東日本大震災は千葉県旭市でも多大な被害が!その被害を語り継ぐ「旭市防災資料館」を訪問!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)
今から約8年前。2011年3月11日に東日本大震災が発生しました。
戦後最大級の大災害であり、大地震、大津波、原発事故というとんでもない自然災害が日本を襲ったことはまだ記憶に新しいと思います。今でも多くの方が仮設住宅に暮らしており、福島第一原発の廃炉はまだ30〜40年先だという現実。
そんな東日本大震災に関しては、多くの方が東北に目がいきがちだと思いますが、実は千葉県旭市という場所でも多くの方が亡くなり多大な被害を受けていたのです。今回は、その旭市で受けた被害を語り継ぐために誕生した『旭市防災資料館』を訪問したので、その資料館に関して紹介したいと思います!
本記事のポイント

・千葉県旭市では津波被害によって14名の死者と、2名の行方不明者を出した
・三度も津波が襲ったことや、住民たちの津波に対する意識の低さが問題だった
・防災資料館は、館長の戸井さんの尽力によって誕生した!

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「東日本大震災」では千葉県でも多くの死者が!

▲東日本大震災で発生したがれきの山
私が四年近く運営し続けている『知の冒険』の誕生には、東日本大震災が大きく関係しています。震災が発生して以降、私は何度か東北に足を運んでボランティア活動や震災の様子をカメラに収めるなどをしていました。
▲東日本大震災によって倒壊した家屋
これも誰かの写真を載せたわけではなく、私が震災が発生してから4カ月後に訪問した福島県小高地区の写真。今まで全くニュースなど世の中のことに関心を持たなかった私が、一気に知的好奇心が爆発したのがこの震災だったんですね。
▲津波によって多くの方が亡くなった「大川小学校」
こちらの宮城県にある大川小学校は、震災で多くの生徒が避難しきれなく学校側に対して生徒の親たちが裁判を起こしたことで有名になった小学校。ここも二度ほど訪問しましたが、見るたびに胸にこみあげてくるものがあります。。
このように、東日本大震災で多くの被害を受けたのは、福島県、宮城県、岩手県などの太平洋側にある東北地方ですね。ただ皆さん、そんな東北地方から南に下った千葉県でも津波によって多くの犠牲者が出ていたことをご存知でしょうか??
それは千葉県旭市という都市です。
まずは、太平洋側の地域において、各都道府県別での犠牲者の数を上の地図にまとめました。こう見ると、確かに震源地に近い岩手県、宮城県、福島県での犠牲者が多いですね。ただし、関東地方の茨城県や千葉県でも死者が出ており、中には津波による犠牲者も出ているのです。。
今度は千葉県に関して詳細に見ていくことにしましょう。死者・行方不明者は、千葉県庁のHPに記載されている2017(平成27)年5月1日時点での数字です。
こう見ると、多くの都市では死者が1名ほどにも関わらず、太平洋側に位置する旭市が「死者14名、行方不明者2名」ということで、ダントツで被害が大きかったことがわかります。で、これがなぜなのかというと大津波の被害を受けたからなのです。。
では、旭市ではどのような被害がもたらされたのか、実際に博物館に行って学んでみることにしましょう!!

旭市の被災状況を語り継ぐ「旭市防災資料館」

ということで、やってきました。こちらが、旭市防災資料館です。。といっても、このオレンジ色の建物全部が資料館というわけではないです( ;∀;)
見てもわかる通り、この建物は「いいおか 潮騒ホテル」というホテルが大部分なんですね。
んで、肝心の防災資料館はこちらっす!!ホテルの一部がこのように資料館になっているのですね。ではでは、さっそく中に入ってみることにしますか(*’▽’)
▲館内はお客さんは誰もいなかった
中に入ると、お客さんは誰もいませんでした。人の気配が全くしないので案内役の方も誰もいないのかと思ってしまいましたよ。。いやいや、誰かいるだろうということで「すみませ~~~ん!」と叫んだら、奥から一人の方がいらっしゃいました。
▲写真左に移っているのが館長の戸井さん
今回、私に解説してくださったのは、戸井穣(とい・みのる)さん。もともとは、千葉県警に勤めていた警察官だった戸井さん。その後は旭市区町会長を経て、現在は旭市防災資料館の館長を努めています。
今回の訪問では2時間近くにわたり、戸井さんから旭市にまつわる東日本大震災に関する様々なことを教えてもらいました!
ということで、以下にて千葉県旭市では東日本大震災が発生した時に何が起こっていたのか、そしてその被害を語り継ぐ「旭市防災資料館」に関して紹介していきたいと思います!

震災の日、旭市では何が起こったのか?

2011年3月11日14時46分。日本中を震撼させる巨大地震が発生しました。この時、私はまだ大学生で、スキーのサークル活動のため群馬県にいました。地震の後、宿に帰ってテレビを見たらビックら仰天!!
津波が家や車を押し流す様子を見て、SF映画を見ているようなもう信じられない光景に言葉が出なかったことを覚えています。現地にいた方は「もう日本は終わった・・」と思った方もいたかもしれません。。
そんな東日本大震災の震源は、宮城県の太平洋沖の深さ24kmの場所。宮城県では震度6弱や6強を記録し、千葉県旭市では一番大きな揺れで「震度5強」を記録したそうです。
震度5強を記録したということで、旭市では軒もの家屋が倒壊。さらには、液状化現象によって地面が沈下してしまい、上の写真のように基礎が固定されている防火水槽だけが島のように浮かび上がる光景も!!
さらに、旭市で大きな被害をもたらしたのはこの大津波でした。震源から離れた千葉県でもこんだけ大きな津波が押し寄せたのです。
▲大津波の被害を受けた旭市の様子
津波以外も道路の陥没や地割れが至る所に発生。家屋の倒壊やひび割れなども相次いだそうです。地震だけでなく津波被害も合わせると、被害を受けた家屋は3,827世帯にのぼりました。
以上のように、大地震だけでなく大津波まで押し寄せた旭市では、結果的に死者は14名、行方不明者2名の被害を出したのです。
↓千葉県で被災した記録は以下の書籍などにまとめられていますm(_ _)m

なぜ、旭市で津波被害が発生したのか?

東日本大震災で特に大きな被害を受けたのは、東北地方の岩手県、宮城県、福島県でした。震源地から近いということと、太平洋沿岸に位置しているということもあり、大地震と大津波の被害を受けたためで、これは納得。
しかし、岩手県や宮城県に匹敵するほどの津波が、震源地から離れた千葉県旭市でも襲ってきたわけなんですね。
▲旭市には三度も津波が襲った
そもそもですが、旭市では大きくみて三度も津波が襲いました。
第一波は15時20分頃で、第二波が15時50分頃。これで終わればよかったんですが、何とそれから1時間30分近くが経った17時20分に第一波、第二波よりも巨大な高さ7.6メートルもの津波(第三波)が襲ってきたわけです。
これ、完全に旭市民は油断していたんですね!第一波と第二波が襲ってきた後、これで津波は終息したと思ってしまったのです。
震災の後のアンケートを見てもわかるのですが、一度避難してから津波が完全に収まるまでに多くの方が自宅に戻っていたのです。その理由としては「家や家族が心配」「車や財布を取りに行った」というもの。
さらには、そもそも地震が発生した時に「旭市には津波は来ないっしょ!!」と、津波に対する意識が低かったことも津波被害が出てしまった要因の一つだったのかもしれないっすね。。
▲先人たちが残していた教え
ところがですよ、我々の先人たちはちゃんと後世の人たちのために津波があった痕跡を残していたのです。それは今から約300年前に発生した「元禄地震」の津波被害のこと。元禄地震は、千葉県、神奈川県、東京都を中心に大きな被害をもたらした災害で、特に千葉県では2,000人近くの方が津波によって亡くなったそうです。
上の写真に写っている記念碑は、元禄地震による津波被害の後に、先人の方々が津波被害が起きないことを祈念して祀られたもの。こういう先人たちの遺構を、今の方々は忘れてしまっていたわけです。。
▲石碑の教えを守り被害を最小限に
ただし、実はちゃんと先人の教えを守ることで被害を最小限に抑えた地域もありました。それは、岩手県宮古市にある姉吉地区という場所。
この地区の海抜60メートルに建立された石碑には「此処(ここ)より下に家を建てるな」と刻まれていたんですね!姉吉地区は過去の津波で大きな被害が出ている地区であることから、今現在もとても危機意識が高く、教訓を守ってきたことで東日本大震災の時は建物被害が一軒も無かったとのこと!
このように、先人たちの教訓というのは日が経つごとに風化してしまいがちですが、改めてその大事さを認識する必要が我々にはあるわけですな!!
続きはこちら!被災の教訓を後世に語り継ぐために・・
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