遊女達の歴史が眠る街「吉原遊郭跡」を徹底調査した!

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日本最大規模の歓楽街である吉原。東京都台東区に位置するこの一角は、首都東京の中でも特に夜は別世界へ来たかのような錯覚を起こさせる街であります。
会社終わりのサラリーマンなどが、車やタクシーに乗ってこの街にやってくる。この街にはいろいろな人間ドラマがあるような気がしてならないです。そんな吉原は、江戸時代は吉原遊郭として幕府公認の遊郭街があったのですね。
そんな吉原遊郭の歴史を踏まえ、今の吉原に関しても含めこの街の歴史と今を紹介していきたいと思います!
本記事のポイント

・吉原遊郭は元吉原と新吉原の2箇所に存在した
・今現在は一葉記念館、吉原弁財天などなど吉原ゆかりの建物も多い
・現在も多くのソープ店が軒を連ね、案内所である喫茶店もある

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吉原遊郭について

まずは、遊郭に関してそしてその歴史などを一通り紹介していきたいと思います!

吉原はどこにある?

吉原遊郭
現在の吉原は、住所で言うと「東京都台東区千束四丁目」という場所にあります。アクセスでいうと、一番近い駅は地下鉄日比谷線の三ノ輪橋駅。JRでいうと、南千住駅や鶯谷駅があります。ただ、ここに来る人はタクシーの人が多いようです。
吉原遊郭
▲吉原への玄関口である鶯谷駅北口
様々な方面からお客は訪れるとは思いますが、鶯谷駅の南口からの客が多いと、以前本で読んだ記憶があります。ここは、ホテル街がある北口とは異なり物寂しい感じの出口。ここからタクシーに乗り、吉原へと向かうお客さんや吉原で働くお嬢さんが多いという。
吉原遊郭
ただこの吉原があるエリアは、東京の中でも色々と個性ある街が多い場所。すぐ近くには簡易宿泊所が並ぶドヤ街と言われる山谷がある他、西側には鶯谷のホテル街がある場所となっています。

吉原遊郭の歴史とは

江戸時代、日本には幕府公認の大きな遊郭街が3つありました。その遊郭は吉原遊郭(江戸)、島原遊郭(京都)、新町(大阪)の3つで、三大遊郭とも言われています。
歴史としては、島原遊郭が一番歴史が古くこのシステムなどが吉原遊郭にも受け継がれている形になります。
▲今の人形町にあった元吉原
吉原遊郭ができたのは、1617年のこと。元々は、今の場所ではなく日本橋付近にあったそうです。しかし、1657年に江戸を襲った明暦の大火によって元吉原は壊滅的なダメージを受けました。
火事が起こる前から、大名屋敷の近くにこんな町があってはということで移転命令も出ていたようですが、移転して今の場所で営業をする形になります。そこで、移転前を「元吉原」と言い移転後を「新吉原」とも言ったりします。
今ではビルが立ち並ぶ東京ですが、徳川家康が江戸幕府を開く以前の東京は今では考えられませんが家屋がぽつぽつ建っている程度。新宿より西側の武蔵野台地がある場所とは裏腹に、東京湾近くの土地は低地で湿地となり人が住むにはあまり適していない土地でした。
そこで、家康が江戸幕府を開くとともに一斉に人間が住むためのインフラ工事が進んでいきます。人手が必要なため、江戸には多くの男性が訪れ何と男女比は7:3ほどだったという。そんなこともあり、当時は女性と恋愛できるというのは誰でもできるわけではなかったのです。
遊郭で遊女と遊ぶためには高額な額を支払う必要がありましたが、高額であってもその一時に女性と関係が持てることを多くの男たちが夢見ていたようです。

吉原遊郭の仕組み

現在吉原で遊ぶのであれば、直接お店に伺うかあらかじめHPを見て予約をするなどの方法があります。しかし、はるか昔の江戸時代辺りでは今とは全くシステムが異なっているのです。
客は目当ての女性と男女の仲になるためには、最低3回は訪れなくてはいけなかったようです。1回目、2回目は遊女の顔をチラ見する程度でありそれ以上は特に何もしない。そしてその際にはただではなく正規の料金をちゃんと支払わなくてはいけない。
しかもそれだけではなく、遊郭が用意した芸者のような盛り上げ役にもチップを払わなくてはいけなかったのです。今では、1回行って料金を払えばいいのですが、昔はそれほどの粘りが必要だったのですね!
吉原遊郭
▲今でも多くのソープ店がある吉原
現在の吉原の営業時間は朝から24:00まで。朝の営業時間は店によって異なりますが、終了は24:00でその時間を過ぎると、きらびやかなネオンの街が一斉に静寂に包まれます。
元吉原の営業時間は、なんと昼間しか営業していなかったようです。つまり、昼間に働かなければいけない人は行くことが出来ず、昼間は働かなくても稼ぎがあるような方のみしか行くことができなかったのです。
新吉原の営業時間は、
昼見世:12:00~14:00
夜見世:18:00~22:00
という時間だったようです。今の飲食店の中休みある方式の営業時間に似てますね!
そして、唯一の入り口であった吉原大門は22:00に閉まり、深夜2:00には「大引け」という拍子木が打ち鳴らされ、街は眠りに入るのです。

日本で初めて人力車を導入

吉原遊郭
確固たる事実はありませんが、おそらく人力車が日本で初めて導入されたのは吉原なんだそうです。まあ場所的にも便利な所ではないので確かに重宝されたかもしれませんね!
この他にも、風俗ガイドである「吉原細見」も日本初の風俗ガイドだそうです。

風俗業界の近代史

吉原遊郭
路地を入ると、ひっきりなしに並ぶソープの店舗。しかし、その店舗数は減少しているという。最盛期には250店近くあった店舗は、現在140店舗ほど。今でも多いと感じましたが、最盛期は今より100店舗も多かったんですね。
風俗産業は景気に大きく影響をするようです。昔は女性を集める際に苦労したものの、今ではネットがあることから多くの女性がHP等を見て応募してくることもあるという。そういうこともあってか、現在は供給過多であり、近頃は親が子供の学費を払えない家庭が増えたということで、奨学金を返済するために働く女子大生が風俗業界に多いと聞きます。
吉原で働く女性たちには、どのような方が多いのだろうか。。。
吉原遊郭
風俗業界には今までに3度大きな転機がありました。
①1957年の売春防止法の改正
②1985年の風俗営業適正化法
③1999年の風営法の改正
の3回です。
売春防止法は、第二次世界大戦が終わりGHQが日本に上陸した後に制定されます。GHQにより公娼(こうしょう)という制度を廃止する動きがあった一方、完全には撲滅せずに赤線地帯という政府公認の場所を作りました。ここ吉原もそうですし、関東だと横浜の真金町や川崎の南町などがその対象でした。
▲かつて青線地帯だった川崎の堀之内
赤線とは「地図上で赤色のインクで囲ったから」そういう名がついたという。また私娼が集まる売春地区は地図上で青色のインクで囲われたことから青線地帯という名がついたという。つまり、青線地帯は法律的には違法な行為が行われていた区域でした。こちらは、横浜の黄金町や川崎の堀之内なんかがそうです!
しかしその後、赤線地帯で働く女性たちが「全国接客女子従業員組合」を結成し、売春に対する反対運動をおこします。そして、売春防止法が1958年に施行され本番行為は法律的に完全に違法になり、赤線地帯は10年近くで姿を消すことになります。
その後、ピンクサロン、ファッションヘルス、デリヘルなどの様々な風俗店舗が出現するようになります。
吉原遊郭
売春防止法が適用され、赤線地帯が無くなったその後、赤線の経営者たちは「トルコ風呂」という形態のお店を始めます。そう、ソープランドのお店はあくまで風呂屋なのです。
風呂屋という名の個室浴場に行ったら、綺麗な女性がいて男女の関係になったというだけのこと。そのため、ソープ店には「入浴料」「サービス料」という料金形態が存在しており、料金表などを見てこのようなシステムになっているのはそのため!
ちなみに、トルコ風呂という名称は消えソープランドという名称になったのは、1984年にトルコ人留学生による訴えによってなのだという。

吉原を歩く

吉原を取材しようと思ったのは、この近くにある山谷のドヤ街を取材したのがきっかけ。山谷へ向かう際は、鶯谷駅から歩いていたため、吉原を通っていたのです。その際に、この街並みを見るにあたりその歴史が気になり、記事を書こうと思うようになったのです。
取材をするために何度も訪れましたが、そんな中で得た知識などを以下で紹介していきます!

しきりに声をかけられる

吉原遊郭
お店が営業している時間に吉原を歩くと、しきりにボーイさんに声をかけられます。声をかけても当たる(お客さんが入る)確率はかなり低い様に思います。
私の知り合いで吉原によく行く方がいるのですが、大抵は予約してから行くそうです。タクシー客が多いこともあり、直接街を歩きながらお店を選ぶ人より、あらかじめお店を決めてから行く方が多いように思いますが、実際はどうなんでしょうかね。。。

所々にある喫茶店の謎

吉原遊郭
▲ソープ店に紛れて軒を構える喫茶店
吉原には、情報喫茶と言われる喫茶店があります。他の風俗街にある「無料紹介所」の場所のようで、喫茶店の中に入るとお店を紹介してくれるとのこと。
他ではなかなか見られないシステムであり、その経緯が非常に気になります。元々、吉原遊郭には引き手茶屋というお茶屋さんが存在しました。吉原遊郭にあった高級店は、引き手茶屋でお店や遊女を選び、お店に向かっていたようです。でも、これらの喫茶店は、別にその名残というわけではございません。

唯一の入り口だった「吉原大門」

吉原遊郭
「吉原大門(よしわらおおもん)」という名は、交差点の名前として残っています。上の写真が吉原大門の交差点。
吉原遊郭
吉原遊郭
▲唯一の入り口だった吉原大門跡
吉原大門の交差点から吉原の敷地内に進んでいくと2つの柱が建っています。その柱には、「よし原大門」という文字が書かれています。実際の大門はここに建っていたようですね。
吉原の出入り口がここ一か所だったのは、遊女の逃亡を防ぐためだったそうです。当時は22:00にはこの門は締まり出入りができなくなったという。

深夜の吉原

吉原遊郭
現在の吉原にあるお店の営業時間は24:00まで。そのため、日付をまたぐと一斉にきらびやかなネオンは消え、吉原の街は眠りに入る。
吉原遊郭
営業時間内にはひっきりなしに声をかけてくるボーイさんもいなくなり、何とも言えない静寂です。
吉原遊郭
そんな中、昔の遊郭らしき建物も見えました。これが遊郭当時の建物かはわかりませんが、そんな感じの風貌を感じられる建物。一通り吉原の街はうろつきましたが、風情ある建物はこの1軒以外見つけることは出来ませんでした。

吉原大門に立つ「見返り柳」

吉原遊郭
▲吉原大門の交差点にある「見返り柳」
吉原大門の交差点の角には、一本の柳の木が立っている。この木はただの木ではなく、「見返り柳」という名称がついている柳の木なのです。
ここは吉原遊郭の名所の一つであり、京都の島原遊郭の門口の柳を模したもの。遊郭で遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳のあたりで遊郭を振り返ったことから「見返り柳」という名がついたようです。
吉原遊郭
元々は山谷堀脇の土手にあったが、道路や区画の整理に伴って現在の場所に移ったようです。関東大震災や東京大空襲によって消失をしており、数代にわたって植え替えられているという。

創業120年以上のてんぷら屋

吉原遊郭
▲遊郭があった頃からの老舗「いせや本店」
吉原大門のすぐ向かいには、「いせや本店」というてんぷらの老舗のお店があります。ここは、1889年創業という老舗中の老舗であり、創業から127年も続く名店なのです。
昔は吉原遊郭に向かうお客さんで賑わったそうです。こういうお店にも、吉原の歴史が関係しているんですね!
吉原遊郭
今でも行列が絶えない名店となっています。営業時間は昼のみなので、さらに難易度が高いですね!
吉原遊郭
ちなみにその天ぷらはこんな感じ。丼からは余裕ではみ出すこのインパクト!特アナゴは極めてデカめのものが乗っかっています。
↓↓ちなみに、いせや本店に関しては以下の記事にまとめましたのでよかったら見てみてくださいm(_ _)m

一葉記念館

吉原遊郭
▲樋口一葉の歴史が学べる「一葉記念館」
五千円札にも載っており、日本を代表する女流作家ですが、肺結核により24歳という若さで亡くなった樋口一葉。彼女の代表作である「たけくらべ」は、吉原遊郭が舞台となっているのです。主人公の美登利が吉原の遊女になるという話を描いた物語だという。
それだけでなく、一葉は21歳から1年間近くを吉原の裏街で過ごしていたという。一葉ゆかりの地ということもあってなのか、吉原の北側には一葉記念館が建っているんですな〜。
吉原遊郭
記念館だけでなく一葉煎餅(せんべい)というお店もあります。この辺りは一葉ゆかりの地ということで、一葉の名がついた店を増やしたという。創業昭和27年ということで、60年以上も続く老舗なのですね!
続きはこちら!まだまだ吉原を掘り起こします!
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