懐かしい電話機だらけの門司電気通信レトロ館で、電話の歴史を学ぶ!

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177は大隈重信の番号だった!?

関内に展示されている日本初の電話帳

話は変わり、今度は東京横濱電話加入者人名表という日本初の電話帳を見てみましょ~。発行時期としては明治23年12月と書かれていました。最初の電話帳は、こんな一枚の紙だったんですね。

電話帳というか電話一覧??(笑)

ここには東京は1~250までの電話番号とその加入者、そして横濱の方は1~60までの番号と加入者名が書かれていました。

この時代に電話番号を持っているのはタダならぬ著名人だったわけですが、よーく目を凝らしてみると歴史でも習う誰もが知る人物も載っているわけです。

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渋沢栄一の電話番号も

例えば、158番の渋沢栄一。500近い会社の創設にかかわったとも言われる渋沢ということもあり、やはり彼の番号もあったか!

さらに、160番には岩崎彌三郎と書かれていますが、こちらは三菱の創設者である岩崎彌太郎の父親ですね。岩崎家の名は、彼の他に岩崎彌之助、岩崎久彌の名もありました。さすが岩崎家ww

大隈重信は177番

さらには248の番号には、日本の近代郵便制度を確立した一人でもある前島密の名がありますね。

んで、面白かったのが177番。

現在はこの番号にかけると天気予報電話サービスにつながりますが、そこに記載されていたのは大隈重信ww

私の母校である早稲田大学創業者であり、第8代、17代の内閣総理大臣も務めた誰もが知るお方ですよね。私も、大学院も含めて六年間通った大学の創設者ということで佐賀県にある大隈重信記念館にも行きましたな~!

これに関しても、まだ記事化してないから早く記事にまとめなきゃな(汗)

ちなみに、この他にも「明治のセメント王」と言われ京浜工業地帯の埋め立てたり鶴見線敷設など活躍しまくった浅野総一郎、三井物産を創設した益田孝、大倉財閥創設者の大倉喜八郎などの名もありました(*’▽’)

や~この時代に活躍した人たちの名が連なっているので、歴史好きの方とかならずっと見てられるんじゃないですかね!

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花形だった電話交換手

今では自動交換の発達でコンピュータによって電話はつながっていますが、昔は通話をするためには交換手の手によって電話と電話をつなぐ必要がありました。

1979年まで稼働してた手動交換機

それは、こういった手動交換機に交換手の方がひとつひとつ紐を差し込んでつなぐ必要があったんですね。

交換手はこんな感じで紐を挿したりするわけですが、実際に交換手をはさんで通話するためには以下の手順を踏む必要がありました!

  1. 1番の電話の所の人は、電話のハンドルを2~3回まわして交換手を呼び出す。
  2. 交換台の「1番のふた」が手前に開く。
  3. 交換手は、「ANS」と書いた白いひもの先を1番の穴に入れる。
  4. 次に黒いスイッチを「TALK」と書いた方に倒し、1番の方と話をして内容を確認。(ここで1番の方から2番につなぐよう言われる)
  5. 交換手は2番に接続するため「CALL」と書いた白いひもを2番の穴に入れる
  6. 次に、左手で黒いスイッチを手前「RING」に倒したままの状態で、右下のハンドルを二回まわすと2番の電話が鳴り、2番が電話に出ると1番と通話が出来る

電話する度にこんなことしてたんか~。

電話交換手の様子

上の写真はパチンコ打ってるように見えるかもしれませんが、ここに写ってるのは電話交換手の方々。この電話交換手は花形の職業でもあったそうです。

最初は男性もやってたそうなんですが、男性は言葉遣いも悪く苦情が多かったため、結局女性が行う職種となっていったようです。

戦時中の電話交換手

館内には戦時中の交換手の様子を写した写真もありました。男性も女性も、着ている衣服から時代を感じますな~。

こういった交換手は1979(昭和54)年までいたという。都会はまだしも、小さな村や離島などでは昭和の後期まで交換手を利用していたそうです。ただ、1979(昭和54)年からは 全国が自動化になったので交換手はいなくなったのです。

ところがどっこい、まだ当時は電話番号がわからないことも多く104の番号から

携帯電話の誕生

さっきは公衆電話や卓上電話について紹介しましたが、その後の話はもう皆さんご存知ですよね。

携帯電話が普及して、現在はスマートフォンに時代に!

私が最初に携帯電話を持ったのは高校一年生の時(2004年くらい)でしたが、私の年代だと中学生で持ってる人の方が割合的には多かったんじゃないかな〜。

超重そうなショルダーホン

そんな携帯電話ですが、今からわずか35年前にはこんな携帯電話?がありました。

もはやスマホが普及しまくっている今の時代にこんなのを見たら何かのギャグにしか思えませんけどね。。

その名も「ショルダーホン(車外兼用型自動車電話)」。

1985(昭和60)年に誕生した電話機で、携帯電話というよりかは「肩から下げて持ち運べるよー」という位置付けだったようです。しかし重さが3kgもあったということで、スーパーに売ってる米を運んでるような感覚で電話機を運ぶわけですからこりゃ~えらい大変だったでしょうな。。

実際に、重さを体験することもできましたww

マジで重かったです(笑)

戦地で使われた92式電話機

さらに時代を遡ると、こんなものもあったそうです。

こちらは戦地でも使われていた電話機。これだけのものだったので、電話を運ぶのも結構な負担になったんじゃないですかね。。

現在は皆がスマートフォンを持つ時代。今や、こうしたガラケーですら過去の遺物感がありますわ。。

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電話番号に関する面白ネタ

現在だと事件発生すると、警察へ110番しますし、怪我を負ったり火事が発生したら119番へ電話して救急車や消防車を呼びますよね!

この警察への110番は1948(昭和23)年10月1日にスタートし、1960(昭和35)年に全国に統一されたんだそうです。とすると、それ以前の時代は事件が発生したらどうやって警察を呼んでいたんですかね??

警察署まで走って知らせたってこと??

一方、救急車に関して119番は1927(昭和2)年からダイヤル化に伴って現在の119番になったそうです。そんで救急車を呼べるようになったのは1936(昭和11)年からとのことで、戦前から電話で呼べるように整備されていたんですね。

ちなみに、さっきの日本初の電話帳を確認してみると、明治23年のころの110番は赤羽電話所、119番は東京郵便電信局でした(笑)

ボーズホン電話機

あとは面白い電話機もあってですね、、

こちらは電電公社のサービスではなく、民間メーカーが販売した物らしいっす。1985(昭和60)年ころまで小倉の新聞社デスクで使用されていたそうです。

日田などで作られたウッドホン

あとは「ウッドホン」という木で出来た電話機も!

九州でいうと、阿蘇(熊本県)とか日田(大分県)など木が豊富な地域では、こうした電話機が作られていたんですって。日田って、今でも下駄で有名ですし、その下流域にある福岡県の大川では、日田から運ばれた木材によって家具で栄えていますもんな~!

こんな携帯電話もありました。このドラえもんのどこでもドアが付いたやつ、初めて見たけど、こんなのありましたっけ??(笑)

館内の様子をもうちょい紹介

という感じで、館内に展示されていた電話機などを紹介しながら電話の歴史を勉強してみました〜( ̄▽ ̄)

最後に、館内にあった面白いものをパパパッと紹介して記事を終えたいと思います!

日本に1台しかないH型交換機

こちらはH形交換機というもので、なんと日本に一台しかないものだという。

右側の受話器を取って番号をかけると、正面の交換機がカタカタと動いて左側の電話機につながってベルが鳴るわけです。よそではなかなか見れない動きですわ!

その他には、電話にまつわるこんなものも展示してありました。

何でレコードが?って思いましたが、タイトルが『電電公社の歌』『赤い電話』『のびゆく電気通信の歌』だとさ。電話関連の歌ってことですか!

こちらは昔の電話帳ですかね。昔の本好きということもあって、中にどんなことが書かれているのかは大変気になる。

電話帳に関する歴史としては以下らしい。

電話帳の歴史
・1890(明治23)年10月9日
「東京・横浜加入者人名表」と題した初めての電話帳が発行された。
・1897(明治30)年
「電話番号簿」に改名。翌年の1898年に「イロハ順」の縦書きになる。
・1925(大正14)年4月1日
「50音順・横書き」に変更。
・1931(昭和6)年5月15日
「電話番号簿」に初めて広告が掲載された。
・1951(昭和26)年3月2日
「職業別電話番号簿」と「人名別電話番号簿」の二種類が発行された。
・1971(昭和46)年
「電話番号簿」から「電話帳」に改名された。
・1983(昭和58)年11月17日
電話帳の愛称が「タウンページ」「ハローページ」に改名された。

タウンページとかハローページと言われたのは1983(昭和58)年からなんですね〜。

そちてこちらはテレフォンカードですか。私も持ってたなー。電話し続けると、カードの端に穴が開くやつね。アニメの絵があるものとか有名人が写ってるものだったりとか、これをコレクションしている人もいるんじゃないかい??

サインもあったよ!!

最後に、この張り紙がとても印象的でした!

この博物館はこの絵の雰囲気にマッチしているかというとそうでもない気がしますが、門司にこんな博物館があったとはな~。

だいたい1時間近くは滞在したでしょうか。多少なりともお客さんがいたこともあり、いつものようにガッツリ聞き込みをしたわけではないですが、とっても面白い博物館でしたよん!

おわりに

という感じで電話に関してメチャクチャ勉強になる面白い博物館でしたが、なんとここは無料なんですね!

スタッフの方も質問してくれるといろいろ答えてくれるし、電話交換手の体験ができたり昔の電話機もたっくさん並んでいることもあり、SNS映えもするんじゃないですかね~。

門司は関東の方からだとあんまりアクセスが良くない場所ではありますが、レトロな街並みもそうですし見所はたくさんありますからね~。ぜひぜひ、多くの方に訪れてほしい、門司電気通信レトロ館の紹介でした~。

参考文献

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詳細・地図

住所 福岡県北九州市門司区浜町4−1
営業時間 09:00~17:00(入館は16:30まで)
入館料 無料
休館日 基本は月曜日と木曜日が休み
駐車場 7台程度可(普通車)、バスも駐車可(要予約)
電話番号 093-321-1199
アクセス JR門司港駅下車、徒歩で約10分 西鉄バス「レトロ東本町1丁目」下車 徒歩1分
リンク https://www.ntt-west.co.jp/kitaQ/moji/index.html

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コメント

  1. うめ より:

    電話にも歴史があるんですね。当たり前ですが…黒電話や赤い公衆電話などなど懐かしいです。その当時のことを思い出したりして。

    • 丹治 俊樹 より:

      この博物館をキッカケに電話の歴史にハマりましたが、
      歴史ってやっぱり面白いですね!
      私は世代的に赤い公衆電話を街中で見たことがないので、この辺はジェネレーションギャップですね!
      そのため、公衆電話は緑っていうイメージしかなかったです。

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