【超貴重】昭和レトロ満載の元遊廓建築「旧川本家」は、遊び心が詰まった大正建築物だった!!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)
さてさて、ページが変わりましたがまだまだ旧川本家の紹介は続きます!前ページでは2Fまでを紹介したので、続いて3Fの内部を紹介したいと思います~(*’▽’)

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旧川本家の内部を詳細に紹介(3F)

廊下を進んでいきます!
▲防犯用のために作られた「かまぼこ窓」
部屋の上部がかまぼこ状にくり抜かれていますが、これは「かまぼこ窓」と言われる窓だとのこと!
このかまぼこ窓は、防犯用の窓なんだそうです。客の中には悪さをする奴もいたので、何かあった時に女性が叫んで外に知らせる用の窓だったとのこと。ただ、逆を言えば中の声が丸聞こえだったわけですが、その辺はだいぶ大らかな時代だったのですね(⌒-⌒; )
3Fの部屋は大きさなど特に2Fと変わりはないです!強いて言うなら、窓に木の線が入ってないため(3Fは外から覗かれにくいため、下の階よりも格子の数を減らしている)、明るいっす!!
こちらは、先ほど少し出てきましたが富裕層の方が宴会をする部屋でした。といってもそんなに馬鹿デカイ部屋というわけではないんですがね。富裕層と言ってもどんくらいの金持ちがここでバカ騒ぎをしてたんでしょう??
ちなみに、2Fと3Fをつなぐ中央の階段は通行禁止になっています!
というのも、この旧川本家ではリニューアルオープン前に試験的にお客さんを呼んで試し打ちをしたんだそうです。その際にお客さんの一人がここの階段を踏み外して転落して救急車を呼ぶ羽目に。。結局18針を縫う大怪我になってしまったため、通行禁止になったそうです。

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遊郭廃止後は下宿先として使われた!

改めてですが、この川本楼は遊郭が廃止した後は、下宿先として使われていました。そのため、女性が住んでいた&男女のアレの部屋は各々下宿に来ていた方が住んでいたようです。
ちょっと部屋としては狭いですが、机と棚と布団が敷けるくらいのスペースがあるのでなんとかはなったでしょうな!んで、今現在でもすべての部屋ではないですが、当時下宿していた状態を極力保存していて、その痕跡が残っている部屋があったりするのです!
こんな感じで!何でかわかりませんが、ここに泊まっていた方は入り口のドアに新聞紙を貼っていたようなんですね!
そんなにゆっくりしている時間は無かったのでさらっと確認してみましたが、「零戦」の文字が書かれていたり!!
こちらは、テレビ欄ですね!上部に日付が書いており「1970年4月19日」と書かれているので、今から50年近くも前の番組表になるわけです!さすがにこの当時から今現在まで続いている番組はないですよね!
徹子の部屋ですら、1976年2月2日ですし。と思って調べてみたら、意外にありました(笑)
1970年以前から続くテレビ番組

・大相撲中継(NHK):1953年4月~
・ワールドプロレスリング(テレ朝):1969年7月~
・笑点(日テレ):1966年5月~
・みんなのうた(NHK):1961年4月~
↑いくつか抜粋しただけなので、この他にもたくさんあると思います。50年以上も前から続いているなんてすごい!本当に歴史の凄さを感じます。
後、この人の顔写真がたくさん貼ってあったんですが、こちらはどなたさんでしょうか??アメリカの女優さんとかかしら??
こんな落書きも残っていますが、これも当時の様子のリアルを伝えるためにあえて残しているという。ここに下宿していた方は日蓮宗のお方だったのかしら??
▲下宿時に備えられた電気メーター跡
こちらは各部屋の入り口の窓の上に張り付いている木の板です!何かの跡がついていますがこれ何だかわかります??
何かというと、「電気メーター」の跡なんですね!各部屋が下宿先の部屋ということで、部屋ごとにメーターをつけて電気料金を計算していたようですよ!
こちらは、電気のスイッチ。時代を感じますな~~。
今現在も7軒の建物が残っているようですが、多くが空き家なんだそうです。大和郡山市も買い取るか考えたそうですが、保存の価値なしということでもう取り壊す予定だとのこと。

旧川本家の内部を詳細に紹介(再度1F)

ではでは、3Fから1Fへと戻って今度は受付の奥の部屋を紹介しましょう!!今までは、遊郭として使われていた部分を紹介しましたが、この旧川本家は遊郭として営業していた部分だけでなく、その奥にはオーナーの住処もくっついていたんですね!!
ということで、その辺を紹介していきます!ちなみに、降りてきた階段の脇に彫られているのは、松の形を想定したものなんだそうですって!

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お風呂が広すぎた・・!?

1Fの奥に進むと早速現れるのがお風呂。ここはお客さんは使ったわけでなく、ここに住んでいたオーナーと女郎さんが使っていたようです。ただし、このお風呂は部屋が広すぎてなかなかお湯が温まりにくいという欠点があったとのこと。。
特に湯舟とかが残っているというわけではなく、洗面器に大和郡山名物の金魚ちゃん達が泳いでいるだけという感じです(*’▽’)
ただ、唯一の見所と言えば天井!何か模様が描かれていますが、これは川本家の家紋なんだそうです。三菱の家紋みたいっすな(`・ω・´)

トイレにだって見所があるのだ!

 
続いてはトイレっす!ただここのトイレは、ただ用を足すだけではなくて見所がたくさんあるんですよ!これ、右側には3つの扉があり、そのドアには松・竹・梅も模様が彫られているんです。
これ、スタッフの方が想像するには以下のような感じで使われていたのではないかということなのです。
トイレの用途(推測)

・松
 → 3Fのお客さん(富裕層の方が使う用)のトイレ
・竹
 → 2Fのお客さん(庶民の方が使う用)のトイレ
・梅
 → 従業員用のトイレ
さて、実際はどうだったんでしょうね??
トイレの入り口にはこの様な鍵がついています。ただ、これだったら入り口から鍵が開けてしまうではないかと思うのですが・・
実は中には、もう一つ鍵がついているのでこれらをかけると中から開けることはできないんですね!!
▲遊郭時代は床が水槽になっていた!
さらには、トイレの床。今現在はただの床になっていますが、何と遊郭時代の時はここはガラス張りになっていて、その下が水槽になっていて金魚が泳いでいたというのです!!
どんだけやねんな!!ただ、さすがにそこまで改装費をかけられなかったようなので水槽までを再現することはできなかったという。すげぇな~~

遊び心が詰まった遊廓建築

▲今は作ることができない「大正ガラス」
そして、大正時代の建物といえば様々な箇所に遊び心が詰まっているというのは、以前に同じ奈良県の元遊郭旅館である静観荘の記事でも紹介しました。戦後に出来た建築基準法によって今の建物は建てられていますが、戦前はそのような法律がなかったため、ある程度自由に建物を作ることが出来たようなんですね!!
↓↓静観荘の記事はこちらです
まずはこちらの窓ガラス!建築関係に詳しい方は見ただけでわかるかもしれませんが、これは「大正ガラス」といって、少し波打って外の景色が見えるようにできています。そして、今現在はこのガラスを再現することができないのです。
もう、今の大正時代の建築に使われている分しか現存していないんですね。しかと、目に焼き付けとかなくては!!
そして、1Fの中心部には庭が!井戸もあり、これは今現在でも汲み取ることができるそうです。
そして、この庭の天井には屋根がないんですね!こりゃぶったまげた( ;∀;)
ここ大和郡山市は、冬になると雪が降ることが結構あるんですね!ボーっと庭を眺めながら雪がさんさんと降る様なんて何とも日本らしい風情ある雰囲気じゃないっすか~!!
あと、細かいところを見ると本当に色々な工夫というか遊び心が詰まっています!こんな感じで竹を使う所が粋ですね。
1Fはとにかくいろいろな箇所で模様が異なるんです。
4箇所全て模様が異なってますね!
これなんか、襖の中にそろばんみたいな模様を描いていますね!
こちらは主人の部屋の床にあるヒノキの板。ただこの板はただの板ではないのです。
この建物は大変珍しいということもあって、建築関係者の方が内装を見に来ることがあるそうです。そして、彼らが言うにはこのヒノキの1枚板は大変貴重なものだという。板の値段は幅で決まるそうですが、ここまで大きな板はそうそうないということなのでかなり貴重なものなんだそうですって。
という感じで、ひたすら旧川本家の内部を紹介してきましたが、まだまだここに書いていない内容もあるので、ぜひぜひ旧川本家に行って珍しい3階建ての遊廓建築を堪能してみてはいかがでしょうか??

旧川本家があった洞泉寺遊郭とは!?

最後に、この旧川本家があった洞泉寺遊郭について解説して終わろうかと思います。
奈良県には、公認遊郭街が4箇所ありました。その遊郭は「木辻遊郭」「元林院遊郭」「東岡遊郭」「洞泉寺遊郭」です。大和郡山の街自体は、1585年に豊臣秀長が来てから誕生したそうで、ここの遊郭が始まったのが幕末の1860年頃でした。
始まった当時は7軒ほどの遊郭がありましたが、明治・大正になるとどんどん軒数は増えていき、昭和の初めには18軒で女郎さんが200人ほどいたそうです。特に栄えたのは、大正10年に近鉄郡山駅が開通したという交通の便が増えた時で、大阪からのお客さんが多かったようで、大和郡山駅で多くのお客さんが降りてしまっていたそうですよ。
なので、今現在私が知る限り遊郭の詳しい配置図などはわかりませんが、遊郭エリアはこんな感じだったようです。この一角では街をグルグル周って男性たちがどこの遊郭に入るかを選べられるようになっています。
▲女郎さんが入浴しに来た「大門湯」
入り口は2箇所で、共に検番が置かれていました。ただし、女郎さんたちはここから一切出られなかったというわけではなく、風呂に入るときはこの近くにある大門湯(今も営業中)に入浴しに行ったりしていたそうです。
ちなみに、旧川本家がある遊郭の名前にもなっている洞泉寺というお寺は、遊郭エリアの角に位置しています。ここの洞泉寺の隣には源九郎稲荷神社もあるのですが、お寺と神社が隣り合っているのは1868年の神仏分離令によって仏教と神道が分けられてしまったことに起因しています。
ここの源九郎稲荷には、女郎さんもお参りに来ていたと思いますよ。ここの女郎さんはどこからやってきたかは不明ですが、同じ奈良県にあった木辻遊郭では九州からの女郎さんが多かったと聞いたことがありますが、どうだったんでしょうね??

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おわりに

はい、以上です。まぁまた記事が長くなってしまいましたがいっつも自分が得たことを是4ん部伝えないと気が済まない性格でして( ;∀;)
大和郡山市ってそんなに目立った観光地ではないものの、歴史を学べたり風情があったりと実は面白いスポットがたくさんあるんですよ!そんなに人も多くないので、関西旅行の際にはぜひ訪れてみてはいかがでしょうか??

参考文献

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詳細・地図

住所 奈良県大和郡山市洞泉寺町10
営業時間 9:00~17:00
(入館は16:30まで)
定休日 月曜日(祝日の場合は開館し、翌平日が休館)・祝日の翌日・年末年始
入館料 無料
駐車場 なし
電話番号 0743-52-8008
アクセス 近鉄橿原線 近鉄郡山駅から徒歩約8分
JR大和路線 郡山駅から徒歩約8分
リンク https://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/kankou/kanko/info/004886.html
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