うっすーーーー!
今回の記事はトイレです(笑)
というのも、福岡県北九州市には皆さんおなじみのトイレメーカーであるTOTOの企業博物館「TOTOミュージアム」があるんですが、ここがね、マジで超ウルトラ素晴らしい博物館なんですよ!!
別に私はTOTOのまわし者でも何でもないんですけどね(笑)
ということで、今回は二記事にわたってTOTOミュージアムについて、うんちくを混ぜ込ませながら紹介していきたいと思います~。今回の前編では、TOTOの企業が今まで歩んできた歴史を中心に(*´▽`*)
創立100周年記念で誕生した博物館
皆さんが普段利用するトイレ。そのトイレの中でも一番有名なトイレメーカーであろうTOTOの本社は、福岡県北九州市の小倉にあるんですよね!
日本のTOTOの創立100周年を迎える記念事業として、令和2年8月28日、本社がある福岡県北九州市に開設したんですな。
おお~、さすが企業博物館。めっちゃデザインとかもこってるばらしい雰囲気を醸し出していますな。
このトイレミュージアムは結構広くて、TOTO創業の背景から、会社の理念、さらには今まで世に出たたくさんの便器や水栓金具などなど、本当に見応え満点で、「えっ、これだけ満載なのに無料!?」って思っちゃうほど!
そんで、今回は博物館簿の取材ということで訪問したため、TOTO株式会社の広報担当の方に館内を案内していただきました(*´▽`*)
ではでは、館内を案内することにしましょう!
福沢諭吉のひと言が関係していた!?
館内に入って最初に現れるコーナーが「TOTOのあゆみ」に関する展示。
ということで、トイレメーカーであるTOTOはどのような背景があって今に至るのか、ちょっと学んでみることにしましょう!
TOTOのルーツは、1876(明治9)年の貿易会社「森村組(現:森村商事株式会社)」の創立までさかのぼります。
その創業者だったのは、森村市左衛門という人物であり、彼は鎖国が解かれた日本から大量の金が海外へ流出するのを目の当たりにしました。そこで、福沢諭吉から「金を取り戻すには、輸出貿易によって外貨を獲得することが必要」と説かれたことを契機に、弟と共に森村組を創立したのです。
そこで、アメリカに食器、花瓶、蒔絵(まきえ)などを輸出し始めたのです。
外国の洋食器は純白のものが求められたことから、森村組では白色硬質磁器の自社製造を決断。そこで、森村組は量産に向けて工場を建設して、1904(明治37)年に、日本陶器合名会社(現:ノリタケカンパニーリミテド)を創立することになったのです。
TOTOの企業関係図を見てみるとこんな感じ!
森村組からTOTOまでの線があるのがわかるかと思いますが、それ以外にもいろいろ分離しているんですね。
そんで、日本陶器合名会社がトイレ、いわゆる衛生陶器を製造・販売するキッカケになったのが、後にTOTOの初代社長となる大倉和親が海外視察に出掛けたとでした!
水洗便器を使用した欧米の快適で衛生的な生活文化を見て、これを二本にも普及したいと考えたわけです。
そして、水洗便器や洗面器などの衛生陶器の開発を目指して「製陶研究所」を設立。試行錯誤の上、1914年に国産初の腰掛式水洗便器が誕生したのです。
1917(大正6)年、日本陶器合名会社は、衛生陶器の製造・販売を目的とをする工場を北九州市の小倉に建設。その工場を、東洋陶器株式会社(現:TOTO株式会社)として分離独立させたのです。
「何で小倉に工場を作ったんすか?」って思ったかもしれませんが、それには主に以下の三つの理由があったんですね!
2. 燃料となる石炭を輸出する筑豊炭田が近い
3. 商品を輸出する際の港である門司港が近い
そう、TOTOは”東洋陶器”という名称からきているわけですが、元々の会社名は東洋陶器株式会社だったんですね!
何で名前に”東洋”が入っているかというと、当初は国内だけでなく中国や東南アジアでの事業展開も視野に入れていたことから、東洋を見据えているという意味で「東洋陶器」となったそうです。
ということで、ここまでで一旦、TOTOが誕生するまでの流れをまとめてみましょう。
→ 福沢諭吉の言葉がキッカケになり、商社である森村組を創立
1904(明治37)年
→ 外国で純白の洋食器需要があったことから、白色硬質磁器を量産するための会社として日本陶器合名会社(現:ノリタケカンパニーリミテド)を創立
1914(大正3)年
→ 海外視察に向かった大倉和親が、水洗便器を使用した欧米の生活文化を二本にも普及させたいと考え、衛生陶器を開発する「製陶研究所」を設立。そして、国内初の腰掛式水洗便器が誕生した。
1917(大正6)年
→ 日本陶器合名会社は、衛生陶器の製造・販売を目的とする工場を北九州市の小倉に建設 。その工場を東洋陶器株式会社(現:TOTO株式会社)として分離独立。この年にTOTOは誕生したというわけ。
という感じで、森村組が誕生してから、衛生陶器を販売する東洋陶器株式会社が誕生するまでの流れは理解していただけましたでしょうか??
食器販売が経営を支えていた!
館内にある「TOTOのあゆみ」のコーナーを抜けると、現れるのが食器のコーナー。
「何でTOTOの企業博物館で、こんなに食器が展示されてるんだ?」って思うかもしれないですが、実はね、水洗便器を作ったはよかったんですが、売れなかったんですよ。残念ながら。。
というのも、東洋陶器株式会社が創立した大正6年は、まだ日本中の下水道が整備されてなかったんですよね。。
ということもあり、作ったものの当時は需要がまだなかったわけです。。
やべぇ。。
このままでは経営が困難になる。。ということで、白羽の矢が立ったのが「磁食器の製造・販売」だったんですね!
分離する前の日本陶器株式会社(現:株式会社ノリタケカンパニーリミテッド)での食器製造事業の保管を行うことになったんです。
なぜ、瑠璃色が会社のカラーなの?
東洋陶器株式会社ではたくさんの食器を製造したわけですが、その中でまずこちらを紹介しなくてはいけないっすね!
この濃い青というか、紫っぽい色は「瑠璃色」と言われている色。これ、素人の私が見たら何も思わないんですが、実は食器を製造するうえで、この瑠璃色を出すのは結構技術的に難しいんだそうです。
でも東洋陶器ではそれが可能だったんですね!
そんな背景があったことから、この瑠璃色を大事にしており、今ではTOTOのコーポレートカラーになっているんですって。へぇ~、これは面白い!
とはいえ、食器以外にも使い方を応用させてこういった化粧台を作ったり、、、
タバコ用品を作ったりしていたみたいっす!
あと、TOTOの方に「食器の中で特に見物ってありますか?」と聞いたら、このデッカイ陶器の皿を案内していただけました。
これはあの有名デパートである高島屋から依頼を受けて作ったとのこと。
昭和30年代に入ると、国内の有名デパートでは各種の生活用品に関する展示会が開催されるようになり、高島屋から「世界に類を見ない大皿をつくってくれまへんか・・?」との依頼を受けて作ったそうです。東洋陶器の高度な成形技術があったからこそ作れたものらしいっすよ!!
はい!
ということで、TOTOには以上のような背景があったわけですが、食器を売りまくっているうちに、日本は太平洋戦争勃発、終戦を経て高度経済成長期へと突入。下水道のインフラもどんどん整っていき、住宅建設ブームによって衛生陶器の需要が増加していったんですね!!
そんで、食器製造は1970年に事業が停止、ここから、東洋陶器株式会社ではトイレメーカーとして爆進していくんです!
へ~、オモシロいな~!
おわりに
ということで、TOTOミュージアムに関して最初のエリアに展示してある企業の歴史に関して、この記事でまとめたところで、一旦記事を分けようかと思います。
全部をひと記事にするのはちょっとボリュームが大きいかと思いまして!
ということで、前半はこのくらいにして次回の記事である後半では、今まで世に出てきた、たくさんの水洗便器が登場しますww
↓こちらが続編になるので、よければ見てみてくださいね〜( ̄▽ ̄)
参考文献
詳細・地図
住所 | 福岡県北九州市小倉北区中島2丁目1−1 |
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入館料 | 無料 |
開館時間 | 10:00~17:00 (入館は16:30まで) |
休館日 | 月曜・夏期休暇・年末年始 |
駐車場 | 無料 |
電話番号 | 093-951-2534 |
アクセス | 北九州モノレール、香春口三萩野駅から徒歩約10分 |
リンク | http://www.aisei-rekishikan.jp/index.php |