箱根富士屋ホテルは横浜遊廓「神風楼」の支店だった!?

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こんちわっす!

今回は神奈川県にある超高級ホテル「富士屋ホテル」に関するお話になります。

何でこのホテルを取り上げるのかというと、このホテルは横浜にあった遊廓と関係があるというのを本で読んで知ったため、それに関してまとめてみたいと思ったからなんすな。

では、富士屋ホテルは横浜遊廓とどのようなつながりがあったのか?

調べられる限り調べて深堀してみたので、以下にまとめてみました!

本記事のポイント

・富士屋ホテルは、山口仙之助によって明治11年に開業した
・山口仙之助の父は、横浜遊廓で神風楼を経営していた
・開業時は「富士屋ホテルは神風楼の支店」という位置づけだった

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豪華絢爛な富士屋ホテル

明治11年創業の箱根富士屋ホテル

ということで、今回のターゲットは箱根にある超有名ホテル「富士屋ホテル」になります。皆さんこのホテルはご存じでしょうかね??

箱根の宮ノ下という湯本から国道一号線を上った場所にあり、上の写真のようにまさに豪華絢爛、クラシック感満載の造りであるこのホテルは、明治11年に山口仙之助(やまぐち・せんのすけ)によって開業しました。

レストラン「ザ・フジヤ」

こちらのレストランなんかも社殿建築を思わせる素晴らしい造り。料理は素晴らしくおいしいんですが、お値段もそれなりな額になります。。

そんな富士屋ホテルですが、なぜこのホテルに私が関心を持ったのかというと、それは一冊の本がキッカケでした!!

それがこちらの『箱根富士屋ホテル物語』という本っす!

もともと、富士屋ホテルに関しては「箱根にある歴史ある有名ホテル」くらいしか思っていなかった私ですが、この本を読んで、「富士屋ホテルが横浜遊廓にある神風楼と関りがある」というところから一気に関心が湧いてきて記事を書こうと思ったわけです!

横浜遊廓に関しては、何度も跡地を訪問して記事を書いてきましたからね!

本に書かれていた内容をまとめると、この富士屋ホテルを創業した山口仙之助の父である山口久蔵が、横浜遊廓の妓楼「神風楼」を経営しており、富士屋ホテルは神風楼の支店という位置づけで開業し、創業時にはいろんな支援を受けていたそうなんです。

ということで、ココから本題に突入していくわけですが、まずは神風楼があった横浜遊廓についてまとめてみたので、そこから話していくことにしますね!

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開港によって誕生した「港崎遊廓」

「遊廓ってそもそも何??」という方もいるかもしれませんが、遊廓は簡単に言うと「公的に認められていた売春をする一画のこと」です。その遊廓にある一つ一つのお店を妓楼(ぎろう)と言います。

商店街に例えるなら、「商店街 = 遊廓」「商店街にある一つ一つのお店 = 妓楼」といったところでしょうか!

国に認められているということで、働いていた方々はいわゆる公務員。公務員が売春をしていたわけで、今の時代では考えられないかもしれませんけどね。70年近く前までの日本はそうだったわけです。

神奈川県でいえば東海道の宿場町に遊廓があり、川崎、保土ヶ谷、戸塚、藤沢、平塚、小田原、あとは舟運が主要な移動手段だったため三崎や浦賀にもありました。

開港前の横濱村

開港前の横浜、今でいう関内や桜木町辺りは閑静な半農半漁の街でいわゆる田舎。この辺は人の往来が多かった東海道からは外れていましたし、要は主要街道の通過点ではなかったため閑静な街だったわけです。

ところがです、ペリー来航がキッカケとなり、1859年に横浜は開港することになりました。開港条約の締結に伴い、「遊里の建設は条約面にあったわけではないですが、幕府の当事者と某領事の間の非公式折衝になったものと考えられる」という記載が、『横浜市稿・風俗編』にはみられ、これが港崎遊廓誕生のキッカケだったようです。

開港によって多くの外国人が押し寄せることになるため、そうなるとこの時代には遊廓のような歓楽街が必要だったわけです。

港崎遊廓があった横浜公園

そして遊廓設置場所を太田屋新田の内の一万五千坪に指定して港崎(みよざき)町と名付けられ、1859(安政6)年11月11日に港崎遊廓が誕生するわけです。この場所は、今でいう横浜スタジアムがある横浜公園なんですね!

港崎遊廓に関しては、以下の記事に詳しくまとめているので、こちらもご覧になってみてください!

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港崎遊廓の配置図
引用元『横浜市稿・風俗編』

港崎遊廓は開港に間にあわせる予定だったんですが、工事が難航したことで少し遅れて開業する形になります。

その後、1866年にはすぐ近くにあった豚屋料理店による火事(豚屋火事)で港崎遊廓は焼失。。その後は、少し場所を移して吉原町廓が誕生。しかし、今度は明治4年11月に神風楼の裏長屋から出火し、またまた焼失。。二度も火事によって焼失することになるものの、今度は高島嘉右衛門の埋立地である高島町にて開業することになります。

高島町に移転するも、ここは横浜-神奈川間の鉄道線路に沿う場所で、多くの外客の目に触れるわけです。そのため、「こういった場所を外客にさらすわけにはいかないから別の場所に移してくれ!」となるのです。

遊廓があった永楽町

その代替地となったのが、真金町と永楽町でした。そして1899年にすべての妓楼の移動が完了し、売春防止法施行による1958年の赤線廃止までその地で営業を続けることになるのです。

この港崎遊廓、吉原町廓、高島町廓、永楽町廓・真金町廓を総称して横浜遊廓と呼びます。

というように、開港に合わせて港崎遊廓が誕生し、度重なる火事などによって三度の移転を繰り返した横浜遊廓は、戦後の公娼廃止、売春防止法の施行によって1958年に幕を閉じることになります。

どうですかね、何となく理解できましたでしょうか??

横浜遊廓の歴史を簡単に説明したところで、続いては神風楼についてまとめてみることにしましょう。

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富士屋ホテルの礎「神風楼」

改めてですが、箱根富士屋ホテルを開業したのは山口仙之助であり、その父親が横浜遊廓で妓楼を運営していました。父親と言っても養子として迎え入れられたため、実の父ではないですけどね。

山口久蔵は栃木県の石橋という町の出身。時代の変化を嗅ぎ取ったことで横浜に出てきたのか、港崎遊廓にて「伊勢楼」という妓楼を開業することになります。

萬延元年四月港崎細見所載
引用元『横浜市稿・風俗編』

この伊勢楼はいつから出来たのかは定かではないものの、港崎遊廓誕生時にはまだ無かったと思われます。『横浜市稿・風俗編』の郷土史には「萬延元(1860)年四月港崎細見所載」という項目があり、ここには伊勢楼の文字がありますね。港崎遊廓が開業したのは1859年なので、その後すぐに伊勢楼が開業したのでしょう。

そんな伊勢楼の商売は結構繁盛していたのか、1864(元治元)年になると、甥・綱吉の名義で「神風楼」を開業することになります。

この神風楼は、廓内随一の豪華さを誇っていた岩亀楼と同様に資料を調べているとよく名が出てくる妓楼です。横浜遊廓に数ある妓楼の中でも特に目立っていたようですな~。

そして先ほども書いた通り港崎遊廓は火事にて消失。その後、横浜遊廓が吉原町に移ると、伊勢楼を姪である山口トメに譲り、久蔵は神風楼を経営することになります。トメは明治二年に久蔵の養女になっているので、養女になってからすぐに伊勢楼に携わったようです。

その後、高島町に移った神風楼は、同町二丁目の富士見橋際海岸側に岩亀楼と相対して城廓式三層楼の和洋折衷館を両翼にした大建築となり、右方を日本人、左方を外国人専門にしてお店は繁盛することになります。

明治17年の春に、神風楼は真金町に新館を建て日本人専門にし、神奈川七軒町埋立地には高島町の建物を移築して外国人専門としました。その後、神奈川の方は反町に遊廓地が移転されることになり、それに伴い廃業。そして、真金町の方を外国人専門にしました。

真金町にあった神風楼は、最終的には関東大震災によって被害を受けたあと、再興することなくそのまま廃業になりました。

伊勢楼と神風楼の変遷

つらつら書いてきましたが、伊勢楼と神風楼の歴史をまとめてみるとこんな感じですかね!

富士屋ホテル誕生の背景とは!?

横浜遊廓と神風楼に関して、なんとなく理解はできましたでしょうか?

ここを理解したところで、続いては「富士屋ホテルはどのような背景があって誕生したのか!?」という点についてまとめたいと思います。

富士屋ホテルを開業した山口仙之助

富士屋ホテルを開業した山口仙之助の実父は大浪昌随という人物でした。職としては漢方医だったようです。彼の五男として誕生した仙之助が山口姓として婿入りしたのは1860(萬延元年)年5月のこと。久蔵が港崎遊廓で伊勢楼を営んでいる時に、仙之助は久蔵の養子に入ったわけです。

そんな仙之助は、なぜ箱根でクラシックなホテルを開業したのでしょうか?

『箱根富士屋ホテル物語』の書籍にも、はっきりとした理由は書かれていないものの、仙之助がホテルを開業した要因はいくつか考えられるようです。

箱根でホテルを開業した要因
1. 神風楼に多くの外国人がやってきて刺激を受けたこと
2. 渡米経験があり、外国で様々な刺激を受けたこと
3. 箱根に足しげく通った福沢諭吉の影響を受けた

上でまとめた内容はあくまでも考えられる要因のうちのいくつかであって、本当にこれが開業要因かは不明です(;・∀・)

久蔵が営んでいた神風楼は多くの外国人がやってきたこともあり、その分、仙之助は様々な影響を受けていたのかもしれないですし、仙之助は1872(明治5)年頃に渡米していた経験もあることから、渡米先で出会った人々に刺激を受けたことが要因なのかもしれない。

ホテルに関してはこの二つの要因が考えられるが、その場所を箱根にしようとしたのはなぜなのか?

それは、慶應義塾での福沢諭吉との出会いがあったことが考えられるんですね!

渡米から帰国したあと、仙之助は慶應義塾に入学しています。その慶應義塾大学を創設したのは、一万円札にもなっている福沢諭吉ですよね。直接ではないまでも、彼の影響があったと考えられもするわけです!

福沢諭吉が通った「福住楼」

というのも、福沢諭吉は箱根に足繁く通っており、今も塔ノ沢にある老舗旅館「福住楼」を懇意にしていました。福沢が通っていた頃、福住楼の十代目である福住正兄(ふくずみ・まさえ)は二宮尊徳の弟子であり、国学や和歌に秀でた方だっため、彼との交流が福住楼に通う要因だったようです。

そんな福沢は、箱根にある想いを抱いていました。

というのも、まだ道路が十分に整備されていないことに対して不満があったようで、足柄新聞に以下のような記述を残しています。

人間の世の中というのは、目の前の欲だけではなく、後々の利益を考えることも大切だ。箱根湯本から塔之沢まで新道を造れば、往来が便利になり自然に土地も繁盛して、みんなが幸福になれるのに、橋は去年の洪水で壊れたまま、道は山道をわざわざ通っているなんて、損もいいところだ。まったく、無学で目先の欲しかないんだから、しかたがない。新道を造るのにかかるのは百両、毎年架け代えている板橋を架けるのが三十両。三年たてば、モトがとれるのに、一度に百両を出し渋るとは、まったくバカかたわけとしかいいようがない

引用元『箱根富士屋ホテル物語』

簡単にまとめると、「今後の箱根の発展には道路が必要だから早く敷いたほうがいいぜ!」ってことっす!!

明治時代に道路を敷設

福住正兄には何度も「道路を敷設してくれへんかね??」と相談していたようで、結果的に福住正兄の尽力によって明治13年に小田原〜箱根湯本まで、明治14年11月には箱根湯本〜塔ノ沢まで道路を敷設することになるのです。今の国道一号線っすね。

そしてその後、山口仙之助もその意思を継いだかのように塔ノ沢〜宮ノ下まで道路を敷設したんですね。

以上のような背景から、箱根の地を選んだのは福沢諭吉の影響が大きかったと推測できるわけです。

ということで、仙之助がホテル開業を目指してその場所を箱根に選んだという理由は、先ほどの三つが大きな理由として推測できるわけです。もう一度言いますが、あくまで推測ですけどね・・( ;∀;)

そして明治11年に富士屋ホテルは開業するわけですが、そこで毎日新聞の前身である東京日日新聞には、富士屋ホテル開業に関する広告が出ています。

明治11年7月4日の東京日日新聞

そこには「横浜高島町神風楼支店富嶽館」と書かれているんですね。

つまり横浜遊廓が高島町にあった頃の神風楼の支店として書かれているわけです。単に「富士屋」と書くよりかは、横浜で知名度があった神風楼の支店と書いた方が注目できるし信用が上がると踏んだのかと推測ができます。

開業した後、1883(明治16)年には大火によって富士屋ホテルが焼失した過去もあり、その後に再建はしたものの、この再建費用はかなりの額がかかったでしょうし、そもそも広大な土地を買ってホテルと建てるというのは莫大な金がかかるわけですからね。

これらの費用は、繁盛していた神風楼からの援助があったことは可能性として十分考えられるわけです。

という感じで一つの記事にまとめてはみましたが、実際に新聞に「横浜高島町神風楼支店富嶽館」という記載はあったものの、その他の内容はいろんな情報からの推測によるものも多いですし、富士屋ホテルと神風楼にはどこまで接点があったのかに関して、真実は神のみぞ知るって感じですね。

おわりに

以上のように、箱根にある富士屋ホテルは横浜の遊廓にあった神風楼の支店という位置づけを利用していたことや、神風楼の支援があったことが礎となって今があるようでした。

書籍や資料から以上の歴史をまとめたわけですが、この記事にはまだ続編があります。

今回は主に開業に関する話をまとめたにすぎないため、次回の続編は開業してから現在まで、富士屋ホテルにはどんな歴史があったのか、という点をまとめています!!

↓こちらも、よかったらご覧になってみてくださいね( ̄▽ ̄)

参考文献

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詳細・地図

住所 神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下359
駐車場 無料
電話番号 0460-82-2211
アクセス 箱根登山鉄道 宮ノ下駅より 徒歩7分 小田原厚木道路小田原箱根口ICより 20分
リンク https://www.fujiyahotel.jp/

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