日本にもシルクロードがあった!開港を機に作られた絹運搬の裏ルート「絹の道」を徹底調査!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)

スポンサーリンク

町田は絹の道によって栄えた

東京の南側にある町田。JR横浜線や小田急線が通るこの駅は、周辺では結構賑わっている駅になっているわけですが、町田という場所は今回の記事のネタである「絹の道」が関係しているのです。
※「今昔マップ on the web」を元に作成
町田は地図で見るとわかるのですが、八王子と横浜の中間地点に位置しています。厳密に言うと少し八王子寄りに見えますけどね(⌒-⌒; )
そんでもって、絹の道の中間地点に位置しているということでここに東海道でいう宿場町のような場所になり、多くの人が集まるようになったわけです。
※「今昔マップ on the web」を元に作成
こちらは1900年頃の町田駅周辺。かつては原町田という地名であり、横浜鉄道(現JR横浜線)の駅名もこの時は原町田駅となっています。ここの商店街(原町田商店街)は絹が大量に運ばれる前から出来ていました。
元々は「二・六の市」という市が町田には根付いており、すでに商店街の基礎は出来上がっていたそうです。ただ、その後に開港して八王子の方から鑓水の商人たちが大量の生糸を運ぶようになると、その中継地点として市が大きくなっていきました。
▲町田駅に残る「絹の道の碑」
そして、ここ町田が絹の道として栄えたことを示す碑が今も建っています。小田急線の町田駅北側にある商店街沿いの場所です。
原町田商店街は、今でも多くのお店で賑わっていますがこの街が八王子からの生糸によって栄えたということはそんなには知られていないんじゃないですかね!!町田駅は絹の道の中継地点で栄えた後、小田急線が通り北口は大変栄えるようになりました。
▲北口とは異なり、ラブホが立ち並ぶ南口
一方南口は、ホテル街が出現し「田んぼ」といわれる売春店が並ぶようになるというように、北と南で大きく景色が異なる駅に変化していきます。町田周辺の歴史に関しても、今度記事にまとめてみたいっす!!

スポンサーリンク

横浜には「絹の博物館」がある

シルクロードの終着点である横浜には「絹の博物館」があります。何か外から見ると博物館には見えませんがね。。
この絹の博物館では、絹の道に関することなどの歴史というよりかは生糸で作られる製品に関することや機織りに関することを主に展示してある博物館でした。私がこの博物館を訪れたのは1年以上前であり、当時は「何で横浜に絹の博物館があるんだ?」と思っていましたが、今回の記事で書いたように横浜港から大量の絹が輸出されていった背景があるのですね!!

おわりに

今回は生糸に関するお話でした。八王子から横浜まで続いた絹の道は、開国後の日本に大きな影響を及ぼしたのです。今回のメインは「絹の道」でしたがちょっとそこから派生させるときりがないのですが、それだけ絹というのは話のネタが豊富なわけです。
今もそうですが、歴史を紐解いていくとわかるように街の栄枯盛衰は物流が大きなカギを握っているわけです。そして、絹の道は八王子から横浜を結び町田も栄えるという結果をもたらしたわけですが、実は絹は今回紹介した道だけで運ばれたわけではありませんでした。
色々な人が色々な方法を使って別の方法で運んでいたりするわけですよ!例えば相模川を使ったりとか( ;∀;)
ということで、絹に関しては今回だけで終わりではなく、まだまだ続編の記事を今後化効果と思いますよ~!!

参考文献

↓よければクリックをお願いします

スポンサーリンク

詳細・地図

住所 東京都八王子市鑓水
アクセス 布施駅から徒歩2分くらい
駐車場 なし
リンク http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/003/005/p015671.html
↓↓twitterもよろしくです
※ほぼ毎日つぶやき中
こちらの記事もどうぞ!
この記事も読まれてます!
関連コンテンツ
関連コンテンツ



  • このエントリーをはてなブックマークに追加