吉原で愛される明治38年創業「桜なべ 中江」の歴史とは!?

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)

こんちわっす!

博物館を中心に、日本中の知られざるスポットをひたすら紹介するブログ「知の冒険」。今回紹介するのは、吉原遊廓のそばにある明治38年創業の老舗『桜なべ 中江』っす。

何でこのお店を記事でピックアップしたかというと、今回はただ食事しただけじゃなく、お店のイベントに参加したため、中江、そして吉原遊廓の歴史について解説・案内していただけたんですよね!

んで、マジで自分的には大変楽しめたのと、歴史好きにはたまらない話をたくさんしていただいたので、今回の記事ではその辺の内容をまとめて紹介したいと思います~(*´▽`*)

本記事のポイント

・明治38年創業で、築100年近い有形文化財の建物
・桜なべは吉原発祥で、馬力をつけたい客に人気だった
・建物には素晴らしい意匠の欄間など見所たくさん!

スポンサーリンク

吉原遊廓跡のそばで100年以上続く老舗

夜のお店が連なる吉原

吉原遊廓に関しては、知の冒険を始めて3年くらい経ったときですかね、そのときに調査をしに来ました。それからめっきりこの場所に来ることはなくて、今回は本当に久々の訪問。

今までいろんな場所の遊廓跡を調査しては来ましたが、初期の頃の記事にはなりますが吉原遊廓も調べているので、よかったら見てみて下さい~<m(__)m>

登録有形文化財に登録されている建物っすよ

そんな吉原遊廓のエリアからすぐの場所に、今回のターゲットである老舗「桜なべ 中江」があるんですね!

ここ、前からずっと行きたかったんですけど、なかなか行く機会がなくてですね。。一応一人客も多いみたいで、一人で入ろうとも思ったんですが、ただ食べるだけってのもなんだかな~と思ってたので、今回みたいにお店の歴史とかを教えていただける機会があって、私はテンション上がりまくりですよ(*´▽`*)

館内に入って早速二階へ!

今回は、普段からお世話になっている老舗食堂さんのお誘いで、参加することが出来ました。今回のイベント、他の参加者も全部合わせると10人でしたかね。

今回のイベントは、中江の四代目のご主人さんが説明&案内をしてくれたので、まずは吉原遊廓で流行った「桜なべ」の歴史についてまとめようと思います!

吉原遊廓で大人気だった桜なべの歴史

ではでは、まずは「なぜ、『桜なべ 中江』が吉原でお店を開くことになったのか?」についてから始めようと思います!

いつの写真かわかりませんが、店内にあった昔の中江

中江が創業したのは明治38年でしたが、そのころ、吉原界隈では「桜なべ」は大変人気の食べ物だったようで、吉原周辺 だけでも最盛期は20~30軒はあったそうです。

そもそも、桜なべとは馬肉を使った料理ですが、四つ足の動物の肉をこれだけ食べるようになったのは明治時代からでした。

江戸時代のころ、日本では「江戸時代は四つ足は食べてはいけない!」という状況だったようですが、明治時代になると、日本は富国強兵・殖産興業の国へと方向転換していくことになります。

そして体格も欧米人に比べると、日本人は小柄だったんですね。。となると、「もっと肉を食って強靭な体にしていかなければいかん!」となっていき、明治時代になって四つ足の動物の肉を食べることが奨励されることになりました。

そこでまず流行ったのが横浜の牛鍋とのこと!

明治28年創業の老舗『荒井屋』

横浜の関内には、今でも牛鍋の老舗として「太田なわのれん」「荒井屋」「じゃのめ屋」の三店があるように、牛鍋は横浜へ物見遊山にやって来た方々が食べた人気料理でした。

そのうち、「太田なわのれん」「荒井屋」の二店は私も足を運んでいましてですね、、「太田なわのれん」には、老舗食堂さんと訪問したことがあるのと、「荒井屋」は友人の結婚祝いとして友人を連れていきました。連れて行ったとはいえ、私が行きたかったんですけどね(笑)

横浜で大人気だった『牛鍋』

こちらは荒井屋の牛鍋なんですが、これはこれは値段が張るだけあってマジで旨かったですよ!

また、今度誰かを引き連れていくと思いますわww

ということで、横浜で牛鍋が流行ったこともあり「牛を食べるなら馬も食べよう!」という流れから、桜なべが誕生したそうです。

そして、その桜なべが吉原で流行ったのは「馬力をつける」ためでした。

“馬力”という言葉は、「馬を食べて元気になる!」が語源となっており、「馬力をつけてから吉原に遊びに行こう!」あるいは「吉原で馬力を使い果たした人が、馬力を補充する」という需要があったことから、吉原界隈で桜なべが流行ったそうです。

馬をどうやって調達したのか??

吉原最後の料亭『金村』にあった馬の置き物

以上のような背景があって吉原で桜なべが流行ったみたいですが、となると、それだけ馬が必要になります!

となると、「どうやって、桜なべの馬肉を調達したか?」という疑問が湧くかと思います。

まず一つは、ここら辺は農耕地だったため、農耕用の馬がたくさんいました。さらには、浅草の方には「馬道通り」という通りが今も残っているんですが、ここでは人や物を運ぶ馬がたくさんいたんですな〜。

それらの馬が年をとったり動けなくなると、食用に回されたそうです。

そんな背景があって、桜なべの馬肉は調達できていたとのことです。

あとは、馬に乗って吉原に遊びに来たお客さんの借金の肩代わりとして馬が預けられたなんて話もww

吉原の中に入って、ついつい羽目を外して遊びまくってしまい、会計の時にお金がなくなってしまった。。んで、借金の肩代わりに馬を預けて、それが周りに回って桜なべ用になったというのも。

そんな感じで、馬を調達していたみたいです。以下にサラッとまとめておきますね。

桜なべ用の馬はどこから?
1. 周辺が農耕地だったため、農耕用の馬がたくさんいた
2. 人や物を運ぶ馬が動けなくなった時に、食用に回した
3. 馬に乗ってきたお客が文無しになり、借金の肩代わりに預けられた馬を用いた

そうして吉原界隈で桜なべは流行ったのですが、太平洋戦争など時代の流れによって、今は中江一軒のみとなってしまいました。。というのも、戦時中は国内にいた馬が軍馬として徴用されてしまった関係で、その時期は国内で馬肉を調達することが困難だったみたいなんですね。。

そのため、東京大空襲の被害を受けて再建したとしても食材が調達できなかった。。それが結構大きな引き金となったようで、続々とその時代のお店が閉業してしまったんですって。

ただ、中江は馬肉こそ手に入らなかったものの、建物があったので別の食べ物を出すことによって生き延びたそうです。

ちなみに、現在はというと、北海道で生まれて福岡県久留米市に契約牧場があり、そこで育った馬が用いられているとのこと。この辺は、また以下で詳しく説明します!

築100年近くになる文化財の建物

吉原発祥の桜なべについて書いたところで、続いては中江の建物に目を向けてみることにしましょう!!

関東大震災直後に再建された建物

明治38年に開業した中江。今の建物は関東大震災直後に再建されたものとのことで、築100年近くになるわけですが、今まで何度か燃えたりなどの被害を受けてきているようでして、以下に簡単にまとめてみます。

中江の建物が経てきた歴史
1911(明治44)年
『吉原炎上』という映画のモチーフになった火事である、吉原大火で燃えた。
1923(大正12)年
関東大震災も燃えて、翌年に建て直した。
1945(昭和20)年3月20日
東京大空襲で東京の下町一帯が燃えた。この建物は燃え残った。三軒となりに落ちた焼夷弾が不発弾だったため、奇跡的に燃え残った。

吉原大火、関東大震災、さらには東京大空襲によってダメージを受けたものの、東京大空襲の時は三軒となりに落ちた焼夷弾が、たまたま不発に終わったことで、中江の辺りは致命的なダメージを受けず生き残ったそうです!!

この焼夷弾が爆発してたら、今の建物は無かったんですね。。

天ぷらの老舗『土手の伊勢屋』

そして、中江のすぐお隣には、こちらも明治22年創業の老舗『土手の伊勢屋』がありますが、この建物も東京大空襲から生き残ったのは、同じ要因からでした。

東京ではこうして二軒となりあって築100年近い建物が残っているのは大変珍しいということもあり、「桜なべ 中江」「土手の伊勢屋」の二軒は同時に国の重要文化財に認定されたんですな~!

ちなみに、土手の伊勢屋には、知の冒険を始めただいぶ初期の頃に訪問してますので、良ければこちらの記事も見ていただければ嬉しいです<m(__)m>

では、ここからは中江の建物の内部を見てみることにしましょ〜〜!

素晴らしい意匠の欄間

中江の建物の中でも、一番素晴らしいと思ったのは、二階の広間にあるこちらの欄間。今まで、いろんな古い建物に行ってはいろんな欄間を見てはきましたが、これは本当に素晴らしいですわ!

左から梅、松、桜、そして間には竹

欄間には、松竹梅、または鶴や亀などが用いられることが多いです。しかし、中江は桜なべの店ということで、「松竹梅」+「桜」の四つの植物が彫られているんですね。

左から梅、松、桜が彫られており、この三つの意匠の間に竹が彫られているという、めっちゃ粋な造り。これは本当に見惚れてしまいましたよ(*´▽`*)

あとは二階に床の間があるんですが、、、

上の写真の矢印で示しているように、材木には黒檀(こくたん)や紫檀(したん)も取り入れられているみたいです。銘木である黒檀はたいへん高価で、これ一本でベンツ一台買えるくらいの値段とのことww

ちなみに、一階はこんな感じになってまして、、

桜の木&網代天井

天井には桜の木が使われ、網代天井も見られるつくり!

さらにさらに、こんな感じで松、竹、桜が建物に取り込まれており、、

四角形の珍しい竹も用いられていた

階段の脇には、図面角竹という人工的に角竹として成長された竹も用いられていました。四角形の竹って、珍しいっすな〜〜。

菊正宗にない菊正宗のポスター

あと、注目したいのがこちらの菊正宗のポスター!

こちらが大変貴重なものでですね、カラー印刷が発明される前の物で、白黒の絵に、絵師が一枚一枚カラーにするために絵付けをしたものとのこと。

菊正宗ということで、芸者さんが着ている着物の柄も、菊なんですね~。

菊正宗の前身である「株式会社 本嘉納商店」の文字が!

そして絵だけでなく額縁も貴重で、上の写真をよ~~く見ると「株式会社 本嘉納商店」と書いてあるのがわかるかと思います。これは、菊正宗酒造に社名変更する前の社名。ポスターだけではなく額縁ごと菊正宗からいただいたものなんすな~~。

菊正宗は神戸の灘の蔵元であり、1995年の阪神淡路大震災で蔵元が失われてしまったことで、このポスターは菊正宗の方に残ってないとのこと。。作成元に無いものが中江に展示されているということで、大変貴重なポスターなんですって!

二階にあるこちらは、お相撲さんの手形。左側が千代の富士、そして右側が八角理事長。心技体の文字は九重親方が書いたもの。

元横綱の手形ということで、一般人に比べるとやたらデカイかと思いきや、意外に皆と変わらない大きさとのこと。ということで、 みんなこの手形の隣に自分の手を置いて、大きさを比べる形で写真を撮るみたいです。

あと、一階には市川團十郎さんの色紙もありました!

ここだけ老舗感ゼロっすねww

ちなみに、入り口の左にはこんな一角があります!!

ここだけ見ると資生堂のコーナーかと思うかもしれませんが、これらは「美麗肌美容液」「精製馬油桜油」「こうねクレンジングオイル」「馬油石鹸」という、馬の油を使ったスキンケアとのこと。

馬の油であるマー油は、昔から火傷の薬として、最近では保湿として乾燥肌にいいということで使われていた。コロナになってアルコール消毒しすぎて手が荒れたとか、ずっとマスクして口の周りが荒れたということで、通年売れるようになったとのこと。

あーだからか。外に「やけどに馬の油有ります」って札があって何だろう?って思ったんですが、そういうことだったんすね!

という感じで、中江の建物について、さらに今回の記事ではカットしますが吉原遊廓跡も解説していただきながら散策をし、最後に再び中江に戻ってきて、名物の桜なべを頂くこととなりました!

激ウマの桜なべを頂く!!

いや~もう腹減って死にそうでしたし、もう思う存分中江の桜なべを堪能しようと思いますよ(*´▽`*)(*´▽`*)

メインの桜なべ

先ほども書いたように、中江の馬肉は北海道で生まれて福岡県久留米市にある契約牧場で育てられた馬が用いられています。他所で使われる馬刺し用の肉とは違い、桜なべに用いてもおいしいように特別に育てられた肉を用いているんですよ!

桜なべ用と馬刺し用では、馬刺しは生で食べるので見た目の鮮やかさだとかが重視されます。そのためには1~2歳ほどの若い馬を使うんですが、成長が若い分、味がのりません。それを桜なべに用いてしまうと、馬肉の味が鍋の旨味として出ていってしまうんですね。。

そこで、桜なべ用には7~8歳まで熟成させて育てる必要があるんですな。そうすると、肉自体にも味が残るため、あまだれ醤油のようなものを使う必要もなく、生醤油で食べれるのです。

臭みが一切ない中江専用の馬肉

中江では、その桜なべ用に育てられた肉を馬刺しとしても食べるのですが、中江の物はニンニクを使って臭みを消す必要もなく、 ショウガ醤油で食べられるのが特徴。

馬刺しの握り

さらには、馬刺しをこうして握りにしたものも食べることが出来ます!

どんどん食べちゃいます

桜なべは、鍋の底が浅いということもあってか火の通りがめっちゃ早いです。気の短い江戸っ子が食べる食べ物でもあり、火をつけて早ければ一分くらいで食べれてしまうほど!!

鍋の真ん中には馬の脂身があり、脂身は飴色にまで煮込んだ方が旨いので、肉→野菜、そして最後に脂身を食べます。

すき焼きのように卵につけて食べます

ひとつひとつ卵にダイブさせて肉を食い、またダイブさせてってやると肉に火が通り過ぎて硬くなってしまうので、まずは卵に肉を避難させてから食わないといけないんですね!

この辺の肉の焼き方が分かってないと、せっかく中江に来ても硬い肉を食うことになってしまうので、このお作法は結構重要な内容だったりします。

これ、最強に旨かったです!!

あと、これは言いたいんですが、お麩が最強に旨かったです!!

桜なべの汁が良い感じでしみてましてですね、もうこれは南湖でも食えますよ、本当に!

そして具を全部食べ切った後は、肉をつけてた卵を鍋の中にダイブさせて、、、

最後は締めのごはん(あとごはん)として、茶碗によそってご飯と一緒にいただきます。

という感じで、中江の歴史、そして吉原の歴史、さらには吉原発祥の桜なべを存分に堪能した、実に濃密なひと時を過ごさせていただきました(*´▽`*)

おわりに

はい、以上になります!

いかがでしたでしょうか。明治38年に創業してから112年もの歴史を経てきた中江の歴史を少しばかりここで紹介できたと思います。

そして、吉原発祥の桜なべは本当に絶品ですし、令和になった今でも、こうして明治からの老舗で味を楽しめるというのが本当に幸せなことでございますよ。

んで、本記事はここで終わりになるんですが、この記事には続きがあります!

料亭『金村』の客間

今回のイベントでは、吉原遊廓跡にある中江の別館である『金村』も案内していただけたんですよね。ここは100年以上も続く老舗料亭『金村』が廃業したあと、その建物を使って中江が別館として使いたいということで今も現存してる建物。

ここも、今の中江のご主人さんに解説していただきながら案内していただいたので、良ければそちらもご覧いただければ嬉しいです(*´▽`*)

んで、金村の記事は、今書いてますので、もう少々お待ちくださいませ!!

ではでは、また次の記事でお会いしましょ~~

参考文献

↓よければクリックをお願いします

詳細・地図

住所 東京都台東区日本堤1丁目9−2
営業時間 平日夜営業:17:00~21:30L.O.
土日祝:11:30~20:30L.O.
定休日 月曜日(祝日は営業)
駐車場 なし
電話番号 03-3872-5398
アクセス 三ノ輪駅から徒歩10分ほど。
JR南千住駅から徒歩15分ほど。
リンク http://www.sakuranabe.com/

知の冒険TOPへ

↓↓twitterもよろしくです
※ほぼ毎日つぶやき中
こちらの記事もどうぞ!
この記事も読まれてます!
関連コンテンツ
関連コンテンツ



  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です