湘南モノレールが通る道路は、かつて京急が運営する「日本初の自動車専用有料道路」だった!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)
今回は日本初の自動車専用有料道路に関する記事になります。
このブログでちょこちょこ書いているかもしれませんが、私の実家は神奈川県の鎌倉市にあります。小学校五年生に横浜市から引っ越して鎌倉で過ごし、今では実家を出て川崎に住んでいますが15年くらいは鎌倉に住んでいたわけなんですね!
そんで私が住んでいた鎌倉市の深沢という場所には湘南モノレールというモノレールが通っているんですけども、実はここの下を通る道路はかつて日本初の自動車専用有料道路だったんですって!ということで、その辺を色々と調査してまいりました!!
本記事のポイント

・湘南モノレールが通る道路は、1980年代まで京浜急行の自動車専用有料道路だった
・鎌倉山は京浜急行が別荘地として開発し、それによって鎌倉に京急バスが走っている
・今現在は一般道になっているが、名残りといえば歩道がやけに少ないという点!

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鎌倉には日本初の自動車専用道路があった!

関東地方の中でも屈指の人気観光地である鎌倉。古都と呼ばれ、山あり海ありと歴史や自然が豊富なこの場所は、東京から1時間近くの時間で行けるということで、6月のアジサイの時期や夏の海水浴の時期を筆頭にたくさんの観光客が押し寄せる場所!
そして、この鎌倉には日本初の自動車専用有料道路があったということは地元の方にもあまり知られていない事実だという。というか、私も地元民でしたが知りませんでした( ;∀;)
まずは道路誕生の背景を理解するために、少し鎌倉の歴史を振り返ってみることにしましょう!
実は鎌倉は江戸時代の中期には江戸の庶民に大変人気の観光地だったりでして、関東大震災が発生するまでも「海浜保養地」「別荘地」として人気の街だったんですね。ドイツ人医師のベルツらから「鎌倉は海水浴場の最適地」というお墨付きをいただき、遠浅の砂浜である由比ヶ浜は海水浴場として整備されていきます。
そして、1889年6月には横須賀線が開通したことで、日帰りの海水浴客が来れるようにもなったことで、別荘地だけでなく海水浴客も押し寄せる好況が続いていたのです。しかし、1923年に関東大震災が発生。この地震は首都圏の暮らしを本当に大きく変えてしまった、まさに一大事の地震だったのです。

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関東大震災で「別荘地→住宅地」に変化!

実は、今現在東京の山手線からは田園都市線や小田急線が西側に向かって線路を伸ばしていますが、これは関東大震災が大きく影響しているんですな。それまでは東京の中心部に人口が集中していたのですが、関東大震災で街が壊滅しただけでなく大規模な火事などが発生してしまい、人口が郊外へと移動していったのです。
▲関東大震災で壊滅した鎌倉の街
そのため、他の場所に住宅地を作ろうということで、田園都市線や小田急線が西側に伸ばした線路沿いに住宅地が構えられたたという歴史があるんですね!!そんで鎌倉はどうかというと、ここでも大きな被害を受け、建物が倒壊しただけでなく駅前では飲食街から出た火事で街の中心部が焼けてしまいました( ゚Д゚)
そして、関東大震災が発生するまでは「海浜保養地」「別荘地」として人気だった鎌倉は、昭和の時代になるにつれて住宅地へと変貌していくことになるのです。

京浜急行が鎌倉山を開発!!

そして鎌倉が住宅地として変貌する中、京浜急行が開発したのが鎌倉山でした!近衛文麿、徳川家達などの華族、大蔵喜七郎(大倉財閥総帥)、大谷竹二郎(松竹社長)などの実業家、その他には女優などの文化人などが移り住んだことで、この鎌倉山は全国区の高級住宅地となったのです。
そして、この鎌倉山開発に並行して1930年に作られたのが、今回の記事の主役である「京浜急行専用道路(通称:鎌倉山自動車道路)」と呼ばれる大船-江の島の6.8kmを結ぶ自動車専用の有料道路でした。
この道路は最終的には1980年代後半に市に譲渡されて、一般道となったわけなのですね!ただ、この道路に関してはどんな物語があったかなど結構謎が多い部分があるので、現地取材を敢行しやした(*’▽’)

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実際に現地にて取材を敢行!!

京浜急行専用道路に関しての背景を紹介したところで、現地調査と行きましょう!今回の記事を書くために、6.8kmに及んだ道路のうち3箇所を取材しました!
取材箇所は三か所。大体等間隔でポイント1(江の島)、ポイント2(深沢)、ポイント3(富士見町)を実際に調査してみることにしましたよ~~ん。

ポイント1の江の島調査!

※「今昔マップ on the web」を元に作成
まずは、京浜急行専用道路の片方の端にあたる江の島を調査することにしました!上の地図は1965年頃のものですが、しっかりと「京浜急行専用道路」の記載がありますね!そんで、道路の出口にあたる龍口寺の周辺には、昔からやっているお店がいくつかあるので、その辺に聞き込みをしてみようという作戦っす(*’▽’)
はい、到着!上の地図の終点で指している部分は、今でいうとこちらになります。こう見ると、ここが昔有料道路の入り口だったとは思えない景色ですね~。
▲江の島側の入り口だった場所
もうちょっとダイレクトに見ることにしましょう!!ここが、京浜急行専用道路の片方の入り口。ここから大船駅方面まで道路は続いています。
なんか標識の数がやたら多いっすね!40km制限、追い越し禁止、停車禁止、路線バス以外の大型車進入禁止、車高4.5m以内ですかね。ちなみに、この先は歩道専用のエリアはないためかなり歩きづらい道になっています!
さらに、横から。こう見ると凄いな( ゚Д゚)
上の道路が、かつての有料道路なのですが崖の淵にへばりつく形で道路が出来ています!ここ、歩道まで作るとなったら結構金かかりそうや。。
いろいろこの辺を調査して何か名残があればと思ったんですけども、当時自動車専用道路だったと思われる目立った名残は特に見当たらない感じでした。ただ、この付近には長い歴史を持つお店が多いので、2店ほどに話を聞いてみることにしました!
▲昭和レトロな雰囲気を残す「喫茶 どる」
1店舗目は「喫茶 どる」という老舗の喫茶店。45年近く続く喫茶店ということで、このお店ができた頃はまだ自動車専用道路の時代だったわけですね!そして、ここのお母さんに話を聞いてみたところ「ん〜ほとんど記憶にないね〜」とのこと(⌒-⌒; )
というのも、景色自体は当時とほとんど変わっていないんだそうです。見た目も変わってないし、気づいたら一般道路になっていたという感じ。私が鎌倉に住んでいた時も、この道路にそんな歴史があったなんて聞いたこともなかったですし、地元の方からしてもだいぶ存在感が薄い歴史だったのかもしれないですね!
2店舗に訪れたのは、「江の電もなか」で有名な扇屋。平成2年まで実際に走っていた江の電の車両をお店の中にぶち込ませたこの外観は、とってもインパクトがありますね〜!
▲店内には賞状がたくさん
で、ここの女将さんに話を聞いてみたんですが、やはりそんなにわからないというかネタはないという感じでした。何かネタがあればと思ってこの辺に来てみたんですけど、この道路って自分が思った以上に存在感が薄いことが判明しました。。図書館とかに行っても大して書かれている書籍もないし、京急電鉄史みたいな分厚い資料にも大して記載はされてないし。
▲ブラタモリの撮影時にタモリさんと撮影
そう考えていたものの、ここの女将さんといろいろ話していると、この扇屋というお店自体がとても歴史があり、以前はブラタモリにも出たりと記事にできそうな内容がたくさんあったので、そっちの方向に意識が集中してしまったというね(⌒-⌒; )
店内にはタモリさんと撮った写真も展示されていました!すげぇ〜タモさんだ〜町歩きが好きな私としてはタモリさんと写真が撮れるなんて本当に憧れですよ!
ということで、ここ扇屋に関しての記事も近いうちに放出したいと思います!

道路で遊んだ過去を持つ「栄和堂」のお父さん

続いて取材したのは深沢地区。湘南モノレールでいうところの湘南深沢駅周辺になります。湘南深沢駅は私の実家の最寄駅でもあり思いっきり地元(笑)
※「今昔マップ on the web」を元に作成
深沢エリアはこんな感じです。上の地図の上から下にかけて京浜急行専用道路が伸びていますが、この地図は1965年頃の地図でまだ湘南モノレールは記載されていないようです。そして地図をよく見てみると、そこには「料金所」の文字がちゃんと書かれていました。
で、地元の深沢へとやってきました!地図によると、ここの左側にある天狗付近の場所に料金所があったようですね!ここで当時の事を知ってそうな店はあるかと考えたんですが、この辺は結構お店の入れ替わりが多くて昔からやっているお店があるかと考えていたところ、とあるお店が頭に浮かんだんですな!!
▲ブックカフェとして営業している「栄和堂」
それがこちらの栄和堂というお店。このお店は、昔は文房具と本を売っていたお店で、私も小学生や中学生の頃は漫画や文房具を買いに来ていましたよ!
で、今現在はというと「ブックカフェ」という本を少し置きつつカフェ形式にしたお店になっています。時々ミニライブとかも行っているようですよ!!
栄和堂:http://eiwado.space/
ここの店主さんは、私と同じ深沢小学校の出身。小さい頃からこの街を見ていたということで京浜急行専用道路のことに関しても聞いてみることにしました。
私:「私ここが自動車専用道路だったことを調査しているんですが、何かご存知だったりしますでしょうか?」
お父さん:「あーだいぶ昔ね!自動車専用道路だったけどね、私が小さい頃はこの道路で遊んでたよ(笑)」
私:「車の通りは少なかったんですか?」
お父さん:「少なかったね!遊べたくらいだし!」
私:「すぐそこの交差点には、おっさんがいてお金を徴収していたと聞きました!」
お父さん:「おばさんね(笑)」
私:「www」
ってな感じで、お父さんは気さくに答えてくれました。栄和堂からすぐの交差点には料金所があって、小屋に座っていたおばさんが車が来ると料金を徴収していたという。ただ、おばさんと運転手はしょっちゅう喧嘩していたんだそうですよ!!
※「今昔マップ on the web」を元に作成
というのも、この道路は今の高速道路とは違って普通に脇道があったようで、今の普通の道路とそう大差ない感じの道だったとのこと。そのため、よそから来た人からしたら「何でこんな道路でお金取るんじゃい!」ってキレたのかもしれません。当時はカーナビとかもなかったので、そもそもここが有料道路とかわかりづらいっすもんね。。
そのため、慣れている人だと、わざわざ料金所を通らずに迂回して通っていたという。ザルな仕組みやな〜(⌒-⌒; )
そして、この料金所は有料道路に3箇所ほど存在したという。一応道路にはバーが降りていて、料金を払うとおばちゃん(or おっちゃん)が手動でバーをあげて車が通るというような仕組みだったそうです。
この道のエピソードとしてはそのくらいなようです。ちなみに、ここの深沢はもともと田んぼだったそうですが、大船工場ができたことで飲み屋なども出てきたとのこと。栄和堂から少し駅に向かった場所にある「鳥つね」というお店は、昔は大船工場の方が押し寄せてめっちゃ賑わっていたんだとか。
お父さんに深沢の歴史を教えてもらいつつ、栄和堂ではコーヒーを飲みながら店内にある鎌倉の歴史に関する資料で少しお勉強しました!鎌倉方面の取材の際には、またお店に顔を出すことをお父さんに告げてお店を後にしました(*’▽’)

三菱の工場に良く出前を運んでいた中華料理屋

※「今昔マップ on the web」を元に作成
最後に訪れたのは、ポイント3の富士見町駅周辺。先ほどと同じように1965年頃の地図なのでモノレールは書かれていませんが、上の地図の料金所と書かれている付近に、今現在モノレールの富士見町駅があるんですな!
この辺で、またまた昔からやってそうなお店を探してみることに。んで、選んだのが八宝亭という中華料理屋さん。場所は上の地図にも一応書いておきました。
その「八宝亭」がこちら。初めて訪れるし、そもそもこのお店の存在すら知らなかったのですが、結構な老舗そうなので何か知っているかと思って突撃取材したという感じですね!!
▲八宝亭でいただいたサンマーメン
店内には誰もお客さんがいなくてテレビの音が聞こえるだけの状態でした。お店は女将さんが一人で切り盛りしているようでした。まずは腹ごしらえということで、横浜発祥のサンマーメンを食べて、お会計の際に店主のお母さんに昔のことを質問してみました!
ちなみにですが、サンマーメンってサンマが乗っかっているラーメンじゃなくて片栗粉を使ってとろみをつけたアンに、もやしとかの炒めた野菜をぶっかけて作ったラーメンですwww
ここのお店はもう40年以上前から開いているお店とのこと。お母さんは夫と二人三脚でお店を切り盛りしていましたが、お父さんは10年近く前に他界してしまったため、今はお母さんが一人で切り盛りしているとのこと。
年金をもらいながらということもあって、今では常連さんが訪れるくらいではあるものの、お母さんはそのくらいでいいという。たくさん来られると逆に忙しくなるからとのこと!
▲八宝亭の近くにある数軒の飲み屋
この近くには巨大な三菱電機の工場があり(今もあります)、昔は三菱の方がたくさん食べに来ていたし、三菱の工場に出前を持っていくこともしょっちゅうだったという。富士見町駅の辺りには飲み屋が幾つか軒を連ねていますが、これは三菱の方が大船駅へ帰る際の通り道だったことから、三菱の方が飲みにくることでお店ができてきたという。
話を聞くと、三菱の方は昔は京浜急行専用道路、つまりモノレールの下の道路を通って大船駅まで移動していたそうです。多分モノレールが出来たらモノレールを使ってそのまま大船駅まで移動していたと思いますがね。
しかし、最近では工場の反対側にある道路を使って駅へと行く方もいるとのこと。そのため、わざわざ大船駅までの途中にある飲み屋に寄る方はほとんどいなくその辺(富士見町駅周辺)の人の流れが昔に比べ凄く少なくなってしまったとのこと!!
三菱の方だけでなく、京急タクシーにも出前を頼まれた際には、有料道路を通った方が近いものの料金所を通らなくてはいけないため、避けて別の道で運んでいたという。
数年前までは、この近くに湘南鎌倉総合病院という大きな病院もあったのでそのころまではそれなりにお客さんは来ていたものの、今は先ほども書いた通り常連さんが来るくらいだという。この辺の歴史を知りたいと話すと、お母さんはとても親切に色々と話してくれました!飲食店ってただ飯を食うだけじゃなくてこういう交流をするのも結構いいもんですよ!!
「また、実家に帰る際に寄ります!」という旨をお母さんに伝えてお店を後にしました!お母さん、お元気でね〜!
続きはこちら!有料道路時代の名残、そして湘南モノレールの歴史を振り返る!
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