親戚の話から始まり、彼の母親の家系が実は大瀧遊郭時代から貸座敷(遊郭)を経営していた一家であったということなのです。
言葉遣いや周囲の目に気をかける性格だった母親は、遊郭に関する話を息子には一切話すことはなく、後に母親の家計が遊郭を経営していたと知った瞳は、横須賀の地でその背景を探りに出るという話。
しかし、遊郭を経営していたというのは当事者にとっては恥の歴史でもあるようで、その過去を余計に他人にしゃべったりはしないんですね。それは息子であったとしても。私も色々な遊郭跡を調べているうちにそんな声は聞いていましたが。。遊郭を経営している時には、子供を他所へ預けたり、子供は家が女郎屋ということで周囲からイジメられたり。
最近では、大阪の貝塚遊郭跡でたまたま話を聞かせていただけた女性の方からは「縁談の際には実家が女郎屋ということは相当マイナスになる」ということも聞いたりしました。
ちなみに、小説を読んでて気づいたのですが山口瞳って男性だったんですね。。読むまでは女性だと思っていました(⌒-⌒; )
小説内には、『横須賀警察署史』による引用によって柏木田遊郭に関しての詳細もいくらか書かれています。実は横須賀の色街を調べるにあたり、私もこの文献を参考にしているのですが、柏木田に関してはこの資料以外に詳しく書かれたものはそうないんじゃないかと思っています。

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柏木田遊郭跡を再度訪問!

上記では柏木田遊郭の歴史をひたすら書きまくってきましたが、ここからは遊郭跡の訪問記も交えて説明していきたいと思います!
ただし、もう当時の名残は無いに等しいので、遊郭時代の事も説明しつつ以下で説明していきたいと思います!

大門、桜の木、柳の木などがあった!

まずは遊廓以外の配置からいきましょう!遊郭を除くと、柏木田遊郭の内部はこんな感じになっていました。遊郭には、入り口に大門があったり柳の木(見返り柳といわれる柳の木も)があることが多かったりしますが、柏木田遊郭も例には漏れずそうだったようです。
▲桜の木が植えられていた大通り
まず、入り口には大門があったとのこと。入り口を入って右側には監視のための交番があり、その隣には、山口瞳のお母さんがいた遊郭である藤松楼がありました。大門があるメイン通りは今でもわかるようにとても幅が広い通りであり、道の中央には桜の木が植えられていました。
▲この場所には、かつて巨大な柳の木があった
続いては柳の木について。大通りの奥には「柳田写真館」という写真屋さんがありました。というか今でもあります。この写真屋さんは今年で創業100周年を迎える写真屋さんということで、大正時代から営業しているんですね。この写真屋さんは、昔は海軍などの兵隊さんの写真をよく撮っていたとのこと。
そして、この写真屋さんの隣には超でっかい樹齢100年近くになる柳の木が立っていたそうです。『血族』を読んだだけだと正確な位置が分からなかったのですが、柳田写真館の方に聞いたところ上の写真の写真館の隣にあったという。ただ、柳はカミナリにうたれ枯れてしまったことから、もう切られて無くなったという。
柳田写真館の方に遊郭だった頃の時代のことを少し聞いてみたのですが、当時のことはほとんどわからないとのこと。というか、ここに住んでいる方は遊廓の時代の事に関してはほとんど話したがらないという。女郎さんの扱いがひどく、亡くなったら楼主が遺体を捨てに行ったりというよろしくない話も出回っているようで。。

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遊郭エリア内にある「穴守稲荷神社」

▲柏木田遊郭エリアにある穴守稲荷神社
遊郭エリアの端っこには町内会館の隣に穴守稲荷神社があります。この神社に関しては私が調べた限りどの資料にも記載されていなかったので、詳しい詳細は不明。。ただし、「穴守」というと穴とは多分あの穴でしょう。。
神社の隣には柏木田町内会の建物があります。柏木田という地名は、いわゆる遊郭のあった場所ということで地名としては消滅したものの、町内会の名前には残っているようです。ちなみに、今のここの住所は「横須賀市上町三丁目」です!
町内会館は、昔の地図を見る限り、おそらく神社の社務所だったと思います。
穴守稲荷神社には鳥居が連続で連なっておりますわ!!鳥居をくぐってくぐってくぐって・・くぐって奥にある祠(ほこら)の前で一礼。この神社には祠しか目立ったものが見当たらないため、そんなに名残はないかとキョロキョロしていると、幾らかばかりの名残はありました。
こちらの手水舎。祠の隣にあり、なかなかの年季を感じるので裏側を覗いてみると・・
おっと、遊廓の名前が刻まれていますね!大正五年に「大美楼」が寄贈したもののようです。神社で遊郭の名前が彫られているの久々に見たな。。
さらに奥の方では、崩壊した鳥居がそのまま横たわっておりました。何ですかね、関東大震災とかで鳥居倒れちゃったとかでしょうか??今現在建っている鳥居は平成7年に建てられたものなんだとか。でも、この神社に関しては本当にそのくらい。女郎さんは日々、この神社に祈りを捧げていたんだろうか。。

柏木田遊郭の配置図を見ながらの散策

先ほどの地図に加えて今度は遊郭を加えてみました。これは、『血族』を読んだことと、昔の地図、さらには周辺のお店の聞き込みを参考にして作ったものです。遊郭自体は17軒だったようなので、配置はこんな感じなのではと考えています。
上の図の上側(寿楼~藤松楼)、さらには永盛楼~朝日楼、そして角海老楼までもたぶん図の通りだと思います。ただ、その他の蓬莱楼を含む三軒はちょっと不明です。。あくまで予想図。。ちなみに、角海老楼は吉原遊郭の花魁が妾になってこっちへ来て名前を借りて建てた遊郭なんですってね。
▲今現在も吉原にある「角えび本店」
角海老というと吉原に今でもソー〇ランドの角えび本店がある老舗。関東に数店ある日本で一番成功しているソー〇ランドの系列と言っても過言ではないでしょう。まさかこの角海老が横須賀にも関りがあったとは。
▲かつて大門があった柏木田遊郭の入り口
まずは、入り口。大通りの端のここが柏木田遊郭の入り口であり、大門が建っていたそうです。大門をくぐってすぐ右手には交番がありました。この遊郭では、海軍や陸軍がよく訪れていたようで、彼らが喧嘩したりと騒ぎが多かったこともあり防犯のため置かれたとか。
確かにこの遊郭、年表を見てみるとたびたび海軍が乱闘騒ぎを起こしており、特に1909年5月27日には柏木田遊郭内で2,000人近くの水兵が大乱闘したということもあったようです。2,000人の乱闘ってカオスすぎでしょ・・(^-^;
そして、入り口右手のこの場所(交番だった場所の隣)が、山口瞳のお母さんの羽仏家が経営していた遊郭である藤松楼があった場所でした。小説の中では、山口瞳が「ここが母親が生活していた場所だったのか」みたいな感じで物思いにふける場面がありますが、しれがここなんですね。
大門を入って少し進んだ左側には大きな駐車場が。ここには、かつて金村楼という遊郭がありました。売春防止法が施行された後(1958年4月~)は、「カフェークローバークラブ→クラブクローバー→トルコ風呂クローバー会館→トルコ上町」という感じで、飲み屋やトルコ風呂を経て今では駐車場に・・。
いろいろうろつくものの、大通り付近には当時の遊郭だった名残は残っていません。ここに多くの海軍や陸軍の方々が訪れて賑わっていたとはとても考えられないほど、今では閑静な住宅街となっています。
遊郭がなくなった後は、トルコ風呂、カフェー、ラブホテル、旅館、スーパー、たばこ屋、八百屋などがあったようですが、その他に家屋など、この通りにはびっしり建物は建っていたようです。しかし、今現在は駐車場が多く建物が少ないのは、遊郭だった背景が関係していたりするのでしょうか。。
特に見ごたえある建物が残っているわけではないので、遊郭跡地の調査はこのくらいにしますか。。続いてはこの場所の近くにある、「妙栄寺」にも伺った様子も載せておきます。

藤松楼の菩提寺である「妙栄寺」

柏木田遊郭跡の近くには、藤松楼を経営していた羽仏家の菩提寺である「妙栄寺」があります。いわゆる、山口瞳の母方の菩提寺でしょうか。ただし、山口瞳自身のお墓はここではなく浦賀の顕正寺というお寺にあるそうです。
ちなみに、この妙栄寺というお寺。定期的に色々イベントをやっていたり、アメブロは毎日更新もしているようで、お寺の中でも結構発信力があるお寺なのではないかと( ´ ▽ ` )ノ
↓妙栄寺のブログ
この墓地内にある羽仏家のお墓。他のお墓とは異なり、数段の石段にかこまれたお墓です。この墓の隣には、岡泉楼と思われるお墓があります。岡泉楼は藤松楼と場所が隣同士で庭続だったようなので、血縁関係はなかったようですがその辺の何かの縁でお墓もとなり同士なのでしょうか。。
もしかしたらこれ以外にも柏木田遊郭に関わった方のお墓があるかもしれないですが、そこまでは探すことはなくお寺を後にしました。せっかくなのでお寺の方にも話を聞ければ聞きたかったのですが、ちょっと時間を押していたので聞けなかったのが後悔(⌒-⌒; )

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おわりに

こんな感じですかね。前身の大瀧遊廓を含め柏木田遊郭に関してはもうこれくらいが限界だと思いました。資料自体はたくさんあるのでまだまだ放出していない内容はたくさんあるっちゃあるのですが、その辺は興味のある人は自分で調べてみていただければと思います!!
安浦銘酒屋街に関しても調べきった感はあるので、あと横須賀に関しては皆ヶ作銘酒屋街の調査ですかね。ここも、4回ほど訪問しているのですがそんなに現地情報が集まっていないので、もう少しここは時間がかかるかもです( ;∀;)

参考文献

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