かつて神奈川県川崎市にあった「川崎遊郭」の歴史を掘り下げてみた!

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戦前の南町の妓楼

今回は川崎遊郭に関して調査した際に、川崎遊郭にあった妓楼の写真を入手できたので掲載していきたいと思います。大正から昭和にかけての時代には、当時の地図を見る限りは妓楼は19あったようです。そのうちの9の妓楼+貸座敷組合事務所に関しての写真があるので各々掲載いたしましたよ!
ちなみにですが、ネット上に掲載する旨は提供者から許可をいただきました。
▪︎新相模楼
▪︎新三浦屋
この新三浦や以外に、三浦屋という妓楼もありました。今現在も、南町には角海老グループの三浦屋があるのですが、これはたまたま??
▪︎清勝楼

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▪︎三好楼
▪︎一力楼
▪︎貸座敷組合事務所
▪︎新高塚楼
▪︎荒井屋(隣の屋根は玉木屋)
▪︎森谷楼
▪︎三日月楼
とまぁこんな感じで9の妓楼と貸座敷組合事務所を、ただひたすら紹介しました。実際に見たらかなりの貫禄があったのでしょうけども、まぁ写真で我慢っすね!!提供してくれたお父さん、ありがとうございました!

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現在の地図と比較する

▲川崎遊郭時代のメイン通りだった場所
関東大震災頃の地図でいうと大門通りはこの辺りになると思われます。ただ、この辺りの場所は戦後に空襲があったようなので区画は割と変わっているためここがメイン通りだったかは定かではないですが。ただ、交通量が少ない割に通りがやたら広いように感じるのですが気のせいですかね??
そう考えると、大門があったのはこの辺り。あっているかは不明。。
※「今昔マップ on the web」を元に作成
関東大震災辺りの頃の地図で比較すると、この場所が遊郭があった場所です。この地図では通りが広く、遊郭だった場所であることは間違いないようです。
現在の地図でいうとこの辺りになるかと思います。先ほどの写真を撮った場所はここ。この通りには現在はスナック風のちょんの間が数件あるだけで、今現在は閑静な住宅街になっています。

戦前頃から最近までの南町

南町に関しては、詳しい情報は先ほどの地図しかないため、戦前頃から最近までの南町に関する資料は私は入手できませんでした。ただ、資料を提供していただいた方からは幾つかの情報を得ることができました。
まず、戦時中の頃には遊郭は一時無くなったそうです。詳しい経緯は不明ですが、戦時中に工場の方で人手が不足し、日本鋼管の宿舎が遊郭があった場所に建ったとのこと。しかし、その後は空襲によってこの街が焼けてしまい、宿舎は消失。
その後はこの辺りにソープランドなどのお店が建つようになったものの、今現在は南町の北側にお店が密集する形になり、遊郭街の南側にはスナック形式のちょんの間が出現するようになっています。元々青線であった堀之内には、富士紡績の工場跡地に競馬場ができたことから、競馬で勝った方のお金が堀之内に流れているようです。一方、南町には東芝の工場が近くにあったことから東芝の社員の方が利用していたという。
東芝は、当時は3交代制「朝番、昼番、夜番」であり夜勤明けに夜遊びをする人もいたことから、今現在もちょんの間は朝まで営業する形式となっているのです。給料日後には、当時は振り込みではなく手渡しだったため、袋に現金の束を詰めて遊びに来ていたそうです。時代を感じますな!!

現在の川崎の風俗街!

川崎には現在は南町と堀之内の2つの風俗街があります。今では堀之内の方が店舗も多く名は知られていますが、堀之内は元遊郭の場所ではなく非合法の青線地帯から歴史が始まります。元々遊郭街だったのは南町になるわけです。
ちなみに、南町は堀之内に比べて値段が高かったそうです。これは横須賀の風俗でもそうですが、赤線(遊郭跡)の方が青線に比べて値段が高いということです。そのため、ソープ店でも南町のお店の方が堀之内のお店に比べて1部屋の大きさが広いんですって!

「泡踊り発祥」の堀之内

技の堀之内といわれたこの場所には、今の多くのソープランドが立ち並びます。
堀之内には、東日本で唯一生き残っているちょんの間地帯もあります。今現在でも警察のガサ入れなどがあり、どんどん店舗は減少。最近までは年齢層高めの日本人のお店と、年齢層が若めの韓国人 or 中国人系の店がありましたが、今現在はほんの数軒のみで年齢層高めの日本人のお店のみになってしまった模様。。このちょんの間地帯が壊滅するのもそう遠くはないような気がする。。

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元々赤線地帯だった南町

南町は数軒のソープ店と2Fで遊ぶ形式の居酒屋が残っているのみ。現在はマンションなどの住宅や、格安ホテルが多く目立つようになっています。
居酒屋形式のちょんの間はほんの数店舗のみ。しかし、呼び込みのおばちゃんがいて夜になって街を歩いていると声をかけられる。実際に2Fにいる女性はどんな感じの女性なのかは不明ですが、若い女性はそうそういないと感じ取れます。これらの居酒屋も、お客さんも少ないようで、もう長くはないように思うのですが今後どうなっていくのでしょうね。。。
2つの街の風俗の現状に関しては、以前に詳しくまとめた記事がありますので、見ていただければと思います!

おわりに

今回は、川崎の遊廓に関して焦点を当てた記事になりましたが、色々川崎の歴史を勉強していると工場の街として発展した経緯や、川崎大師に関してなどその他にもいろいろな歴史が掘り出されてくるものですな。
ということで、川崎の歴史に関しても勉強してまとめていきたいと思います!まだまだ、知の冒険は終わりそうにありませんな~。。

参考文献

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詳細・地図

住所 神奈川県川崎市川崎区南町
リンク https://ja.wikipedia.org/wiki/南町_(川崎市)
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