東洋一の陸軍飛行場跡に建つ戦争博物館「大刀洗平和記念館」の誕生秘話!

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世界初となる九七式戦闘機の復元物語

駅舎だった建物を利用して大刀洗平和記念館を運営していた渕上館長。そんな最中、1996年に博多湾で九七式戦闘機が引き上げられ、その戦闘機を復元してこの博物館に展示することになったのです!

しかもこの九七式戦闘機は、現在では世界で唯一現存するもの。果たして、この戦闘機をどのようにして展示までこぎつけたのか??

博多湾から戦闘機が見つかる

博多湾から引き上げられた九七式戦闘機

それはたまたま福岡県が1996(平成8)年に博多湾の探索を行っていた際のこと。その時に海中で何か怪しい物体がレーダーに引っかかったため、その物体を引き上げたことから始まりました!

いざ、引き上げてみるとそれはまさかの戦闘機。調べてみたら、今や世界中を探しても現存していない陸軍の九七式戦闘機だったのです。

ボロボロの状態の戦闘機

船に引き上げられた戦闘機はもう崩れかけたボロボロの状態。それもそのはず、実に50年近くもの間ずっと海中に沈み続けていたんですからね。

そんな戦闘機を見て、とある疑問が湧いてくるわけですね。

「この戦闘機にはいったい誰が搭乗していたのか?」

戦闘機を調べると、所有者は佐藤亨(さとう・とおる)さんであり、彼の愛機だと判明したのです。

残っていた箸箱から搭乗者が判明

ところがどっこい、実際に戦闘機から見つかった所持品を確かめてみると、博多湾に沈んだ際に搭乗していたのは佐藤さんではありませんでした。残っていた箸箱から、渡辺利廣(わたなべ・としひろ)大尉が搭乗していたことがわかったのです。

博多湾に不時着する前、渡辺さんは韓国の大邱(テグ)にいた時に、「隊長から至急(知覧の)基地に戻るように!」という命令が下ったそうです。出発を急いでいたものの自分の飛行機はまだ点検が終わっていなかった。そこで、既に給油も終わっていた佐藤さんの愛機と交換していたんだそうです。

そして知覧の基地へと戻ろうとした際、途中でエンジンが故障し、急遽博多にある海軍の飛行場に降りようとしたものの博多湾に墜落。墜落した後は漁船に助けられたそうです。

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2,000万円近い予算で復元した

九七式戦闘機が運び込まれる様子

戦闘機が引き上げられたということで、知覧など色々な場所がこの九七式戦闘機を展示したいと応募が集まることに。渕上館長も、大刀洗平和記念館を開いて10年目という節目の時期だしということで周辺の町長のハンコをいただいて町として応募をすることになりました。

その結果、引き上げられたのが博多湾ということで運ぶのに大刀洗はそこまで距離が遠くなかったことや、もともと東洋一の陸軍飛行場があったという歴史的背景から、大刀洗に展示することが決まったとのこと。

ただ、この戦闘機はボッロボロの状態だったため、博物館に展示できるように綺麗に復元する必要があったわけなんですね。富士重工で見積もりをとったら、その金額は1億ほど。。ところが、頑張って見積額を下げて2,000万円ほどにし、予算は町が出してくれるということになり、何とか復元にこぎつけることができたそうです。

修理している映像

復元は渕上館長は自身で建設会社をしていたことで、その従業員さんや館長の兄弟たちに手伝ってもらったそうです。

長い間海水に浸っていたため、中学校のプールに浸して塩抜きをしたり、後の細かいことはちょっと思い出せないんですが、一年間かけて九七式戦闘機を復元したとのこと。

復元直後の九七式戦闘機

そして無事に1997(平成9)年に今の大刀洗レトロステーションの場所に展示することになったのです。

講演会も行った

取材を行っているさなか、館長から上の写真のポスターを見せていただきましたが、復元の経験を語る講演会なんかも行ったりしたそうですよ!

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持ち主だった佐藤氏も来館

所有者だった佐藤亨氏

本来の持ち主だった佐藤さん。

佐藤さんは、何度か特攻隊として出撃はしたものの、最終的には不時着などをして生き残ったそうです。最後の特攻の際には不時着した木の中で三日間意識不明の状態で宙ぶらりんになってたとか。

その後、佐藤さんは月に一回ほど大刀洗平和記念館を訪れて、復元された九七式戦闘機を見たときは涙を流しながら機体をさすったそうです。

その後、毎年佐藤さんはここへと足を運んでいたそうですが、数年前に亡くなられたとのこと。佐藤さんは亡くなる前に「俺が乗っていた戦闘機は、ぜひ国か県でしっかり管理してもらいたい」と願っていたという。

最終的に町が管理することになり、新しい大刀洗平和記念館で展示されることになったということを、佐藤さんは耳にした後に亡くなったそうです。

佐藤さん、最後の願いが叶って本当に良かったですね!

現在は大刀洗平和記念館に展示

現在の大刀洗平和記念館

以上の経緯によって博多湾から引き揚げられたあと、渕上館長によって復元された九七式戦闘機。もともとは大刀洗レトロステーションに展示されていましたが、先ほども書いたように2009年に大刀洗レトロステーションの向かいに新しい大刀洗平和記念館が出来たことでそちらに移されることになったのです。

でも、残念ながら現在の大刀洗平和記念館で展示されている九七式戦闘機は写真撮影ができないんですよね。。なので、見に行った際はしかと目に焼き付けておいてくださいね!

羽の一部はレトロステーションに残る

ただし、大刀洗レトロステーションには九七式戦闘機の翼の一部分だけは残されています。上の写真のやつでジュラルミンで出来ているそうです。これだけ見ても原型はわからないし写真に撮っても・・と感じるかもしれませんが、貴重なものであることには変わりない。

平和記念館に展示されている零戦

ちなみに、現在の大刀洗平和記念館には海軍の零戦も展示されています。つまり、現在の大刀洗平和記念館には陸軍の戦闘機だった九七式戦闘機と海軍の戦闘機だった零戦がともに展示してあるんですね。

この二つを展示するとなった際、昔は海軍と陸軍が仲が悪かったこともあり「陸軍の飛行場だった場所に海軍の戦闘機を展示するのは・・」という声があったそうなんです。

しかし、戦争も終わりを迎えた時は日本の空母が激減していたこともあり、海軍の零戦が大刀洗飛行場に離着陸した記録が残っていたことから「ここに展示しても問題ないでしょう」ということになったそうです。

続きはこちら!渡辺大尉が、特攻前に母に残した手紙が残っていた!
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