佐賀はバルーン大国だった!「佐賀バルーンミュージアム」で、バルーンの歴史をめっちゃ学んだ!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)
まだまだバルーンミュージアムの紹介が続きます!続いては、何と世界に一台しかないという超本格的な熱気球のシュミレーションゲームの紹介から行きましょう!!

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世界に一台しかないすげぇ熱気球ゲーム!

博物館内にあるこちらのゲーム!なんと、世界に一台しかないめっちゃすごいゲームなんだそうですよ!その名も『バルーンフライトシュミレーター』。めちゃくちゃリアルに再現されているゲームであり、2016年の大会では初日が雨でバルーンを飛ばすことが出来なかったため、このゲームで大会が行われたんだそうです!
これ、私は3回ほどやってみましたが結構面白かったです。レバーで気球の上下操作を行いながら風の流れで横方向(数学でいうX軸方向)の動きを操作するのです。
そして、最後はマーカーと呼ばれるものを気球に乗ったパイロットが投げて、ターゲットに一番近い人が高得点をもらえるのです。いかにターゲットの近くに行くために、風の動きを読んで遠ざからないようにするかって感じですわ!!

↑まずこちらは、初級編。スタッフさんに教えてもらいながらのトライとなりました。動画を見ればわかると思いますが、バルーンで人間が操作するのはあくまで上下方向(縦軸方向)のみ!
平面の動き(横軸方向)は風が動かく形になるので、風の動きを読んで進みたい方向に吹く風の高さにバルーンを合わせるように高さを操作します(*’▽’)

↑そしてこちらが、上級編。ヒントが少ないため、目標地点を見失ってしまいました・・。これは結構むずかった( ;∀;)

外国人観光客も増えてきた!!

最近のお客さんに関しての話を聞くと、特に目立つケースとしては外国人観光客が増えたとのこと!国籍でいうと中国が多いんですって!
▲佐賀県の名湯「嬉野温泉」
というのも、佐賀空港では2012年1月18日に九州佐賀空港に佐賀-上海便が開設しました。地方空港で赤字が続き、様々な誘致合戦が広がる中で佐賀空港は上海からの直行便を獲得したのです。それまでは、福岡国際空港の便しかなかったため、アクセスはしんどかったとのこと。
ちなみに、佐賀県に来た中国人観光客の多くは嬉野温泉に宿泊するとのこと!嬉野温泉にはソープ店も軒を連ねている歴史ある温泉でもあり、既に訪問済みであるためいずれ記事にするつもりです。でも、少し集めきれていない情報もあるため、記事化はまだ先かと。。
そんなわけで、佐賀空港には2015年には初めて中国からの修学旅行生も訪れるなど多くの中国人が訪れやすくなっているんですね!!

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バルーンプロの現実は厳しい

続いてはバルーンを実際にやっているプロの方の現状について!バルーンはマイナー競技ということもあり、選手として続けていくのは結構大変とのことです!以下に書きますね。

バルーンだけでは生活できない

バルーンの競技人口は、約1,500人。ところが、バルーンをやっている方の中で大会の賞金などで生活できている人はほぼゼロなんだそうです。社会人や、佐賀市役所などの公務員の方もバルーンをやっている方はいるそうですが、話を聞いていると本当にバルーンを続けるのは大変そうです。
ただし、そんなバルーン業界の中で唯一と言ってもいいバルーンで食べていけている方がいるのです!その方々は「藤田一家」。以下で詳しく説明しますが、1,500人近い競技人口の中でバルーンで食べていけているのは彼らくらいなんだそうです( ;∀;)
あとお金の話をすると、先ほども書きましたが、熱気球は1個あたり400~500万円くらいするそうです。かなりの額になるため、学生などのお金がない方たちは籠の部分を自分たちで手作りするんだそうです。籠ってのは上の写真に写っている籠(かご)ですね!!材料である籐(とう)を折り曲げながら自分たちで作るんですって。

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バルーンの練習裏事情

バルーンのプロはどのような感じで練習しているのか?彼らは、いつも朝練を行っているそうで、だいたい6:00に練習を開始して7:30には練習を終えるとのこと。そして、その後すぐにスーツに着替えて出勤するという過酷スケジュール( ;∀;)
▲会社員の方は、朝に練習をする
そして練習するのは河川敷なわけですが、練習は一年中できるというわけではないのです。というのも、佐賀平野には畑が広がっており、バルーンは畑に着陸することもあるわけです。畑が栽培中の時に着陸すると畑がぺしゃんこになってしまうため、栽培中は避けなくてはいけないのです。
佐賀平野の畑は、稲作(春から秋)と小麦(秋から春)の二毛作を行っています。そのため、選手たちは畑に着陸しても問題ない春と秋の切り替え時期を狙って練習をするのです。私が訪れた10月は稲刈りのシーズンなので、プロたちは「早く稲を刈ってくれ!!(じゃないと練習が出来んヤローが!)」と心の中で願っているのです。
ちなみに、大会中に畑に着陸した場合はそこの管理者を探して挨拶をしに行くルールがあるとのこと。その際には、地元の子供たちが気球を追っかけてきて、気球を片付ける

バルーン最強の男「藤田」

日本のバルーン会では、「藤田」という方がめっっっっっちゃくちゃ強いんだとか。今現在も世界大会で3連覇しており、もはや日本人では彼にかなう人はいないんだそうです( ;∀;)
藤田さんどんだけ強いねん!!
というのも、藤田家は彼だけでなく両親もバルーンをやってきたというバルーン一家。両親はすでに引退しており、下で指示する役に徹しているとのこと!そして、その指示がかなりファンキーなのだという。「何してんだバカヤロー」みたいなファンキーな感じのようで、これを聞くと、周りも「いつもの藤田一家や!」みたいな感じになるんですって。
ちなみに、藤田一家は栃木県の方のようで、渡良瀬川でいつも練習をしているそうです。そしてそこでは一年中練習もできるという好条件付き!
そして、藤田は日本人ではかなり珍しくバルーンだけで食べていっている男なんです。先ほども述べたように、バルーンのプロと言ってもこれだけで食べていけるのは本当に厳しいわけです。しかし、藤田一家はバルーンの問屋を営んでいるということもあって、バルーン関連で生活が出来ているのです。
バルーンは年齢制限がないスポーツなので、彼が現役でやる30年近くは藤田天下となると推測されています!!それか、誰かがミラクルを起こして藤田を倒すのか!!今後の行く末が気になる・・。

大会は家族ぐるみで参加する!!

バルーンの大会には、もちろん全国からバルーン選手が集まってくるわけです。でも、バルーンの用具などは飛行機で運ぶことはできないわけです。そのため、選手の移動は基本的に車なわけです。
選手が車移動をするのは大変な負担になるため、選手が夫の場合は奥さんが運転をしたりしてまさに家族ぐるみで大会に挑むのです。
あとは、バルーンは5人くらいのチーム戦になります。そのため、固い絆で結ばれたチームであることが必要なわけですが、なんと一匹狼で大会に乗り込んでくる人もいるとのこと!というのも、現地でメンバーを募ってその場で即席のチームを作ることがあるから!
そんな感じで、バルーンという特殊な競技ならでわのあるある話は掘り起こすとたくさんあるようですぜ!!
日本初のバルーンの大会は、1974年に北海道上士幌町(かみしほろちょう)で行われた大会でした。佐賀のバルーン大会の歴史は、1978年に福岡県甘木市でスタートした『バルーン・フェスタ・イン・九州』が、1980年に佐賀市に会場を移したことから始まります。佐賀平野が穏やかな風と広大は平野を有することで、熱気球の飛行に適していたことが定着の理由になりました。
最初は、わずか14機で始まった大会も年々規模が拡大して、1984年には国際大会として『佐賀インターナショナルバルーンフェスタ』に名称を変更して、1989年には日本で初の熱気球世界選手権を開催。
今では、毎年100機以上の参加と80万人を超える観客動員を誇る佐賀市最大のイベントであり、熱気球は佐賀市の文化と言えるまでに成長したのです。

その他のちょっとした館内のネタ!!

最近は、博物館や珍スポットに行くとトイレを必ず見るようにします。マークがそのスポットを反映しているのはもはやお約束(*’▽’)
最後に、一階に降りる前に二階から下を見たら何か撮影していました。ローカルテレビ感満載の光景www
そんで一階に降りてきてお土産コーナーにふらっと寄ってみました!バルーンが目立ちますね!
カ、カレーやべぇ!!ものすごいこの螺旋。バルーン関連よりもこのカレーに目がいってしまいましたよ。で、買ってしまいましたよ!
ちなみにこっちも買いました!せっかく九州に来たので、竹下のブラックモンブランをいただきました!が、食べたのは今回が初(*’▽’)
続きはこちら!大会会場には、大会時にしか空かない駅が存在した!!
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