【川崎の伝説】堀之内を中心に男娼として生き抜いた「みどりさん」の生き様とは!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)

スポンサーリンク

再び川崎堀之内を主戦場に

再び堀之内に舞い戻る・・

条例から逃げるようにさすらいの人生を送っていたみどりさんですが、時が経つと彼女はまた川崎の堀之内に戻ってくることになります。みどりさんが立っていたころ、日本は高度経済成長期で堀之内もそれはたいそう賑やかだったころ。

川崎に戻ってきたみどりさんは、五反田に住み車を持ったことで、車の流しをしていたそうです。流しとは「車に乗りながら待ちゆく人に声をかけ、車に乗せてちょっとドライブした後ホテルに行く」って感じのやつ。

ただ、この流しは地元のおかまに見つかってしまい頓挫することに。立ちんぼの世界は、自分勝手に客を獲得して商売するのはダメで、場所ごとに色々ルールがあるらしい。

「私と一緒に立ちんぼしていた人たちは皆んな大井町に住んでたのよ。私は五反田だったけどね。皆で朝まで花札やったりしてたわ。あと、おかまってのはぐうたらが多いのよ。雨降ったら休むし、眠かったら休み、でも私は休まずに稼いできたの。でもね、その金どこいっちゃったのかしらって今は思ってるけどね(笑)」

1970年の堀之内

1970年ころの堀之内は、23軒ほどのトルコ風呂、ちょんの間(堀之内ではちょんの間のことを「ザブトン」とよく言うらしい・・)、そして二軒の見番があり見番の周囲には芸者が派遣された割烹料理屋も多く、花街の雰囲気をも残した街だったようです。

中でも、「割烹 大沼」は今回話を聞いたママさんもみどりさんもよく覚えているお店であり、この辺では結構大きな料亭だったとか。

トルコ風呂の周囲には実に多くの旅館やホテルがあったようですが、これらは世間一般の旅館ではなく連れ込み旅館が多かったとのこと。ちなみに、みどりさんはよく「旅館 花月」を利用していたそうですww

1985年ころの堀之内

堀之内はバブル期を迎えると上の地図のようになっていきます。この地図は1985年の頃の堀之内。1970年に比べると、連れ込み旅館が減ってその代わりにお風呂屋がものすごい数になっています。このころは、60軒近くものお風呂屋があったようですね。

この頃はみどりさんの客もたくさんいて、今回その辺を詳しくは聞けませんでしたがまぁ色々なトラブルとかはあったんでしょうね~。

で、これは男娼界ではよく聞く話で、お客さんは酔ってるし、みどりさんを男性と思わず女性と勘違いして立ちんぼを買い、部屋に入った後に男性だと気づいてがっくりした男性も多かったという。

人当たりがいい現役男娼

みどりさんは結構よく喋る(笑)

取材しているこっちからするといろいろ話してくれるのはありがたいんですが、今まで見てきた立ちんぼの人たちにはない、本当にほんわかした人当たりのいい性格でした。

今まで数々の立ちんぼの女性や男性を取材してきましたが、この人種は結構サバサバしてるし、自分のことを話したがる人は少ない印象です。まぁそれはみどりさんの年齢的なものもあるでしょうし、そもそも法的にはアウトな商売なわけですからそりゃ気は張りますよね。

だいたいは話を引き出そうとすると立ちんぼの人(というか夜の世界の人)は警戒しますからね。「私が警察官なんじゃないか??」とかとか。。

実際、私が今も定期的に取材させていただいている某所で立ちんぼをしている女性なんかは、ショバ代を徴収しにくるヤーさん、パトロールしている警察、さらには周囲で立ちんぼをしている女性との縄張り争い、あとはお客もマナーが悪いし、間に誰も入ってくれないのでいろいろなトラブルが今まで起きていたという。

それだけ、周辺が敵だらけの状態で立ちんぼをしているわけですが、みどりさんはそんな苦労は無かったのだろうか。。

みどりさんがお店を出した南町

みどりさんは立ちんぼをしていながらも、一時お店を持ったこともあったそうです。そのお店は、川崎遊郭があった南町の方に構えた「クレイジーハウス」というなかなかファンキーな名前の飲み屋(というかゲイバー??)。

でも、飲み屋での経験がなくお酒をテキパキ作れるわけでもなかったことで、一ヶ月ほどでお店は潰してしまったらしい(⌒-⌒; )

みどりさん、やはりここでも続かない。。でも、それでも呑気に生き続けられるのがみどりさんなのです。

そんな彼女が一緒に仕事をしていたおかまの中には、川崎や横浜では有名だった元次郎さんもいたんですね。。

白塗りの娼婦「メリーさん」

いきなりなんでメリーさんの話が出てくるのか疑問に思うかもしれませんが、メリーさんとみどりさんは間接的に関係している人物がおりまして。。

皆さんは、かつて横浜関内の歓楽街で白塗りの娼婦「メリーさん」がいたことをご存知でしょうか?

戦後、中国地方の故郷から港町横浜へにやってきた彼女は、戦後、パンパンとして横浜や横須賀でたちんぼをするようになり、顔を真っ白に塗り派手なドレス姿で街にいることからメリーさんと呼ばれるようになった女性

戦後から1996年頃まで横浜方面におり、派手な見た目や自分のことを一切語らないことで多くの謎が残っている女性。雑誌などのメディアや舞台でも取り上げられるようになり、一番有名になったのは映画『ヨコハマメリー』でしょうね。

メリーさんが野宿していたGMビル

なぜこの記事でメリーさんの話を取り上げたのかというと、他人に自身のことを一切語らなかった彼女であるものの、唯一心を許した人物が永登元次郎(ながと・がんじろう)という人物だったのです。

この元次郎さんは、映画『ヨコハマメリー』でも出てきますが川崎の堀之内で以前は男娼として働いていた過去があったのです。

メリーさんが心を許した元次郎さん

映画「ヨコハマメリー」のポスター

メリーさんのことは、映画『ヨコハマメリー』を見て知った私。この映画では、元次郎さんがシャンソン歌手として横浜を中心に活動をしていた方であるものの、実は男性である彼は同性愛者であり、川崎堀之内で男娼をしていたという背景を持っていて、その辺も映画で知ったんですね。

その背景を知っていたため、みどりさんも同じく男娼として川崎堀之内にいたということで、知っているかと思い元次郎さんのことを聞いてみたわけです!

私「みどりさん、元次郎さんってご存知ですか?以前、『ヨコハマメリー』という映画で知ったんですが。。」

みどりさん「あ〜元次郎さんね。知ってるわよ。私一緒にここで働いてたのよ。元次郎さんはね、『かっぱ』っていうおかま専用の旅館をもってたのよ。ここでは”ゆりこ”っていう名前で活動していたの。だから、私は”ゆりちゃん”って呼んでたわね~。」

知っているかを聞いたところ、やっぱり知っていたんですね。それどころか、元次郎さんと一緒にたちんぼをしていたようです。

「かっぱ」の場所には別の建物が・・

元次郎さんは、「かっぱ」というおかまだけが入れる旅館を運営していたとのこと。といっても、ただこの旅館は元次郎さんが始めたわけでなく先代の”きぬちゃん”というおかまから30万円くらい(当時の額)で買い取ったのだという。

旅館といっても、連れ込み旅館とは違い一人で行って中で知り合って行為を及ぶという形式。そのかっぱを売った後に、横浜へ移ってシャンソン歌手をしていたという。

元次郎さんとの思い出を語るみどりさん

みどりさんは、メリーさんの映画も見に行ったそうです。

元次郎さんは神戸の出身で、もともとは東京駅の近くで床屋をしていたとか。堀之内の前はお隣の八丁畷でたちんぼをしていたそうですが、北海道から来た先輩に誘われて堀之内に移ったとのこと。

元次郎さんは2004年3月12日に亡くなってしまったそうですが、もし生きていたらいろいろ話聞いてみたかったな〜。。

晩年にはハワイにも定期的に

店内にあったハワイでの写真

店内を見渡すと、テーブルにはこんな写真がありました。

どこで撮った写真かを聞くと、毎年ハワイに行っていたようで、そこの「王様」というお店で撮った写真らしい。知り合いに連れて行ってもらっていて、飲んでいたら「どうせならここで働いたら?」ということで働いていたという。

たくさんの有名人との写真が!

そこに写っていたのは、様々な有名人とみどりさんとのツーショット写真。

プロ野球選手の新庄剛志(しんじょう・つよし)や伊良部秀樹(いらぶ・ひでき)、さらにはスター錦野旦(にしきの・あきら)やロックンロールでおなじみ内田裕也(うちだ・ゆうや)との写真も!

8年か9年近く毎年働きに行ってはいたものの、そのうちに潰れてしまったとか。
もっと昔は美空ひばりも来ていたりと、芸能人御用たちのお店だったそうですヨ。

実は今も現役の男娼である

今も川崎の夜にみどりさんは佇む

私がみどりさんを取材したのは2019年3月~6月の間。ずっと立ちんぼをしてきたみどりさんであるが、彼女は実は今でも現役の男娼なのです。とはいっても、79歳と高齢のため、たま〜に店の表に立つくらいとのこと。

そのため、現在は基本的にはスナックのママさんの手伝いをして生きているようです。ここの飲み屋は、閑散とした堀之内でもわりとお客さんが来るようで、常連さんも多いお店。

去年はマツコデラックスの番組がここに撮影に来たそうですが、テレビの題材としては物足りなかったのか撮影はしたもののボツになってしまったとか。 。

かつては60軒以上のお風呂屋がひしめき、ちょんの間や立ちんぼも多かった歓楽街堀之内。今では、お風呂屋は数を減らし、金曜や土曜の夜でも堀之内の夜の人通りはまばら。。

そこでたちんぼとしていきてきたみどりさん。たまたま出会えて良かったな〜( ´ ▽ ` )ノ

おわりに

今も街には立ちんぼが佇む(横浜)

今回、みどりさんには「自分が働いているスナックの場所も書いていいわよ!」とは言われたものの、一応場所は書かないでおきます。。多分頑張って調べれば出てくるかもしれないですけどね( ;∀;)

みどりさんはとっても自由な人でした。話しているとき、たびたび「私は生まれ変わってもおかまになりたいわ。男の人も女の人も結婚したら大変でしょ。私は一人で好きに生きてる方が気が楽なの。」と。

みどりさんのような生き方は、今の時代ではまず無理でしょうね。今でもかろうじて横浜や東京の新大久保などで立ちんぼは存在しているものの、みどりさんが立っていた時代とは景気や世の中の目も変わっておりもう絶滅危惧種というレベルだと思います。

高度経済成長期やバブルという時代があったからこそ、みどりさんのような人生が生まれたんでしょうな。本当に、人生いろいろだわ。。

参考文献

↓よければクリックをお願いします

詳細・地図

住所 神奈川県川崎市川崎区堀之内町
アクセス 京急川崎駅から徒歩7分くらい
リンク https://ja.wikipedia.org/wiki/堀之内_(川崎市)

↓↓twitterもよろしくです
※ほぼ毎日つぶやき中
こちらの記事もどうぞ!
この記事も読まれてます!
関連コンテンツ
関連コンテンツ



  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です