西武創業者「堤康次郎」のお墓が天皇級でビビった!

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今回は、私の実家がある鎌倉を取り上げていこうかと思います!

鎌倉と言えば海がありお寺や神社がある超人気観光地っすよね。あじさいの時期や夏は、土日となると多くの人でごった返すわけですが、そんな鎌倉には横浜市寄りの場所に「鎌倉霊園」という霊園があるんですね!

んで、その霊園は西武グループが造ったものであり、鎌倉という場所は西武グループが多くの土地を持っていたりとなかなか所以があったりするわけです!

そんな鎌倉霊園には、西武グループの創業者である堤安二郎の超巨大なお墓があったりするということで、今回はその西武グループと鎌倉のつながりの歴史も含めて、堤康次郎のお墓を参拝しに行った内容を以下で紹介していきたいと思いまっす!

本記事のポイント

・鎌倉霊園の高台には、堤康次郎の巨大なお墓がある
・5年前に西部メモリアルパークとして一般にも開放された
・鎌倉霊園には、川端康成や杉原千畝など著名人のお墓も多い

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鎌倉の奥地にある鎌倉霊園

鎌倉のシンブル「鶴岡八幡宮」

古都鎌倉。東京から一時間ほどで行くことが出来るというアクセスの良さだけでなく、首都圏に近いにもかかわらず海もあり山もありさらには歴史もあることで大変多くの観光客でにぎわう街。

私は学生時代に駅前のファミリーマートでバイトしていたことがあるんですが、まぁ休みの日には多くの観光地を相手にしましたよ。外国人の方とかも。

シンボルともいえる鶴岡八幡宮、鎌倉大仏、あじさいで有名な長谷観音など多くの名所があるわけですが、今回の記事はその辺には目もくれず、紹介する場所は鎌倉霊園なんですね!

鎌倉霊園の場所

鎌倉霊園は鎌倉市の東部に位置する霊園。駅からはバスじゃないと厳しい場所もあり、観光地の外れに位置しているので、その場所は観光客が来るような位置にはない感じっす。

で、この霊園は西武グループが作った霊園であり、一番高台の場所には創業者である堤康次郎(つつみ・やすじろう)の天皇級と言ってもいいほど巨大なお墓があるというので、こりゃ気になっていってみるしかないと思ったわけです。

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巨大な面積を有する鎌倉霊園

広大な敷地を有する

ということで、早速鎌倉霊園へと訪問した私。大刀洗(たちあらい)という場所の55万平方メートルの広大な敷地を有しており、日本のシンドラーと言われた杉原千畝(すぎはら・ちうね)、ノーベル文学賞を受賞した川端康成(かわばた・やすなり)、歌手でもある青江三奈(あおえ・みな)など多くの有名人のお墓もあったりします!

堤康次郎のお墓がどこにあるか事前に調べてはいませんでしたが、一番高台にあるということで高台を目指すことに。

上っていく途中には、ラウンドアバウトがありました(*’▽’)

まだ日本にはそこまで普及していませんが、ヨーロッパでは結構普及しているこちらの交差点。そういえば、以前長野県にある日本で初めてラウンドアバウトが導入されたという場所に取材に行ったな~みたいな全然別なことが頭をよぎりつつ、てっぺんを目指します。

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西武グループ創業者にご挨拶!

この先に堤康次郎の墓が!

そして車のエンジンをひたすら吹かせながら鎌倉霊園のてっぺんの麓に到着。この先に何があるとか書かれたものは何もありませんが、間違いなくこの先にあるのが堤康次郎のお墓でしょうね。

この先だけ隔離されているので何だか入りづらい雰囲気。。もしかしたら鎌倉霊園にお墓を持っている方でも、てっぺんに西武グループ創業者の巨大な墓があるとは知らない方がいるかもしれないっすね~。

しかし今日は大変いい天気。いい天気過ぎて暑くて死にそうですわ。。芝が綺麗に整備されてあり、物静かな高田糸井裕何だか神聖な場所って感じ。今日は土曜日ということもありお墓詣りに来ている方も多かったですが、このお墓に足を踏み入れる方は皆無。。

ちゃんとALSOKが置かれています。警備員もいて、一応セキュリティは厳重なようです。西武に恨みを持った人が墓を荒らしにでも来たりするんですかね~。。

堤康次郎のお墓は天皇級の大きさ!

堤康次郎の巨大な墓

そして頂上にあるお墓に到着。す、、すげぇ、、

個人のお墓でこれだけの面積があるのは天皇を除くと堤康次郎くらいじゃないですかね。私は以前、奈良県の橿原神宮にある神武天皇のお墓や武蔵野御陵にある昭和天皇のお墓など、天皇のお墓はいくらか見たことはありますが、それに匹敵するレベルかと。

通路の両側には二匹の狛犬が守り神のように佇んでおり、周囲は緑に囲まれ都会の雑音がさほど聞こえない非常に閑静なエリア。確かに、首都圏に近く広大なお墓を築くとしたら確かに最適な場所かもしれない。

個人のお墓でもあるので、写真はここまでにします。

しかしここに来ても何の説明書きもないので何だかそれが凄い新鮮。そもそも、ここに来る人ってどんな方々何ですかね。今でも西武グループ関連の方などが訪れたりするんでしょうか?

西武グループは箱根で東急と箱根山戦争を繰り広げたりといろいろあったそうですが、何はともあれ日本の近代史において多くの功績を残してきたことでもありますし、お墓の前で両手を合わせて周囲を徘徊してみることに!

一応GoogleMap衛星写真でも張っておきましょうかね。これを見るだけでも、この墓がどえらくデカいということがわかりますかね!

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銅像や謎のお堂もあるよ!

お墓の右側には堤康次郎の銅像が!

堤康次郎は、1889年3月16日と明治時代の生まれ。西武グループの創業者というだけでなく滋賀県選出の衆議院議員でもありました。早稲田大学政治経済学部卒業ということで、私の大学の先輩でもあるんですな。

一代で不動産や観光などのリゾート開発を行うなど、大企業集団である『西武グループ』を築き上げたのは凄まじい功績。

東京オリンピックが開催された1964年に亡くなることになります

「佐藤栄作」と刻まれておりました

銅像の台には「堤康次郎先生之像 内閣総理大臣 佐藤栄作」と書かれています。というのも、詳しいことはそんなにわかりませんが、新大阪駅や新横浜駅の用地買収に関してなど結構色々な場面でこの二人はつながっていたそうです。

あとこの銅像、軽井沢にも同じものが建っていたそうです。それがこちらに移されたのか、全く同じものが軽井沢とここの二箇所にあったのかは不明ですけどね。。というのも、堤康次郎は日本で初めて大衆向きの別荘地を分譲するために、軽井沢に土地を買い占めたことから、日本のリゾート開発の草分けとされているんですね。

軽井沢を買い占めたあとは箱根へと目を向けて、そこでは小田急と共に箱根山戦争を繰り広げたりするわけですが、その詳細はまたの機会に(笑)

ここ鎌倉霊園がある朝比奈峠は、鎌倉市と横浜市の境目に位置する場所。横浜市側を見ると、奥には八景島シーパラダイスと東京湾が望めますな。海の向こうに見えるのはもしかしたら千葉県の房総半島かしら。

そんな堤康次郎のお墓には、謎のお堂もあるようです。白いツツジが咲き並ぶ階段を上って、ちょっくら近づいてみることに。

謎の観音堂

このお堂に関しては詳しい情報はどこにもなく非常に謎。。このお墓をお参りに来た西武グループの方々の休憩所みたいになっているのかわかりませんが、扉がガッチリ閉められているし、中の様子は全く分からず。。

ただ、GoogleMapには「観音堂」と書かれていましたけど、ほんまに観音堂という名前なのでしょうか??

観音堂はこのような大きな石垣の上に建てられているそうですが、城壁にみられるようなだいぶ立派なものですね。この岩石をここまで運んで積むだけでもかなりの苦労ですわね( ;∀;)

さらには鐘。何でここに鐘があるんだろうか?

とにかく、いかんせん何も説明書きがないのでわからんことがいっぱいや。ということで、一通り見るべく物を見たし、堤康次郎に手を合わせたということでここを後にすることに!

で、情報が少ないということでさっき板管理人さんに話を聞きに行こうと突撃取材に向かうのでした!

続きはこちら!広大なお墓の謎について調べるべく、管理人に突撃取材!?
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コメント

  1. 徳光誠司 より:

    昭和43年頃青春時代に九州から鎌倉に働きに来て鎌倉霊園を造る仕事に携わりました、西武建設の下請けの仕事です、大型ブルドーザーで霊園を造る仕事です、七里ヶ浜にプレハブの飯場があり、ここから霊園まで通勤していました、現在はなくなって水道局のポンプ室になっているようです

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