佐世保の勝富遊郭跡に建つ「松竹荘」に潜入取材!

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素晴らしい丸窓!

階段にある丸窓も素晴らしい・・

そんな大興奮している中、二階へと上がることに。踊り場の景色がこんな感じなのですが、もう凄いっすわ!このダブル丸窓も素晴らしいの一言。

早朝で外は明るいにもかかわらず、この階段には窓がないので夜みたいな雰囲気。でも、そんなくら〜い感じがなんだかたまりません。

廊下の屋根は三角屋根です。なんで三角なのかはわかんないですけど(⌒-⌒; )

二階のお座敷

で、二階の部屋はこんな感じ。先ほども書いたように、遊郭の時代からはだいぶ料亭向けに改装したため、内部は結構綺麗ですね。丸窓から日が射している感じがたまらん。

松竹荘は、佐世保ということでSSKの方が商談などで利用することが多かったそうです。今の時代とは異なり、昔は会社同士の取引は夜に行われ、こういう料亭で芸者さんがお酌をしたりする中で商談が決まるわけです。この一室だけでも、どれだけの取引が行われていたんでしょうね〜。

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先ほどのダブル丸窓を廊下側から写した写真。丸窓にはめ込まれた枝の組み方が大変素晴らしい。。

続いては宴会場を見せてくれることに!

小さな舞台がある宴会場

ここが宴会場。奥には小さいステージがあり、昭和の後期頃にはピンクレディーを踊ったりととても賑やかな光景がここにはあったそうな。畳の匂いなど、光景だけではなく五感で感じ取ったあの雰囲気が今でも忘れられない。。

ちなみに、この料亭は売春防止法後から改装して料亭になり、つい4,5年前(2015年頃)まで営業していたそうです。つい最近までやっていたんですね。

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各々の部屋の名前はこんな感じ。さすが、松竹荘というだけあって植物の名称が使われているようですね。ただ、梅に関しては紅梅とちょっとひねりが加えられている。

全部で何部屋あったんだろな〜。再度別の部屋へ!

色ガラスも素晴らしい・・

続いて見せていただいた部屋には色ガラスがはめ込まれていました!この緑の色ガラス、外から見えていてとても気になっていたんですが内部ではこんな感じなんですね。

こちらの部屋は絨毯が敷かれていますね。畳に絨毯という謎な組み合わせ。。ここもカラオケが置かれているし、人だり騒いだりした部屋だったんでしょうね。。何もないけどカラオケだけ生き残ってるのがなんかおもろい。

以上ですかね、今日はご主人さん色々とやることがあるそうでそこまでじっくりは見ることができず少し駆け足にはなりましたが、一通りは見せていただけたって感じです!

一階に降りてきて、再び一回を見回してみる!

細かな意匠が散りばめられている!

階段から降りてきたときに目が入るのがこちら。こちらはご主人さんは「桐の紋様ではないか?」とおっしゃっていましたが、それで正解かは不明。誰かわかります?(笑)

先ほどの松の紋様をよくみると、奥の扉に彫られているのは小鳥と波でしょうかね。小鳥の躍動感にしろ、なんとも素晴らしい形に彫られているではないですか。

コウモリの彫り物

こちらはコウモリっすね。コウモリって昔の建物でよく彫られているんですよ。中国の方では縁起のいい生き物とされているそうで、その影響なのではという声をちらほらと聞くんですよね。

これ、以前別の場所で見たことあるのでわかりましたが、初めて見るとコウモリとはわからんですよね。。

木の組まれ具合が素晴らしい

その他にも細かくあげると長くなるのでこの辺にしようと思いますが、やはり昔の料亭は見応えがありますね。今の建物のように合理性だけを求めず、いろいろな遊び心があって、見ているだけでとても楽しい。

素材なんかもすごく立派なものが使われていますよ。これだけの建物ということもあって、ここは大学で建築を専門にしている研究室の学生なんかも見学しに来たことがあるそうです。確かに建物を研究する上では、いい研究材料ですわな。

そんな感じで一通り内部を見せていただいた後、佐世保市の図書館などで集めた資料をもとに勝富遊郭跡の歴史に関してご主人さんの思い出話などを聞くことに!!

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赤線廃止後はブラジルへ・・

1958年4月1日発行の長崎新聞記事

お父さんはここが赤線だった頃に生まれたということで、記憶があるのはその頃からとのこと。その時にここで働いていたお姉さんたちに遊んでもらった記憶もかすかにあるとおっしゃっていました。

そしてここ勝富遊郭は、売春防止法が完全施行された後、つまり赤線廃止後はそういった売春は行われず皆が転職せざるを得なかったそうです。

長崎県は風俗営業には非常に厳しく、今では九州でも唯一大人のお風呂屋さんがない県ですしね。。そのため、赤線時代の特殊飲食店から多くのお店が旅館や料亭などに転業して行ったわけです。

中には旅館になった方もいれば、移民政策に乗っかって一家総出でブラジルへと旅だった方もいたという。その一家の土地を、ご主人のお父さんが買い上げてあげて、その資金を持ってブラジルへと旅だったそうです。。いや〜、すごい時代やな〜〜。

娼妓病院だった場所は老人ホームに

佐世保にあった病院は今では老人ホームになり、大きな遊郭があった開新楼の場所にはラブホテルが建ち、楽園事務所という組合事務所は勝富公民館になっています。

料亭に転業した三軒

松竹層のように、赤線廃止後から料亭に転業したのは勝富遊郭跡では三軒(八十女、湧水亭、松竹荘)だったそうです。その中でも、松竹荘はうまく当たったようで、4,5年前までずっとお店を続けることができたとのこと。

住宅街へと変貌する勝富遊郭跡

湧水亭ももう取り壊してしまって今では駐車場になってます。この勝富遊郭跡も、かつての歓楽街から住宅地へと変貌しているわけですね。今は営業はしていなくても、こうして建物が残っているだけでもマジで奇跡だと思います。

それは、ここだけではなく今も元遊郭として旅館を続けている山口県萩市の芳和荘や佐賀県武雄温泉にある白さぎ荘などなど。ンターハイに出場する学生などを泊めたりもしていた

しばらくは取り壊されないとのこと

「大した建物ではないですよ・・」とご主人さんはおっしゃっていましたが、素晴らしかったですよ!

ちなみに、この建物は今のご主人さんが生きている間は取り壊す予定はないそうですが、息子さんがどうするか次第とのこと。内部までは入らなくとも、外観だけでも素晴らしい造りが見られますので、ぜひ多くの方に見ていただきたいと思いますよ!

おわりに

素晴らしい建物だった!

今回は、松竹荘の中を特別に見せていただけて本当にこれだけでも佐世保に行ったかいがありましたよ(*’▽’)

と言っても、勝富遊郭跡には今回取材した松竹荘だけでなくその他にもいこはいくらか残っており、さらに佐世保市の歴史とも合わせるといろいろ掘り下げがいもあるし、現地で話を聞いたり図書館で資料も結構漁ってきているので今回とは別に勝富遊郭に関してまとめた記事を書く予定です!

といっても、書いてまとめるのにすごく時間かかるので記事を出せるのは結構先になってしまいそうではありますが( ;∀;)

ということで、首を長くしてお待ちくださいませm(__)m

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詳細・地図

住所 長崎県佐世保市勝富町8
アクセス JR佐世保駅から徒歩20分ほど

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