命のビザを発行した、日本のシンドラー「杉原千畝」!その人生に迫る!

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今回紹介するには、偉大なる日本人である「杉原千畝(ちうね)」の物語です。
岐阜県出身、日本のシンドラーと言われ、ユダヤ人6,000人の方に命のビザを発行し続けた男の人生に迫ります。
そして、なぜ知の冒険でこの記事をとりあげたのか?
それは、杉原さんのお墓詣りに行ってきて、多くの人にこの方を知ってもらいたいと思ったからです。
今回は、スポット紹介というか偉人のお墓を巡り、その人の生涯を紹介するという感じにしようと思います。
杉原さんのお墓があるのは、神奈川県にある鎌倉霊園。
自分の実家から車で20分くらいの場所にあるので、行って参りました。

インターネットをひたすら探して場所を見つけました。
ここが、杉原千畝さんの墓地。
杉原さんは1900年生まれで、1986年に亡くなりました。
私は、1987年生まれなので、私が生まれたころにはもう亡くなっていたんですね・・・・
鎌倉霊園の29地区5列の場所に千畝さんのお墓はございます。
鎌倉霊園は超広大な墓地なので、これ知らないと見つけるの不可能です。

お墓は本当に綺麗に維持されていました。
最近お墓参りって、皆さん行くのでしょうかね??
以前、ダチョウ倶楽部の寺門ジモンさんが、「お墓参りに行く人は、良い人だ。なぜなら、亡くなった人に気を配れる人は、今周りにいる人を大切にしていないわけがない」ということを言っていました!
なるほど、と思い、私もおじいちゃんのお墓参りに行くようになりましたが、何かいいことをしたと満足感が得られるので、私もお墓参りは大事なことだと思っております。

松の木には、千羽鶴とポーランドの国旗が供えられていました。
インターネットで検索すると、杉浦さんのお墓詣りに行ったという記事をちらほら見られます。
杉原さんの映画が2015年12月に公開されるそうなので、もしかしたらここに来る人が増えるかもしれませんね!!
では、ここから、杉原さんの生涯を紹介したいと思います。

引用元:http://genki365.net/gnks12/mypage/mypage_sheet.php?id=26482
杉原さんは、1900年1月1日に岐阜県で生まれました。
「千畝(ちうね)」というのは非常に珍しい名前ですが、税務署で働いていた父親が赴任した場所に「千畝」という場所が存在していたようで、そこから来たという説があるようです。

そして、千畝さんは1918年に早稲田大学に入学。
学部は教育学部英語英文学科のようです。
私も、早稲田の教育学部だったので、先輩にあたるんですね!!

現在でも、早稲田大学にはこのような碑が建っています。
一応場所を言っておくと、14号館と11号館の間のスペースにあります。
ところが、その後早稲田大学を中退することになります。
そして、千畝さんはリトアニアに派遣されることになります。
それは、第二次世界大戦の開戦前である1939年のこと。
その時、ヨーロッパの全土ではユダヤ人が迫害をうけていたのです。
彼らを救う方法は一つ。
ビザを発行し、国外へ逃げる事。
彼らを見捨てられない杉原さんは、日本の外務省に掛け合うものの、日本政府はドイツを刺激したくないということでビザ発給の許可をおろしませんでした
他の国もそうかもしれませんが、日本はこういう時に許可を下ろすことはまずないでしょう。
基本的に、今の中国や韓国との対応を見ても、他国を刺激する決断はとらないですから!
ここで、外務省に従いビザを発行しないのか、それとも外務省に背いてでもビザを発行するのか!
普通に考えたら、外務省に背くという行為は並大抵の精神力では厳しいと思います。
日本にいる外務省は、あくまで日本にいるからそういう決断をするわけで、現場にいる千畝さんからしたらそれを鵜呑みにはできなかったんでしょうね!
太平洋戦争でもそうですが、やはり大本営が現場の緊迫感がわからなかったように、今回も日本にいる外務省がどれだけ現場が大変な状況になっていたかを考えてくれたら、状況は変わっていたのかもしれません。

引用元:http://blog.livedoor.jp/fushigi1/archives/1982545.html
そこで、杉原さんは「ビザを発行する」という決断を下します。
7月29日、朝早くから集まってきたユダヤ人の方に対し、「みなさんがたに、日本の通過ビザを発給することになりました」と、知らせました。
ここから、千畝さんの怒涛のビザ発給作業が始まりました。

引用元:http://hinode.8718.jp/japanese_sugihara_tiune_monument.html
なんといっても、ビザの発行は「手書き」で行わなくてはいけません。
機械で出来ればいいのですがそうはいかない。。。
そのため、発行量は1時間に10人が限界。
寝る間や食事の時間を惜しんでの発行作業が続きます。
そして、発行作業を続ける千畝さんに追い打ちが。
8月3日、リトアニアはソ連に併合され、ソ連から領事館の閉鎖が通告され、日本の外務省からも至急ドイツの大使館へ移るよう、再々の退去命令が千畝の元へ届きます。
その後もリトアニアに滞在が出来るギリギリまで、ユダヤ人にビザを発行し続けた千畝さん。
しかし、滞在が限界となった9月5日、ついにリトアニアからベルリンに向けて出発しなくてはいけなくなりました。
ところが、その駅にまでもユダヤ人の方が来ており、汽車が出発するぎりぎりまで発行を続けていたそうです。
結果として、約6,000人近くのユダヤ人を救うことになったのです。
引用元:http://www.jinken-net.com/gozonji/information/0907.html
その後、日本に帰国した杉原さんは1947年6月に外務省を辞めることになりました。
日本の外務省からしたら、「命令を背いた」という事実があるため、千畝さんの名誉をなかなか認めなかったそうです。
官僚は無謬主義なので、間違いを認めませんからね。。
そして、1985年1月、イスラエル政府からユダヤ人を救った人だけに贈られる「諸国民の中の正義の人」の称号を授与され、「ヤド・バシェム賞」を受賞しました。
この賞を受賞した日本人は、杉原さんただ一人!!
リトアニアには「スギハラ通り」という通りが出来た他、リトアニアの切手にも杉原さんの肖像が用いられたりもしているそうです。
世界に誇る偉大な日本人である杉原さん。
ざっと紹介しましたが、まとめると自身の危険を顧みず、ビザを発行したという決断をしたという杉原さんの生き方は、我々日本人は知っておいた方がいいと思いました。

引用元:http://www.sugihara-chiune.jp/
先ほども述べましたが、杉原さんの映画が2015年12月に公開されるそうですね。
このような素晴らしい日本人の方が取り上げられることはいいことだと思います。
杉原さんが生まれた岐阜県には、「杉原千畝記念館」があるそうなので、岐阜県に行ったときは、ここも取材したいと思います。
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詳細・地図

住所 神奈川県鎌倉市十二所512
開園時間 9:00-17:00
※お盆休みは6:00開園
駐車場 無料
電話番号 0120-954-400
アクセス JR鎌倉駅東口「5番バス乗り場」より京急バス「鎌倉霊園正門前(太刀洗)」・「金沢八景駅」行き15分、バス停「鎌倉霊園正門前(太刀洗)」下車
リンク http://www.kamakurareien.or.jp/

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