和歌山のアメリカ村にある「カナダミュージアム」に迫る!

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こんにちわ!

日本中の知られざるスポットを発掘して記事にしている『知の冒険』。今回紹介するのは、和歌山県美浜町にあるカナダミュージアムという施設です。

結構マニアックな場所にある博物館ということもあり、ほぼ知られていないスポットだとは思うんですが、この美浜町からは、かつてサーモン漁の出稼ぎのためにカナダへ多くの方が渡った歴史があるんですよ。んで、カナダミュージアムはその歴史を伝える貴重な施設なんだそうです!

というマニアックな場所ではありますが、カナダミュージアムとはどんな場所か?

以下で紹介しますね~~

本記事のポイント

・和歌山県の美浜町には、村民がカナダに出稼ぎしてた時代があった
・和洋折衷の建物には、移民に関する資料がたくさん!
・なぜ、アメリカ村と呼ばれていたかは不明・・

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和歌山県にあるアメリカ村

カナダミュージアムがある美浜町はココ!

見てもわかる通り、なかなかアクセス的に行きにくい場所っすよね。神奈川の川崎に住んでる私は今回も軽自動車で訪問したんですが、もう死ぬほど遠かったですよ。。今までブログの取材で和歌山県は何度も足を運んではいるんですが、毎度のことながら遠い。。

宝くじでも当てて、新幹線とレンタカーで行ければどれだけ楽なことか( ;∀;)

カナダに移民してたのに、何でアメリカ?

って感じで、とにかく気力で運転して美浜町に到着。美浜町は初めての訪問でしたが、和歌山というと白浜温泉が有名だったりするわけで、あとは田辺とか串本もちょっくら知られてるくらいなんですかね??

そんな中でも、今回訪問した美浜町というとかなり知られざる街な気がします。

こんな場所に、洋風な建物が!!

海と山にはさまれた美浜町は、目立った観光地があるわけでもなく全体的に閑静な住宅地という感じ。そんな町並みを進んでいくと、水色を呈した奇抜な建物が現れます。

この奇抜な建物こそが、今回のターゲットであるカナダミュージアムっす!!

入り口が分かりにくいものの、細い道を進んでいくと、、、

その反対側に入り口がありました!!

こじんまりとした二階建ての建物ですが、素晴らしい外観ですよね。館内がどんな雰囲気なのか、気になってしょうがない!!

入り口の造りが、イケてるぜ

いざ、入館!

見事な洋間ですな!!!

入って一番最初にあらわれるのが、こちらの洋間!

お~~~~、素晴らしい館内。いきなりこんな贅沢な空間が現れ、入館した直後からテンション爆上がりの私↑↑↑

館内にはスタッフの方が1名スタンバってくれていたのですが、訪問した時は他のお客さんはゼロ。ということで、館内を独り占めしてカナダミュージアムを堪能させていただきましたー(´▽`*)

奥に進むと、今度は和室があらわれます。ここには、見ての通り美浜町に関するカナダ移民にまつわる資料が、たくさん展示されています。

さらに、他にお客さんがいなかったということもあり、スタッフの方からもこのミュージアムの背景、あとは美浜町の歴史や現状とかその辺も色々教えてもらえましタ~~(´▽`*)

ということで、ここからは展示されている内容、つまりは美浜町に関するカナダ移民の歴史について、ちょっと以下でまとめてみることにしますね!

カナダ移民の父・工野儀兵衛

カナダ移民の基礎を気付いた工野儀兵衛

明治の頃から、美浜町からはカナダへと出稼ぎに行くようになったわけですが、そのキッカケをつくったのは、工野儀兵衛(くの・ぎへえ)という人物でした。

工野儀兵衛の歩み
1854(安政元)年5月23日
和歌山県美浜町三尾村に生まれる。
14歳で京都の宮大工に弟子入りし、19歳で帰郷して棟梁として働き始めます。
1883(明治16)年頃
カナダ航路の貨物船の船員をしていた従兄弟の山下政吉氏から「カナダは漁業や農場で有望」との手紙が届く。
1886~1888年頃
カナダ航路の船員などから、カナダの状況、旅費・労働条件を調査。のちに一時帰郷。
1888(明治21)年3月
美浜町を出発して横浜に行き、横浜港からカナダに渡る。
1888(明治21)年9月5日
サケ漁業の基地であるスティブストンに到着。漁場としての豊かさを手紙に書き送り、弟や親戚・友人を呼び寄せる。
1889(明治22)年
その後、毎年のように数十名が集団的にカナダに移民した。
1891(明治24)年
再度一時帰郷し、村民を連れてカナダに戻り、保証人として仕事の世話をした。
1900年頃
「加奈陀三尾村人会」の設立や「フレーザー河日本人漁業者団体」の結成に尽力。
1917(大正6)年
多くの功績を残し、生涯を終える。

上に、彼の歩みをサラっと年表にまとめましたが、1888(明治21)年に工野儀兵衛がカナダのスティブストンに渡ったことに始まります。それは、横浜に住み、カナダ航路の貨物船の船員をしていた従兄弟の山下政吉氏から「カナダは漁業や農場で有望」との手紙が届き、横浜に向かって3年ほどの間にカナダの労働状況を調査します。

カナダでは、フレザー河で見られるサケの大群をに目をつけました。そのころ、カナダのスティーブンキングストンという場所には、サケの加工で栄えた缶詰工場が10ヶ所以上もあり、大量のサケの缶詰が作られていました。それほど、その場所はサケの収穫で栄えていたようです。

そこで、儀兵衛は厳しい環境下にある故郷に手紙を送り、漁師の技術を持つ美浜町の人々を呼び寄せ、漁業を目的とする集団的移民が始まりました。

移民というと、国が進めた官約移民としてハワイやブラジルに渡った歴史もありますが、美浜町の移民はそういった後押しがあったわけではなく、工野儀兵衛からの伝言をもとに広まった、いわゆる口コミで広まっていったそうです。

私が訪問した時も、ひたすら風強かったっす

そもそも、美浜町は半農半漁の町でした。

とはいえ、山がちなエリアでもあり土地が狭く米も栽培できない。さらには、昔は手漕ぎの船しかないし、風が強い場所でもあることから遠洋に漁に出れないことや、漁に出れる日も限られる。半農半漁の町とは言え、そうしたなかなかハンデの多い町だったみたいです。

そうしたこともあり、ここで仕事をするよりも海外へ渡った方が稼ぎが良かったわけですね!

こうした巨大なカバンにぶち込んで海を渡った
工野儀兵衛宛ての手紙など移民に関する資料がたくさん

そんな背景があって、美浜町からは毎年のように数十名の方々が移民することになります。

館内には、カナダへ渡った方が日本に持ち帰った品々、さらには移民の歴史や背景などをまとめたパネルも多く、移民に関しての大まかな話はここに来ればわかるかと思います!

あと、館内の展示にあったこの手紙が気になりました。

横浜から海外にわたる前に故郷である美浜町に宛てた手紙っぽいですが、こちらは横浜にある熊本屋旅館からの手紙みたいですね!

んで、ちょっと調べてみると、この熊本屋旅館という旅館は、横浜にあった移民宿といわれる旅館みたいです。江戸末期に開港した横浜からは、多くの物資が運ばれたり、多くの方が海外へと渡っていきました。海外へ渡る移民の方々は、船の出航までの時間を過ごすなどとして移民宿と呼ばれる宿を利用していたみたいです。

横浜にそういった宿があったとは。横浜の歴史を調べてる者としては、キニナル歴史なのでちょっと深ぼってみたい!!

展示室にはタンスもあるんですが、引き出しや扉が全開!

ここは説明は聞いてはいないですが、たぶんカナダへ渡った方々が日本に持ち帰った洋服などが収められてるのではと思います。

町内に現存する唯一の洋風建築

ミュージアムの建物は昭和8年頃に建築されてます

移民先で成功を収めて帰国した人々は、英語交じりの日本語を話し、西洋式の生活様式を持ち帰りました。

移住した人々は故郷の美浜町で家を建てることを願望していました。送金による蓄財で、大正末期から昭和10年代には、新築が建ち、さらには既存の建物の増築も行われ、村の家屋が大きく変化していったんですって。

んで、新築と言っても日本家屋ではなく鉄筋コンクリート造や木造の洋風建築がいくつかでき、既存の家の雨戸にもペンキが塗られるなど、当時の漁村には珍しい風景があったそうです。

その様子から、大正時代からこの辺は「アメリカ村」と呼ばれるようになったそうです。

んで、「カナダに出稼ぎに行ってたのに、何でアメリカ?」という点がキニナルかもですが、当時はカナダもアメリカもあんま違いが分からなかったのでは?とか、そんな説とかがあるようですが、はっきりとは不明とのことでした。

ということで、昔はこうした洋風な家がたくさん見られたみたいですが、昔のままの状態で残されているのはこのカナダミュージアムの旧野田邸だけ。ここは10年前まで人が住んでいたものの、町に寄付されることになり、せっかく寄付していただいた建物を活用しようという形でカナダミュージアムとなったそうです!

ちょっと遊んでみたかった( ;∀;)

建物だけではなく、美浜町にはカナダからいろんなものが持ち込まれたようです。例えば、展示されているこうしたおもちゃとか。

あとはコーヒーカップやコーヒーの缶も見られ、こうした外国の生活は他の地域よりも早く馴染みがあったのかもですね。

ちなみに、ココはスーパーマニアックな施設ということもあり、観光客がふらっとやって来るみたいなことはあまりないようです。移民関連の研究をしている人たちだったり、移民に関心ある方が多いんですって!

確かにふらっと来るには場所的にもハードルは高いかもしれませんが、もっと多くの方に知ってほしい場所っすわ~~( ;∀;)

館内の細かい所を紹介

カナダ移民に関しては以上になるんですが、あとは館内で見られた自分なりに気になったものを紹介できればと思いまっす(´▽`*)

食事には椅子とテーブルを用い、トイレは腰掛式の便器、就寝にはベッドといったように、昭和初期の日本では大変珍しい、洋風の生活様式が日本でも引き継がれていました。

玄関には・・

やはりタイルは美しい・・

水色と白のタイルが敷き詰められていました!!

落ちたら骨折しそうなほど、急・・

あと、二階は非公開。。

見せたくないとかじゃなくて、老朽化的なことが要因だった気がする。見てみたかったっすけどね。

扉がデカイ

こちらも、アメリカ仕様の扉ですかね。何かデカイ。

あと、高い。

竹と松ですね

一方、資料が展示してある和室には、こうした美しい欄間が見られました。

全体を見たら、松竹梅が彫られてましたー
昔の家ということで、神棚はしっかり備わってました
スイッチいじりたかった( ;∀;)

昔のスイッチも見られましたよ。今も使えるのかは不明。。

私は『工野儀兵衛ものがたり』の冊子を買いましたヨ(´▽`*)

あと、受付にはたくさんのミュージアムぐっずもあるので、ココも興味深いっす。カナダにまつわるアイテムも多く、ココならでわのグッズの多いので、来館した時はここもチェックしてみて下さいな!

団体じゃないと入れないカナダ資料館

カナダミュージアムは以上になるんですが、美浜町にはもう一つ、カナダ移民の歴史を伝える「カナダ資料館」という施設が残されているみたいです!

どこで見たか忘れたが、美浜町の看板に書いてた

それは「日の岬パーク」という美浜町の高台にあるんですが、燈台や国民宿舎もある観光施設?的な場所っぽいです。

は・・い・・り・た・い・・

んで、実際に行ってみたんですが、空いてませんでした・・( ;∀;)

というのも、昔は一般公開されていて誰でも入館できたみたいですが、今はこの場所が私有地になった関係で資料館は基本閉めてるようです。とはいえ、学校とかの団体でのみ、事前に美浜町に見学を打診すれば見れるみたいですが、ちょっとハードル高いな・・。

個人では見れんのかいな・・。

ここは、開館当時(いつ開館したか知らんが・・)は美浜町の方たちに声をかけて集まった移民関連の資料がたくさん展示してるようです。マジか~見たかったな~~。

とはいえ、近くにはこんな看板が放置されてたんですが、昔は「アメリカ資料館」と呼ばれてたんかな?

あとは国民宿舎の建物が残っていたり・・

あとはこうした廃墟的なものも見られました。バブルの時代とかだと、ココも観光地として賑わってたんですかね・・。

おわりに

以上になります!

今回紹介したカナダミュージアムは、かなりマニアックな博物館ではありますが、こうした資料館を通して知られざる歴史を知るのが自分は本当に好きなので、今回訪問できて本当にヨカッタです!

和歌山には、先ほど書いたヨハネス・クヌッセンの物語、あとは串本町に行くとトルコとの友情物語の礎となったエルトゥールル号の物語を展示している「トルコ記念館」、さらには串本からは昔、白蝶貝を採集するためオーストラリアへと出稼ぎに行っていた物語を展示する「潮風の休憩所」

なかなかアクセス面でも行きにくい場所かもしれませんが、興味ある方はぜひカナダミュージアムを訪問してみて下さいね~

参考文献

↓よければクリックをお願いします

詳細・地図

住所 和歌山県日高郡美浜町三尾482
入館料 150円
※高校生以上が対象
開館時間 09:00~16:00
休館日 火曜日・年末年始
駐車場 無料
電話番号 0738-20-6231
アクセス 御坊I.C.から車で20分ほど
リンク http://americamura.wakayama.jp/museum

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