東京の奥地に残る桃源郷!元料亭の河鹿園は、風情ある美術館に!

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こんにちわ!

日本中の知られざるスポットを取材してブログにしている知の冒険。今回は、東京の奥多摩にある素晴らしく癒される美術館を紹介します。

大正時代に開業した元料亭の建物であり、多摩川のせせらぎも聞こえるなんとも風光明媚な建物。その元料亭の建物には、ご主人さんが集めた美術品が集まった美術館となっているんですよね!

世には知られていないものの、まさに知られざる穴場ともいえる美術館。ご主人さんにもいろいろ話を聞いてきたので、以下で紹介していきたいと思います(*´▽`*)

本記事のポイント

・大正時代に開業した元料亭の建物で、雰囲気は最高!
・自然が豊かなだけでなく、多摩川沿いという最高のロケーション。
・特に、紅葉の時期が一番綺麗!

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歴史を感じる元料亭が、美術館に!

この河鹿園が位置しているのは、東京の青梅市。首都の東京とはいえど、渋谷や新宿とは全く違う景色が広がっています!

自然の多い山間の場所に位置はしているものの、JR青梅線の御嶽駅からすぐの場所にあるので、アクセスは良さげっす。

んで、その河鹿園がこちら!

いや〜、もう外観から建物の素晴らしさがわかりますし、古い建物好きであるだけに、館内はどんな景色が見られるか、早く見たくてしょうがなくなりますわ!

時代を感じる看板だ・・

河鹿園のある場所はJR青梅線の御嶽駅前でありますし、近くには日本画家で有名な川合玉堂の美術館があるほか、登山客も多く、多くの人で賑わっています。でも、河鹿園は上の写真の様な看板は見えるものの、美術館として開館中であることがわかりづらいからか、気づかない方がほとんどではないかと思います。。

そんな河鹿園ですが、館内の雰囲気は本当に素晴らしいです。建物がとても広くて部屋数も多く、周辺には緑が広がっており、どの部屋からも素晴らしい景色が広がっています。

なんたって、多摩川の川岸にそびえたっていますからね!

部屋からは真上から多摩川を眺めることができる素晴らしい景色が広がっていて、外からは川のせせらぎが聞こえてきます。そんで川岸に垂直に立っているだけに、河鹿園の外観はどうなっているのかが気になった私。

右側にそびえたつのが河鹿園

近くには橋があるので多摩川の対岸に渡ってみると、川岸にそびえたつ堂々たる佇まいが窺えます。しかしこうして見ると、凄い場所に建ってますよね。これだけ川に近いと、洪水が発生するリスクも考えてしまいますが、これだけ高い場所であればまぁ大丈夫っすかね。

実際、ご主人さんからもそうした話は聞かなかったですし。。

何も考えず、ずっとここでボーッとしてたい・・

たくさんの宿泊部屋から多摩川を眺めることが出来ます。都心からそう遠くない場所にも関わらず、川のせせらぎを聞きながら部屋でゆったりできるなんて、本当に最高じゃないですか!!

旅館が閉業したのは残念ではあるものの、営業してたら絶対に泊まりに来てましたわ。ってかちょっと寝っ転がって昼寝したい。。( ;∀;)

ちょっと乗ってみたい….

そんな多摩川では、こうしたボートの方々が練習をしている光景もよく目にするそうです。どこかの大学のボート部がよくここを練習場所にしているそうです。

そんな河鹿園は、建物が素晴らしいだけでなくご主人さんが長年集めた美術品も展示する美術館となっています。

料理旅館だった時は、さすがに年中無休はしんどすぎるということで旅館業のみは週に三日を休みとし、そうした休みの時間を使って東北や北陸などの『奥の細道』のルートを旅していたそうです。

その旅の最中に、これらの美術品を集めたんですって!

この部屋の中に見られる掛け軸や扁額は、川合玉堂の作品。さらには作りも注目で、部屋の天井には屋久杉が用いられています。

とはいえ、展示品は定期的に入れ替えてるとのことですので、常時これらの作品が見られるとは限りません。

豪快な格天井が見られる大広間には、壁中に掛け軸が掛けられています。

また、再入場可能な「一日ゆったり券」を購入すると、飲み物もついてきます。ここで飲み物を飲みながら過ごすのもいいですね。

大正創業の料理旅館だった

この河鹿園は、ご主人さんが個人で運営する美術館。ご主人さんは凄く気さくで話しやすい方でもあることから、訪問したときにはこの建物の背景を色々説明してくれます。ということで、私が訪問した時も、河鹿園が歩んだ歴史も教えていただきました。

河鹿園のパンフレット

河鹿園の創業は大正時代。詳しい年は不明ではあるものの、大正に最初は料亭として始まり、その後の大正14年には旅館も備えた料理旅館に。当時は近くに置屋があり、そこから藝者さんもやってきて、夜は宴会などで大いに賑わっていたそうです。

藝者さんをあげて賑わった大広間

今の河鹿園は二つの建物で構成されていますが、創業当時は川沿い側にある建物のみであり、その後に大広間を備えた建物を1930(昭和5)年に竣工。

地元の会合や組合の総会などで、藝者さんを挙げての宴会や接待でいつも賑わっており、この先ある小河内ダムの建設における関係者(建設省の方々など)による宴が多かったと聞いたのも印象的でした。

大広間のそばには懐かしのカラオケが・・( ;∀;)

とはいえ、これだけの大きな建物ということもあり、料理旅館を閉業したとしても取り壊すにもスンゲェお金がかかってしまう。。そのため、ご主人さんは閉業する二年ほど前から建物の買い手を探していたそうです。

しかし、その買い手が見つからなかったことから、先ほども書いたようにご主人さんが今までコレクションした美術品を展示して美術館としてオープンしたとのことでした。

一応、簡単にではありますが、河鹿園が歩んできた歴史を以下にまとめておきます!

河鹿園の軌跡
大正時代
料亭として、河鹿園が開業。
1925(大正14)年
料亭だけでなく旅館業もスタート。
1948(昭和23)年
今のご主人さんの祖父母が河鹿園を譲り受ける。
2015(平成27)年
河鹿園閉業
2017(平成29)年
旅館建物室礼美術館 河鹿園としてオープン
2022(令和4)年4月
旅館建物室礼美術館 河鹿園が閉館
2023(令和5)年7月
旅館建物室礼美術館 河鹿園を再オープン。

紅葉の時期の景色が抜群!

そんな河鹿園は、紅葉の時期は特に景色が最高なんですね。最初に訪問したのは6月くらいだったんですが、その時ご主人さんから「ここはね、紅葉の時期が一番きれいなんですよ!」という話を聞いたため、その時期を狙って再び訪問しちゃいました(*´▽`*)

特に、この部屋から見える景色が最高!!

この部屋からは、多摩川の対岸に立つ真っ黄色なイチョウの木が見えますね。部屋に敷かれた赤い絨毯があることで、素晴らしいコントラストになっています。

そして隣の窓からは、美しい紅葉が見えます。

大正時代に開業した、風情ある建物から見える美しい紅葉。そして多摩川のせせらぎの音も含め、たまらなく癒される一室。

この部屋の景色が一番紅葉を堪能できることもあり、めっちゃ写真撮りました。

別の角度からも、とにかく何枚も撮りたくなる

癌を克服し、奇跡の復活!!

そんな河鹿園ですが、去年、閉館のニュースを目の当たりにすることに。。

この知らせを聞いたときはめちゃくちゃショックでした。。先日訪問したときには、「いつまで続けられるかはわからないですが、、」とはおっしゃっていたんですが、確かに、これだけの広い建物を維持するのも大変ですもんね。。

でもでも、取材時に私の連絡先を知らせていたこともあり、その後ご主人さんから一通の郵便が届いたんですよね!

その内容は「美術館を再開しました!!」というまさかの内容。

実は、美術館はご主人さんに癌が見つかり余命宣告を受けていたことから閉業せざるを得なかったのですが、なんと奇跡的に適した抗がん剤が見つかって、見事復活。

そして、医者からも美術館再開の許可をもらっての再オープンとなったとのことです。

ご主人さんの病状が回復して本当によかったですし、ここ本当に素晴らしいスポットなので、また復活してくれて本当に嬉しかったですわ( ・∇・)

では、ここから写真多めで館内の様子をひたすら紹介していきたいと思います。かつては料理旅館だったということもあり、旅館時代を彷彿とさせるものも多く見られるんですよ!

旅館時代を思わせる電話、懐中電灯・・

という感じでご主人さんから旅館などの背景を聞いたとは、ひたすら館内を散策しました。こうした廊下など、昔を彷彿とさせる造りが多く、館内のどこを歩いても楽しい。

廊下にあるこちらの鏡は、大正14年に旅館業を始めた際にお祝いとしていただいた鏡。「酒はマルコシ」という文字が見えるかと思いますが、こちらは埼玉県志木市にあった丸越酒造からいただいたそうです。

そこの社長さんが河鹿園を好んでいたからなのか、これにはどんな背景があったんですかね。

その他にも、”エビスビール”と書かれた鏡などの昔ながらの鏡は館内にちらほら見られました!

ちなみに、館内は結構広くて部屋も多く部屋の前には階段も多いです。そのためか、館内を一通り巡りはするものの、「さっきのあの場所を写真撮ろう」と思っても、その場所がどこだったかわからなくなることもあるなど、結構複雑な造りとなっています。

階段脇の壁には、、

旅館時代の部屋名が書かれた案内が残されていました。こうした部屋名において、松竹梅は鉄板ですな~。

Z世代は使い方わかんないんじゃないっすか?

部屋の中にはこんなものも残されています。

こうした電話機も、今では博物館で度々見かけるようになったほど過去の産物となっています。私が小さい頃、実家はこうしたダイヤル式でしたので、懐かしいですわ。

これも、旅館時代の名残りですね。

後は壁に懐中電灯もありました。念のためなのか、二つ備わってましたわ。

字体がレトロでたまらない

今でも、引き抜いたら点灯するのだろうか・・。

という感じで、廊下や部屋にはいろんな見所があるものの、こちらの一室はだいぶ違った光景が広がっておりました!!

我楽多市と書かれた札の奥には、凄い数の食器が!!!

これは、かつて河鹿園で使われていた食器類であり、すでに料亭も旅館も閉めている現在は持っておいても不要ですし、食器としては質の良いものであることから、来館者の方に販売しているとのことです。

あ~確かにこうした舟形の器も、旅館の食事でよく見ますよね。

徳利(とっくり)も凄い数ですわ。かつては大広間で度々宴会が行われていたこともあって、たくさんの数が必要だったんでしょうね。

茶碗に関しても、色んなカラーがありますわ。

会計は自己申告制なので、万引きしないでね

奥多摩の秘境にローマ風呂

続いては、旅館の造りに目を向けてみることにします(*´▽`*)

奥には、松の意匠が見えますね

昔の料亭ということもあり、今の建物にはあまり見られない粋な造りが所々に見られます。

この部屋にある、富士山を彷彿とさせる意匠なんかも、実に素晴らしい。富士山の麓には、木が立ち並ぶ様子が垣間見えます。

木が立ち並んでるだけでなく、船が浮かんでる様子も見られますね。

窓側の手すりには松の意匠
“面”が見たことない字体になっとる・・
今からお湯入れて入りたい・・♨

そして、河鹿園の奥には風呂があるんですが、それがこのローマ風呂ですよ♨♨

風呂場の真ん中に作られた円形の浴槽。窓の外には緑が広がり、いや~ここで風呂に入りたかったですわ。

その他にも、宿泊用の部屋にもこうした小さな浴室が見られますが、どこも昔ながらん雰囲気に。こちらも壁には鉄平石が見られ、おばあちゃん家で見られるお風呂場みたいですね。

ってか、ブログを書いてて気づいたんですが、写真にシャンプーが写ってますね。もしかして今でも使える??

風呂場は、まだまだありました。

部屋がたくさんあって、どの部屋がどこにあったかもう思い出せないww

とはいえ、マジでどの部屋も素晴らしい。何度も書きますが、どの部屋でもいいから一泊したい!

おわりに

はい、以上になります!

東京の奥多摩に残る、素晴らしい美術館。紅葉の時期でなければ混んでることも少ないとは思いますので、東京の都心から近い場所にあるものの、自然豊かで本当にゆっくりできる場所だと思います。

これだけの建物を維持するのも大変ですし、ご主人さんは「いつまで続けられるかわからないですが・・」とおっしゃっておりましたが、出来るだけ長く頑張っていただきたいです!

ではでは、また次の記事でお会いしましょ〜〜!

参考文献

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詳細・地図

住所 東京都青梅市御岳本町335
入館料 一般800円、学生400円
開館時間 11:00~16:00
休館日 月曜日、火曜日
駐車場 無料
電話番号 0428-78-8218
アクセス JR御嶽駅から徒歩約1分
リンク https://www.facebook.com/kajikaenmuseum/

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