幻に終わった東北縦断構想!ヨーロッパ風の駅舎を活用した日中線記念館へ!

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こんにちわ!

今回は、福島県の喜多方市にある知られ知られざる博物館を紹介します!

チャーシューで麵が見えんw

喜多方というと、喜多方ラーメンが真っ先に思いつくかと思いつく方がいるかもしれませんが、喜多方ラーメン博物館とかじゃないですよ?

今回紹介するのは、日中線記念館という、かつて運行していた日中線という路線の歴史を語り継いでる、ウルトラマイナーな記念館っす。

この記念館は、かつての駅舎を活用してるのですが、建物がノスタルジック感あって本当に雰囲気なんですよ。でもこの記念館はかつて東北縦断鉄道構想があった歴史を語り継ぐ、めちゃくちゃ貴重な施設ではないかと私は思っています。

ではでは、日中線記念館とはどのような施設なのか??

以下で紹介しますね〜( ´ ▽ ` )

本記事のポイント

・赤い屋根でヨーロッパ風の駅舎が印象的!
・ノスタルジック感溢れ、人も少なくのんびりできる穴場
・東北縦断構想があったものの、戦争の影響などで幻に・・

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ヨーロッパ風の駅舎が印象的!

日中線記念館があるのはココ。

喜多方市の市街地から離れた北部に位置しており、もうちょっと北に行ったら山形県に入るような場所ですね。

市街地から離れているということもあり、周囲はポツポツ民家は見られるものの、周囲が緑に囲まれた閑静な場所に位置しています。

で、ここは熱塩駅(あつしおえき)という駅舎の建物を活用してるんですが、めちゃくちゃ可愛くないですか!?

クリーム色の壁に、赤色を呈した屋根。なんだか、ヨーロッパとかの駅にありそうな色合いとデザインをしてますよね。昭和59年に日中線は廃線となったものの、駅舎の建物を取り壊すのは勿体無いという声が多かったことから、この駅舎だけ取り壊されることなく保存され、1987(昭和62)年に記念館となりました。

が、それも納得( ^ω^ )

壊れなくてよかったっすね!

ちなみに、この日中線記念館に関しては、私が出版した二冊目の本で喜多方市役所の方、さらにはここを管理している方に取材させていただいたこともあり、その取材した話も踏まえながら紹介していきますね〜〜( ´ ▽ ` )

凄まじいノスタルジック感

では、駅舎の中に入ってみることにしましょう!

この建物は、当時では珍しい”メートル単位”の間取り(当時は尺貫法が多かったらしい)によって1938(昭和13)年に竣工。

入り口に見られる立派なアールがとても美しいですね!

このカーブのあるアールの形は、大正から昭和初期にヨーロッパの影響で取り入れられた形式でもあり、当初この駅を利用していた方には、とても新鮮に感じられたのではないでしょうか( ^ω^ )

館内は、マジで半端ないノスタルジック感!

私が訪問した時は、カップルと子連れの親子、あとは老夫婦がひと組ずつ見られたと記憶してますが、まー、知られてないスポットだけに閑散としております。

でも、それがいいですね。

昔の光景に思いを馳せながら、かつての駅舎をのんびりと散策する。最高の休日じゃないっすか!!

老眼鏡落としたの、誰??

昔の駅は、こうした忘れ物の黒板があったんですよね。

そして、「驛」「發」などの旧漢字が見られるところに、時代を感じます。

ストーブの圧倒的存在感

木々の温もりが感じられる館内ですが、今の時代の駅とは全く別物。当時、ここで人々がどのように駅を利用していたのでしょうか。

天井に伸びるストーブもそのまま。

私が訪問したのは暖かい時期でしたが、この辺は冬になると寒かったので手をかざしながら暖を取ってたんでしょうか。。

電車が来るまでここで待機してたのでしょうか・・

待合室に飾られている古時計は、隣の会津加納駅にあったもので、今も正確に時を刻み続けています。

昔の写真もいくらか展示されていますが、雪が降るとこんな感じになるんですね。

ホームを眺める

鉱石を運んでいたヨ!

では、ここで日中線がどんな路線だったかについて軽く紹介しようと思います( ^ω^ )

日中線とは、喜多方駅と熱塩駅のわずか11.6kmを結ぶ路線のこと。

駅はわずか5つで、3つは無人駅。

この路線は、山形〜福島〜栃木を縦断する野岩羽線(やがんうせん)という東北縦断鉄道構想のため、明治25年頃より建設運動が始まりました。

その一歩として、初めは喜多方−日中駅間で日中線を開業する予定であったものの、工事着工直後に勃発した日中戦争の影響により、当初よりひと駅短い喜多方−熱塩駅間で開業することに。。熱塩駅の次が日中駅だったので一駅だけ短縮しての開業。日中駅がないのに、日中線として開業したわけですね。。

さらには、住友セメントが原料として採掘していた加納鉱山も熱塩駅の近くにあったため、そこで採掘された鉱石も運ぶ必要性も出てきたことから、日中線は1936(昭和11)年1月に開業。

しかし利用者は少なく、一日の運行本数は午前に2本、午後は3本のみだったそうです。。

なんだか切ない看板だ・・

そうした利用者が少ない状態が続いてしまい、赤字幅が拡大したことから昭和59年に日中線は廃止に。。地元からも強い存続の要望はあったものの、最終的にこの区間の輸送はバスが受け継ぐこととなりました。

県内の国鉄の中で、戦後に廃線となったのは二番目。昭和11年から59年まで、48年の歴史に幕が閉じたわけです。

そんな日中線について、簡単な流れを以下にまとめましたので、ご参考にしていただければと思いますm(_ _)m (←何の参考w??

日中線の略歴
1892(明治25)年
喜多方町に「会津鉄道期成会」の支部を結成
1910(明治43)年
福島県議会で野岩羽線鉄道建議案を採択、同年喜多方町が中心となり耶麻地方二十三の町村で野岩羽線鉄道建議案を結成
1922(大正11)年
喜多方〜米沢に至る路線を予定線に指定
1936(昭和11)年3月
日中線建設工事着工
昭和13年8月18日
日中線開通(喜多方〜熱塩間)
1981(昭和56)年9月
日中線を第一次特定地方交通線に認定
1984(昭和59)年3月31日
日中線廃止
1987(昭和62)年
日中線記念館として一般公開

駅舎内は、駅員さんが使用する駅長室や精算所の中も上の写真のような感じで中に入ることができます。

この字体が、大変心打たれる・・

駅事務所には、日中線に関する色んな資料も展示されていました。

遺失物取扱規程には、どんなことが書かれてるんだろうか??

旅客運賃精算所の中はこんな感じに

ここは精算所ということで、お客さんが切符を買ったり駅員さんに運賃について聞いたりしてたんでしょうね。

今は券売機で大抵のことは賄えますし、Suicaを改札機にタッチするだけで乗車できる時代。電車には日々乗車していても、駅員さんと話すことってほとんどないよな。。便利にはなったけども、人と話すことが好きな私にとっては、ちょっと寂しくもあります。。

今もキップが残されてますね

鉄道関連の博物館でもちょくちょく見られる、昔の切符保管箱。

ここに、いろんな切符が挟まっていて駅員さんが取って渡して行ってたんですよね、昔は。

ここが改札で、駅員さんがパンチで穴を開けてたんでしょうね。

乗客も少なかったでしょうし、お客さんと駅員さんは顔馴染みで挨拶したり、日常のいろんな話を交わしていたのかな〜とか、色んなことを考えてしまいます。

幻に終わった野羽岩線構想

ちょっくらここで、野羽岩線構想について触れておこうと思います!

先ほど、記事の中で「日中線は野羽岩線構想があったことで誕生した」と書きましたが、それは栃木県今市市から山形県米沢市までを結ぶ、東北縦断の壮大な計画があったんですね。

この鉄道建設運動は明治25年頃から始まっており、下野(栃木県)、岩代(福島県)、羽前(山形県)をつなぐことから野岩羽線と名付けられることに。

野岩羽線の構想ルート(米沢〜今市)

こちらは記念館にあった日中線記念館に関する新聞記事などを元に書いてみたのですが、米沢(山形)から今市(栃木)までの野岩羽線は、上図ルートを通る予定だったみたいです。

この図の通り、日中線はその構想の一部分を担っていたわけですね。今では、日中線以外のルートは鉄道が敷かれているわけですが、日中線の区間のみは鉄道は通っていません。

もし開通してたとしたら、山形と福島間の環境は大きく変わってたかもしれないですね。

東北方面から関東まで繋がってる路線としては、東北本線、常磐線、上越線がありますが、もしこの野羽岩線構想が完成していたら、これら三つの路線に加え、東北・上越方面からは四本目となる縦貫ルートとなっていたはず!

しかし、日中戦争の激化や太平洋戦争の開戦により、日中駅までの路線が路線が延びることはなく工事は中断。山形、福島、栃木の三県、沿線の市町村が足並みをそろえて強力な工事再開運動を展開したものの、結局実ることはありませんでした。。

ってか、そんな構想があったなんてマジで全く知らなかったですわ・・(^ ^ 😉

栢山って落書きしたの誰?w

熱塩駅舎を活用した日中線記念館は、そんな歴史の名残りでもあるんですね。

でも、野羽岩線構想に関しては説明を受けただけで、展示資料でそうした背景を説明したものはありませんでしたけどね。あるとしたら、待合室に貼ってあった日中線が廃線となったことを書いた新聞記事くらい。

駅のベンチが豪快っすなww

そんな幻の構想に思いを馳せながら、ホームの中を散策。

今の記念館はホームでのんびりすることもできますし、ホームから降りて散策することも可能!

のどかで平和な風景ですわ

しかし、取材した日は暖かい上に天気も良い日でした( ^ω^ )

今は草地となっているこの場所で、今から40年ほど前まで鉄道が敷かれ列車が走っていたんですよね。床一面の緑と、赤い屋根の駅舎、そして青空のコントラストがたまりませんわ!

踏切の役目を終え、40年以上もそのままの姿で立ち続ける踏切。

この滅びの美学というんですかね、侘び寂びを感じる光景がなんとも言えない。。

機関車や自動車などの向きを変えるために回転させる転車台もありました。

これは、ラッセル車の方向を変えるため?

懐かしさ満載の客車も見逃さずに!

屋根もめっちゃ立派っすね

美しい駅舎に目を奪われてしまうわけですが、ホームから離れた場所にはかつての列車も残されています。

日中線はこうしたディーゼル車が走っていたわけですが、この先頭車両は雪国に見られる除雪用車両のラッセル車。

先頭が三角になっており、雪を両側に掻き分けれる作りとなっています!

牽引する先頭車両は中には入れませんでしたが、後にある客車は中に入ることが可能!!

そして、中はこんな感じΣ੧(❛□❛✿)

ひっきりなしに対面シートが並んでいますが、いや〜まさに昔の車両って感じですね。私がよく乗っている横須賀線や東海道線もこうした対面シートの車両よくありましたが、今は見られなくなりましたので懐かしい。

長距離を乗車するときは、対面シートの窓側に座って飲み物やお菓子を用意して車窓を楽しむのが至福の時だったりしましたな〜〜!

ちょっと狭くない・・?

とはいえ、昔の対面シートは背もたれが垂直の木の板で、なんだか痛そう(; ・∇・)

対面で座ったら、足がぶつかりそうですけど大丈夫だったんかな?

ブルーのシートの色が良い

あとは、床がタイルの洗面台もありました!

温水と冷水が出る蛇口があったんでしょうね。

ということで、以上で一通り日中線記念館について紹介できたかと思います!!

おわりに

以上になります!

日中線といっても、もう40年以上も昔に廃線になっていることから、鉄道マニアとか地元の方じゃないと知られていないかもしれません。。

私も、この記念館の存在があったことで知ったわけですが、なんか廃線の歴史って寂しいものですね。ふと、大隅半島に走っていたJR大隅線の歴史を語り継いでいる鹿児島の大隅半島にある鹿屋市鉄道記念館も思い出しましたが、これからも地方では廃線する区間も増えていくんでしょうか。。

ノスタルジックで癒される場所ではあるものの、なんだか切なさも感じずにはいられない、そんな記念館訪問でした。

参考文献

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詳細・地図

住所 福島県喜多方市熱塩加納町熱塩
営業時間 09:00~16:00
定休日 月曜日
駐車場 無料
電話番号 0241-24-5200
アクセス JR喜多方駅から車で15分ほど
リンク http://www.kitakata-kanko.jp/category/detail.php?id=129

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