今回は、和歌山市内の色街や歓楽街に関するまとめ記事です。和歌山市には、和歌山城からJR和歌山駅の間に飲み屋や風俗店などが点在する巨大歓楽街が広がっています!!
以前は、和歌山市内にあるソープランドに関してをまとめましたが、今回は和歌山市内に関する色街・歓楽街などを一通りまとめてみようと思った次第っすね!
和歌山市内で飲んだり遊んだりする場合は、この記事を読んで街の背景とかを知っておくと良いかもしれないですよ!!
和歌山駅周辺の色街変遷
まずは歓楽街全体がどんな感じになっているかを学んでおこうと思います。
和歌山城からJR和歌山駅までに広がる色街・歓楽街の分布図はこんな感じです。昔は、和歌山市の色街というと阪和新地という私娼窟(青線)があり、繁華街として賑わっていたエリアは、和歌山城に近い上のピンクで塗った辺りでした。
現在では、和歌山の歓楽街というと「アロチ」と言われる上の地図のオレンジで塗ったエリア。飲み屋やキャバクラなどが集中しており、今はここが和歌山県内では一番賑わっていると言える場所ですかね。
では、これらのエリアはどんな経緯を経て今に至るのかを簡単に説明したいと思います。
こちらは、1910年頃の地図。まだこの頃はJR和歌山駅は存在せず、今の和歌山駅の場所は畑か何かになっていますね。この頃の街は和歌山城を中心に成り立っていました。
そんな街の端っこには、阪和新地という私娼窟がありました。和歌山県上の地図で赤枠で囲ってあり、そこには小さい文字ではありますが「新地」とも書いていますね。この阪和新地は戦時中の和歌山空襲によって壊滅してしまったそうです。そんな訳で、今ではこの阪和新地跡には遺構はマジで皆無という感じです。。
この辺を時系列で見てみることにしましょう。1910年から1984年を通して見てみると、1934年の時点ではすでにJR和歌山駅が誕生しており、どんどん街が駅寄りに拡大しているのがわかるかと思います。
すんごく簡単にですが、市内の歓楽街とはそのように広がっていきました。昔は国鉄(現:JR西日本)の機関区があったことで、大変多くの国鉄の方が仕事上がりに飲みに来ていたそうです。
しかも、彼らは三交代制だったため夜勤上がりの方々が朝から飲んだりとか。あとは新日鐵住金、さらにはミニラボ(自動DPE装置)を開発したノーリツプレシジョンの方々などもこの街で飲んだり遊んだりしていたとのこと。
しかし、時代の流れによって最近では仕事終わりに飲むという人々も減り、今では和歌山市内で一番の歓楽街と言われる「アロチ」では、だいぶ街を歩く人は減り、この付近にある商店街も目に見えて衰退している様がわかったりするのです。。
「トルコ」の表記が今も残るソープ街
では、まずは和歌山市内にあるソープ街から紹介することにしましょう!
2019年2月現在は、和歌山市内には8軒ほどのソープランドが営業を続けています。1960~70年代に誕生したトルコ風呂から続くものであり、ここは割と流行っているんだそうです。
そして、このソープ街で珍しい光景としてはコレ!ソープランドの前身は「トルコ風呂」と言われていた形態でした。しかし、1984年にトルコ人留学生によるクレームによって名称が変わってソープランドになるわけですが、ここではトルコ風呂の名残がこんな形で見ることができるわけです。
現在、和歌山県全域ではソープランドなど店舗型の性風俗店を新規出店することができません。つまり、現在市内にあるソープランドがなくなったら和歌山県からソープランドは消滅することになります。
多分トルコ風呂の時代には、国鉄の機関区や新日鐵住金で働いていた方が訪れていたんでしょうね。また、和歌山市はすぐ北上すると大阪府に入ることから、大阪からもお客さんが割ときているとのこと。大阪は大阪万博の時にソープランドが一掃されたためお店はありませんので。。ま、飛田新地とかはありますけどね(笑)
働く女性としても、大阪からや地方から出稼ぎとして働きに来る方も多いという。ソープランドがある新雑賀町はかつての歓楽街で周辺の人通りは少ないものの、今はいくらでもネットで検索出来るため、お客は割かし来ていて繁昌はしているという声をいくらか聞きました!
↓この記事では簡単にソープ街に関してまとめていますが、詳しくは以下の記事にまとめていますので、よければこちらも見てみてくださいなm(__)m