かつての繁華街だった「ぶらくり丁」

ソープ街の次は、昔は和歌山市内の繁華街だったエリアに焦点を当てましょう!上の地図のピンク色で塗ったエリアですね!
残念なシャッター街に・・

国際劇場や松竹築地映画劇場、和歌山帝国座など多くの映画館、パチンコ、スマートボール、トルコ風呂、飲み屋など遊ぶ場所はたくさんあり、商店街には個人が営む呉服屋、履物屋、時計屋などの商店が並んでいたようです。
ところが、今はイオンなどの大型百貨店にその需要を食われてしまい、個人商店の雑貨屋さんなどは常連さんで何とかしのいでいる。。というかしのげているのだろうか・・( ;∀;)

今では、昼間であっても人通りはマジで皆無。。そして肝心のお店も半分以上のお店がシャッターが下りている状態。栄えていたころは、商店街の中に違法駐車がズラララララッと停まっていたほどだったとか。
みんな、どこへ行ってしまったのか?と思ってしまうほど。。

この商店街にある看板は、こんな懐かしさを感じるものもあります。

そして、スマートボールのお店も健在。この辺のお店ではかなり古い方のお店で、店主はのんびりと店内で新聞を読みふけていました。
暴力団もはびこっていた街だった

そんなぶらくり丁周辺には、暴力団もはびこっていたとのこと。近くの和歌山ソープ街も、暴力団が盛んだったころは場所代やおしぼり購入など、付き合いはあったのでしょうか??
ただ、現在はぶらくり丁商店街の中に、かつて違法カジノだったという喫茶店跡が残っています。店名は「喫茶パラダイス」(笑)

よく店のドアを見てみると、ただの喫茶店のはずなのに「暴力団関係者お断り」という札、そして「風俗営業」という鑑札も貼ってありますな。

街をよく見ると、所々に「暴力団追放」的な文言が見られます。

ぶらくり丁を広めた「和歌山ブルース」

バブル期頃までは和歌山市一の歓楽街であったぶらくり丁。そして、そこにはその街をモデルにした歌謡曲まで誕生していたのです。それが、1968年9月にリリースされた「和歌山ブルース」。
私は全く世代ではないので知りはしてないですが、古都清乃(こと・きよの)さんによって歌われたこの曲によって、ぶらくり丁の名は世に広まったそうです。この歌碑は一般公募の中からデザインが決定したそうで、レコード盤を模していた直径1.8mの御影石製。
ただこれ、さっきおっさんがここに座って黄昏てたんですが、ベンチではないんですよね?(笑)

歌碑には、この碑の設立背景や歌詞や譜面が書かれています。そんで、真ん中にある白いボタンを押すと割と大音量で和歌山ブルースが流れ出します(笑)

この歌碑が出来たのは2004年5月22日の事。市民の方々が寄付をしてくれたことで誕生したんだそうです。碑には、1万円以上の寄付者の名前もずらりと記載されています。
ただ、この和歌山ブルースが発売されたのは高度経済成長期真っただ中の1968年でしたが、それからしばらく経った1991年6月21日には宮川大助が歌う「新・和歌山ブルース」が発売されているようです( ;∀;)
それは、和歌山駅の近くにあるラーメン屋の店主から聞いた話なのですが、特に日にはその記載は何もないし、、新しい方の歌は流行らなかったのかな??

そんな和歌山ブルースの効果もあってか、バブルの頃は商店街に違法駐車がズララララっと並び、いくつもの映画館もあって大変賑わったそうです。今の風景を見てるとそんな賑やかだった光景を想像できないですけどね。。