元遊廓「新むつ旅館」が乗り越えてきた波乱万丈の歴史とは!

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新むつ旅館は取り壊すはずだった?

旅館として生き残り続けた新むつ旅館。ここから今のお母さんの話になるわけですが、お母さんは新陸奥楼の初代経営者である川村さわゑさんの直系というわけではなく、東京の世田谷から嫁いで来たのだという。

世田谷から嫁いできたお母さん

なので、お母さんの旦那さんがここの家系の方になるわけです。お母さんはここの旦那さんと1962(昭和37)年にお見合い結婚されたそうですが、ここに来るまでは実家が元遊郭だったと夫から一切言われてなく、ここに来て初めて知ったのだという。

お母さん「お見合いの時はね、一言も遊廓だったとは言わなかったの。でもここに来た時にさ、『なんか建物が普通じゃないな~』って思ったの。でもね、私のお父さんは『どんな職業でも平等に』という考えだったから、遊郭だからどうこう言わなかったね。だから遊郭だったと言われていても私はここに来てたと思うよ!」

お父さんは壊したかったようだ・・

そして結婚してすぐは東京でサラリーマン生活をしており、東京での生活を終えここに戻って来た時に、今のお母さんとお父さんがこの旅館を引き継ぐことに。しかし、お父さんは新むつ旅館を取り壊したかったのだという。

お母さん:「ある時お父さん(お母さんの夫)がね、『あっちは壊す』なんて言い出してさ。小さい時に家が遊郭だったってことで結構いじめられたんじゃない?」

私:「それだけ建物を残すのが嫌だったんですか。」

お母さん:「みたいよ。それにこの辺も小さい子は近寄るなって言われてたの。私がここに嫁いで来たときはね、周りの方から『あんたよくこんな所に来たね』ってよく言われたしさ。」

私:「遊廓だった場所は昔はそう言われてたとよく聞きますが、ここもだったんですね。」

お母さん:「私はよそからやって来てるってこともあって、こうやって遊廓の歴史を話せるわけね。旅館やってるとね、たまにメディアの方が取材に来たりもするわけ。それでここの旅館の事を色々話すとさ、その後にお父さんがいつも怒ってねー、『うちのことはそういう人たちには教えたくはない』って言っててね。」

でも、結局遊廓の建物を壊すことはなかったわけですが、その理由は”金がなかった”から!!

まぁこれだけデカイ建物ですからね、ぶっ壊すとなったら数百万円はくだらないとは思いますわ。

そういう感じで、お父さんの意向通り建物は壊されることなく旅館として営業し続けることになるのです。

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いろんな人と出会えることが楽しい

お母さんがやってきたころは、工事関係者というよりは出張者などの宿泊客が来るようになり、ここ数年では遊郭に興味を持って宿泊しに来るというお客さんも訪れるようになったという。

昔は「太宰治の斜陽館に似てる」と言うお客さんが多く、ジブリ映画の『千と千尋の神隠し』が上映された後には「ここ千と千尋の世界に似てる!」と皆が言っていたという。

旦那さんは2,3年前に他界してしまったものの、今ではお母さんが一人でこの旅館を切り盛りしている。そんなこともあり、今では部屋が満室にならなくても、人数が5,6人くらいになると、お母さんだけでは回らないため断ってしまうのだとか。

本当にお母さんは優しかった

夜も朝も聞いたことは何でも喋りまくってくれたお母さん。

今もこうして旅館を続けているのは、「多くの人と出会って色んな話が出来ることがすごく楽しい」からだという。

それは私もそうで、遊郭に限らず色んな知られざる博物館やマイナーなスポットに出かけてはいろんな方々を取材させていただいている今日この頃。いろんな所に行っていろんなことを知れるのはとてもうれしいのですが、知識が増えるということよりも、いろんな方と出会ったことが何よりもいい思い出になるんですよね!

そんな新むつ旅館。今では、こうしたイベントも開催されていたり、、

デイリー東北に掲載された記事

取材とかも時折受けているようです。資料室には2017年にデイリー東北という地方紙から取材を受けた記事が置いてましたし、午前中に八戸市立図書館に行ったときにはお母さんが取材を受けている資料をいくらは発掘出来たりもしたんですよね。

これだけ歴史ある旅館であり、話好きなお母さんですからね。取材もしやすいし、そりゃ色んな人が記事にしたくなるわけだ。それは私も同様っす(*’▽’)

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毎年どこかしらを修復している

そんな新むつ旅館。さすがに築120年以上が経過しているということもあり、建物には所々にガタがきているようです。

最近では土台の修復工事という結構な大工事を行っていたようで、この費用を賄うためにいろんな方に寄付していただいたり売り上げから工面するなどして、なんとか工事までたどり着いたのだとか。

土台になっていた石

もともと新陸奥楼の土台はかなりいいかげんで、上の写真に写っているような大きな複数の石の上に乗っかっていただけらしい。。そりゃ120年前の時代ですからね。

とはいえ、2011年3月11日の東日本大震災はここの地盤が良かったということもあってか、さほどダメージはなかったという。

そして、次の修復はこちらの入り口にある屋根。なんと、これを直すのには1,100万円もかかるんだそうです。。マジか・・。

多分材料も古いものを使っているでしょうし、普通の家を直すのに比べるとやっぱ金かかるんだろうな。。

この建物は国の登録有形文化財にも登録されている建物なんですけどね。でも、個人の建物に関しては国から税金が下りてくるというわけではないので、こういうものに登録されてはいても、維持費は自力で捻出しなきゃいけないわけです。

まじか~。。

飛田新地にある鯛よし百番

元遊廓の登録有形文化財というと、大阪の飛田新地にある料亭「鯛よし百番」も同じで、ここも登録有形文化財ではあるものの税金は補填されないわけですよ。。

募金も募っています

お母さんは、今の状態だと年間で100万円ほどは修繕費に充てられるそうですが、それだけでは賄えないのでこのように募金を募ったりとか何とかして工面しているのだという。

今後の新むつ旅館を維持するためにも、訪問した方々、ぜひお気持ち程度にでも寄付していただくとお母さんめっちゃ喜んでくれると思いますよ〜(*’▽’)

おわりに

今も営業できているのが奇跡

ざっとですが新むつ旅館が、新陸奥楼の時代から今までどんな経緯で生き残ってきたのか、簡単にでも紹介させていただきました!

創業して100年以上経った今でもこうして旅館として生き残っているわけですが、いろんなことがあって、ときには赤紙が貼られたり、あるいは運よく戦時中も生き残って今があると考えると、本当に今現存しているのが奇跡だと思いますよ!

ではでは、今回の記事では新むつ旅館の歴史についてまとめましたが、次の記事では新むつ旅館の内部の細かい見所やその解説を載せていきたいと思います!

↓続編の記事はこちらですm(_ _)m

参考文献

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詳細・地図

住所 青森県八戸市小中野6丁目20−18
駐車場 無料
電話番号 0178-22-1736
アクセス JR東萩駅から徒歩5分ほど
リンク http://hac.cside.com/shinmuturyokan/#top

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コメント

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