群馬にある超有名駅弁『峠の釜めし』の資料館に行ってきた!

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長野オリンピックによる大転換

はい、ではページが切り替わったところで長野オリンピックの開催が決まってから荻野屋がどのような運命を歩んだのか、前ページの続きといきましょう!

1998年2月に開催された長野オリンピック
引用元:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/85970

今から20年近く前、長野では冬季オリンピックが開催されたわけですが、これにより、長野方面への鉄道と道路に関して大きな変革が発生しました。

高速道路の建設による大変革

まずは道路から行きましょう!

長野オリンピックの開催決定により、あとで話す新幹線の整備とともに高速道路の建設が進んだのです。

こうなると、国道18号線を走っていた車は、これから開通する上信越自動車道に流れてしまうことは明白でした。。

そのため、国道18号線沿いにある荻野屋に大ダメージとなるのも明らかだったわけです。

京都にある「ドライブインダルマ」

モータリゼーション化が進み、全国の国道沿いなどの一般道にひたすら誕生したドライブイン。今まで知の冒険でもそんなドライブインを取材して記事にしていますが、これらのお店は高速道路やバイパスが新たに誕生し、車の流れが変わったことで衰退することとなりました。

京都にあるドライブインダルマのように、レトロ自販機があるこうしたスポットは、そうした時代の変化によってどんどん消えて行ってしまっているのが現状です。

私はよく国道20号線を通って、神奈川から山梨や長野方面に行きますが、国道20号線も中央自動車道によって客数が激減したものの、かろうじて踏ん張っているドライブインやレトロな食堂もよく見受けられたりしますわ。。

という感じで、自動車の流れが変わってしまうわけですが、残念なことに鉄道にも、オリンピックによる影響があったわけです。

軽井沢方面の在来線が廃線に・・

鉄道においては、1987年12月に、JR東日本が横川-軽井沢間の廃線を運輸省に報告し、その方針が正式に決定。

1998年冬季オリンピックの候補地として長野県が選ばれ、オリンピック開催に向けて短時間の大量輸送を可能にするため、新幹線整備が優先。赤字路線だった横川-軽井沢間は廃止せざるを得なかったのです・・。

電車の椅子がやたらと目立つ

おぎのや資料館には、そんな信越本線の歴史を物語る写真がたくさん展示されていました。

壁に展示されている様々な資料よりも、この対面式の椅子がやたらと目立つわけですが、これは信越本線の車両にあったものなんでしょうかね。

軽井沢方面へは新幹線に託された

私は鉄オタでもないので、それぞれがどんな用途で使われていたものか、詳しくは調べられていませんが、どれも軽井沢へと鉄道が通っていた歴史を伝える資料ですよね。

ということで、高速道路の誕生で荻野屋がある国道18号線の交通量は減るだろうし、信越本線の横川-軽井沢間が廃線となったことで信越本線の乗客数も減るというダブルパンチを食らうこととなってしまったわけです。

このままではマズイ・・。

そこで、荻野屋はさらに大きく動くことになるのです。

ピンチをチャンスへ!

そう、このまま何もしないわけにはいかず、ピンチをチャンスへと

まずは上信越自動車道のサービスエリア(SA)への出店を考え、1993(平成5)年に上信越自動車道(上り線)横川サービスエリア店が開店。

さらには、ドライブイン「佐久乃おぎのや」が1994(平成6)年7月に、さらには1997(平成9)年には「おぎのやドライブイン長野店」がオープン。

オリンピック開催の際に、長野方面へ観光バスの利用客が増えることを想定し、佐久インターチェンジの目の前にドライブインを建設するとともに、長野オリンピック会場の近くにドライブインを建設することを狙ったのです。長野よりの群馬県にある荻野屋は、オリンピックを機に長野県のエリアに大きく関心を向けることになるのです。

そのように、時代が変化するとそれと共に荻野屋も変化を続けていく。

さらにはここ数年で言えば、2011年3月11日に発生した東日本大震災や2012年に藤岡ジャンクション付近で発生したツアーバスの事故の影響も大きかったようです。

多くの犠牲者を出した東日本大震災

東日本大震災の影響もあったんですね。この震災は被災地だけでなく、国内の観光業界にも大きな打撃を与えていたのは普段の取材でもちょくちょく聞いていて、伊豆の方でも、ホテルにお客さんが来ないということで、震災直後は給料を払えないため失業保険をもらって食いつないでもらうために一旦全ての従業員を解雇し、状況が落ち着いたら再雇用するみたいなことが起こってたとか。

今では新型コロナウイルスで飲食店などサービス業が大苦戦を強いられていますが、本当に商売って大変ですね。。とにかくどう頑張っても予想できない外的要因が発生するため、その都度変化していかなければ生き残れない世界。。

荻野屋が135年も多くの困難を乗り越えてきたのは、本を読んでも本当にすごいことだと思いました。歴史をまとめた締めとして、以下にまとめた流れを載せておきます。

荻野屋が経てきた数々の歴史
1962(昭和37)年
高度経済成長期のモータリゼーション化に伴い、国道18号線沿いに「峠の釜めしドライブイン」をオープン。
1967(昭和42)年
池内淳子さんと田村高廣さん主演の連続ドラマ『釜めし夫婦』が、フジテレビ系列の土曜劇場で放映。ドラマのおかげで、一躍有名となった。
1983(昭和58)年
アクセス面の良さに目をつけ、諏訪インターチェンジに「おぎのやドライブイン諏訪インター店」をオープン。
1987(昭和62)年
当時の人気女優・原田知世の主演映画『私をスキーに連れてって』が大ヒット。一大スキーブームが巻き起こり、群馬県や長野県はスキー場が多い関係もあり、その追い風を荻野屋も目一杯受けた。
1989(平成元)年
関越道高崎ICのそばに大規模な「日本料理おぎのや」を出店。高速道路のSAへの出店をするためにはフルサービスレストランの運営経験が必要とのことでの出店であったが、「おぎのや=釜めし」を脱却できなかったこと、人事管理などの問題で閉店。
1993(平成5)年
上信越自動車道開通が開通すると国道18号線沿いのドライブインの利用客が減ると見込まれることから、横川SA(上り線)にテナントとして入店が決定。
1994(平成6)年
ドライブイン「佐久乃おぎのや」がオープン。オープン当初は、佐久ICが東京方面からの終着点だったこともあり、交通の要所だったことから多くの団体客や車の利用者で賑わった。
1997(平成9)年
横川−軽井沢間が廃線。
「おぎのやドライブイン長野店」がオープン。
2011(平成23)年3月11日
東日本大震災が発生し、観光ツアーなどのキャンセルが相次ぎ、売り上げが激減
2012(平成24)年4月29日
関越自動車道の藤岡ジャンクション付近で、ツアーバスの運転手が居眠り運転してたことで防音壁に衝突し多くの死傷者を出した事故が発生。この事故で高速バスツアーに対する規制が強化され、長距離バスツアーはドライバーの二名体制が必須になるなどコスト増を招き、低価格のバスツアーが厳しくツアーが減少。

重い、捨てにくいという問題・・

荻野屋が経てきた歴史を紹介してきましたが、ここで『峠の釜めし』の容器にも注目したいと思います。

お土産としては良い記念になるのだが・・

これですこれ。この益子焼の器も、時代とともに改善が求められていたようです。

というのもこの器、最初に食べたときは持ち帰れることでいい記念というか思い出になるわけですよ。さらには何かの入れ物だったり、コメを炊いたりもできるわけですし。。

とはいえです、そう言った付加価値はあるものの、この容器は思いですし、さらには捨てるにもめっちゃ捨てづらいというデメリットもあるんですよね。

食べた直後は嬉しくても、やっぱり重いとか持ち帰らなくていいや、と思っても捨てるにも捨てられない。そのため、バスツアーによってはバスの車内に釜容器を置いたまま降りるお客さんがおり、バス会社が産業廃棄物として処理しなければならないなどの問題が出てきたみたいです。。

そのため、プラスチック製の容器など器にメスを入れることも考えられたことがあったようです。

さらには、海外出店を目指して台湾へと繰り出したり、あとは『峠の釜めし』に胡坐をかいてはいけないということで、新たな取り組みに模索をしていたりもしました。

会社としても、新たな取り組みをしていかないと、従業員の意欲も掻き立てられないですし、実際に釜めしに頼る経営が、管理体制の甘さや危機意識の希薄にもつながっていったそうです。

いろんなアニメとタイアップしている

なるほどね~、確かに先日「おぎのや 横川店」に行ったときは、いろんなアニメとタイアップしていたりと、老舗企業の割にはいろいろアクションしてるな~と思ったので、これからの荻野屋の動きにも注目していきたいっすね(*´▽`*)

という感じで、荻野屋の歴史だったり『峠の釜めし』について知りうることはある程度は書けたかと思います。

最後に、資料館にあった写真などを載せて、記事を終わりにしたいと思います。

昔使っていた販売用の台車
今までこんなカラフルな掛け紙があったんすね
カラフルな歴代ラベル

こちらは結構絵になるものですが、峠の釜めしの歴代ラベルがずらっと展示されていました。背景色は結構入れ替わってますが、オレンジが多いっすね。何か理由があるんでしょうか??

気になりますな~~

駅の構内で販売していた様子

こういった写真、まさに私が見たかったものです。

昔はこんな感じで『峠の釜めし』を売ってたんですね~~

「峠の釜めしドライブイン」の昔の写真

「よこかわ」という文字が見えるので、「峠の釜めしドライブイン」の昔の写真でしょうね!

スーパーデカイ釜めしもあったww
資料館と本店の場所を描いた絵

こんな絵もありましたが、めっちゃウマイ!!

という感じで、資料館の紹介を兼ねて荻野屋の歴史をたんまりと紹介させていただきました~~。

おわりに

ということで、二記事にわたって『峠の釜めし』についての紹介をさせていただきました。

ここは、たまたま旅の途中にGoogleMapで「おぎのや資料館」を見つけて訪問してみようという程度だったんですが、お店で食べたり、あとはいろいろ本を買って調べてみると荻野屋の歴史にどんどん興味が出てきて記事にした次第であります。

いや〜博物館は結構調べ尽くしたつもりではありましたが、探せばまだまだあるもんですね。

まだまだ、これからもいろんな博物館を発掘していきますよ〜ということで、今回の記事はこれにて終了となります!

また、次の記事でお会いしましょーー!

参考文献

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詳細・地図

住所 群馬県安中市松井田町横川399
入館料 無料
開館時間 09:30〜16:30
休館日 毎週月曜日・国民の祝日の翌日( 金・土曜日が祝日にあたる場合は当日及び翌日も通常どおり開館します)
年末年始( 12 月30 日〜 1 月6 日)
駐車場 なし(近くに無料駐車場あり)
電話番号 0157-23-2546
アクセス JR横川駅から徒歩1分
リンク https://www.oginoya.co.jp/

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