湘南モノレールが通る道路は、かつて京急が運営する「日本初の自動車専用有料道路」だった!

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はい、続いてはかろうじて残る京浜急行専用道路時代の名残と、湘南モノレールの歴史を振り返ってみることにしましょう!!

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かろうじて残る、有料道路の名残り!

▲歩道がないのは自動車専用道路の名残り
この道路に関して、そんなにネタは発掘できませんでしたが、多少の名残はあるようなんですね。というのも、よく考えたらこの道路は歩道が少ないという点。上の写真の場所はどちら側も歩道が整備されていないんですが、これは自動車専用道路だったからなんですね。
この京浜急行専用道路は、最終的には市が買い取り(1984年7月に鎌倉市内5.7km、1989年3月に藤沢市内1.1kmがそれぞれの市へ譲渡)一般道路となりました。しかし、この道路は上で書いたように歩道が狭い箇所が多いため歩道を整備する必要があるのですが、市はお金がないからということで、なかなか整備が進んでいないのが現状だという。
とくに有名だったのが大船側の終点に近いこの橋。ここは、横須賀線をまたぐために作られたもので、線路をまたいで大船駅方面に行くにはこの歩道を使わないと結構不便だったのですが、歩道が整備されていなかったため度々テレビでも『歩行者が渡るには大変危険な橋』ということで取り上げられていたんですね。しかに、ようやく最近になってその橋はぶっ壊されて、新たに歩道が整備された橋がかかるようになったわけです。
ちょっとづつではあるものの、歩道は整備されているようです!!

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京浜急行専用道路だった頃の写真

昔の写真はほとんど残されていないようですが、資料を漁ると数枚の写真を見つけることができます。こちらは、昭和30年代に鎌倉山を走る乗合自動車。柵も何もない道路を走っていますね!
こちらは、昭和33年に寺分の坂から深沢に下る光景。車は道路の真ん中を通っていますね。。先に見える深沢は田んぼだったのか、この頃には建物が建っている様子はない感じですね。
それが今現在はこうなっています。両側の崖はだいぶ開発され、道路の上にはモノレールが通り、道の両側には家も建っているのが分かりますね。60年近く経つと街はこんなにも変貌を遂げるんですな!!

有料道路の上を走る湘南モノレールとは

2018年で開業から45周年を迎える湘南モノレール。大船駅から湘南江の島駅までの6.6kmを約14分で結ぶこのモノレールにはどんな歴史があるのか。簡単にですが振り返ってみることにしましょう!!
▲湘南モノレールの開通式の様子
湘南モノレールが開業したのは1966年4月のこと。三菱重工業、三菱電機、三菱商事、京浜急行などが出資して設立されました。京急が出資しているのは、有料道路の上を通るように設計されたからだと思われます。ちなみに、このモノレールの車両を設計したのは、東海道新幹線の車両を作った男として知られる三木忠直さんという方でした。
モノレールが走り出したのは1970年で、最初は大船駅-西鎌倉駅間を走っていましたが、その後1971年に、今と同様に大船駅-江の島駅間を走るようになったんですね!
▲2018年3月までSuicaは未対応だった
ただ、そんな湘南モノレールは2015年5月に三菱が保有する株式をみちのりホールディングスという会社に譲渡したんですね。それが原因なのか、最近までは首都圏を走る交通網の中でも未だにSuica対応していないという無念さがありましたが、2018年4月にようやくの対応。さらには、湘南深沢駅にはバリアフリー対策としてこれからエレベーターも設置されるなど、どんどん進化していく様っす!
しかしこの湘南モノレールは、なかなか料金が高いんですよね!私は湘南モノレールでは湘南深沢-大船駅間を移動することがほとんどですが5分間の乗車で料金は220円。社会人に会って1年半くらいは実家から通っていたのですが、モノレールの定期代が高すぎて会社が払ってくれる交通費の上限をオーバーしていたくらいですし( ;∀;)
まぁ、中のことはよくわからんが色々維持費とかかかるんだろな。。
ついでに、深沢にある広大な空き地の話をしときましょう!湘南深沢駅には巨大なJRの大船工場があったのですが、それは2006年に閉鎖されることになりました。今では工場自体もすっかり解体され、今ではだいぶ広大な平地と化しています。
そしてここには、これから鎌倉市役所・消防署・体育館などが移転してくるのですが、それだけではなく、地元の方が中心となってサッカー場を作りたいという案があるようです。すでに鎌倉インターナショナルFCというサッカークラブが2018年1月に結成されており、そのスタジアムを作ってくれないかというね!!
この土地は1/3が鎌倉市の持ち物なのですが、2/3がJRの持ち物であるためその土地をどこかのデベロッパーが買い取ってスタジアムにしてくれればという構想があるんですって!そして、いずれは鎌倉インターナショナルFCをJリーグに入れることが出来ればというのが今の最終目標とのこと!
もしそうなったら、スタジアムにお客さんもたくさん来るようになって湘南モノレールもウハウハですな(*’▽’)(*’▽’)

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なぜ、鎌倉に京急バスが走っているのか?

そして、私が鎌倉に住んでいてずっと疑問に思っていたこと。それは、京浜急行が通っていない鎌倉市になんで京急バスが走っているのかという点。もうこれは最初に説明した通りです!そう、鎌倉山を京急が開発し、自動車専用道路をも作ったことで鎌倉に京急バスが走るようになったわけです。
▲昭和40年頃にあった西武百貨店
そして鎌倉というと、京浜急行だけでなく西武グループとも大変関係が強いことでも知られています。今現在はもうないですが、鎌倉駅の東口には昭和40年頃には湘南地方で唯一の西武百貨店もありました。
西武グループは鎌倉霊園の造成、プリンスホテルの進出などこの鎌倉の土地に大変興味をもっていそしんで開発していたのです。とくに、鎌倉霊園に関しては一番高い場所に創業者である堤康次郎の超ウルトラデカいお墓があることでも知られています。
西武グループは箱根でも小田急と壮絶な土地争奪戦を展開しており、いい観光地があればそこの土地を牛耳ろうと不動産会社の戦争が勃発するというのは珍しい話ではないんですね!このへん、少し時間はかかりますがちょっとづつ調査しているのでいずれ記事にしようと思います。

おわりに

この記事、地元のネタということで調査に結構な時間と労力を費やしたんですが、結局取材しに行ってもそれ以外のネタがたくさん収穫できたって感じでした(⌒-⌒; )
ま、そんな時もありますよね。ということで、以上が京急の自動車専用道路に関するお話でした。もうこのネタはこれ以上出てこないので深掘りすることはないと思いますが、西部や京急の不動産関係のネタはまだまだたくさんあるので追って放出していきたいと思います!

参考文献

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詳細・地図

住所 神奈川県鎌倉市小袋谷1丁目5
※大船側の出入り口
リンク https://ja.wikipedia.org/wiki/京浜急行線
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