今回は、山梨県にある擬洋風建築の博物館「旧津金学校」に関する記事になります。
知の冒険では、日本中の様々な知られざるスポットなどを発掘・取材して記事にしていますが、今回も結構マイナーなスポットっすわ( ;∀;)
そんなマイナーなスポットではあるものの、建物自体はとても珍しいもので、中は一見の価値ありの博物館なので、その辺の詳細を以下で説明したいと思います!!
見出し
自然に囲まれた奥地にある博物館
今回紹介する旧津金学校は、住所でいうと「山梨県北杜市須玉町」であり、地図で示すと上に示した場所になります。山梨県は県の真ん中らへんに県庁所在地の甲府市がありますが、旧津金学校は長野県寄りの北杜市という場所に位置しています。
東京や神奈川方面から行くとなると、一般道だと国道20号線を、そして高速道路の場合は中央自動車道をそれなりの距離は知る必要がありますね!ただし、甲府方面の道路は限られるため、渋滞との戦いになることがとても多いですけどね・・( ゚Д゚)
山梨県北杜市は少し奥に入ると、周囲が緑に囲まれる本当に自然豊かな場所です。なので、ドライブやツーリングにもいいですし、自然に癒されに来るには絶好の場所だったりします。
ただ、最近はお隣の韮崎市と同様に太陽光パネルに侵食されつつあり、ちょっと自然破壊が心配だったりするんですけどね・・( ;∀;)
北杜市は本当に自然豊かな都市です。あまり知名度がある場所ではないかもしれませんが、いいスポットはたくさんあるんですよ!例えば、増冨ラジウム泉という温泉。
あまり知名度はなく、知られざる温泉スポットですかね。名前の通り放射性成分であるラジウムが含まれる温泉。実は、私が大学の時に書いた卒業論文のテーマは『増冨ラジウム泉に含まれる成分』に関する内容だったので、ここは昔から何度も訪れている場所だったりします(*’▽’)
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あとは、江戸時代の建物を使った食堂もあったりします。もともとは養蚕をおこなっていた家らしいですが、今ではオーナーに家賃を払って食堂が営われているんですね。
ここで働く店主さんはとてもフレンドリーですし、自然豊かな癒される雰囲気ということもあって本当におすすめの食堂!以前私が訪問したときは、食べ終わってから30分以上も取材に対応していただき本当に感謝でしたわ(*’▽’)
↓つがね食堂は、記事にしているのでよければ見てみてくださいねm(__)m
そんな北杜市にあるのがこちらの旧津金学校。この建物は、『擬洋風建築』といわれる様式の建物ということもあってかなり珍しい外観の近代建築なんですね。
もともとは「津金学校」という明治時代に建てられた学校の校舎。それを博物館(北杜市須玉歴史資料館)として開放しており、この学校や周辺の街の歴史に関する展示品が並べられているんですな!
あっ、『 擬洋風建築』という単語が出てきていますが、これに関しては後に説明します。
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旧津金学校の内部を探索しよう!
早速中に入って内部を探索してみましょ~~!この建物は一階~三階まであり、それほど大きな博物館ではないものの津金学校に関するたくさんの品々が展示されているんですよ~~!
では、まずは一階から(*’▽’)
なぜか貴重なピアノが展示されている
一階はこんな感じです。受付やらカフェもあるので、博物館としては奥に見えるスペースのみ。奥にはオルガンがいくつか展示されていますが、それ以外のオレンジの物体がすごく気になる・・( ;∀;)
そのオレンジの物体はコレ。。そうです、サトちゃんっす(笑)
明治や大正時代の品が展示してあるなか、これだけ時代が違うしあまりに目立ちすぎていて完全に場違い・・ww
何がきっかけだったのか、この博物館の一階にはレトロなオルガンが複数台展示されています。どれもペダルで空気を送って弾くという今ではなかなか見られないタイプのオルガン。
こちらは1892(明治25)年製のYAMABAベビーオルガン。YAMABAオルガンと呼ばれ、ヤマハ創業者の山葉がオルガンの製造を始めた初期の、もっとも古いオルガン。
今やだれもが知る楽器製造会社であるヤマハは、もともとは創業者の名前の通りヤマバだったそうです。このオルガンは、現存する数少ないオルガンなんだそうですよ!!
洋風チックな独特のベランダ
一階のオルガンを見た後は、二階へ。まずはベランダに行ってみましょう!!
外から見てこの水色がなんとも言えないいい色合い。ベランダには特に何かを展示してあるわけではありませんが、とりあえず端から端まで歩いてみることに。
ベランダの柵に塗られた水色ですが、よく見ると少し剥げて内部の木材が見えていたりしているようです。雨や雪で剥げるんでしょうね。定期的にペンキを塗り替えているんですかね~~。
二階からは天気が良ければ南アルプスが見えるそうです。緑豊かな北杜市ということで、東京のコンクリートジャングルのような景色とは大違い!!
ちょっと木で前方がふさがっていますが、田畑が広がるいい景色や(*’▽’)
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昔の教室が再現されている
ベランダの後は教室へ!
いや~~いいっすね。椅子と机が並べられ、津金学校だったころの教室が再現されています。机の大きさがバラバラなところが昔っぽい雰囲気を感じるような気がする。
建物自体は擬洋風建築ということでベランダは洋風チックではあるものの、建物の中は木の板に窓は障子。なんども和と洋が入り乱れた不思議な光景ですわ。
黒板は、私が学校に行っていた当時のものよりもかなり小さい。たまに、小学校跡の博物館に行くと学校当時の文字がそのまま残っているケースがありますがさすがにそれは残っていないか・・。
この黒板は、閉校した昭和60年当時のものなのだろうか??
教壇からの景色は爽快。しかしこの教室、やけに縦長ですな。教卓にあるハンドベルはどういうときに鳴らすのだろうか。。
津金学校に関する品々がたくさん!
その他には、津金学校に関する品々が多数展示してあります。人体模型や音楽の時間で使っていた楽器、地図などなど、一階は学校で見かけた懐かしいものばかりですよ!!
うわ~この辺の楽器とか懐かしいわ~。リコーダーとか私得意だったし、アコーディオンでは音楽の時間にスターウォーズのテーマを弾いたりしてたわ!!
その他には、 陸軍からの感謝状や水筒、さらには開戦の詔書など太平洋戦争に関連する資料も並べられていました。この辺りは、近くに住む方から寄贈されたもののようです。
その他には、昔の写真や教科書もたくさん展示してありました。昔の学校の教科書は結構色々な博物館で見てきましたが、卒業写真はなかなか珍しい気がする。
こちらは1921(大正10)年の写真。服装からも時代が感じられますな。ここに並んでいるのは生徒と教員共にほぼ男性のようです。
そして、後ろに見えるのが当時の津金学校の校舎だと思いますが白黒ということもあり、今の建物との違いがよくわからんですね。。
一方、こちらは1937(昭和12)年の卒業写真。こちらは男女共に写っていて、先ほどの写真に比べて賑やかな印象。後ろに移っている校舎は、擬洋風建築の校舎ではなく、その隣にある昭和に新しく建てられた校舎ですね。
特徴的な最上階の太鼓楼
最後は三回にある太鼓楼へと上がっていくことにしましょう!!
その太鼓楼への階段はまたまた急ww先ほどの階段もそうですが、擬洋風建築の建物にある階段はマジで急すぎて危ないんですよね( ;∀;)
実際、この階段は三回ほど転落事故が起きていて、転落した際に壁をぶっ壊してしまった方もいたとか・・。せっかく観光に来たのに、こんな場所で怪我をしては何とも切ない。。
ちなみに、上りよりも下りの方がはるかに怖いっす。。
この太鼓は、人々に時刻を告げるためのもの。津金学校では太鼓は開業時から設置してあったそうです。授業の開始に合わせて叩いたんでしょうか??
この太鼓、叩いても問題ないので私は思いっきりぶっ叩いてやりましたよ(‘ω’)ノ
外から見るとコレになります。この太鼓楼は、明治初期に建てられた擬洋風建築学校建築を象徴する施設なんですね。
ただ、津金学校の太鼓楼は1912(大正元)年8月に台風の被害を受けたことで、半年後の1913(大正2)年3月には太鼓楼が取り除かれる改修工事がなされました。
ところが、1985(昭和60)年の閉校までは太鼓楼がない状態でしたが、1990(平成2)年の改修復元を機によみがえりました。そして、先ほどの太鼓は2010(平成22)年10月21日に津金学校創建135周年を迎えたことを記念して設置されたという。
そんな特徴的な部分である太鼓楼。
県内にあるその他の擬洋風建築の建物を見てみても、このように太鼓楼があるのが分かるかと思います。確か旧舂米(つきよね)学校の校舎も、太鼓楼に上れたはずっす。
コメント
教卓の上にあったハンドベルは多分、小使いさん(用務員さんの事で昔はこう呼ばれていました)が教科毎に時間を知らせるために慣らしたものだと思います。つまりチャイムと同じですね、私の両親が小学生だった頃には小学校に放送設備などなかったので、そんなふうだったと聴いています。