【壮絶なる死】自らを犠牲に人命を救った「鬼塚道男」の物語!

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今回の記事は、戦後間もない時期に長崎県で起きたとある事故に関する記事になります。

この事故では、一人の長崎自動車でバスの車掌だった鬼塚道男(おにづか・みちお)さんが犠牲になるも、彼の捨て身の行動によってバスの乗客全員が救われました。

その事実を知った私は、自分のブログを通して、名もなき偉人である鬼塚道男さんのことを多くの方に知ってもらいたいということで、取材して記事にしたってわけです!

では、その全貌を以下で紹介します!!

本記事のポイント

・鬼塚さんは急坂を降るバスの車体に挺身して乗客を救った
・事故の後には、鬼塚さんを弔う「打坂地蔵尊」が建てられた
・鬼塚さんの話は地元の時津町では語り継がれているという

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いかにして事故は起きたのか?

今回の記事では、実際に事故が起きた現場付近の取材や鬼塚さんが車掌をしていたバス会社である長崎自動車への取材をも行いました。

ただ、まずはその事故の詳細から話す必要があると思うので、鬼塚さんはなぜ身を投げ出して乗客を守らなくてはいけなかったのか。その辺りから説明していくことにしますね!

馬力が弱い木炭バス

長崎県時津郡で事故は起きた

今回紹介する事故が起きたのは長崎県西彼杵郡時津町という場所。長崎市から北側にある場所ですかね。

長崎市周辺は起伏が激しい地形

そんな時津町の周辺は大変坂が多い場所。時津町に限らず、長崎市周辺は全体的にすりばち状の地形をしているんですよね。そのため、今回の事故が起こった打坂のような急な坂は多かったんでしょうな。。

そんな急な坂が多かった長崎市周辺では、戦後の時代、長崎自動車のバスが走っていたわけですが、その時は知っていたバスは今のような馬力のある乗り物ではなかったんですね!

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昭和初期に走っていた木炭バス

戦後間もない日本では、今のようなディーゼルエンジンのバスではなくバスの後方で木炭を炊いて走っていた「木炭バス」というバスがノロノロと走っていました。

木炭を炊くガスの発生炉はよく故障をしていたらしく、さらには坂が急で馬力が足りなかった時は、乗客の方にバスの後ろを押してもらうなんてことも度々あったそうです。

戦後の物資が不足していたということもあり、人の数に対してバスの数が足りず食料の買い出しや通勤の人で、いつも朝は通勤ラッシュのように超満員だったそうです。

大人数を運べたトレーラーバス

物資が足りず、人が増えていたこの時代ではとにかく一台のバスでいかに大量の人数が運べるかということが課題だったこともあり、上の写真のようなトレーラーバスまで誕生。乗客車両と運転席が切り離された大型トラックのような作りになっているこのバス。

しかし、これが原因でかつては神奈川県横須賀市で多くの死者を出す大火災事故が発生してしまうなどしてトレーラーバスは姿を消すことになります。

↓このトレーラーバス事故に関して以前書いた記事

そんな戦後の時代に、鬼塚さんが犠牲となった事故が発生したんですね。。

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ブレーキが故障してバスが暴走!

長崎自動車のバス
引用元: https://this.kiji.is/507366140269462625

んで、今回紹介する事故が起こったのは戦後の1947年9月1日でした。この日も、いつものように鬼塚道男車掌が乗っていたバスは運行していたわけです。ところが、いつもの運行ルートを通っていたバスは、午前10:00頃、運行ルートにある”打坂”と言われる坂を走っているさなかに問題が発生したのです。

戦前の打坂の地図

実はこの坂、当時は非常に急勾配な坂であり、片側は10メートル以上の深い崖がひかえていたことから”地獄坂”とも言われていた坂だったんですね。

その打坂を上っていた木炭バスですが、なんと坂を登り切る寸前でブレーキがまさかの故障。。ずるずると坂を後退し始めてしまったのです。

ゆっくりと後退しながら坂を下っていく木炭バス。鬼塚車掌はバスを飛び降りて、何とかバスを止めようと周囲にある石を車輪の下に入れるもバスは止まらない・・。

しかもこの打坂、超絶ウルトラへたくそな絵で申し訳ないですが、上の図のように上り坂の手前でカーブしていることから、バスはただ坂を後退していただけでなくその先に待ち受ける断崖絶壁の崖に向かって進んでいたのです。。

そのため、鬼塚さんも何とかしてバスを止めなくてはバスが崖から落っこちてしまう。。しかしどうすることもできない、、

ところが、、

バスは止まったのです。。崖に転落するまさに直前で、乗客の誰一人犠牲者を出すことなく無事に停車しました。一人の犠牲者を除いて。。

自らの体を犠牲にして乗客を救った

そう、鬼塚さんは自身の体を輪留めにしてバスを停止させたのです。

この時、乗っていた乗客は現場を去っていたようで、運転手さんが涙を流しながら一人でジャッキで車体を持ち上げていたとのこと。鬼塚さんの首と足には車輪の跡が残っており、鬼塚さんは病院に搬送される途中で息を引き取りました。

事故直後の様子は、長崎自動車の社史に記載されています。

1947年9月2日の長崎新聞の記事

享年21歳。あまりにも若い死ではあるものの、バスの下に身を投げて乗客を救ったという勇気ある行動は、その後、長崎自動車の誇りある歴史として語り継がれることになるのです。

翌日の長崎新聞にもこの事件は掲載されていました。この新聞は、長崎市立図書館で新聞のアーカイブをさかのぼって複写したもので、タイトルには「身を捨てて乗客を救ったバスの車掌」と書いてますね。

事故が起きた打坂へ!

飛行機に乗って、いざ九州へ

事件の背景を知り、いてもたってもいられなくなった私。この鬼塚さんの話は数年前に知ってはいたものの、神奈川県に住んでいたこともあり取材をしたくてもなかなかそれが叶わなかったんですね。。

そこで、2019年3月に一旦フリーランスの仕事を切り上げて次の現場へと働くまでの間の期間を使って、2019年4月の一か月をこの取材をするのを一番の目的として九州取材に充てたわけです!独身だからこそなせる業(わざ)www

ということで、羽田空港からLCCを使って九州へと向かったのでした!

打坂地蔵尊がある国道206号線

そんな経緯で九州で色々取材を済ませる中、時間を作って鬼塚さんを弔うお地蔵さんである打坂地蔵尊がある場所へ向かいました。場所は「長崎県西彼杵郡時津町」という場所。

国道206号線の緩やかな坂が長く続く場所に、そのお地蔵さんは佇んでいました。

鬼塚さんを弔う打坂地蔵尊

そしてありましたよ、これが、このお地蔵さんが鬼塚さんを弔うために建てられたものか。

打坂地蔵尊はGoogleMapでも地点登録されているため一瞬で見つけることができましたよ。結構新し目な花が添えてあったので最近誰かがお線香をあげに来たんでしょうか。

ひとまず、多くの命を救って亡くなった鬼塚さんに両手を合わせる。。

今は打坂があった場所は整備されており、当時の坂は残っていませんでした。現在お地蔵さんがある場所も実際の事故現場というわけではなく、このお地蔵さんも今の場所に始めから建っていたわけではなく、別の場所から移転されたそうです。

今の場所も緩やかな坂にあり、私は30分くらいいましたが非常に強い風がずっと吹き付ける場所でした。

石碑に事故の経緯が刻まれている


鬼塚道男君は、長崎自動車株式会社の車掌として勤務中昭和二十二年九月一日朝長崎市打坂付近の坂上に於て木炭バスが故障し断崖に転落せんとするや咄嗟(とっさ)に車体の下に挺身依って大惨事をくいとめ自ら乗客三十有余の生命に変わりて散華せり享年二十一・・

碑に書かれている文章

多少はかすれてしまっているものの、石板に刻まれている文字は今でも充分読むことができますね。

周囲はとにかく坂が多い・・

事故があった打坂は現存しないものの、周囲を見渡すととにかく坂が多いこと。そもそも長崎県は坂が多いことで有名でもあり、長崎市に至ってはすり鉢状になっていて平地が少なすぎて、ほとんどの方が自転車を利用しないという町。

この時津町もとにかくアップダウンだらけで、以下に長崎県に坂が多いかを納得させるには十分な景色。

話を聞いたお姉さん

誰か人がいたらお地蔵さんのことをについて話しかけてみようと思ったんですが、誰もいなかったためお地蔵さんの裏にあるドン・キホーテで働くお姉さんにも少し話を伺いました。

お姉さん:「あ〜あのお地蔵さんですね。このお店では特に話題にはなっていないですが、小さいときにお母さんから聞いたことがあります!地元の方は結構知っているみたいですよ!」

ということで、地元民の間では語り継がれている話ではあるようです。

現地取材ではこれくらいしかできずちょっと満足には欠ける状態。。とはいっても、お地蔵さん周辺はドン・キホーテやケンタッキーなどのお店はあるものの、このお地蔵さんにまつわる話を聞けそうな場所は皆無。。

取材申し込みの電話を

そこで、咄嗟にダメもとではありますが、鬼塚さんが勤めていた長崎自動車に話を聞くことができないか電話で聞いてみることに。

すると、なんとまさかのOK!!

いや~こういうのは電話してみるものですね。予定を聞くと、翌日の午後であれば時間が取れるということで、翌日に私は長崎自動車への本社へと出向くことにしたのです。

続きはこちら!長崎自動車の本社を突撃取材!?
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