120年以上続く老舗天ぷら屋「土手の伊勢屋」の歴史に迫る!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)
今回は老舗の天ぷら屋に関するお話です。知の冒険では、飲食店系だとラーメン屋が多いですが今回は珍しく天ぷら屋が記事の対象です!
記事を書くにあたりお店に行って天ぷらを食べてきたのですが、ここは鬼の行列店でもあるため開店のはるか前に行列に並んで食ってきましたよ!では、以下で紹介していきます!
本記事のポイント

・土手の伊勢屋は120年続く老舗のてんぷら屋
・昔は、近くに吉原遊郭があったことから遊郭関係者の方が多く訪れた
・てんぷらは昔は串で提供しており、お客は暖簾で手を拭いていた

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土手の伊勢屋はどこにある?

土手の伊勢屋
土手の伊勢屋は、東京にあります。東京のどこかというと、三ノ輪橋駅が最寄駅ですな。三ノ輪橋ということで東京都の北東の位置にあり、有名な駅だと上野や南千住が近いかなと!
土手の伊勢屋
周囲には山谷のドヤ街や吉原など知の冒険でも記事にしているスポットがある場所になります。そんな場所であるため、お店の周囲には特に名物的な観光地はありませんが、それでも多くのお客さんがこのお店に訪れるのですから、凄いことですわ!

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土手の伊勢屋の歴史

記事のタイトルにもあるように、このお店は120年以上もの歴史があります。ということで、お店の歴史をここで紹介していきます!
土手の伊勢屋
▲風情ある「いせや本店」の外観
土手の伊勢屋は1889年(明治22年)に創業しました。初代店主は「若林儀三郎」という方。現在は4代目の店主である「若林喜久雄」という方なのだとか。そして、5代目の方が修行しているという。
まだまだ、これからも伊勢屋の歴史は続くのですな!
土手の伊勢屋
土手の伊勢屋
▲吉原遊郭の入り口だった交差点
そして、昔のお客さんの多くは吉原遊郭の関係者の方だったという。というのも、このお店は吉原遊郭のすぐそばにあるというだけでなく、吉原遊郭唯一の出入口であった「吉原大門(よしわらおおもん)」の近くにあるです。ということもあって、吉原に訪れるお客さんや客引きなどでお店は賑わったという。
上の写真は吉原大門の交差点。この先に吉原大門があったのです。吉原の入り口は、遊郭の様なものは外から見えないようにと道をS字にしているため、中は見えないようになっています。

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土手の伊勢屋
このお店は、2010年に「登録有形文化財」に認定されました。東京の建物は、関東大震災や東京大空襲によって古くからの建物はなかなか無いものですが、この建物は関東大震災で倒壊した後に1927年に建て直されたという。
▲桜鍋で有名な「中江」
ちなみに、この店のお隣にある桜なべで有名な「中江」というお店も、築90年の建物で同じく「登録有形文化財」に指定されています。桜鍋とは馬肉を使った鍋のことです。
この中江同様に、近くには馬肉を扱うお店が多いですが、それはかつて吉原遊郭で遊びたいお客さんがお金がない場合は、自分が所有している馬を売っていてその馬が周ってきて馬肉を手に入れられたという話があります。

実際に行ってみた

実際に伊勢屋に行ってました。私の住まいは川崎市ということもあり、早い時間に三ノ輪橋へと向かい、早く来すぎたので周囲をうろつき時間をつぶしてからの来店になります( ;∀;)

開店時間50分前に並ぶ

土手の伊勢屋
▲開店の50分前に並んでみた
土手の伊勢屋は屈指の行列店としても有名です。待ち時間がどのくらいかかるのかはわかりませんが、とりあえず戦闘で並ぶために開店の50分前から並ぶことに!
開店は11:00であるので、並んだのは10:10。さすがにこの時間に並んでいるお客さんはいませんでした!でも、天ぷら屋は早いうちに訪れた方がいいと、吉原のボーイさんに言われました。その方が、油が新鮮だからとのこと!
土手の伊勢屋
並び始めてから数分後、店内から女将さんが椅子を出してくれました!
土手の伊勢屋
そして、開店30分前の10:30。さすが行列店、ぞくぞくとお客さんが集まってきました!しかも、今日はあいにくの雨・・。

土手の伊勢屋の店内

土手の伊勢屋
▲風情ある「いせや本店」の店内
50分間も並び、ようやく開店だ!いざ店内へ!さすが創業127年のお店。風情というか、古の雰囲気がたまらないっすわ!入り口付近にはテーブル席があり、奥が座敷になっている模様。お客さんは、年配の方や家族連れが多いようです。
若い人は少ないというか、若い人はこの店知らない人が多いんではないですかね!ちなみに、一人で来た客は私以外に誰もいなく、自動的に相席になるため、ちょっと一人では来づらいかもです!
土手の伊勢屋
席の正面に飾ってある絵。浴衣美人が写っとります。

実際に食べてみた

土手の伊勢屋
席について注文を済ませます。おひたし?とお茶が出され、しばし待機!

メニューはこんな感じ

土手の伊勢屋
メニューは上記のようになっています。一般的な「大、中、小」や「松、竹、梅」のようなランク付けではなく、「イ、ロ、ハ」と天丼が分けられています。
これは、1品1品それぞれに良さがあるため、ランク付けをしたくないという想いからこのようなメニューになったそうです。

丼に収まりきらない天丼

土手の伊勢屋
▲超ボリューミーな土手の伊勢屋の「天丼(ハ)」
これが、土手の伊勢屋の天丼(ハ)です!!すげぇ豪勢!そして、丼からはみ出るはみ出る(笑)2,500円だと結構高いランチになりますが、1回はぜひ食べた方がいい一品ですぞ!
土手の伊勢屋
お吸い物も頼みました!
土手の伊勢屋
この伊勢屋の名物と言えば、このどでかい「アナゴ」です!丸々1匹が使われており、このアナゴは東京湾でとれたホンマモンのアナゴです。
これだけ豊富な天麩羅だっただけに、かなりお腹一杯になりました!細かい食レポは、食べログをご覧ください!

天ぷらの雑学

ここで、せっかくなので天ぷらに関しての雑学をぶっ込もうと思います!以下で説明していきますね!

天ぷらは、江戸時代に生まれた!

土手の伊勢屋
天ぷらが生まれたのは江戸時代。当時は最初は今のような天丼スタイルではなく、屋台で串に刺して提供されていたようです。その後、せっかちな江戸っ子がご飯と一緒に食べるようになり、今のスタイルになったとか!
そして、天ぷらを揚げていたのは「ゴマ油」なんだとか!このゴマ油の香りによって江戸っ子たちが集まり、天ぷらは人気の食べ物だったそうな。
土手の伊勢屋
野菜の天ぷらは、江戸時代は「精進揚げ」という名前の食べ物で別者扱いだったそうです!その理由としては、当時は今のようなガスではなく“炭”で揚げていたから!
炭で揚げるのは温度調節が非常に難しく野菜には適さなかったそうなのです。

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昔は、暖簾で手を拭いていた!

土手の伊勢屋
そして串で食べた後は、お店の暖簾で手を拭いていたんだそうです!今では、お店の物で手を拭くなんて無礼なのですが、昔と今では常識は変わるもんですからな( ;∀;)
そんなわけで、繁盛しているお店と繁盛していないお店の違いは、暖簾の汚れを見ればわかるという状態だったようです。そう、汚れている方が繁盛しているということね!

天ぷらの語源は?

土手の伊勢屋
では、「てんぷら」の語源は一体何なのか?所説はあるようですが、なんとポルトガル語で「調理」という意味の「tempero」が訛って、「テンペロ → ・・ → テンプラ」となったそうです。

徳川家康の死因

小さいころ、親から「徳川家康はてんぷらの食いすぎで死んだんだぞ!」と言われましたが、これは本当なのか?
有名な話なようですが、所説はあるようです。ただ、これが本当なら何ともあっけない幕切れ。。。

おわりに

土手の伊勢屋
以上、土手の伊勢屋でした。歴史があるお店はそれだけ学ぶものも多いです。今では飲食店は、開店してはつぶれを繰り返す中、老舗の存在は非常に貴重なもの!
みなさんも、120年以上の老舗の味を堪能しに来てはいかがでしょうか!

参考文献

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詳細・地図

住所 東京都台東区日本堤1丁目1−9-2
営業時間 11:00~14:30
定休日 水曜日、第4週火曜日
駐車場 なし
電話番号 03-3872-4886
アクセス 三ノ輪駅から722m
リンク http://www.dotenoiseya.jp/
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