世界で初めて全身麻酔手術に成功した華岡青洲を学びに、和歌山県にある「春林軒」を訪ねた!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)
今回は、2018年の年末年始に行った和歌山取材旅の時に訪問した「春林軒(しゅんりんけん)」に関する記事になります。
この春林軒では、華岡青洲(はなおか・せいしゅう)という方が、世界で初めて麻酔薬を創設し、全身麻酔の手術を成功させたとのこと。そんな医学に関してとても大きな功績を残した場所なわけです!!
ではでは、それにはどのような背景があったのか、以下で学んでみましょう(*’▽’)
本記事のポイント

・華岡青洲は、世界で初めて全身麻酔手術を成功させた人物
・青洲は、二十年もの年月をかけて麻酔薬「通仙散」を完成させた
・その功績は国内ではあまり知られなかったが、小説によって広まった

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春林軒ってどこにあんの??

春林軒があるのは、和歌山県紀の川市という場所で上の地図に記した所です。どうです、皆さんこの辺って行ったことありますかね??
和歌山県の北部ってそんなに有名な観光地ってなかなかないっすもんね( ;∀;)
海側には「ラピュタのような島」と言われる友が島とか、あとは内陸に入ると高野山とかありますけども。。ちなみに、春林軒がある紀の川市は今回訪れたのが初っす!!
そもそも、今回の主役である華岡青洲という人物に関しても事前知識ゼロの状態。。そもそも、なんで今回春林軒を訪問したのかというと、年末年始の和歌山県取材をしていた時に、1月3日に少し時間が出来たのでどこかを取材しようとしたのも、正月の三が日ということでほとんどのスポットが閉業状態という。。
そんな中、なぜかこの春林軒は年末年始休みが12/29~1/2ということで、まさかの1月3日は営業ということだったので訪問してみたというわけです!しかも、ここなら混まなそうですし(笑)
訪問すると、早速「青洲の里」と書かれたアーチがお出迎え(*’▽’)
ここはどうやら道の駅になっているそうで、道の駅に青洲の名がつけられているんですな!!
旗も大量に掲げられておりますた!!
そして、道の駅の脇にあるここが春林軒の入り口。門の隣にある建物で入場券を購入して内部へと入っていきます。ということで、さっそく春林軒について学んでみることにしますか!
春林軒とは、そもそもどんな場所なのか?そして、華岡青洲とはどんな人物だったのか?以下で学んでいきましょ~~!!

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春林軒の雰囲気を簡単に!

▲こじんまりとした春林軒の内部
春林軒の内部はそこまで大きくはない施設でした。この春林軒は、全身麻酔を世界で初めて成功させ乳がんの手術を行った華岡青洲が開いた住居兼病院・医学校です。
▲多くのリアルな人形までもが展示
内部は説明書きがあるだけじゃなく、人形までセットされているという気合の入れよう!さらには、人間が近づくとセンサーが反応して音声が流れたりも。ただ、このスポットにはボランティアなどの説明してくれるスタッフはいらっしゃいません。。
一応説明書きがあるので、おおまかな華岡青洲に関することは学べるっちゃ学べるんですが、やはり博物館マニアの私としては説明してくれるスタッフがいないとちょっと物寂しいです。。
ただし、ビデオがあるのはありがたい(*’▽’)

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華岡青洲とはどんな人物だったのか?

▲春林軒にある「華岡家發祥之地」の碑
まずは華岡青洲について簡単にどんな人物だったのか紹介していきます。青洲は、1760(宝歴10)年10月23日に紀州上那賀郡名手庄西野山村字平山(現:和歌山県紀の川市西野山)に生まれました。今の春林軒がある場所です。
▲世界で初めて全身麻酔手術を行った華岡青洲
その後は、京都に遊学中の1785(天明5)年に父の死によってこの地に帰ってきました。改めてですが、青洲がなぜこの地で有名になったのかというと、1804年に世界で初めて全身麻酔による乳がん摘出手術を成功させた人物だったからです!
1804(文化元)年の手術成功で青洲の名は全国に広まったことで、明治15年までには延べ2,000人近くの塾生がこの地にある春林軒塾で医術を学んだといわれています。
▲1966年に出版された小説『華岡青洲の妻』
今では若い医師や看護師の多くは青洲の事を知らない人が多いという。知っている人は、有吉佐和子の小説『華岡青洲の妻』がきっかけだったりするそうです。この小説が脚本化されたことによって、芸術座や国立劇場で演じられた。さらには市川雷蔵や高峰秀子らの出演によって映画化もされています。
ちなみに、余談ではありますが全身麻酔手術を成功させた1804年10月13日にちなんで、10月13日は日本麻酔学会により「麻酔の日」と定められています。青洲は、多くの方に知られていないながらも医学界にとっても大きな影響を与えた方だったんですな(*’▽’)

どんな経緯を経て全身麻酔手術をしたか!?

ではでは、青洲に関してざっと学んだところで、続いては彼が行った世界初の全身麻酔手術に関してです。その手術は乳がん摘出手術だったわけですが、その手術を行うまでには色々な苦労があったわけです。
ってことで、その背景を学んでいくことにしましょう!

麻酔薬である「通仙散」とは!?

▲20年かけて開発した麻酔薬「通仙散」
青洲が世界で初めて成功した全身麻酔手術に用いたのは、通仙散(つうせんさん)という麻酔薬でした。無事に手術は成功したわけですが、それにはとてつもない苦労があったのです。
京都から紀州に帰郷した青洲は、早くから人が治せない病気を治すために日々研究に没頭していました。しかし、麻酔のない当時の手術は大変危険なもので、激しい痛みに耐えきれず多くの方が命を落としていったという。。
▲通仙散の主成分であるマンダラゲ
そこで、青洲は野山を駆け巡り、数十種類の薬草を採取して調合を試みていました。通仙散は6種類の薬草で構成されており、その中でも一番注目していたのがマンダラゲでした。
マンダラゲとは、朝鮮朝顔(チョウセンアサガオ)とも言われる植物であり、古くから麻酔効果がある薬草とは知られていました。しかし、飲みすぎると意識が戻らずに死に至るという取り扱いの難しい薬草であり、この安全な使用方法を模索していたのです。
そんなわけで、青洲がもっとも苦心したのがその配合割合。一歩間違えれば患者の命を危険にさらしてしまうため、適量を見極めその副作用をいかに抑えるかに全神経が注がれたのです、

人体実験に母と妻が申し出た!

マンダラゲの適量は?副作用を抑えるためには、他にどんな薬草をどのような分量で配合すればよいか?など、山のような課題に青洲は日夜挑戦し続けました。
その際には犬や猫を用いた動物実験を行うことでデータを集めていきました。が、ここで青洲に大きな問題が生じます。というのも、動物実験によっていくらデータを集めたとしても、実際に人体に試さないと問題ないかわからないからです。。
今の時代ですと、治験があり新薬が開発される際には必ず人体に試して問題ないかを確認しますよね!治験というと、大学生の中でも高額なバイトとして話が出るやつですわ( ;∀;)
▲母と妻が人体実験に申し出ることに
ただ、江戸時代には治験という制度が確立されていないため、誰に実験をしていいのかという話になったわけです。そこで、青洲の苦悩を感じ取って、母の於継(おつぎ)と妻の加恵(かえ)が、自らの体を使った人体実験を申し入れたのです。
こうして、命をかけた人体実験が始まり、実験を幾度となく行われ、途中には妻の失明という悲劇に見舞われながら、青洲が二十年もの間、研究をつづけた麻酔薬「通仙散」は完成したのです。
▲全身麻酔による手術に成功
以上のような経緯で通仙散の開発に成功。そして、1804年10月13日に、世界で初めて乳がん摘出手術を行いました。手術は見事に成功し、その業績は海外でも評価され、1954(昭和29)年には世界外科医学学会において世界的に認められたのです。
ただし、このような業績は日本国内ではあまり知られることはなく、先ほど紹介した小説『華岡青洲の妻』によって国内に認知されるようになりました。医学でいうと、カルテなどのようにドイツ語が使われることが多いように西洋から伝わった技術が普及していますが、西洋での全身麻酔による手術は、青洲の手術が成功してから約40年を経てからの事だったんですって!!

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春林軒の内部を一挙に紹介!!

以上のように、青洲は全身麻酔の手術を成功させたわけですが、そんな青洲が住んでいたり手術をしていたり、まぁいろいろとやっていたこの春林軒をささささっと紹介していきましょ~~~~(`・ω・´)
▲春林軒の中心にある主屋の内部
この建物は春林軒の中心にある主屋(おもや)です。内部には診察控室や診療室、手術兼薬調合室、婦人手術室、客間、母や妻による麻酔の人体実験を行った奥居間、家族の絆を深めた居間、茶の間、炊事場などがあり、医学の発展と人々を病の苦しみから救うことに一生をささげた華岡青洲の面影をしのぶことができます。
▲多くの人を通したであろう客間
こちらは客間。いや~この人形たちがいかにも真剣に何かを話している府に気を醸し出しておりますな(*’▽’)
これ、だれが作ったんだろ?まさか、浅野祥雲じゃないよね(笑)
あとは、奥に診療室もあります。春林軒の様子を描いた書物によると、「病人は諸国より蟻のように集まり、隣家に寄宿して治療指している」と記されており、その患者の多さをうかがうことができます。
ここには、貧富を問わず多くの人が訪れたようです。
▲青洲の塾生のための門下生部屋
こちらは門下生の部屋。座敷が並べられていますが、ここで青洲は『春林軒塾』を卒業する門下生に、免状とともに自画像の上部に自作・自筆の漢詩をしたためた軸を送りました。
その軸に書かれたのは「自分は何の富貴栄達も望まない。自然豊かな田舎に住んでいるが、ひたすら思うことは病人を回生させる医術の奥義を極めたいということのみである」というものでした。
▲重病患者が入院していた病室
こちらは病室です。重病や手術後間もない患者が入院するために使われていました。他の患者に関しては、近くの農家や「快々堂」「布袋屋」といった外部の旅人宿から通っていました。
江戸時代はこういうところで入院していたんですね。今の病院と比べると、改めてですが技術の進歩はすごいな~~と。
まだまだその他にもいくつかの部屋はありますが、代表的な部屋としてはこんな感じですかね!その他の部屋に関しては、実際に訪問して見てみてはいかがかと思います!!

春林軒以外にも多くの見所が!?

という感じで春林軒を訪問したわけですが、この辺には華岡青洲に関するスポットは他にもいくつかあるんですね。春林軒で購入したチケットも、隣の道の駅にある「フラワーミュージアム」という施設とセットになっていますのでそちらも鑑賞することができます。
▲道の駅内にある「フラワーミュージアム」
こちらが道の駅にあるフラワーミュージアム。春林軒と結構内容がかぶっていますが、こちらでも華岡青洲に関しての展示があります。ただし、館内の写真撮影は禁止みたいっす。。orz
▲青洲が『垣内池』と名付けた池
1808(文化5)年、付近の農民が干害と重い年貢に耐えかねて逃亡しようとしている話を聞いた青洲は、これらの人々を池堀人夫として雇い、その代償として年貢の上納分を貸与(たいよ)したいと郡代に出願しました。
青洲の願いは許され12月9日に着工、翌年2月に完成しました。さらに青洲は『垣内池』と名付けたこの池を農民に与え、困窮に苦しむ人々を救いました。すげぇな、全身麻酔手術だけじゃなく青洲はこんなことまでしていたのか( ゚Д゚)
▲青洲の偉業によって誕生した公園
続いてこちらは、華岡青洲顕彰記念公園という春林軒のすぐ近くにある公園です。この公園は、1804(文化元)年に華岡青洲は世界で初めて全身麻酔に成功し、世界で初めて乳がんの摘出手術に成功した功績を継承するために建設されました。
この公園の全体敷地は外科手術器具の「メス」の形状をなした石庭公園です。また、この「メス」形状の中に御影石材で配置した人体図をかたどっているらしいです。

おわりに

▲道の駅にある華岡青洲の銅像
今回は私も訪問するまで何の知識もなかったので、訪問した後にもいろいろと勉強しながら記事を書きました。青洲は20年もの間、麻酔薬の研究をしていたわけです。その20年間の苦労は細かく調べきれていませんが、本当にいろいろな苦労があったんだと思います。
今では日本は長寿大国になり、「人生100年時代」なんて言葉も聞くようになりました。青洲が生きた江戸時代は平均寿命が40歳くらいだとか50歳くらいだとかいう説を聞きますが、そう考えると青洲のように医療界に人生をささげた彼のような偉人がいたからこそなんでしょう。
和歌山県紀の川市って、近くの人間でなければそんなに訪問する機会はないかもしれませんが、ぜひぜひ華岡青洲の偉業を学びに皆さんも春林軒を訪問していただければと思います(*’▽’)

参考文献

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詳細・地図

住所 和歌山県紀の川市西野山473
営業時間 10:00~16:00
(3~10月は~17:00、入館受付~16:30)
入館料 一般:600円、小人(中学生以下):300円
休館日 火曜(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月29日~1月2日)
駐車場 無料
電話番号 0736-75-6008
アクセス 公共交通:JR名手駅→徒歩20分。または車5分
車:京奈和道紀の川東ICから10分
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