当時のまま座敷が残っていた
取材を行っている最中、住職さんから特攻隊の方が待機していた座敷を見せていただけました。建物自体は当時に比べると大部分を改装をしているものの、特攻隊の方々が待機・宿泊していた座敷は当時のままなのだそうです。
やはり上下関係があり、隊長の方が上の写真の奥側で手前側が隊員が寝ていました。朝は飛行場に行って訓練していましたが、空き時間は結構自由な時間を過ごしていたそうです。おばたちとトランプしたり歌を歌ったり。そのため、ここで待機していたときはそこまでピリピリとした雰囲気が続いていたわけではなかったそうです。
ただし、お寺には目達原飛行場から連絡が来るための電話が置いてあり、それが鳴るたびに皆がピシッとはしていたとのこと。飛行場からは誰が出撃するかを知らせる電話だったため、隊員たちは「自分の出撃の連絡じゃないか」とピリピリし、そうなければホッとしてまた別のことをする。
笑顔でトランプなどをしていたといっても、その時は出撃することを一瞬でも忘れていたのか。彼らがどんな心境だったかは計り知れないです。。
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特攻隊員を思い出すホタルの光
座敷の目に前にある庭も当時からほとんど変わっていないとのこと。待機していたときはホタルの時期(5月の頃)だったということもあり、夜は庭からホタルの光を眺めていたとか。
今は河川改修などでホタルは減少したそうですが、今でも迷い込んだホタルをたまに見ることがあるそうです。
叔母さんは、ここでホタルを見ると隊員たちが帰ってきたと思ったそうです。まさに、知覧飛行場の富屋食堂と同じような話ですね。
ホタルは5月下旬から6月上旬ころに見ることができますが、それは特攻隊員の方々が出撃していた時期と重なることもあり、西往寺だけでなく知覧飛行場の近くにあった富屋食堂でもホタルに関する話があったりします。
知覧飛行場に関する話ということもあり、ここの話は本になったりもしていますし、富屋食堂も今は博物館として開放されていたりします。
以上のように、住職さんから一通り話を聞かせていただき遺品も見せていただいて今回の取材を終えることに。特攻隊に関してはまだ読んでいない本も多いし知識も浅いので今後も勉強をしていかなきゃな。。
知覧や万世では慰霊祭も毎年行われているということですし、特攻隊関連の取材はこれからも続きそうです。
おわりに
今回の取材の途中、住職さんからは特攻隊員の方々の中でもまだご存命の方を教えていただいたりもしました。
知の冒険を始めて、知覧特攻平和会館、万世特攻平和記念館、鹿屋、江田島海軍兵学校、回天記念館などを訪問し、戦争に関して学んだり多くの特攻隊員の方々の遺書などを見てきましたが、まだまだ学ぶことは多いですね。
戦争関連のことに関して知識を得るのであれば本や資料を読めばいいですが、現地を訪れて現地の方々と語り合うことで生まれる気づきもたくさんあると思っています。
早いうちに特攻隊だった方々に取材行かないとな~。あと、特攻隊関連の書籍もたくさん出ていて読みたいものも多いですし、他の記事を書きながらもやることやらなくては(`・ω・´)
参考文献
詳細・地図
住所 | 福岡県朝倉郡筑前町高田417−3 |
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駐車場 | 無料 |
電話番号 | 0952-52-1105 |
アクセス | ・JR吉野ヶ里公園駅から車で7分、徒歩25分ほど ・長崎自動車道・東脊振ICより車で7分ほど甘木鉄道「太刀洗駅」から徒歩10秒 |
リンク | http://www.saiouji.jp/ |