創業250年超!大正ロマンあふれる「千歳楼」が素晴らしすぎた!

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こんにちわ!

今回紹介するのは岐阜県養老町にある老舗旅館「千歳楼(せんざいろう)」です。

ここは今から二年前くらいに宿泊したんですが、歴史もあるし建物や雰囲気もウルトラ素晴らしく、一人で大正ロマンあふれる豪華な部屋を堪能してきたということで、記事にまとめましたー(´▽`*)

もうね、こういう建物や歴史が好きな方であれば絶対宿泊してほしい宿ですので、そんな千歳楼の歴史や館内の様子などを以下で紹介しますね~~!

本記事のポイント

・1764年に、養老公園の整備に尽力した岡本喜重郎により創業
・明治、大正、昭和に建てられた歴史ある建物が合体している
・竹内栖鳳がデザインした大正ロマンあふれる「袖の間」が最高!

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濃尾地震を乗り越えた総ヒノキ造りの本館!

今回紹介する千歳楼があるのは、ココ!

養老の滝で有名な養老町に位置するんですが、”養老の滝”の名称は近年の居酒屋チェーンの影響もあって聞いたことがある方は多いように思います。でも、場所がどこかというとピンと来る方はそんなに多くないんじゃないかと勝手に思ってます( ;∀;)

名古屋からも結構距離があるので、アクセス的に行きやすいかというとそうではないかもっす。。

素晴らしいのひとことに尽きる外観

んで、今回宿泊した千歳楼がこちら!

閑静で自然豊かな養老公園内に位置しており、そんな自然をバックにこれだけの立派な趣のある建物が現れるんですから、最高としか言いようがありませんわ。

神奈川から軽自動車を運転しまくって到着したわけで体はボロボロでしたが、建物を見た瞬間にHP全回復しましたよ(´▽`*)

入り口はどこか重厚感があるだけでなく、ベンガラ色(暗い黄みの赤)を呈した壁が印象的ですね。

その天井には、「樓歳千」と見事に描かれた扁額も。右から書かれているので、戦前のものだとわかりますし、木目がすげぇっす!!

保存状態が良すぎる!!

あと、遊郭や赤線調査ではよくお世話になっている料理店の鑑札(岐阜県ver)も見られたり、、

あとは登録有形文化財、昔使われたであろう「政府観光レストラン」的なプレート(これは何のプレートなんだ??)も見られます。

入ってそうそう癒された

そして入り口の中は、こんな素晴らしい感じになってます!!

豪快で美しい階段が出迎えてくれるわけですが、こちらの本館は明治13年築の総ヒノキ造り。写真を見るだけでも、木のぬくもりが伝わってくるような、素晴らしい建物ですよね(´▽`*)

ガラス張りの窓が最高過ぎる

館内に入り、まずはロビーでチェックインを!

外観は古(いにしえ)の雰囲気を感じますが、ロビーはシャレオツな空間となってますね。普段マンガ喫茶とか車中泊ばっかり人間なので、こうした空間はいまだ慣れずオドオドしてしまいますが、無事にチェックインを済ます。

養老でしか手に入らない”きび羊羹”

そしてチェックイン時には、ウェルカムお菓子として”きび羊羹”が提供されます。このきび羊羹、マジで信じられないくらいウマイんですよ(´▽`*)

養老駅周辺は、昔はキビが広がっていたことからキビを用いた羊羹が誕生したんですが、プツプツとした舌触りが最高でマジで旨いっす。

しかも、この羊羹は養老公園の麓にある「きび羊羹本家」でしか生産しておらず、ココでしか手に入らない貴重なお菓子なんすね!

↓きび羊羹本家は以前の記事にまとめてるので、良ければこちらも見ていただけると嬉しいです<m(__)m>

ということで、激ウマの羊羹を完食した後にお部屋へ案内していただきました。

とにかくこちらの旅館は建物が素晴らしすぎるので、廊下を進んで新しい光景が広がるたびに一人でテンション爆上がりの私↑↑

ベンガラ色の壁が残る大正時代の廊下

さらに進んで、この廊下の突き当り右が私が泊まった「袖の間」の部屋っす!

今回宿泊した「袖の間」

今回宿泊したのは、特別室「袖の間」。大正ロマン溢れる雰囲気で、日本画家の巨匠である竹内栖鳳(たけうち・せいほう)がデザインした極上の一室。せっかく宿泊するならと、値段も見ずにココに泊まろうと決めたんですが、こんな部屋に泊まれるなんて贅沢過ぎて泣きそうになりましたよ。

部屋だけでなく廊下・広縁もあるだけに、一人では広すぎるくらいではありますが、まぁ普段環境の悪い場所で寝泊まりしてるだけあって、たまにはこういう贅沢も!!

ちなみに、「袖の間(そでのま)」をずっと「ゆずのま」と読んでいた私。浪人して早稲田大学まで行ったのに、マジで頭悪すぎる・・( ;∀;)

ではでは、ここからはこの歴史ある千歳楼の歴史を覗いてみることにしましょう。

養老公園と共に歩んだ千歳楼

今回宿泊したときには、千歳楼のご主人さんから宿の歴史とかいろんな話を聞かせていただきました。ということで、ここからは千歳楼の歴史も併せて館内を紹介できればと思います!(^^)!

そもそも、養老町にある観光名所「養老の滝」は元正天皇が「養老の地に湧く菊水泉が体にイイ」ということでこの地を訪れ、菊水泉の水を飲んで感銘を受けたことから元号が養老(717~724年の間)となった歴史もあったり、奈良時代から観光地として知られた場所でした。

それだけ有名な観光地だったものの、滝までの道が整備されていなかったため昔は滝まで歩いていくのは結っっっ構大変だったみたいです。。

そこで、江戸時代に先代である岡本喜十郎(初代)が養老の滝周辺を公園として開発することを志し、この地に一等の住居を建築して「千歳楼」と名付けました。

この岡本氏は養老の滝と菊水泉の両水を引いた薬湯の経営を開始。

「薬湯こそが養老開発に最も適した事業だ!」と確信するも、なかなか成果は上がらず不振を賄うため山中から算出する良質の火打石の採掘売りを思い立つなどするも、願いはかなわず亡くなってしまったそうです。

その後、二代目、三代目と継がれていき四代目のとき、当時の大蔵大臣・松方正義が岐阜遊説のときに養老を訪れ、その時に千歳楼にも足を運んだそうです。その時、当時の小崎利準県令(県令とは、今の岐阜県知事)に養老の地を公園として整備するようにとの通達したことを機に、1880(明治13)年に養老公園が爆誕!

ロビーにあった昔の絵ハガキ

養老公園の整備には多額の寄付金が使われたとのことですが、そのとき、老朽化していた千歳楼も新たに新築することになり、この時の建物が今の本館(大広間、)ってことっすね。

先代の凄まじい努力が、最終的にこんな素晴らしい旅館となり今の時代にも受け継がれているわけです。

ロビーにあった棟札

千歳楼(せんざいろう)は1764(明和元)年、その時は大垣城の横にあった料亭「吉岡楼」の別館としてに創業し、今の本館は明治13年の建物。その時の棟札は、今もロビーに展示されていましたよ!

しかし、江戸時代中期頃、いまから250年以上も昔に創業したとはメッチャ歴史のある旅館ですよね。

昔のパンフレット『養老案内』

こちらはロビーにあった養老公園のパンフレットですが、公園として整備されたこともあり、昔は結構たくさんの旅館も軒を連ねていたみたいです。

いつのパンフレットかが書いてないですけど、養老駅が誕生したのが大正八年なので、昭和の初めとかその頃のパンフレットかな??

こちらもロビーで見られる昔の写真

千歳楼の歴史を紹介したところで、ここからは館内の案内を!

まずは入り口正面に現れるこの巨大階段を上った先にある大広間を紹介します。この二階は誰でも入れるというわけではないんですけど、スタッフの方に部屋を見たい旨を伝えると、たぶん見せてくれると思います。

柱が取っ払われた広大な大広間!!

二階の大広間はマジで広いっす!

この大広間がある本館は、先ほどの棟札にあるように明治13年築の建物。昔は柱が無いのが”粋”とされていたようで、天井は吊ってるみたいです。確かに柱がない分、部屋がめちゃくちゃ広く感じますね!

昔はこの大広間に芸者を上げるなどして賑やかな日々が続いたそうです。

千歳楼は部屋数が7部屋とそこまで多くはないため団体客はあまり来ないそうですが、会社の接待、あとは昔騒がれた官官接待とかそういう用途など、大人数の食事利用が多かったそうです。

いろんな角度から写真撮りまくった

大広間には、「千歳楼」と書かれた書が三つあります!

それらは、明治維新のときに東征大総督として戊辰戦争で討幕した有栖川宮熾仁親王、明治政府の重鎮として活躍した三条実美公、「明治の三筆の一人」と言われる中林梧竹の三名によって書かれています。

あと、これだけ素晴らしい歴史ある旅館ということもあり、伊藤博文、山岡鉄舟、大塩平八郎、徳富蘇峰、横山大観、竹内栖鳳、岡本太郎、北原白秋、谷崎潤一郎などなど、たくさんの著名人がココに宿泊されていますヨ!

千歳楼の歴史などいろんなことをご主人さんにお伺いしていたのですが、近年は今となってはSNSなどの影響からか、若い方が訪れたり、こういう古い建物の方が落ち着いて好きって方も来るようになるなど重宝されるように!

私も綺麗な今風の旅館より、こうした歴史を感じられる古い建物の方が癒されるし落ち着くんですよねとご主人さんに伝えると、とても喜んでくれました(´▽`*)

今から20年ほど前だと、こうした古い旅館は旅行会社からも規格外といわれてあまり使われることはなく、今みたいに重宝されてなかったみたいでして。

「旅館を次の世代にも残していきたいです!」とご主人さんはおっしゃってましたが、250年以上も続く歴史ある旅館ですし、これからも残していってほしいと願うばかりです。

とはいえ、これだけ大きな建物だけに維持管理も大変。。

修理はいたちごっこ状態の様で、直してはまた別の所を直しての繰り返し。宿の入り口のプレートのように、この建物は登録有形文化財であるため建物に手を加えることはできるものの支援は薄い。これが指定文化財だと補助は下りやすいが手を加えることが出来ない。

こういう建物を巡ってはいるものの、とはいっても素人の私。。建物について色々知らなくてはいけないことがたくさんだわ。。

「千歳楼」と書かれた扁額たくさんあった

あと、千歳楼の屋号の由来についてもここで書いておきます!

屋号は、養老の元号(717~724年)から約1,000年後の1764年に創業したことに由来しており、読みが「ちとせ」ではなく「せんざい」というのは、江戸時代は”千歳”の字をそう読んでいたことから来ているとのことです。

字がへたくそな私には到底こんなの書けない

大広間にあるこの長~~~い書は、江戸時代の漢学者の雲華(うんげ)による作品。千歳楼は、標高150mという養老町の中では標高の高い位置にあることから、昔は濃尾平野が一望でき、その時の眺めを文字に現したもの。

とはいえ、今は正面の樹木が爆発的に成長しまくった関係で景色が見えにくい状態に。。( ;∀;)

という感じで、ご主人さんからいろんな解説をしていただきながら大広間を見せていただきました~~(*´▽`*)

マジで、大満足!!

明治、大正、昭和の建物が合体!

素晴らしい大広間を紹介しましたが、続いてはそれ以外の部分の紹介を!

この建物は、明治13年築の本館、大正時代に建てられた部分の栖鳳閣、昭和時代に建てられた部分の龍鳳閣という、明治、大正、昭和の三つの時代に建てられたというか増築した建物が合体しています(写真中央から左が明治時代の本館、写真中央から右側が昭和に増築した龍鳳閣、写真には写ってないが龍鳳閣の右側に大正時代の栖鳳閣があります)!

本館は総ヒノキ造りの風格ある日本建築となっており、ここの養老公園は地盤が固いということもあったからか濃尾地震も生き延びました。

先ほども出した写真ですが、ここは大正時代の廊下

部屋は全部で7部屋とそんなに部屋数は大きくなく、本館には大広間と食事をする一階の和室があり、栖鳳閣と龍鳳閣に部屋がある形になります。

こちらも大正時代の廊下

外観や廊下にはベンガラ色の壁がちらほら見られますが、これは昔の名残り。昔は全館がベンガラ色だったものの、ベンガラの壁を作れる職人がいなくなってしまったため、一部残っているだけとのこと。

塗り直し、乾いたあとにこの色にするのが難しいんですって。

こちらは昭和の時代に増築したエリアの廊下ですが、この足元の円を描いてるのが粋ですね!!

スイッチの大渋滞や

あと、このスイッチ並んだ光景がちょっと気になってパシャリ!

あと、外からの光景も素晴らしいので宿の周辺を散歩するのもマジでオススメ!

大正ロマンあふれる「袖の間」

もはやここで暮らしたい

今回私が宿泊したのは、大正時代の建物である流芳閣にある「袖の間」。

ここは日本画家の巨匠である竹内栖鳳がデザインした部屋っす。竹内栖鳳と旅館の先代とは浄瑠璃仲間でもあったことから、栖鳳はよくこの旅館に泊まっては絵を描かれていたそうです。ということから、この部屋をデザインしたみたいです。

ちなみに、宿泊した日は寝てすぐに夜が空けてしまうのがもったいないというか、できるだけこの空間に浸っていたいこともあり、深夜4時(深夜というか早朝?)まで起きてましたww

なんかこんな贅沢な空間で、布団敷いて寝るのも恐れおののいてしまうほどの素晴らしい空間!

とにかく、こんな場所に泊まれることはそうそうないということで、いろんな角度からカメラに収める。

欄間に描かれてる雲が粋ですね

造りも本当に素晴らしく、雲が描かれた欄間があったり、、

あと、広縁はこんな感じ。この「袖の間」の建物は出っ張る形となっているので、公園の緑に囲まれた空間となっています!

別角度からもパシャリ

ちなみに、外から見るとこんな感じで出っ張ってます。

袖の間の部屋は、写真下に見られるように見事に組まれた木材によって支えられているわけですが、この太さでよく支えられていると、ちょっとビックリ!

あと、この部屋は天井も独特の形をしてますよね。

ご主人さんにこの天井のことを伺うと、昔はカラフルに菖蒲などの植物の絵が描かれていたそうです。描かれた当時はどんな光景だったんでしょうかね??

頑張ってみれば痕跡が伺えますな

夕飯・朝飯の飛騨牛が激ウマ

この囲まれた場所で美味しくいただきました!

こんな感じで館内を一通り紹介したわけですが、せっかくなのでご飯も紹介します!

ちなみに、今回私がココに泊まったのはもう一つ理由があって「一人でも宿泊できるから」なんすね。

旅館の中には二人以上から出ないと泊れないことが多いんですが、千歳楼はそこまで高い値段で一人で泊まれるからマジでありがたい。こんな贅沢な空間で、一人もくもくと飛騨牛を食べるという休日。

この孤独な時間こそが、人生に彩をもたらすのサ!!

激ウマの飛騨牛

こちらが飛騨牛。こんな贅沢な夕飯を、マジでいつぶりだ??

肉だけでなく刺身もありました。

しゃぶしゃぶする用の飛騨牛とヤサイ!

もはや何食ってもウマイ!!

養老の滝の水を使用してるよ

あと、せっかくなので飲み物として養老サイダーを注文しました!

東の三ツ矢サイダー、西の養老サイダーと言われるくらい有名なこのサイダーですが、これは明治23年に日本で初めて発売されたサイダーと言われています。

作ってた会社はすでに閉業しているものの、レシピが見つかってパッケージと共に復刻されてます。養老公園などでも買うことはできるんですが、せっかくなら飛騨牛と合わせて一緒にいただきました(´▽`*)

ちなみに、こちらは朝飯なんですが、朝飯も飛騨牛が登場します(*´▽`*)

食べるのがもったいないほど美しい飛騨牛

館内に見られるたくさんのひょうたん

養老の名物と言えば”ひょうたん”なわけで、養老公園周辺には「瓢箪博物館」「ひょうたんらんぷ館」などひょうたんにまつわるスポットが多々見られます!

ただ、千歳楼にも館内をよく見るとたくさんのひょうたんがあらわれるので、そこもちょっと紹介。

これは「ひょうたん簾(すだれ)」って言っていいのかわかりませんが、

ふすまの把手にも発見!!

一方、こちらは少し難易度高めですが、こんな感じでディズニーランドの隠れミッキーならぬ隠れひょうたんも見られます。

箸置きも、ひょうたんだぜ
三条実美氏が書いた扁額

大広間にも、こうしてひょうたん型の明かりが吊るされていましたわ!

私が発見したのはこのくらいですが、もっとよく観察してみるとその他にも隠れ瓢箪見つかるかもしれないですね(*´▽`*)

という感じで、千歳楼についていろんな魅力を紹介できたかと思います!

本当はもう何泊もしたいくらい居心地の良い旅館でしたので、もう一回何かの機械で宿泊したい!!

おわりに

以上になります!

とにかくここは雰囲気も建物も素晴らしいし、女将さんやご主人さんなどスタッフの方も凄く親切なんですよ。二人でなく一人でも宿泊が出来ますので、歴史を感じれるいい旅館に泊まりたいという方であればマジでオススメっす!

最近は旅館の値段が高かったり、あとは最近忙しすぎてゆっくり旅館に泊まる時間がないという結構深刻な状態なんですよね。。仕事のし過ぎかな( ;∀;)

という感じではありますが、細々とブログは続けていきますので、今後ともよろしくお願いいたします<m(__)m>

参考文献

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詳細・地図

住所 岐阜県養老郡養老町養老公園1079
駐車場 無料
電話番号 0584-32-1118
アクセス 養老鉄道・養老駅から歩いて30分ほど
リンク https://senzairou.com/

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