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タワー建設のきっかけ「MM21開発計画」とは
ここでは、何がきっかけで横浜ランドマークタワーが誕生したのかという背景についてです!これは、1965年に発表された「横浜六大事業」がきっかけとなるのですよ〜。
横浜の基礎を築いた「横浜六大事業」とは!?
▲横浜六大事業によって誕生したみなとみらい
横浜を再生して、未来への都市へと発展させるために打ち出されたドデカイ構想案である「横浜六大事業」。この事業は、当時の横浜市長であった飛鳥田一雄(あすかたいちお)という男がブチ上げた構想です!
というのも、横浜は戦後から人口増加が続いて人口は膨れ上がるものの、その人口が生活するための環境整備や公共投資が追い付いていない状況が続いていたのです。その背景には、戦後7年近くもの間アメリカに占領されていたため、整備が遅れたという背景も考えられるんですね。そんな状態である横浜を、交通機能の軸などからうまく都市づくりしていくために考えられた構想のようです。
「横浜六大事業」の中身
1. 都心部強化事業(みなとみらい21構想)
2. 金沢地先埋め立て事業
3. 港北ニュータウン建設事業
4. 高速鉄道(地下鉄)建設事業
5. 高速道路網建設事業
6. 横浜港ベイブリッジ建設事業
ランドマークタワーの建設は、「1.都市部強化事業(みなとみらい21構想)」の中で考えられたものになります!では、その都市部強化事業とはどのようなものだったのか??
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横浜駅・関内周辺を一体化!!
横浜六大事業の一つである「都市部強化事業」の狙いとしては、開港した場所である関内・伊勢佐木町と横浜駅周辺の2つの地域は距離が離れて分断されていたことから、これらを一体化することにありました。そこで、関内と現横浜駅の間に作られた新しい業務地区として誕生したのが「みなとみらい」だったわけです!!
こちらがみなとみらいの開発が行われる前の地図。もともとは横浜駅周辺と関内駅周辺の間には三菱重工の工場、横浜ドッグなどがありました。つまり、地図を見て改めて述べますが市街地であった関内と急速に発展していた横浜駅周辺が三菱重工によって分断されていたというわけです。
そこで、三菱重工にどこかに移転してもらって横浜駅周辺と関内駅周辺をつないでしまおうというのがみなとみらい計画の元々のキッカケなのです。交渉は横浜市(市長の飛鳥田一雄)と三菱重工の副社長の間で行われました。が、実はこの移転問題はその前から考えられていたりするんですね( ;∀;)
▲三菱重工の造船所だった「横浜ドッグ」
というのも、1960年代半ばごろからは造船業界は船舶の大型化のブームに沸き、設備拡張工事競争が繰り広げられていました。そしてここの重工も例外ではなく、この横浜造船所のドック拡張を検討していたのですが敷地の問題で移転するかどうかという状態だったようです。
そこで、三菱重工は同じグループ会社である三菱地所に相談を持ち掛けていた背景がったんですね。そんなわけで、三菱重工がここから移転することになり、その後に三菱地所がランドマークタワーを建設する流れになったわけです。
そして、横浜ドック跡地のすぐ隣に建設することになったランドマークタワーですが、その他にもいろいろな背景があってみなとみらいのシンボルとなる建物を建てることになったわけですが、それは港町ということも意識して作られました。
というのも、ランドマークタワーからクイーンズタワー(A棟、B棟、C棟の3つ)、そしてインターコンチネンタルホテルまでの稜線を美しく見せ、港町ということでそれぞれが「灯台、波、船の帆」をイメージして作られたんですよ!!
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その他の六大事業の中身を簡単に!
▲渋滞緩和のために作られた横浜ベイブリッジ
で、六大事業の中身を全部話すと1記事に収まらない量になってしまうのでこの辺は簡単に!高速鉄道(地下鉄)というのは横浜市営地下鉄線のことで、そのような地下鉄や高速道路などのインフラを築いていきました!
それには横浜ベイブリッジも含まれるんですね!横浜ベイブリッジが開通したのは、1989年9月27日でした。横浜から東京方面への輸送に限界が来ていたことで作られたこの大橋は、池澤利明さんという方が生みの親とも言われています。
この橋ができる前は、横浜方面から川崎・東京方面へ車輸送する場合は横浜駅付近を通らざるを得なく、そのエリアで鬼のような渋滞が生じていたことで別ルートを作る案が浮上!!その解決策として考えられたのが、横浜ベイブリッジだったわけです。
そこで、六大事業構想が生まれた後に池澤さんは高速道路網建設準備室副主幹となり、ベイブリッジ事業に尽力したのです。この物語はNHKの番組であるプロジェクトXでも放映されたほど。彼らの尽力があって、今の横浜市があるのですね!!
▲江戸時代中期には屈指の景勝地だった金沢八景
あとは、金沢地先埋め立て事業についても軽く触れておきましょう!この事業は何かというと、横浜八景島シーパラダイスがある金沢八景の埋め立て事業なんですね。
金沢八景というと、今では京浜急行の駅名として残っていますが、実は江戸時代は神奈川県の中でも屈指の景勝地でありかつ観光名所でもありました。吉田兼好や歌川広重もこの地を愛し、明治憲法の草案を伊藤博文が作成した地としても知られているんですね。ただ、ここは大正時代ごろから埋め立てが行われるようになり、今現在は当時の八景の景色を見ることはできなくなってしまいました。
ただ、戦後の復興から横浜市も人口が増加してきたことで新たな住宅地が必要にあってきたことや、三菱重工の移転代替地が必要になってきたということで、金沢の海岸が選ばれたのです。
今回の記事はあくまでランドマークタワーに焦点を当てた記事なので、横浜六大事業はこの辺で!ただし、370万人以上が暮らす横浜市はこのような事業が基盤となって街が維持されているんですね!
みなとみらいを歩く機会でもあれば、先人たちのそんな歴史があったことを頭の隅にでも入れながら歩くと、また違った感じで街を見れるのではないかと思います!!では、このような背景が合って誕生したランドマークタワーですが、そのビルにはどのような建設秘話があったのかを以下で説明していきましょう!
ランドマークタワーの建築秘話!
296mという巨大ビルは、40ヶ月という短い工期で完成しました。このタワー建設は、東京の丸の内のオフィス街を築いた三菱地所の総力を挙げた一大プロジェクトだったのです。そんなランドマークタワーに隠された、ちょっとした雑学を紹介していきますね〜!
なぜ高さは296mなのか??
ランドマークタワーの高さは296mなわけですが、この数字を見ると「何で300mではないのか?」と思うわけです、建物の高さというと大抵が航空法によるものが多いのですが、ランドマークタワーも航空法が原因です。横浜の近くには、ご存知の通り羽田空港があるわけでその空域制限によって296mに決まったそうです。
▲複数個つけられた航空障害灯
航空法でいうと、東京ディズニーランドのアトラクションの高さもこれを考慮して作られています。ディズニーランドの中で一番高い建物はタワーオブテラーですが、この高さは59m。航空障害灯が法制化されたのは1960年のことで、この時に60m以上の建物には赤い障害灯をつけるように義務付けられました。よく見ますよね、これ!!
そんで、ディズニーランドの建物にこのような人工物をつけると夢の国のイメージが薄れるということで、ディズニーランドには60m以上の建物は作られていないんだとか。
地震ではなく風が一番の敵
地震大国の日本で高い建物を建てるとなると、一番意識しなければいけないのは地震ですよね!!しかし、このランドマークタワーは、日本で初めて「風が構造を決めた」建物なのです!
▲池袋の高層ビルである「サンシャイン60」
今までは日本の建築物の設計は、地震に対して以下に耐える構造にするかをテーマにして発展してきました。そして、この耐震性に関しては数多くの地震の経験から、一般的に柱を太くすることでクリアしてきたのです。
ところが、柱を太くして建てるのはせいぜい10-15階建ての高層ビルまでで、その上の高層ビルともなると、柱が太くなりすぎて不経済なビルが出来てしまうのです。そのため、耐震シュミレーションの技術が確立してからは「霞ヶ関ビル」「サンシャイン60」「東京都庁舎」などは、柱をそれほど太くしなくてもシュミレーションを駆使して得られたデータをもとに設計することで建設されたのです。
しかし、建物の高さが増すに従って、建物の揺れの周期(固有周期)は長くなりゆっくり揺れるようになります。このように周期が長くなると、地震による力よりも風による力の荷重の方が増加する形になるんですって!!
そんなことから、300m近いランドマークタワーを設計する際に決める要素は風なのか??地震なのか?様々な角度から実験が行われました。しかし、地震の場合はシュミレーションがしやすいものの、風の場合は想像がつかず、様々な実験が繰り返されたことで、最終的に風による揺れが設計を決めた日本初の高層ビルになったわけです!!
その結果、ランドマークタワーは平面が正方形の四隅が張り出した形状になっており、上層から下層に向かって平面形が拡大する末広がりの構造になっています。この四隅によって支えられており、地震や風などの横の力に対して最大の安定性を実現しているのです。
さらに、9階以上では二重チューブ構造形式で作られており8階以下では鉄骨鉄筋コンクリート造というように9階と8階を境に作りが変わっており、8階以下の建物下部の重量を増して安定を高め、建物の風による変形を制御しているのです。
二重チューブ構造形式を用いることで、直系の異なる二種類のチューブを重ねて建てるようにして、二本のチューブが水平力を効果的にまんべんなく分担するような構造になっているんですって!!
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内部の用途によって構造が異なる
ランドマークタワーは、高さがあるため建物の四隅を下層に行くにしたがって広がるような構造にしています。上の部分の四隅で作られる正方形の1辺と、下の部分の四隅で作られる正方形の1辺では下の部分の方が長いわけです。
このようにすると、電車の中でもまっすぐ立っているよりも足を少し広げて立った方が安定するように、ランドマークタワーも建物の外周に建物自体の重さを集めていく構造にしています。
そしてランドマークタワーは5~48階までがオフィスであり、52~67階までがホテルとなっています。建物を見るとわかりやすいですね!中心がへこんでいる階がホテルになります。ただ、このように1つのビルにオフィスとホテルが混在しているというのがランドマークタワーの特徴。先ほども出てきた内容ですが、大事な事なのでもう一回おさらい(笑)
ホテルは1つの階に対して複数の部屋を作る必要がありますが、オフィスは1つの階にデカイ空間を作る必要があるわけです。そのため、オフィスとホテルでは全く異なる構造にする必要があるのです。
そこで活躍しているのが49~51階の切り替え層です!上のホテルでは柱も多く複雑な構造となっているため、その柱の流れを受け止めて分散しているのです。分散していかないと、頭の数が少ないオフィス部分で支えきることができないわけです。この部分は、ランドマークタワーを設計する際に最も苦労した場所だとも!
ランドマークタワーの材料とは??
▲ブラジル産の御影石で作られた
ランドマークタワーは微妙にねずみ色を帯びたような色をしており、材料からしたら何かの石が使われていますね!で、この石はどこから来たかというとブラジルから来ています。ランドマークタワーはブラジル産の御影石(花崗岩)を使用しているのです。これは、見栄えの良さ、耐久性、安全性、メンテナンスの容易性を考えてのこと。御影石は深成岩の一種であり、日本でお墓の石材としてよく使われています。
そんなブラジル産の御影石はブラジルから直接輸送しているだけではなく、一旦イタリアに運び加工してから日本に運ぶルートでも運ばれていました。というのも、ランドマークタワーに使われる石の量が非常に膨大であったため国内で加工しきれない状態だったそうです。そのため、イタリア経由でも運ばれていたとのこと。
しかし、ここで悪運が立ち込める事態に。ランドマークタワーの建設が始まったのは1990年3月20日のこと。その後の1991年1月15日に、湾岸戦争が勃発してしまうのです。それにより、エジプトとサウジアラビアの境であるスエズ運河が一時通行不可になるという緊急事態に(⌒-⌒; )
万一スエズ運河が通れなくなった場合は、上の地図上の赤線のようにアフリカ大陸の南側を通るという超迂回ルートを通らなくてはいけなくなるのです。。
もしスエズ運河が不通になってしまうと、輸送時間もコストも倍近くになってしまい、ただでさえ40ヶ月という短い工期で作らなくてはいけないのにこれでは間に合わない。そうなると、人造石を使わなければいけないなどの別案を考えていたりもしていたのです。ところが、戦争は一ヶ月半の短期で終結したことで工事に影響はありませんでした。良かったですね(*’▽’)
かつては世界最速のエレベーターだった!
▲かつて世界一速かったエレベーター
ランドマークタワーに備え付けられているエレベーターは、三菱電機によって開発された750m/分で運ぶ建設当時では世界最高速のエレベーターだったのです。このエレベーターの開発には4年もの年月を要し、「速さの追求」「安全第一」「快適な乗り心地」の課題を解決していていったのです。ちなみに、分速750mというと時速45kmになります。このスピードは100mを9.58秒で走ったウサイン・ボルトの最高速度(時速44.7km)と同じくらい!
このくらい、ランドマークタワーに備え付けられたエレベーターは速く、当時は世界一速いエレベーターだったのです。ちなみに、ランドマークタワーにはこの高速エレベーターは三台設置されていますが、これらの1日の移動距離は計432kmにも及ぶそうです!!
ランドマークタワーは40ヶ月で作られた!
296mもの超巨大ビルであるランドマークタワー。これが作られたのは1990年3月20日であり、1993年7月14日に竣工(完成)しています。つまり、期間は40ヶ月なわけです。ちなみに、大阪に出来た300mの高さを誇るあべのハルカスは、2010年1月9日に着工されて2014年3月に竣工したため50ヶ月かかっています。さらに、池袋にあるサンシャイン60は57ヶ月かかっています。いかに、ランドマークタワーの工事期間が短かったかがわかるわけです!!
ランドマークの工事に関して、トップが下した決断は「40ヶ月で完成させる!」でした。そのため、工事はとにかく精度や品質を落とさずにいかに早く行うかに気が配られました。
ビル建設の際には作業現場が限られたスペースしかなかったため、ビルの上で作業をするのは大変効率が悪い。そのため、地上で何がどこまでつくれるのかということが工期スピードアップのカギを握っていたのです。
そして、このタワー建設に当たっては日本最大のタワークレーン四基の活躍もありました!これらのタワーは、石川島播磨重工業製の1,500トン・メートル能力の特大クレーン。建設過程の様子を載せましたが、素人目線で見るとまぁよくこんなものをつくれるな~と!
続きはこちら!美しきランドマークタワーの夜景を!!
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