レトロな空間でラジオの世界に浸れる「日本ラジオ博物館」!

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こんにちわ!

今回は、長野県にある面白い博物館を紹介させていただきます( ̄▽ ̄)

今まで、日本中の知られざる博物館をたくさん紹介してきましたが、今回もマイナーかもしれませんが大変面白い博物館を発見したんですわ!

それが、長野県松本市にある「日本ラジオ博物館」。ラジオが開局した当初から現代まで100個以上ものラジオが展示されているんですが、これが面白いんですわ!単にラジオを見るだけでなく、そこから時代背景が見えてきたり、あとは機器だけでなく当時のチラシや番組表があったりしてね!

ということで、そんなラジオ博物館の魅力を、以下で紹介しますね〜〜

本記事のポイント

・100台以上ものラジオが展示されている個人博物館
・ラジオを通して、日本の歴史に触れられるのが面白い!
・ホーロー看板や昔の電化製品があり、昭和レトロな雰囲気!

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学都に現る穴場博物館

“学都”と言われる長野県の松本市。

長野県は教育県でもあることから、いわゆる大人のお店はかなり少なく、農家などの懐が潤ったら、甲府の色街へ行くか岐阜の金津園へと向かうという話も聞いたことがあるくらい。

そんな松本市って、市の中心街にたくさんの面白い博物館がありまして、時計の博物館や軽量の博物館などなど。でも、一番有名なのは旧開智学校なんですかね??

蔵がラジオの博物館に!

そんな松本市の中心部から車で数分走った場所にある住宅街にふっと現れるこちらの蔵のような建物。なまこ壁や上部にある「力」って文字がやけに気になるわけですが、ここが何と、今はラジオに特化した博物館なんすよ!

まさに知られざる穴場って感じ!

ではでは、早速中に入ってみることにしましょう!

中に入ってココが受付!

見てもわかる通り結構狭いっす。こじんまりとした博物館ですからね。

昔のラジオがたっくさん

かなり個性的な博物館で、こんな感じでラジオ放送が開始したころから現代までのラジオを展示しています。

この日本ラジオ博物館は、岡部匡伸さんが館長を務める個人博物館。

岡部さんがいる際は、聞けば展示してるラジオについて色々説明していただけます。こじんまりとした場所だと敷居が高いと思う方もいるかもしれないですが、そうでもないので気軽に入れる感じっす!

岡部さんは子供の頃、電電公社のエンジニアだった父親が、家の縁側でテレビやラジオの修理をしている様子を見ていたことなどがキッカケで、自分もラジオやオーディオなどの機器に興味を持ったとのこと。

昔は今と違ってゴミに関してはいい加減だった時代で、道端にテレビやラジオが捨てられていたそうなんです。そうした物や、親戚などが譲ってくれた物などを修理して保管し、岡部さんも高校生卒業時には100台を超えるラジオを所有していたそうです!

現在は、博物館にあるのは100個ほどですが、これ以外にも別の場所に保管しているとのこと。

ちなみに、この日本ラジオ博物館が開館したのは2007年。とはいっても、最初は めっちゃ充実したHPをバーチャル博物館として運営しており、リアルな博物館としては、2012年に市の中心部で始めたようです。その後、移転して今に至るって感じ!

ということで、今回訪問するにあたり、館長の岡部さんから大変長い時間をかけて取材させていただいたので、ラジオの歴史が辿ってきた変遷を踏まえ、館内の様子を以下で紹介していきたいと思います!

1925年にラジオ放送スタート!

1925年頃のラジオ

今や、スマートフォンを使えば無料で気軽にラジオを聴ける時代になりました。では、100年ほど前はどうだったのか??

初期のラジオはこうしたダイヤルしかなく、音はホーンスピーカーによって出力されていたようです。長野県にあった会社によって作られたもののようで、諏訪地方は大正時代、日本の主要輸出品目だった生糸の生産で高い経済力があったため、工業力もあったそうです。

パッと見では、ラジオってわかんない方も多いかもしれないっすね。

関東大震災の翌年の1924(大正13)年には、放送施設出願が全国64件にも達したものの、政府の方針により公益法人に限ることとなり、東京、大阪、名古屋に放送局が許可されることになりました。

そして設備の遅れにより、仮放送ではあったものの1925年3月22日に東京、芝浦の仮放送所から試験放送が開始されラジオの歴史が始まることとなりました。

ラジオ開始時の放送局
1924(大正13)年:東京放送局(JOAK)
1925(大正14)年:名古屋放送局(JOCK)
1925(大正14)年:大阪放送局(JOBK)

※当時は放送局がこの三か所しかなかったため、例えば長野県でもラジオを聴こうと思ったら、この三つの放送局を受信する他なかった。

とはいうものの、この三つの放送局はあくまで各々が独立した組織。そうなると、全国にラジオの放送局を広める動きが遅れるとふみ、1926年には各放送局の反対はあったものの、東京、大阪、名古屋の放送局は一つの社団法人に再編。

これこそが、日本放送協会、いわゆるNHKのはじまりということ!

そして、今でも受信料は各家庭を回って徴収しており、最近ではNHKから国民を守る党というか立花孝志の出現によってそれが問題になってたりしますが、その徴収方法も、このラジオの時代からのものっス!

本体とスピーカーは別だった

初期の頃のラジオは、スピーカーと本体が湧かれていました。先ほど紹介したラジオもでしたが、上の写真の上の棚にあるように、ホーンスピーカー(ラッパみたいなやつ)で聴くのは、昔の蓄音機と同じっすね。

放送開始時の頃、日本のラジオは七割が受信器(ヘッドホン)で聴く鉱石ラジオでした。家一軒ほどの金額がするスピーカーを鳴らすようなラジオはとても高価で、しかも今のようにコンセントをつないでとか、乾電池を使ってみたいな簡単なものではなかったわけです!

都心部は安価な鉱石ラジオを使えば聞けたものの、山間部の場合は放送局が近くになかったため(なんせ、東京、大阪、名古屋にしかなかったので・・)、本格的なアンテナが無いとラジオは聞けない時代だったわけです。

昔はこんな電池を使っていたようだ

昭和天皇の御大礼による普及活動

ラジオ放送が1925年に始まったあとは、1928(昭和3)年11月6日に行われた昭和天皇の御大礼(即位の礼)の実況放送の全国放送に合わせて、放送協会はラジオの普及活動を推進することになります。

その三年後である1931(昭和6)年は金融恐慌という不景気に突入するも、聴衆者数は増加し続けるのです。

戦前の様々なラジオ

受信機(ヘッドフォン)で聴いたり、本体とスピーカーが別々だったラジオですが、1931(昭和6)年頃からは、ラジオ本体とスピーカーが一体になった「ミゼット型」と呼ばれるラジオが登場します。

上の写真の左側がミゼットですね。

この時代は、満州事変や上海事変、さらには五・一五事件など結構世の中が殺伐とした時代だったようで、それだけに、野球や流行歌などの新しい娯楽が大衆に指示を受けていたようです。

まだ今のように娯楽が多くはない時代、ラジオは、多くの人の心を癒したのかもしれないですね。

これはいわゆるパチモノ・・

そんなミゼット型ラジオとしてはこんなものも博物館にありました。

なんか、ミッキーマウス?みたいなキャラクターが描かれてますよね。そう、ミッキーマウスではなく、ミッキーマウスみたいなやつ。。無断で登用して作られた日本製のラジオみたいっす!

縦型から横型に

さらに年代が進んでいくと、デザインとしては縦型から横型になっていきます。さっきのミゼット型は縦でしたよね。横型とは、上の写真のようにダイヤルとスピーカーが横に並んだ形式ですね。

ちなみに、この時代はあんまりダイヤルっていじらなかったみたいっすね。今だと、ラジオの精度が進化しているため、狭い放送帯にいくつもの放送局があってダイヤルを回すたびに様々な放送局を受信しますが、戦前の頃って日本放送協会くらいしかないわけです。

なので、ダイヤルを調整してほかの局のを聴こうってこともあんまなかったみたいっす。

あの映画にも使われたラジオ

そんな戦前のラジオの中でもこちらには一つのエピソードが。

これはアメリカ製の普及型のラジオで、陸軍が占領したグアム島における戦利品を皇室に献上したものと同型のもの。そして、太平洋戦争の終わりを告げた玉音放送、あれは前日に昭和天皇の音声を録音したものを翌日である8月15日の正午に放送したわけですが、昭和天皇は自身の正午に流れた音声をこのラジオで聴いたんですって。

この博物館に置かれている上の写真の物は複製であり、リアルに昭和天皇が聞いたいう本物は、東京のNHK放送博物館にあるみたいっすけどね!

とはいえ、この博物館にあるのは複製ではあるものの、あの映画『日本のいちばん長い日』の撮影では、実際にこちらのラジオが使われたみたいっすよ!

電力会社が配っていたチラシ

あと、こんなチラシもありました。

戦前は、電力会社が点検や電気料金の集計のために電気を引くすべての家庭を歩き回っていたそうです。そのため、営業力も凄かったようで、こんな感じのチラシを家庭にバラまいていたようです。

電力会社がラジオを売ってたんですね~~。

こんなチラシもあった

当時の番組表がめっちゃオモロイ

テレビもラジオも、当時の番組表ってその時代をわかりやすく反映してたりして結構楽しめたりするもの。館内には昔のラジオ番組表があったので、昔はどうだったのか、ちょっと見てみますか!

一般市民にはキツイな・・

こちらは1926(大正15)年、つまりラジオ放送が開始したばかりの頃の番組表です。当時はいったいどんな番組を放送していたのか・・。

左から大阪、名古屋、東京であり、よ~~く見てみると、、、やたらと「株式」って文字が見えるかと思うんですよね。「期米株式綿糸生糸」「株式商品」「米穀株式綿糸」などなど。。

そう、当時はニュースや天気予報もあったものの、ほとんどが株式市況や相場関連の番組だったんです。この時代、まだ誰でもラジオを買って聞くなんて時代ではなく、特に田舎では金持ちくらいしかラジオを買えなかったわけです。そういったいわゆる上級国民の方からすると、当時はリアルタイムの相場ってメッチャ貴重な情報だったわけです。そういう方々は商売人も多いですし。

なので、そういった方々向けに相場関連の放送をしていたってわけです。

庶民の方からは評判が悪かったみたいっすけどね。。(;・∀・)

65年も前の番組表

あとはもう一つ、1955(昭和30)年4月の番組表がありました。上の写真にも書いてるように、この当時はまだテレビ放送が始まってない時代なんですね。つまり、お茶の間の中心がラジオだったという時代。

今も続く番組が・・

この番組表を見て一番驚いたのが、この白く囲った番組。というのも、今から65年も前の番組表なわけですが、この『歌のない歌謡曲』は、何と今も続いている番組なんですって!!

この番組は、1951(昭和26)年以降、実に70年も放送され続けている超超長寿番組。そんな番組があったとは・・。

戦後は大衆向け→パーソナル向けに

こちらは戦後以降のコーナー

先ほどまでは戦前・戦中のラジオについて書きましたが、ここから戦後です。今まではラジオはお茶の間の中心だった存在であり、大きさにしても置物レベルで持ち運ぶにはデカすぎました。

ただ、戦後になるとラジオの存在が大きく揺らぐことになります。

戦後になってテレビが登場

それがテレビの存在っす!

戦後になり、1953(昭和28)年2月1日には、いよいよテレビ放送が開始することになります。

街頭にある白黒テレビに多くの人が群がり、空手チョップで外国人を相手に奮闘する力道山に多くの人々が勇気づけられたなんて話もありますよね。とはいうものの、テレビ放送が始まった当時は、テレビは大変高価だったことからまだラジオが庶民の中心であり、黄金時代でもありました。

ただ、1959(昭和34)年になるとテレビ視聴者は100万人を突破し、ラジオの聴取者は減り続けることになります。お茶の間の中心が、ラジオからテレビへと移り変わっていったのです。

高柳健次郎直筆の書

ちなみに、テレビに関するものとしては、こんなのも館内には展示してあります。これは、高柳健次郎氏直筆の書。

高柳健次郎って誰?って思う方も多いかもしれないですが、この方は1926(大正15)年に、日本で初めてブラウン管式テレビの受信に成功した方。最初に受像されたのが「イ」だったことから、こうして”イ”が書かれているんですな。

その受信成功した地である静岡県の浜松市には、それを記念した碑も置いてあるんですよ!

これね!!

娯楽の変化というのは日々移り変わっていくもの。明治時代なんかは歌舞伎や演劇が庶民の娯楽でしたが、それを映画(当時は活動写真といっていた)が凌駕していったし、映画はラジオと同様にテレビの出現によって凌駕され、現代ではネットの出現でテレビの視聴者が高齢者ばかりにって感じですよね。

1959年にはテレビ視聴者は100万し、大衆娯楽はラジオからテレビにへと変わっていったわけです。

じゃあ、ラジオはその後どうなったのか??

いわゆる大衆向けから、よりパーソナルな存在になっていったんですね。

自動車の普及も大きかった

高度経済成長期になると自動車の普及も進みましたよね。なので、カーラジオにも取り入れられ、さらにはラジオの小型化も進み通勤時にも聴いたり、さらには深夜放送というゴールデンタイムを外れた時間が中心になっていくのです。

ニッポン放送の『オールナイトニッポン』なんかは、まさにそうですよね。そのパーソナル向けのラジオが、この頃から現代まで続いてるってことっすね。

それだけ、時代と共に人々の娯楽は移り変わるものではありますが、それでも、メディアって廃れないですよね。歌舞伎、演劇、映画、ラジオ、テレビ・・。なんだかんだ、メディアってのはコアなファンがいて残り続けているんですよね~~。

ポケットラジオ、そしてスマホへ

戦後になると、こんな感じでポケットに入るレベルのラジオが量産されていきます。

その他にも色んな携帯ラジオが普及してまして、、、

東京オリンピック記念ラジオ

東京オリンピック記念のラジオに、、

大阪万博記念ラジオ

大阪万博のもの、、、

ディズニーランド開園記念のラジオ

ディズニーランド開園記念のものまで。ちなみに、これはパチモノでなくちゃんと許可をとったものっす。ミッキーの耳の部分をダイヤルにするというのが、納得のデザインっすね(*´▽`*)

あと、こんなラジオっぽくないラジオも。

NHKホールの形をしたラジオ

あとこんなものもありました。1972年に完成したNHKホールの形をしたラジオとのこと。いろんなのあるんだな。。

そしてその後は、カセットテープの再生機と合体したラジカセが登場。こういうやつ、今も私の実家にありますよ。1987(昭和62)年生まれの私だと、ようやくこの辺からリアルに見たものが登場するって感じっすよ!

初代iPodもあった

あと、館内には初代iPodもありました。

iPodの初代ってこんな感じだったんですね。ただ、そこから今ではガラケー、そしてスマホの時代になっていくわけっすね。

記事の最初の方でも紹介したように、昔のラジオは置き物レベルの大きさから、結局今はスマホ一台で聴ける時代になりましたね。ラジオに限らず、電話、テレビ、音楽などなど、本当にカードサイズのスマートフォン一台で何でもできる時代になったとは、本当にすごい時代っすよ。

記事ではササッと書きましたが、岡部さんからはこの何倍もいろんなことを教わりました。私はラジオって学生時代に大変お世話になっていて、ニッポン放送にはだいぶお世話になった人間。

でも、ラジオの背景とかって今まで学んだことなかったですけど、振り返ると面白いっすね!

ホーロー看板もあったよ

ちなみに、おまけですが館内にはこんなホーロー看板とか、、、

あとは昔の家電製品も幾らか。館内は、こうした昭和レトロな雰囲気なんですよ!!

おわりに

館長の岡部さんには、実に五時間近くにわたりラジオについて様々なことを教えていただけました。

ここはラジオの博物館ではあるものの、ラジオなどの機械が好きな方、ラジオ番組が好きな方、さらにはメディア史を研究している方など、切り口は様々。ラジオに限らないですが、こうして時代に沿って学んでみると、まさにラジオを通して日本の歴史を知ることが出来るわけです。

どんなものであっても、やっぱりその時代の出来事だったり景気だったりが何かしら反映されてるんですよね!

ということで、ここは小さい博物館であるもののいろいろ学びも多いですし、別にラジオの事前知識が無くても興味があれば全然問題ないっす!

ちょっとアクセスはいい場所とは言えないですが、興味あればぜひ訪れてみて下さいね~~(*´▽`*)

参考文献

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詳細・地図

住所 長野県松本市筑摩3-10-1
入館料 大人 500円
15歳以下 200円 (ただし、小学生以下は無料です)
開館時間 12:00~16:00
(入館は15:45まで)
開館日 土日祝、ゴールデンウィーク、年末年始
駐車場 無料
電話番号 0263-27-2535
アクセス 長野自動車道松本ICより車25分
リンク http://www.japanradiomuseum.jp/

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