特攻隊を弔う「世田谷観音」誕生の背景には、ハンセン病が関わっていた!?

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こんにちわ!

今回は、東京都にある知られざるお寺に関する記事になります。東京の世田谷には、「観音寺(通称:世田谷観音)」というお寺がありまして、ここには「」という太平洋戦争の最中に特攻によってなくなった方々を弔うお堂が建てられているんですね。

このお寺が建立した背景、さらには特攻隊の話のほかに、日本初のオリンピックアスリートである金栗四三さんにまつわるお話もあるというネタ多きお寺なのです!

そんな世田谷観音について、現住職さんにお話を伺ったので、以下で紹介しますね〜〜!

本記事のポイント

・世田谷観音は、パン屋で財を成した和尚が開山したお寺
・海軍、陸軍の特攻隊員の方々を祀るお堂がある
・日本初の五輪アスリートが書いた額も掲げられている

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世田谷の住宅街に佇むお寺

ということで、今回は東京の世田谷へとやってきたんですが、世田谷というと映画・映像産業の街として栄え、今では高級住宅街というイメージもある場所って感じでしょうか??

そんな都心に、今回のターゲットである世田谷観音は存在します。

場所はここになります。三軒茶屋駅から歩いて15分ほどの住宅街にある感じですかね。

自宅から車で、20分ちょいくらいで到着!!

反対側にも入り口があるんですが、私はこっちから入りました。ちなみに、駐車場の場所がわからず近くのコインパーキングに停めちゃったんですよね。。実際は反対側に、駐車場があったというね。。

境内に入り、少し散策をしていると住職さんがいたので、ここの背景を聞けないかちょっとお伺いしてみました。

現在の住職さんは、創建者のお孫さんにあたる方なのですが、めっちゃフランクな方でですね。聞くと、結構いろんなことを教えてくれたので、まずはこのお寺が誕生した背景から紹介することにしますね〜〜!

イギリス人宣教師との出会い

まずお伺いしたのは、そもそもなぜここに世田谷観音が建立したのかという背景について!

反対側の入り口には立派な山門が

この世田谷観音は、太田睦賢和尚という方が独力で1951(昭和26)年に建立しました。睦賢和尚は長野県の造り酒屋に生まれ、口減らしのような形で、出稼ぎのために東京へ向かうことになります。

そこで向かったのが、東京タワーがある港区の飯倉という場所。ここには当時、老舗のお菓子屋として知られる「風月堂」がありまして、そこに親戚が番頭として働いていたことから、その方を頼って飯倉を選んだと思われているそうです。

その風月堂は今はもうないみたいですが、その斜め向かい前には「アンデレ教会」があり、和尚はそこに通うようになってクリスチャンとなります。そして、彼に洗礼を与えた方が、メアリー・H・コンウォール・リーというイギリス人宣教師だったのです!!

イギリス生まれの宣教師
コンウォール・リー(1857-1941)

このコンウォール・リーという方、学校の教科書に出てくる方でもないので知らない方がほとんどだと思います。

彼女はイギリスに生まれ。かねてから熱心なキリスト教徒で、1907(明治40)年の50歳のときに日本に単身来日。晩年、人気観光地である群馬県の草津温泉にて、聖バルナバ教会と女性患者の救護施設を開設しハンセン病に苦しむ方々を救済した方でした。

和尚は彼女から洗礼を受けたあと、今後の方向性について指導をも受け、独立して1910(明治43)年に牛乳販売業を始めることになります。その後は、1925(大正14)年に三軒茶屋で「精養堂」というパン屋さんを開業。「精養堂」の名付け親も、コンウォール・リーでした!

大正14年創業の『パングワン』

このパン屋さんは、近くに野砲兵第一連隊があり彼らの御用達となったことからか、このお店によって和尚は財を成すこととなります。

そのパン屋さんは今も「パングワン」という屋号で営業を続けており、私も記事を書くとのことで先日訪問してきました。記事の最後にお店のことも載せようかと思うので、これは後ほど!

その後、和尚は晩年を草津で過ごしていたコンウォール・リーを尋ねることになります。そこで彼が目にしたのは、ハンセン病の患者の方々に対し、イギリス人女性のコンウォール・リーが全財産・全人生を捧げている姿でした。

ハンセン病の主な症状
引用元:国立ハンセン病資料館 展示図録2020

ハンセン病とは「らい菌による慢性の感染症」のことであり、体の中で体温が低い場所、つまり足先や指先に症状が現れることが多い病。そういった方々に寄り添っている姿を見たことで、和尚は、

「自分も、何かをやりたい!!」

と思うようになります。んで、和尚は、無宗派のお寺として世田谷観音を開山して今に至るとのことでした。

なるほど、私もハンセン病関連の施設は度々訪れているものの、こういうところでコンウォール・リーの話に繋がってくるとは思わなかったっすわ!!

海軍、陸軍の特攻隊員を祀っている

そんな世田谷観音にある建物の中でも、最も私が気になっていたのが、こちらの「特攻観音堂」です。

太平洋戦争の終盤において、敵の艦隊に突っ込む特別攻撃によって亡くなった方々を祀っているお堂になります。

特攻といっても、それは戦闘機によるものだけではなく空挺隊(パラシュートやグライダーなどで敵艦隊に降下し、敵に殺されるまで艦隊を破壊し続ける部隊)、水中特攻の回天の搭乗員の方々も含まれているとのこと。

特攻というと、航空機が敵艦隊に突っ込むという攻撃をイメージすると思いますが、結構いろんな攻撃方法があったんですよね。

とはいえ、ここで気になるのが「何で、世田谷観音に特攻平和堂があるの?」という点。

その背景を住職さんに聞くと、親切丁寧に答えてくれました。

「それは話すと長くなるんですけどもね、ここの坂を下った所に海軍の方の街があったんです(多分、奥沢海軍村のことではないかと。。)。その街で保管されていた二体を護国寺で永代供養をしていただいたんです。ところが、供養のあとは資金的な関係で護国寺には保管されず、結局 海軍の街に住まれている方の自宅に保管されておりまして。そして、その方が世田谷観音をよくお参りされるようになり、その方から『この二体を世田谷観音で預かっていただけませんか?』とお願いされたことが始まりなんです。」

世田谷観音は、どこの宗派にも属してないお寺。そういったこともあり、宗派ならではのあれこれを考える必要もなく、祖父の意向でお受けすることとなったようです。

「世界平和の礎」と書かれた碑は、吉田茂元首相の揮毫

特攻観音堂の脇には、こうした特攻隊関連の碑がいくつか見られました。

日本初の五輪アスリート秘話

特攻に関する話以外にも、このお寺には日本初の五輪アスリートにまつわる話があるんですね。

そもそも、私がこの世田谷観音の存在を知るきっかけになったのは、以前、熊本県玉名市にある「金栗四三の住家・資料館」を訪問した時のことでした。

日本初の五輪アスリート・金栗四三

「金栗四三の住家・資料館」とは、NHKの大河ドラマ『いだてん』が放映されることをキッカケに、物語の主人公であるオリンピックアスリート・金栗四三(かなくり・しそう) さんが晩年を過ごした邸宅を一般開放した博物館。

↓「金栗四三の住家・資料館」については以前記事にしたので、こちらもよければ後程読んでいただければ幸いです<m(__)m>

複製した「韋駄天」の額

んで、館内にはこちらの「韋駄天」と書かれた額があるんですが、これは世田谷観音にある金栗さんが揮毫した額を復元したとのことなんです。

資料館の方にそういった背景を伺い、世田谷であれば、うちからもそんなに遠くないってことで訪問したって感じですね。

京都の二条城より移築された「阿弥陀堂」

その額が掲げられているのが、世田谷観音の境内にあるこちらの阿弥陀堂。木造三階建ての堂々たる佇まいですが、この三階上部を見てみると、、

金栗さんが書かれた「韋駄天」の額

おーーー、「韋駄天」と書かれた額が掲げられてることがわかりますね!!

ドアップしてみたぜ!!

額をアップしてみると、左側に「金栗四三書」と書かれているのがわかります。

んで、改めてこの額にまつわる話をまとめると、、

まずNHKの大河ドラマ『いだてん』が放映されることが決まり、邸宅を資料館にすると決まった時、色々邸宅を整理していた時に、韋駄天の額と一緒に金栗さんが写っている写真を発見!

その額には「金栗四三書」と書かれていることから、本人の揮毫によるものだと判明!

しかし、この額はいったいどこにあるものなのかわからない。。そこで、ご存命の金栗さんの娘さんがネットで検索するなどして調べたところ、世田谷観音に掲げられているものということが判明!!

そこで、世田谷観音から本物の額を熊本へ送り、複製を作ったんだそうです!

そんな話を住職さんがしてくださったわけですが、さらにさらに、、

「よかったら、韋駄天さん撮っていきますか?」

とのことで、阿弥陀堂の中も撮影させていただけることになりました!

まさかの写真撮影OK!!

ガラガラっと、住職さんが都をスライドさせると、阿弥陀さん登場。しかしこうしたお堂の内部も撮影OKとは、なかなかオープンなお寺ですね。

写真中央が韋駄天の神様です

堂内に足を踏み入れ、阿弥陀さんのお隣に韋駄天がおりました。そもそも、「韋駄天」とは足の速い神様、スポーツの守護神としても知られています。

長距離ランナーだった金栗さんは、少しでもタイムが縮まることを願って、この韋駄天さんを訪ねたんですかね??

韋駄天を拝見させていただいたあとは、本堂も案内してくれました。「ぜひ、ご本尊とマリア観音像を見ていってください!」とのこと。

生き生きとした龍だ・・

本堂の入り口上部にある龍は、元福井城にあったものの復元で、欅(ケヤキ)の彫り物。

そして、ここはマジでオープンなお寺で、本堂内の写真撮影もOKしてくれました。ご本尊さんは聖観世音菩薩で、かつて伊勢の長島の興昭寺というお寺の秘仏とされていたもの。

1951(昭和26)年5月13日に浅草寺に請い、開眼の法を受けたあとにここへ安置されることになったようです。

現世利益があるマリア観音像

そして、聖観世音菩薩の脇には、大変珍しいマリア観音も安置されています。

先ほどこのお寺の背景に関して説明したように、和尚はもともとクリスチャンだったこともあり、お寺ではあるもののこの観音様を安置しているそうですよ!

世田谷観音については以上ですが、最後に先ほど紹介した、和尚さんが材を成したというパン屋さんのお話を。

創業100年を超えるパン屋は今も現役

東京の三軒茶屋駅から徒歩1分の場所にある、こちらの『パングワン』というお店。先ほども紹介したように、世田谷観音を創建する以前、太田睦賢和尚が経営していたパン屋さんなんですね。

最初は明治43年に牛乳販売業を開店したそうですが、その後は世田谷に移り大正14年にパン製造業を始めて今に至るとのこと。今お店に行っても、その辺の歴史は全面的に押し出してないので、そういった背景があるとは気付きにくいっすね。。

マジでどれも旨そうでした!

今の店主さんは四代目。店内はすごく綺麗で、ネットの口コミの評価も高く、私が訪問した際にもそれなりのお客さんがいて結構人気店のようです。

横浜好きとしては買わないわけにはいかない

横浜が発祥と言われているシベリアも売ってました。ということで、それは購入即決。

ペンギンかわゆす

お客さんもいて忙しそうだったのでご主人さんとは少し喋っただけでしたが、お寺を創建した方が開業したパン屋さんとは驚きの背景っすよね。

そうした歴史に興味があればですけど、世の中探せば本当に想像以上にいろんな歴史があるものでして。皆さんの身近にあるお店も、深堀すると面白い背景や物語があるかもですよ!!

おわりに

はい、以上になります!

しかし東京の世田谷って、私が住んでる川崎からそんな遠い場所でもないわけですが、ここにこんな歴史があったとは思わなかったですわ。

我々が住んでる場所の周辺には神社やお寺はたくさんあるものの、関心持って調べてみると、思った以上に面白い歴史があったりするものなんですよね。

ではでは、また次の記事でお会いいたしましょう!!

参考文献

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詳細・地図

住所 東京都世田谷区下馬4-9-4
入山料 無料
開館時間 06:00〜16:00
駐車場 無料(5台)
電話番号 03-3410-8811
アクセス 三軒茶屋駅から歩いて約15分~20分
リンク http://www.setagayakannon.com/

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