東日本大震災は千葉県旭市でも多大な被害が!その被害を語り継ぐ「旭市防災資料館」を訪問!

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震災後には皇后陛下も訪れた!

被害を受けた旭市。多くの方が避難所生活を送る中、様々な方が慰問に訪れました。震災が発生してから約一か月後の2011(平成23)4月8日には、千葉ロッテマリーンズの選手たちが津波で被害を受けた地区の小学校6校を慰問しました。
▲皇后陛下が初めて訪れた被災地は旭市だった
さらには、震災が発生してから約一か月後の2011(平成23)年4月14日には、皇后陛下のお二人が旭市を訪問され、同市の海上公民館と飯岡保健センターにて被災して避難生活を送る方々を慰問されたのです。両陛下が被災地を訪問するのは実は旭市が初めてだったんですね!
避難生活を送っていた方々は、両陛下の訪問にとても勇気づけられたんじゃないでしょうか!!
▲館内にある震災関連の新聞
東日本大震災の後、マスコミ各社は各地の被害状況を記録し続けていきました。旭市にも、多くのマスコミが押し寄せたものの、やはり震災報道は東北に関する事が多く旭市はなかなか注目はされなかったそうです。
それでも、一番旭市のことを報道してくれたのは神奈川新聞だったそうです。神奈川新聞の記者の方は、毎年3.11に旭市で行われる追悼集会などにも訪れてずっと取材をしてくれているのだという。
一方、館長の戸井さんも震災後には市内にて様々な活動を行ったそうです。資料館の奥の部屋にはこのように戸井さんの活動内容が分かる写真がびっしり( ゚Д゚)
震災で甚大な被害を受けた旭市飯岡地区で「花と緑」をテーマとした活動を行う「花と緑で旭市を元気にするプロジェクト」、旭市及び隣接地域の復興観光まちづくりの推進へ寄与する活動を行う「NPO 光と風」に関りながら、様々な活動を行っているそうです。
さらには旭市防災資料館では、旭市内の小学校が課外授業の一環で防災教室の場として活用しているとのこと。
▲被災者の方々へ送られた千羽鶴

震災の被害を後世に残す痕跡

▲津波の時刻を指したままの『刻忘れじの時計』
旭市で一番大きな津波である第三波が襲ったのは、地震が発生した14時46分から2時間30分経過した17時26分でした。上の写真に写っている時計は、JAちばみどり飯岡支所前の道路に面して設置されていました。
この時計は、まさにその第三波が襲った時刻を指したまま止まっているということで、「いいおか津波を語り継ぐ会」「NPO法人 光と風」「旭津波被災者支援の会」などによって震災の遺構としてここに設置されることになりました。名称は『刻(とき)忘れじの時計』。
さらに、資料館の前にはこのような碑も作られました。これらは、飯岡ライオンズクラブがこの津波被害を将来にわたり忘れ去られることのない教訓として後世に残すために、来襲した津波の高さを示すモニュメントを設置し保存したとのこと。

震災の記憶を後世に残すために

▲戸井さんが発起人となって資料館は誕生した
今回取材をした「旭市防災資料館」は、いろいろ教えてくれた戸井さんが発起人となり2014(平成26)年7月に開館しました。もともとこの建物は国民宿舎であり、震災後は1億8000万円をかけて取り壊す予定だったとのこと。しかし、戸井さんは取り壊すのはもったいないと思い、まずは耐震性を調べてみてはという方向へ!
すると、向こう30年は耐震性など問題はないとのことで、ホテルで使われていないこの部分を震災の被害を後世に残すための施設にしようということからこの資料館が作られたのです。
戸井さんは警察官時代に、元岩手県知事を務め、後に東京都知事選にも出馬した増田寛也(ますだ・ひろや)氏のカバン持ちを二年間勤め、その増田さんなどの人脈を駆使して復興庁にこの資料館の事を直訴。そして、国から予算を出してもらうことで、この資料館を建設することができたんだそうです!!
いや~凄い行動力っす(*’▽’)
開館から多くの方が訪れ、2018年10月時点での来館者は4万人を超えたそうです。現在でも県内を中心に、全国各地から消防、自治会、日赤奉仕団など災害時に重要な役割を担う多数の団体が視察されるとのこと。
その後、この資料館はテレビでもたびたび取り上げられ、その度に戸井さんも出演なされたそうです!
▲記念館の奥は教室になっている
こちらは戸井さんの作業デスク。戸井さんは、旭市防災資料館の館長を務めながらも旭市内を中心に様々な活動を行っている戸井さん。73歳という年齢ではあるものの、多方面で活躍しているとってもバイタリティ溢れる方なのですな(*’▽’)
最後に、戸井さんに挨拶をして記念館を後にすることに。今日はたまたま団体客の方もいなくじっくり戸井さんに話を聞くことができてとっても良かった(*’▽’)

震災がきっかけで市内に防災拠点が作られた!

▲高さ8メートルの津波ひなんタワー
今後も、同じ過ちを繰り返さないためにと旭市内にはいくつかの防災拠点が作られました。その一つがこちらの「津波ひなんタワー」です!地震が起こって津波が押し寄せた時には、この高さ8メートルのタワーに上って非難するというわけです。
これに関しては、この旭市だけではなくて海岸沿いにある町ではちょくちょくみられる建物ですね!私も取材で日本中の海沿いを通った時に何度も見かけた覚えがあります(*’▽’)
入り口はふさがっていますが、災害があった時はこのドアをブチ破って駆け上るとのこと。
さらにはこんな公園も作られました。こちらは、「日の出山公園」という公園であり、津波から非難するために高台にしている公園なのです。
公園のてっぺんにはこのような碑も置かれています。単に津波の被害から市民を守るだけではなく、震災の記憶を皆に忘れさせないためのシンボルでもあるんですね。
東日本大震災に関心は持っていたものの、千葉県にも津波の被害が出ていたというのは今回の取材で初めて知りました。東京や神奈川からは近いとは言えない場所ではありますが、戸井さんの想いや旭市で受けた被害を多くの方に知っていただきたい。。

おわりに

戸井さんは、これからも東日本大震災の被害にあった千葉県旭市の現実を後世に伝えていくという。
私は今回の取材をするまで、東日本大震災に関心を持っていたつもりではありましたが千葉県の旭市でこんなに被害が出ていることは全く知りませんでした。テレビなどでも東北地方の様子ばかりが放送されていましたが、我々が思った以上に被害は広範囲にわたっていたんですね。
あれからもう8年近くが経とうとしています。私は震災後は結構東北には足を運んだものの、今現在はしばらく訪れていないため、近いうちに今の現状を自分の目で確かめに行こうと思っています。戸井さん、これからも体に気を付けて旭市のために頑張ってほしいものです(*’▽’)

参考文献

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詳細・地図

住所 千葉県旭市萩園1437
営業時間 09:00~17:00
入館料 無料
休館日 月曜日(月曜日が祝日の場合は開館し、翌日以降で最初の平日が休館日)
祝日の翌日
年末年始(12月29日~1月3日)
駐車場 無料
電話番号 0479-57-6712
アクセス 千葉東金道路から銚子連絡道路「横芝光IC」より国道126号線を経て約45分(県道30号線沿い)
東関東自動車道路「大栄IC」より東総有料道路、国道126号線を経て約55分(県道30号線沿い)
リンク http://www.city.asahi.lg.jp/kanko/002_11.html
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