かつての国策ホテルを堪能できる「志賀高原歴史記念館」へ!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)

こんにちわ!

日本中の博物館やマニアックな場所を取材して記事にしている知の冒険。今回は、長野県の志賀高原にあるかな~りマニアックな博物館の紹介です!

今回紹介するのは、「志賀高原歴史記念館」という博物館なんですが、この建物はかつて国策ホテルとして建てられた「志賀高原ホテル」が廃業した後に記念館として開館しており、昔のホテルの名残りを感じれたり歴史を知ることができる場所なんですよ!

マニアックな場所にあることもありあまり知られてない施設だけあっていろんな方に訪問してほしい場所っす。ではでは、そんな志賀高原歴史記念館とはどんな場所なのか、以下で紹介しますね〜!

本記事のポイント

・昭和12年に開業した国策ホテルの建物
・国策ホテルということもあり、調度品が贅沢
・いつ閉館するかもわからないので、早めの訪問を・・

スポンサーリンク

木造4階建ての豪華絢爛なホテル

今回紹介する記念館の場所は、地図で示すとココになります。公共交通機関ではまずたどりつけないと思うので車で行ったわけですが、それでも結構な場所でしたよ( ;∀;)

住んでる神奈川の川崎から軽自動車をぶっ飛ばして訪問したんですが、下道をひたすら進み草津温泉から高低差が凄まじい国道292号線の「志賀草津高原ルート」で山々を超えて群馬と長野の県境を越えてようやくの到着となりました!!

夜中というか超早朝からぶっ飛ばして開館時間に到着!

木造の外観に赤い屋根が被さった見応えある外観ですよね。ちょっと曇ってて、青空だったら写真もっといいのが撮れたのではと悔やみはしましたが、それでも中がどうなっているか気になるほどの建物ですよ!

訪問したとき、建物の外で何か作業している方に話を聞いたんですが、その方はここの建物を管理している「和合会」という組織の方で、その方からこのホテルの背景とかを色々聞くことができました( ・∇・)

山小屋風の素晴らしい建物っすね!!

最初に建物について教えてもらったんですが、営業時は現在の建物の両側に大きな客室の建物があったそうです。そして、記念館としては歴史的価値の高い正面玄関と左側の建物の一部のみが修復・保存されています。

建物の構造は、4階建ての山小屋風外観で、建築面積は約386平方メートル。1階は鉄筋コンクリート造りで、2階より上は木造。屋根は赤い屋根と大きな切妻を組み合わせたファサード(玄関正面)で、石積の柱に支えられたエントラスポーチが印象的っすね。

元の建物を全部残しても維持も大変ということで、歴史的価値のあるこの建物だけ残したみたいです。

めっちゃ薪が積まれてました・・

確かに、この石積みの柱とエントランスポーチは特徴的で見応えありますね( ・∇・)

館内はこんな感じ!

中央に巨大な暖炉があり、赤絨毯や吹き抜けになっている作りが印象的。暖炉の周囲にはたくさんの薪が積まれていますが、建物が古いこともあり湿気を取るために暖炉には火を入れることが多いようです。

そして、奥の壁に獅子頭が見られるのがわかりますかね??

暗い状態で見たら恐そう( ;∀;)

これは、ドイツ人の設計指導者が日本文化と西洋文化を融合させようとしたことで取り入れたもの。

今は使われていない受付

まずは1階をウロウロしたわけですが、入って右側にはかつての受付が見られます。ホテル時代の受付ですね。

今の記念館に関しては、入館料は無料ですし特に受付をする必要はない感じです。

1階と2階は吹き抜けに

上を見上げると、吹き抜けになっている豪華な造りが見られます!

暖炉にある椅子には、たくさんの落書きが・・

外貨獲得のために建てられた国策ホテル

館内の1階を紹介したところで、ここから志賀高原ホテルの歴史について軽く触れてみることにしましょう!!

志賀高原の開発は昭和2年ころから始まります。昭和4年に志賀高原と命名されると、昭和に入り多くの外国人がこの地を訪れ、ノルウェーのスキー使節ヘルゼット中尉の来訪、大正時代にはキャンメル氏らが訪れ国際的に有名になりました。

そして1929(昭和4)年の昭和恐慌の後、日本政府は外貨獲得のため欧米人観光客の誘致政策に乗り出すことになりました。これにより、鉄道省国際観光局と長野県との間で、風光明媚な地に国策ホテル構想が持ち上がり、長野県には上高地ホテル、志賀高原ホテル、野尻湖ホテル(すでに廃業)の三つが建設されることになります。

館内には、かつての志賀高原ホテル時代の写真が展示されてました

志賀高原ホテルの建物はドイツ人指導のもの、清水組(現:清水建設)によって建設され、飛行機の形をイメージして作られたそうです。

志賀高原ホテルはこうした国策として建てられたわけですが、昭和恐慌のあと、国は1930(昭和5)年に鉄道省に国際観光庁を造って、昭和10年で15のホテルを作りました。

その15のホテルには、今もクラシックホテルとして営業を続けている蒲郡クラシックホテル(愛知県)、川奈ホテル(静岡県)、雲仙観光ホテル(長崎県)などが含まれています。今でも日本中にはいくつかのクラシックホテルがあり、『日本クラシックホテルの会』もありますが、この中にも国策ホテルが含まれているんですね。

箱根にある豪華絢爛な富士屋ホテル

今まで富士屋ホテルとか蒲郡クラシックホテルとかに宿泊したことはあるんですが、今現存しているクラシックホテルって創業の時期や建てられた背景は結構バラバラ!

『日本クラシックホテルの会』加盟ホテル
・日光金谷ホテル(栃木県日光市):1873年(明治6年)6月開業
・富士屋ホテル(神奈川県箱根町):1878年(明治11年)7月開業
・万平ホテル(長野県北佐久郡軽井沢町):1894年(明治27年)7月開業
・奈良ホテル(奈良県奈良市):1909年(明治42年)10月開業
・東京ステーションホテル(東京都千代田区):1915年(大正4年)11月開業
・ホテルニューグランド(神奈川県横浜市):1927年(昭和2年)12月開業
・蒲郡クラシックホテル(愛知県):1934年(昭和9年)3月開業
・雲仙観光ホテル(長崎県):1935年(昭和10年)10月開業
・川奈ホテル(静岡県):1936年(昭和11年)12月開業
※赤字が昭和初期の国策ホテル

今の『日本クラシックホテルの会』に加盟しているホテル中で、「ホテルニューグランド」「蒲郡クラシックホテル」「雲仙観光ホテル」「川奈ホテル」は、志賀高原ホテル(現:志賀高原歴史記念館)と同じ背景で誕生したみたいですね!

富士屋ホテルは元遊郭経営者が建設してますし、金谷ホテルの前身である金谷カテッジインは日光を訪れる外国人観光客向けに個人で開業したんですよね。他のホテルの創設した背景は私は調べてませんが、色々調べるといろんな歴史が出てくるんでしょうね〜〜。

あと、スタッフの方の話や館内の展示資料を基に、志賀高原ホテルの年表もまとめたので、こちらも載せておきますね!

志賀高原ホテルの年表
・1935(昭和10)年
鉄道省国際観光客により、志賀高原が日本初の国際スキー場に指定される。
・1937(昭和12)年1月1日
志賀高原温泉ホテルが一部開業。
・1937(昭和12)年6月15日
志賀高原温泉ホテルが全館開業。
・1945(昭和20)~1951(昭和26)年
アメリカ軍により接収。
・1960(昭和35)年6月30日
京都ホテルに営業権が移譲される。「株式会社志賀高原ホテル」と改称。
・1992(平成4)年頃
バブル崩壊によりスキー観光客が大幅に減少
・1999(平成11)年11月30日
志賀高原ホテルの営業を休止
・1999(平成11)年12月8日
志賀高原ホテルが廃業→土地を所有していた財団法人・和合会が建物を譲り受ける。
・2002年12月
志賀高原歴史記念館としてオープン

昔のものにしては綺麗っすね

ということで、志賀高原ホテルは国策によって建てられたホテルなわけですが、館内にはそのホテル時代の名残りがいろんなところに見られます。

かつてのフロアマップも残ってるわけですが、客室は全部で300くらいあったみたいです。すげぇ数ですね。。営業してる時に泊まってみたかったな。。

バブル時はスキー客で賑わった

このパンフレット欲しい・・

という感じで1階を散策していたわけですが、受付を物色していると、昔のパンフレットを発見しました。部屋は和室も洋室もあり、昔の賑やかな雰囲気が伝わってきますね。

思った以上に安い・・

そんな志賀高原ホテルですが、これだけ豪華なホテルだけに宿泊料金も結構な値段なのではと、その辺の料金が気になっていた私。そう思っていると、受付に当時の料金表が見られたんで、ちょっくら覗いてみることに!

客室料金は、ツインで20,000円、和室で40,000円と書いてますが、ツインで20,000円ということは一人10,000円ってことでそこまで高くはないように感じます。とはいえ、物価は今とは違うので当時の20,000円は今でいうと20,000円以上すると思いますけどね。。

とはいっても、そこまでバカ高いってわけでもなかったんですね!

ホテル時代のレンタルスキーも残ってました

昭和21年、志賀高原には国内初のスキーリフトが架設されて以来、スキー場開発やホテル、保養所の建設が進んでいきます。

バブル崩壊によってスキー客が減少して志賀高原ホテルは廃業となったわけですが、館内には当時ホテルから貸し出されていたレンタルスキーの用具が今も残されています。

志賀高原はバブルの頃は、映画『私をスキーに連れてって』の影響もあったでしょうし、それとバブルが重なってバブル期は本当に多くのお客さんで賑わっていたんでしょうね。でもスキーって金かかりますよね。。

交通費、ホテルの宿泊費、それに加えスキーのレンタル代、リフト代。。この物価高の時代で家族連れでスキーしに行ったらいくらかかるんだって感じですわ( ´Д`)

レンタルスキーだけでなく、こちらは第二回目の昭和3年のスイスのオリンピックで使ったスキー板とのこと。まだ回転競技がなかった。

あと、昔のホテル時代の写真もいくらか見られました!

このホテル、創業当初は「志賀高原温泉ホテル」という名称だったそうで、近くにある発哺温泉(ほっぽおんせん)から2.5kmの長さだけ温泉を引いて浴場を構えていたそうです。

やっぱりホテルには温泉は必須ですよね♨

この場所からは温泉が出なかったのか、温泉掘る金がなかったのか。。

受付にはこんなのも見られましたが、当時はたくさんのルームキーが収納されていたんでしょうねー

大倉財閥からのステンドグラス

受付の探索はこのくらいにして、さらに建物の中を散策してみることに!

その中で、とにかく目立つのがこうしたステンドグラス!!

館内のいろんな窓にはこうしたステンドグラスも多々見られるんですよね。これはスタッフの方がおっしゃるには大倉財閥からの寄贈品ではないかと言われているそうです。

ただでさえ豪華な建物なのに、窓にステンドグラスがみられるという

いつまでも見ていられるわ・・

1階から3階までのいろんな窓に見られるだけでなく、絵柄もさまざま。訪問した時は、いろんな場所に取り入れられているステンドグラスを探してみて下さいね~~

なんかこうした騎士が描かれたのたくさんありました
ハートは何を意味してるんだろか

絵柄の中でも、この四つ指のライオンが特徴的だったんですが、四つ指ってなんか意味があるんですかね~~?

カジノテーブルが印象的な旧食堂

見ごたえ十分な旧食堂

そして、こちらはかつて食堂だった部屋。志賀高原歴史記念館になってからは喫茶店をやっていたそうですが、コロナのときに閉めてしまったみたいです。喫茶店やってたらここでゆっくりお茶でもしたかったですけどね・・。

壁に掲げられた絵は、白樺の木を用いた独特な造りになっています。

そして食堂の奥には、カジノテーブルが残されてました!!

こうした豪華なホテルに泊まって、風呂入って飯食って、つかの間の時間をカジノで過ごすなんて最高じゃないっすか。ここに泊まった方は、こうした贅沢な時間をたくさん過ごしたんでしょうね~~。

とかとか、昔のホテルかどんな雰囲気だったのかを妄想してましたよ(´▽`*)

ちょっと回したくなるルーレット
反対側からも写真撮っといた

ココが喫茶店の調理場だったんでしょうね。今はもぬけの殻となってますが、何かこういう光景は凄く侘しいですね。。

あと、懐かしのダイヤル式の電話もありました。

手摺りの造りが粋ですね~~

二階を散策した後は、階段を上って三階へ!!

こういう昔の名残りを探すの好きっす

あと、二階には日本初の冬季オリンピックメダリストである猪谷千春(いがや・ちはる)さんにまつわる展示もありました。私は全然世代の人間ではないのでこの方を知ってはいませんでしたが、皆さんご存じです??

メダルとかオリンピック関連の展示がたくさんありました

調度品がめっちゃ豪華!!

もうここ住みたい・・

先ほどの旧食堂がある2階から3階にあがりました!

このホテルは国策ホテルとして建てられたこともあり、調度品が豪華。その一つが床に敷かれている赤絨毯。これは、国会議事堂と同じものが用いられているんですって!

ホテル時代はビリヤードルームだったようですが、今はいすが置かれボーっとできる贅沢な空間になってました(´▽`*)

ボーっとするには最高の空間でした!

しかしこの志賀高原歴史記念館、普段どのくらいお客さんが来館されるかはわかりませんが、私が訪問した時は他に1組の夫婦がいただけで、館内はとても静か。館内というか、志賀高原ということもあり周辺も静かなんですが、こうした閑静な雰囲気でこうした豪華な空間を楽しめるのが本当に贅沢でした!!

迫力を感じる猪の剥製もありました
本当に粋な絵ですよね~~

この部屋は、赤い絨毯だけでなく壁に描かれた四季折々の風景も実に粋なんですが、こちらは京都ホテルから持ってきた絵とのことです。

京都ホテルって、かつて京都市内にあった歴史あるホテルで、昭和35年から志賀高原ホテルの営業権を委譲して運営していたというつながりがあったから、この絵もここにあるんでしょうね。

京都ホテルについては、wikipediaのページがありましたので、気になった方は見てみて下さいね!

窓際に置かれているこれらの椅子は、ミズナラの木を使いドイツの職工によって作られたもの。座らせていただきましたが、座り心地がマジで抜群でしたよ(´▽`*)

落書きすんなや・・

とはいえ、どこのだれか知らんがよ~わからん文字が彫られてしまっとるがな。。記念館に来館した方による仕業か、あるいはホテル時代に宿泊客がやったのか・・。

猪だけじゃなくて鳥の剥製もありましたわ

おわりに

はい、以上になります!

ここはとにかくアクセス的に行きやすい場所ではないですし、冬季休業の期間もあるのでちょっと来館のハードルは高いんですよね。。でもこうした建物とかが好きな方であれば楽しめる場所だと思いますので、興味ある方はぜひぜひ訪問してみて下さいね!!

ただ、スタッフの方が「今は和合会が維持してるけど、継いでくれる方がいないのがね・・」と言ってたのがちょっと気になったんですよね。。今は和合会が管理してはいるものの、入館料が無料の中で維持していくのも大変でしょうし。

ということで、気になった方は早めに行ってみてくださいね〜〜

参考文献

↓よければクリックをお願いします

詳細・地図

住所 〒381-0401 長野県下高井郡山ノ内町平穏7148−35
入館料 無料
開館時間 09:00~17:00
休館日 木曜日、冬季休業(11/01~04/30)
駐車場 無料
電話番号 0269-34-2253
アクセス JR御嶽駅から徒歩約1分
リンク https://www.takimoto.in/guide_rekishi.html

知の冒険TOPへ

↓↓twitterもよろしくです
※ほぼ毎日つぶやき中
こちらの記事もどうぞ!
この記事も読まれてます!
関連コンテンツ
関連コンテンツ



  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です