友情が生んだ物語!熊本県の米野岳小学校裏にある階段誕生秘話とは!?

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)
今回は、熊本県のとある小学校で起こった感動の実話に関する記事になります。小学校の生徒たちがおこした感動のお話は、熊本県の北部にある山鹿市の米野岳小学校という学校が舞台でした。
というのも、この小学校裏にあるとある階段は、生徒や先生たちの多くの物語の末に誕生したというんですね!!今回は、関係者に話を聞くことはできませんでしたが、実際にその小学校跡(現在は廃校)に行ったのでその辺を踏まえて紹介していきたいと思います(*’▽’)
本記事のポイント

・熊本県の米野岳小学校には、友情が生んだ階段がある
・階段は山砂を使うほか、生徒たちのことを気遣って工事は進められた
・小学校は廃校になってしまったが、階段は今でも残っている

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米野岳小学校はどこにあるのか?

米野岳小学校があるのは、熊本県山鹿市という場所です。といっても、その場所がどこにあるかピンと来る方はほぼいないかと思います。
地図で示すと、上の図の位置になるわけですが熊本県の北部ですね。ただ、都会要素はなく周囲が森に囲まれている自然豊かな場所なんですね~。

実際に米野岳小学校に行ってみた!

▲今回の物語が生まれた米野岳小学校
今回は、2017年10月の九州一ヶ月取材旅の時に訪れたわけですが、なかなかの奥地という事もあって結構車を走らせましたよ!!
そして、こちらが米野岳小学校。周囲は山に囲まれており、車の通る音しか聞こえないような閑静な場所に位置していました。
そして、私が訪れたのは平成29年の10月。残念ながら米野岳小学校は、平成29年3月31日をもって閉校になってしまったようです。全国でいわれている少子高齢化や地方の人口減少というのがここにも及んでいるんでしょうかね??
最近では全学年でも生徒は100人足らずになっていたようで、運動会でも一学年一クラスではクラス対抗が出来ないため、全学年のクラスを赤白半分に分けて開催していたとのこと。
子供たちが書いたと思われるこの垂れ幕の中心には、川とそこに生息するカニの様子が描かれていますが、これは今回の舞台である階段の麓を流れる岩原川(いわばるがわ)だと思います。
さらには記念碑も。米野岳小学校は明治8年に開校したということなので、実に140年近い歴史があったんですね。明治8年というと日本が開港してそんな時間が経っていない年。そんな頃からあったとは。。
学校の裏側はこんな感じ。一面田んぼが広がっている感じ。私の地元がここだったら、昆虫博士になるまで昆虫探索をし続けるだろうな~~。
そして、今回の舞台となる友情が生んだ階段は、写真左側の森を下った場所にあります。この物語の主人公は原侑希さんというこの小学校に通う生徒だった方。彼女と同級生、そして担任の先生や校長先生皆の想いによって生まれた階段物語。
その背景を以下で紹介していきたいと思います。

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友情が生んだ階段物語

▲この物語が書かれた書籍
今回の主人公は原侑希さん。こちらの書籍の中心で座っているのが侑希(ゆうき)さんです。侑希さんは、生まれてすぐに重い病気にかかり、手足や首に力が入らなくなってしまいました。そのため、学校生活ではずっと車椅子生活をしていたとのこと。
侑希さんがいた当時はすでに一学年一クラスで、同級生はずっと同じクラスになるという形。そのため、皆とても仲良く、侑希さんの14名の同級生はとてもやさしい子たちでした。
侑希さんは、体が不自由ということで小学校時代は別の部屋のたんぽぽ学級という特別支援学級で授業を受けていました。小学校二年生までは他の同級生と一緒にいる時間は多かったものの、三年生からは一緒にいる時間は一気に減ってしまったとのこと。。
さらには、たんぽぽ学級と教室が二年生までは同じ1階だったものの、三年生からは教室が2階となってしまったり。。侑希さんは自力で階段を上り下りすることができないため、ほとんどの時間をたんぽぽ学級で過ごさなくてはいけなくなってしまったのです。。

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三年生になり川遊びをすることに

▲生徒たちが川遊びをした「岩原川」
そんな中、三年生になったころから川遊びをするようになりました。担任だった高波先生がダイビングが趣味だったということもあってか、自然を学ぶということで行われました。学校の裏手には小鳥の森という森があり、そこには岩原川という川も流れているということで川遊びが授業に取り込まれたんですね。
ただし、この川へは下りる道が用意されていませんでした。そのため、子供たちがこの川へ入るためには、崖の上すれすれに生えている木の幹にロープを結びつけて、ロープをもとにして川へと降りていたという。
そのため、侑希さんはこの川へは降りることが出来ず、崖の上までは先生におんぶしてこられたものの、先生も彼女をおんぶして崖を降りることはできなかったため、侑希さんは皆が川遊びするのを見守るしかなかったわけです。
この川にはサワガニなどが生息しており、生徒たちは生き物を探したり水質調査もしていました。生徒たちは、川で見つけたサワガニなどを侑希さんに持っていったりしてたんですね。
▲侑希さんも使ったであろう学校裏のスロープ
そして小学校三年生の年の暮れの事、ランチルームで『なかよし集会』が開かれることになり、そこで侑希さんは作文を書いてなかよし集会で読むことになったのです。内容は、友達のことなど何でも。
なかよし集会は一年生から六年生の100名近い児童が集まり、侑希さんはその前で作文を読むことになったのです。

寂しさが募り、泣き出してしまった侑希さん

しかし、侑希さんは作文を大きな声で読み続けると、次第に声がかれてしまい、次第にはポロポロと泣き出してしまったのです。三年生になり皆と一緒にいる時間が減っていき、川遊びも一緒に出来ないということで寂しさでいっぱいだったのです。
その後、皆で話し合いが開かれることに。今以上に皆がたんぽぽ学級に足を運ぶだけでなく、その他に出たのが「侑希さんも、川遊びができないか」ということ。

川へ下りるための階段を作ることに!

しかし、川の側にある崖を先生が侑希さんを抱えながら降りるのはとても危険であり、今の状態ではとても難しい。担任の高波先生は、その後職員室で泣き崩れてしまいどうしていいかわからなくなってしまいました。
そこで立ち上がったのが野中校長でした。校長先生も忙しいながらも侑希さんの事を考えていて、ある日の放課後に小鳥の森を歩いてみることに。
そこで思い浮かんだのは「ここに階段を作ることはできないか!?」ということ。彼女はどこにこの事を言えばいいかわからなかったのですが、何日かして熊本県鹿本地域振興局を訪ね、小鳥の森に階段を作ってほしいという旨を訴えました。
坂本課長は、必死に訴える校長先生の気持ちを汲み取り、なるべく早く階段を作るというように対応してくれることになったのです!!
その情報は生徒にも伝わり、子供たちは大喜び!皆も四年生になりました。そして、問題は階段を作る許可は得たものの、いつ作ってくれるのかということ。ただ、調査、測量、設計、予算など着工までの段階は多く、実際に工事開始はすぐにはできないそうなんですね。

生徒たちが作った侑希さん用の船

▲生徒たちが作った侑希さん用の船
引用元:「どんどんいけいけゆうき号!」より
そんななか、子供たちは侑希さんが川遊びができるようにと船を造る計画を立てます。木で作ると重くなるということで、材料はペッドボトルに決まりました。
船を作るには結構な数のペッドボトルが必要ということで、皆が近所を周ってペッドボトルを集めだします。二学期の総合の授業を使って皆で船づくりをし、ペッドボトルを組み立ててビニールテープでぐるぐる巻きにして無事に完成!
名前は「どんどん行け!!ゆうき号」に決まりました!

五年生の冬にようやく工事開始

▲生徒たちが手作りした小鳥の森マップ
そんな感じで、階段がいつできてもいいように準備はできたものの、階段工事の連絡は一向に来ない。。生徒たちはそのまま五年生になってしまいます。もしかしたら、このまま卒業式を迎えてしまうのではという考えまで浮かんできました。。
しかし、五年生になりそのまま冬休みを迎えた時にようやく工事開始の連絡が入ったのです!そして年が明けて間もない頃に、土木部の大和吉一さんが工事を担当することになりました。
しかし、ここの工事はやりやすい場所とは言えませんでした。川辺は自然のままであり、そこにまでつながる道が無いため機械を入れることがこのままではできない。。
工事を担当した大和さんは、実際に工事をする際には森の木を一本も切ることなく、子供たちが降れそうなところにある石の角は全部丸く削り、ボルトが飛び出していないかなど、実際に子供たちがここで遊ぶ際の事を考えながら、工事を進めていきました。

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無事工事が終了し、階段が完成!

▲川へ下りるために作られた念願の階段
そして、平成20年5月1日の木曜日にようやく完成した階段でゆうき号の進水式が行われました。進水式には、米野岳小学校の児童、新任の田中豊志校長、数人の先生達、侑希さんの両親、そして前野中校長や、前の担任の高浪先生、工事を担当した大和さん、さらにはNHK熊本放送局の井出さんなど多くの方が訪れました。
そして、無事に侑希さんは「ゆうき号」に乗って川遊びをすることが出来たのです。階段だけでなく、階段を下りた先にも川の上に大きな石があり、より遊びやすいようになっていますね。階段には手摺がついている他、階段自体はコンクリートは使わず子供たちが滑らないように山砂を使っているのですが、これは工事を担当した大和さんのアイディアです。
このように、何気なくある階段ですがその背景にはそんな物語があったんですね。この物語は、奇跡体験アンビリバボーという番組でも以前に紹介され、さらには先ほども紹介したように書籍にもなっています。
みなさんの家の周りにある何気ないもの、それも人間が作り出したものなのであれば必ず意味があるわけです。便利になればということで出来たものもあれば、ちょっとしたドラマが隠されていたりするかもしれないですね。そんなことを考えながら街を歩いてはいかがでしょうか??

おわりに

私がこの話を知ったきっかけは、フジテレビ系の番組である「奇跡体験アンビリバボー!!」でした。実際にこの階段に行って記事を書いてみたいと思い、訪問して記事を書けてとりあえずよかったな~と!
今、原侑希さんはどこで何をしているか私は知りませんが、もう社会人の年齢ですかね??元気に暮らしている事を祈りつつ、記事を締めくくりたいと思います!!

参考文献

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詳細・地図

住所 熊本県山鹿市鹿央町合里380
アクセス 九州自動車道 菊水ICから車で20分ほど
リンク http://es.higo.ed.jp/menodake/
備考 現在は廃校になっています。
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